【エーファイ】⑧
真季の部屋からiPadが消えて三日が経った。真季は意識的にその事実を考えないようにしていた。何か嫌な予感がする。探そうと思えば、追跡アプリなどを使って探せるのかもしれない。でも関わらない方がいい気がする。持っているのは間違いなく龍太だということには気づいている。でもその理由と向き合いたくはない。龍太は何かを探している。そしてそのことを考えると真季の脳の側面がズキっと痛む。目に見えない何かがメッセージを伝えたがっている。そしてこの三日間、毎日全く同じ夢を見る。真季の部屋の窓から外を見るとベランダに一羽のカラスがとまっていて、ずっとこっちを見ている。早く飛んでいけと思うが、どこにも行かない。きっと今晩の夢にも出てくる気がする。そもそも沖縄本島の南部はカラスが少ないのに・・・。北部のヤンバルの自然に食べるものがいっぱいあるからカラスもわざわざ南部の町まで降りてこない。なのになぜカラスの夢なんて見てしまうのだろう・・・。そんなことを思っていたら龍太が家に帰ってきた。
「ただいまー、お腹空いた」
「おかえり、ご飯できてるわよ。まーきーも部屋から出てきて手伝って」
母の声に真季は「今行くー」と答えるが、龍太が一度自分の部屋に入る気配を部屋の中から確認する。そしてドアを少しずつ開けて左右を確認してからリビングに出た。あの弟は急に突拍子もないことするから怖い。
「今日はもずくの天ぷらよ」と母が言う。真季の大好物。父親と龍太も食卓につき、夕食を食べながら、太と月子は富おばあの様態について話し合った。龍太は両親の話を片耳で聞きながら、テレビに映るNHKのローカルニュース番組を見つめてはもずくの天ぷらを白米とともに口の中にかきこむ。いつもと変わらない弟。無意識のうちに見入ってしまっていることに気づかず、「まーきー、何ね?じっと俺の顔見てから。そんなに俺が食べてるもずく天が美味しそうならあげるけど?」と龍太に言われて焦る。「いらんさー」と慌てて答えた真季の声に動揺が混じる。
iPadは翌日、真季の部屋のタンスの脇から見つかった。不自然にホコリをかぶっている。真季が学校に行っている間に龍太が学校を抜け出して、誰もいない家に戻って置いていったのだろう。龍太がiPadを使って何をしているかは知りたくない。でも、夢の中のカラスがどこにも行かない。真っ黒で太った猫ほどにもありそうな大きな体で窓の向こうにいる。鋭い二本足。黒く光るガラス玉のような目、そして大きくて鋭い黒いくちばし。時折大きな羽を広げるから飛んでいってくれるかと思えば、どこにも行かない。ただじーっとこちらを見ている。真季はiPadに手を触れることなく、ホコリをかぶせたままその夜は眠った。またカラスの夢を見る。だけど今日は閉じている筈の真季の部屋の窓が少し開いていて網戸になっていた。そしてベランダにとまっていたカラスがその網戸の向こうからこちらを見ている。「嫌だ、怖い」と真季はとっさに部屋から出ようとしたが、身動きが取れない。するとカラスが網戸を大きなくちばしでつつき始め、穴をあけ、頭から無理矢理体を網戸にねじ込み始めた。そして、網戸を突き破り部屋の中に入ってきたカラスは真季に向かってトントントンと三つステップを取って近づいてくる。真季は叫びたかったが声が出なかった。ただ震えることしかできない。自分の心臓の音が聞こえる。鼓動は早くなり、大きくなる。心臓が破裂してしまうと思った瞬間、カラスは大きな羽を広げて真季めがけて飛んできた。くちばしを大きくあけて真季の目の前まで飛んできた時、真季は目が覚めた。体中から冷たい汗が流れ、呼吸が激しく乱れている。喉の奥に乾燥感がこびりつき咳を何度もしながら「カラスは私の体の中に入った?」と真季は自分に問いかける。わからない・・・。たかが夢。でも、目が覚めても鮮烈に覚えている夢。そして部屋のタンスの脇に目をやると黒いiPadがそこにはある。呼吸を整えながら、真季は諦めるようにして起き上がりカラスと同じ色の真っ黒なiPadに手を伸ばした。触れるだけで精一杯だった。そのiPadをいつも自分が置いていた場所に戻す。今できることはこれだけ。乱れた息は治まってきたけれど、動悸がとまらない。心臓が激しく波打っている。真季は窓まで足を進める。下半身から筋肉を削ぎ落とされたかのように歩き方がぎこちない。窓の外を恐る恐る見るとそこにカラスはおらず、昇り始めた朝日があった。それを確認すると真季は安心し、ベッドに戻った。目をつぶった瞬間に寝息が零れる二度寝。でも、もうカラスの夢は見なかった。
