クリームチーズのベリージャム添え
エマは、若干びくびくしながら次の朝を迎えた。半ば追い出すような形で騎士を家から出てもらったのだ。こちらから招いておいてかなり失礼なことをしてしまった。騎士に対して無礼な行動を取るとペナルティ、などというシステムはなかったはず、とエマは朝食のトーストを食べ終わると考えた。どうしてあの騎士はあのような発言をしたのだろう。ゲームでは、騎士になるためには騎士討伐戦トーナメントを勝ち抜かないと騎士にはなれないはず。あのようなスカウト形式ではなかったはずだ。
「ゲームに新しい機能が加わったのかなぁ……。」
そうぼやきながら、立ち上がった。今日は、昨日買いためておいたクリームチーズがあるから、朝早くから市場に行く必要はない。いかにしてクリームチーズを余っている食材と共においしくいただくか思考を巡らせながら貯蔵庫に向かう。
「ジャム……と食べようかな。」
視線の先にあるのは二日前にダンジョンで採ってきたベリー。お目当てのオルベリーは採ってこられなかったが、ブルーベリーそっくりのペールベリーというベリーは採ってきてある。ジャムにするにはいささか量が少ないが、この数日で食べきるには十分な量だった。一人ではなく二人以上の人間がこの家にいれば、おいしい料理を一度にたくさん作れるし、材料費も光熱費も抑えられるのに、と妙に現実的なことを考えてしまう。うーん、とぼやきながらペールベリーとクリームチーズ、そしてレモンを抱えて貯蔵庫を出る。水でベリーをさっと洗う。その間に、鍋を取り出すと弱火にかけ、水気を切ったペールベリーを投入した。その間にレモンを切ると、ぎゅっと果汁を絞った。さわやかな香りがしゅわりと広がる。レモンの香りは好きだ。絞ったレモンは貯蔵庫に入れておくと、食材の匂いなどを吸い取ってくれる。早速絞り終わったレモンの皮を貯蔵庫に置くと、砂糖を取り出した。ちらりと鍋を確認すると鮮やかな赤紫のジュースへと化していた。
「とりゃっ。」
すかさずコップで計量した砂糖を鍋に投入する。砂糖は控えめだ。砂糖を少なくするとジャムがあまり日持ちしないが、それほど量もないので大丈夫だろう。さらにくつくつと煮込む間に、クリームチーズをスプーンですくうと、さらに盛り付けた。人差し指ですくってなめてみる。濃厚かつコクのある深い乳の味が口の中にとろりと広がった。思わずにんまりしてしまう。ここにジャムを載せたら、さらにおいしくなると考えただけで幸せになる。鍋の近くに戻って、くるくると鍋の中身を木べらでかき混ぜる。うん、と一人で頷き、火を止める。すかさずレモン汁を鍋に投入した。くるくるとかき混ぜスプーンですくってみた。ベリーの程よい酸味とほのかな甘み、レモンの爽やかな香りと風味が瞬間的に舌の上に広がった。これは、かなりの出来だ。たったこれだけの材料でここまでのジャムができるとは。大満足でジャムをクリームチーズにかけようとした時、ドアがコンコンと叩かれた。エマはぴきり、と固まった。
アレックスは、落ち着かなげにエマの家の前に立っていた。エマの誤解をどのように解こうか、悩み悩んで末に、真紅の薔薇の花を一輪買ってきたのだ。ベタではあるが、これを渡せばさすがに騎士に勧誘しているのではなく、交際の申し込みだと気づくだろう。背の高い若い男が、薔薇を握りつぶさんばかりの深刻な顔で若い娘の戸口に立っているため、道行く人が不審そうな視線を向ける。扉を叩いてから、ややあってから恐る恐るという風に扉が開かれた。予想通り青ざめた顔の少女がそこにいた。彼女は目が合うと、ひっ、と小さく声をあげて、青い顔をさらに青くした。いささか怯えられすぎている気がしたが、扉を閉められる前に、がっと扉を掴んでこれ以上締められないようにする。
「待ってくれ、エマ殿。今日は昨日の誤解を解きたくて来たんだ。」
「お、おおお、お仕事は?」