金曜日の午後、高校から帰ってきた真季はiPadを手に持った。明け方に見た網戸を破って部屋に入ってきたカラスの夢をもう一度思い出す。そしてごくりと唾を飲み込んで覚悟を決める。龍太が何をしていたのかを調べる。インターネットを立ち上げ、履歴を見ると龍太が探していたものが一目でわかる。デジタル機器が苦手な龍太は自分が調べていたことの履歴がまさか残っているとは思ってもいない筈。龍太がネットで調べ始めた一番古い履歴を見ると「おっぱいの神秘ーGoogle検索」とあった。「あのエロ河童、一体何調べてるさー」と真季は思わず吐き捨てた。でも、龍太が10代の健全な性欲をエッチなサイトを見て満足させているだけならそれはそれで安心だと思った。
(良かった、カラスの夢は何かを私に告げようとしていた訳ではないかもしれない)
真季はここ数日感じ続けていた不吉な予感が思い過ごしかもしれないと信じようとした。でも、検索履歴で安心できるのはその「おっぱいの神秘ーGoogle検索」の部分だけだった。その後は、「蛇」という単語について調べ続け、「兎」という単語について龍太は調べ続けていた。調べていくうちに何か手がかりを得始めたのか検索方法が変わっていく。
「海蛇 久高島」
「海蛇 出雲」
「海蛇 海流」
さらに意味がわからないものを龍太は調べ始めていた。
「八岐大蛇」
「因幡の白兎」
真季は頭痛を感じ始めた。一体龍太は何を探しているのか。そして最後の検索履歴は「出雲 サバニ」だった。
「兎を飲み込んだ蛇」についての声を聞いてからちょうど一週間。土曜日のお昼前のフェリーに乗って、家族で久高島にお見舞いに行く。富おばあは残暑厳しい9月半ばの気候に汗をかきながら、体から水分を取られ、干からびていくように思えた。湿気の多い南国の気候の中で富おばあの肌はカサカサ乾燥している。気温が涼しくなるまでもたないかもしれないと無意識に覚悟する一同。でも、その中で龍太だけは同じようには考えていない。うふおばあの寝顔をしばらく見つめた後、龍太はサンダルをはいて、久高島の西海岸にある漁港に足を向けた。
「寅也おじいのサバニ」
龍太は声に出さず呪文のように繰り返しその言葉を頭の中で呟き続けた。海人のおじい、漁師のおじい、大好きなおじい。でも、龍太はおじいの舟を見たことがなかった。何度か寅也おじいには「おじいのサバニが見たい」と言ってみた。でも、「鶴子おばあが怒るから駄目さ」と言ってはぐらかされた。それでも泡盛を飲んで酔っぱらったおじいからサバニの話は何度も聞いた覚えがある。
「サバニはおじいの宝物さ。おじいの持っているサバニは先祖代々鮫漁師が受け継いできた上等な帆かけサバニ。風を自由につかまえて、時化た海でも波に乗る。絶対に沈まない。どんなに海が荒れたって波を切って、海を開くのさ。上等中の上等。時化れば時化る程、その海流の大きな流れに乗って、空を飛ぶようにして海を走るのさ」
インターネットを検索してわかったこと。本当か嘘か、信じるか信じないかは自分次第と龍太は自分に言い聞かせる。
◎久高の海蛇は海流に乗って島根県沖の日本海と沖縄海域を行ったり来たりしている。
◎蛇と兎のおとぎ話が集中しているのは島根県と鳥取県、ついでに鮫の話も。
◎まさかとは思ったが、島根県の美保神社というところにサバニが飾っているらしい。
◎そして、まさか島根県の青少年の家でサバニ研修を子供達に行なっているらしい。
◎まさかの嘘だと思うが対馬海流に乗ると沖縄ー出雲間をサバニで三日で行けるらしい。
龍太がネットサーフィンをして信じるに至ったこと。それは、先週聞こえたあの声は龍太に出雲に行けと言っているということ。そして、かの地で兎を飲み込んだ蛇を探して捕まえろと言っている。更にその蛇を多分イラブー汁みたいに料理して富おばあに飲ませなさいと言っている。そしたらきっとうふおばあは元気を取り戻し、鶴子おばあの願いである神様に祈りを捧げる体力を取り戻すだろうと。なかなか手が込んでいると龍太は思う。
海蛇の生息を調べていくうちに出雲にたどり着き、そしたらそこに蛇と兎と鮫のおとぎ話があったりした。鮫の話は鮫漁師の寅也おじいをなんとなく思い出させた。きっと出雲に何かがあるんだろうとネットの海に素潜りして薄々感じたけれど、どうやって行くのかが全く検討がつかなかった。仕方なくネットのさらに深いところまで潜っていった時、島根県にサバニがあることを知る。なんでも戦前糸満の漁師達が追い込み漁をしながら海を北上して行った時に置いていったらしい。単純な龍太はすぐに思う、「サバニで行ける」と。サバニなら糸満ハーレーで毎年必死になって練習している。きっと漕げる。だけど、肝心なサバニがない。できれば、糸満ハーレーで使っているような大きな舟ではなく、3人から4人ぐらいが乗れる中型のサバニがいい。誰を一緒に連れていく訳でもないから大きな舟はいらない。ほろ酔い寅也おじいに聞いた話だとおじいのサバニがまさにそのサイズだった。
龍太は久高島西海岸の漁港を探すがおじいが言っていたサイズのサバニはなかった。サバニどころかほとんどがエンジンがついた鉄の船。龍太はそれを運転する自信はない。免許もない。感性が通じる木の舟が良い。木の舟なら免許もいらない筈???海の呼吸と風の流れを人間の五感で感じることのできる舟、きっとそれはおじいのサバニ。でも、西海岸を隙なく探したがどこにもない。漁港は西にあり、久高島と本島を行き来するフェリーも西海岸から徳仁港に入る。東海岸に港はない。
西海岸を歩き続けて島の北端のカベールまでやってきた。夏休みの図書館で久高島研究をした結果、この場所に海の神様が現れるらしいというのを龍太は知った。なんでもその海の神様は白い馬の姿で現れるという。「なんで白馬?」とその時龍太は素直に思った。馬は陸の生き物で海というイメージはない。それこそ竜宮城のおとぎ話のように乙姫様や亀やタイやヒラメやクラゲがいる世界にいるのが海の神様だろうと想像が働く。白馬はその世界になじまない気がする。
「辻褄のあわない不思議なこともあるもんだ」と龍太は、夏休みの研究結果を思い出しながら久高島の北の果てカベール岬の岩場から海の底を覗き込んではそんなことを呟く。そのまま結局、龍太は久高島を一周することになる。カベールから南に向けて歩いている途中にふと気づいた。考えてみたら、小さい頃から何度もこの小さな島に来ているのにほとんど集落から出たことがなかった。寅也おじいと海で遊ぶ時もいつも集落のそばの海。集落の北、自然以外に何もない白い砂道を歩くとクバの葉や濃い緑の木々が残暑の太陽光を浴びて光と影を描き出す。龍太も陽の光を受けながら、自分の影が白砂の上で自分の歩幅にあわせてついてくるのをなんとなく見たりした。島の中部よりやや南側にあるイシキ浜を越えると集落はすぐ目と鼻の先。そこで龍太はとっさに足を止める。そして、木の影に隠れた。真季が、集落から東の浜道に出てきた。慣れた足取りでピザ浜と呼ばれる海の方向に向かって足を進める。ピザ浜を南に超えると食堂や商店があり、最終的にはフェリー乗り場に続く。真季はあくびをして目をこすっている。お昼寝の時間には最適なタイミング。龍太はバレないよう日影に隠れながら後を追う。真季はピザ浜を過ぎていった。その向こうから二人の観光客が真季の横を自転車漕ぎながらこっちに向かってやってくる。多くの観光客は地元の住民に気持ちのよい挨拶をしてくれるが、この二人はどちらかというと無愛想な方で助かった。とくに挨拶をかわすこともなかったので真季にバレずにすんだ。真季はフェリー乗り場の方に足を進める。フェリー乗り場に行くのならわざわざ東の道を行くよりもおばあの家から直接南につながる集落の道をいけばいいのに?と思った時、真季は食事処とくじんの脇にある海に続く小道に入っていった。「うん?」と龍太は首を傾げる。そんなところに小道があったことすら覚えてなかったが、確かによーく思い出すと昔からそこには小道があった。慌てて記憶を再確認する。この先には確か徳仁港を見下ろせる空き地があるのみでその先は防波堤の筈。空き地周りは雑草ぼうぼうの野生の土地。龍太は十分に間を取ってから小道の奥に足を進ませた。案の定、そこには何もないぽっかりと空いた空間と龍太の背よりも高く伸びきった草が生い茂っているだけだった。何の驚きもなく防波堤があり、徳仁港を見下ろせる。ただ空き地にいるのは龍太一人。真季が消えた・・・。