「エマ殿の誤解を解くために、有休をとった。」
やばい、がちだ、などとよくわからない言葉で彼女はぶつぶつと呟いていたが。やがて観念したように扉を大きく開いて、アレックスを招き入れた。その機会を逃さず、アレックスは昨日とは違い遠慮なく家に足を踏み入れた。この数日で、彼女が誤解をしやすく、思い込んだら一直線な猪突猛進な少女だとわかったのだ。それはそれで可愛らしくて見惚れてしまいそうになるのだが、誤解の矛先が自分に向けられているとなるとそうはいかない。握りしめた薔薇をどのような言葉とともに渡そうかと考えあぐねていると、エマはキッチンから持ってきたらしい小皿をおずおずと差し出した。皿の上には真っ白なクリーム状のものと赤紫の色鮮やかなソースがかかっている。
「これは……?」
「……クリームチーズとペールベリージャムです。」
昨日とは打って変わって、少女は警戒心をむき出しにしている。用心深くこちらを伺う姿は、天敵を警戒する小動物のようだった。どうやら、心底騎士になりたくないらしい。彼女の身体能力であれば、騎士団入りはそう難しくないはずだが、彼女にその気がないのであれば、仕方のないことだ。出されたものには手を付けなければ失礼だ。それに、昨日のキノコパイといい、彼女はとても料理が上手なのだ。どのような味がするのか興味がある。今日の料理は、昨日のパイとは違って嗅覚に強烈に訴えかけてくるような料理ではなかった。どちらかというと、白いクリームと赤紫のソースのコントラストを視覚的に楽しめる品だ。
「では、遠慮なく。」
アレックスは添えられていた木のスプーンを手に取ると、クリームチーズをジャムと絡めて口に運ぶ。その目はすぐに見開かれることとなった。鼻を突き抜けるような爽やかな酸味が最初に感じられた。舌にねっとりと絡みつくようなクリームチーズの濃厚な風味とジャムの甘酸っぱさがよく合っている。シンプルな品だからこそ、素材の良さがよく感じられるものだった。
「……これは、うまいな。」
思わず握りしめている薔薇のことも忘れて、呟いた。とたんに少女の顔がぱっと華やぐ。
「本当ですか!?」
「ああ、本当だ。特に、ジャムの甘すぎない味付けがいいと思う。」
返事もそこそこにすぐに二口目を口に運ぶ。次々にアレックスの口に消えていくクリームチーズを少女はにこにこと見つめた。アレックスは甘いものがあまり得意ではないが、この甘さが控えめで酸味の強いデザートなら、いくらでも食べられる気がする。気づけば、皿は空になっていた。皿に残った鮮やかなジャムを見て、はっと我に返った。己の本当の目的を今更ながらに思い出したのだ。手の中の薔薇を見れば、握りしめていたせいで少ししおれていた。若干くったりしているそれを、少女に向けて差し出す。さっと少女の顔色が変わった。やっと、こちらの本当の意図、交際の申し込みに気付いてくれたのだ。そう思い、さらにその場に跪こうとしたら、少女が一歩二歩と後退した。その顔色は、薔薇色からは程遠い。
「こっ。」
「こ?」
「この赤い薔薇って……。」
「ああ、これは君に……。」
「赤い薔薇って騎士の紋章じゃないですか!?」
「……え。」
言われたことを咄嗟に理解できず、口から間抜けな音が出た。そういえば、騎士団の紋章には赤い薔薇を模した文様が入っていたような気がする。そのようなことを全く気に留めてもいなかったアレックスは、困惑と動揺で言葉を上手くつむぎだせなくなる。
「騎士団の象徴を相手に渡すって、騎士の座を賭けた決闘か何かの申し込みですか!?」
「は!?え!?」
「すみませんが、これは、う、受け取れません!!」
「いや、ちが……。」
「っていうか、前も言ったんですけど、騎士にはなりませんから!!」
遠くでカラスが、アーホーとなくのが聞こえた。前も聞いた少女の言葉に、アレックスは、片手で顔を覆った。




