エピローグ【喜びのカチャーシー】
冬が終わり、春が来る。強く冷たく吹き続けた海風が今はもう柔らかくて温かい。龍太は大きなあくびをしながら久高島の北端、カベールの岬に立っている。そして、ごつごつした岩場の上で透き通る海と大きな空、そこに浮かぶ真っ白い雲を見つめている。風に流されながら雲は少しずつ形を変え、海は波音を奏で続ける。龍太は岩場の先に立ち、春を全身で感じる。晴れやかで清々しい。もう一度大きなあくびをして両手を大きく空に突き出して伸びをする。春の陽気が眠気を誘う。龍太は眠たそうな目で潮の流れを見ながら、サバニでのあの航海を思い出す。顔を上げて水平線をじーっと見つめる。信じることすら不可能に近い嘘みたいな話だけど、確かに自分はあの水平線の向こうまで行ったのだ。きっと昔から久高の男達は海を渡って島に帰ってくるたびに、今の龍太と同じようなことを思っただろう。同じ様にカベールの岬に立ち、あの航海はもしかしたら夢なんじゃないかと思ったに違いない。それほどまでに海は大きく、人間は小さい。でも、人間はその海とともに遠い遠い遥か昔から一緒に生きてきた。海が生命を育み、人はその恵みに感謝した。海が自然の怖さを教えてくれて、その力の大きさに震えた。そして、海が人間を未知の世界に導いてくれた。だから人は海を見るとほっとする、カベールの岬に立つ龍太みたいに。海は地球上のありとあらゆる生命の故郷であり、お母さんである。海の優しさと怒らせたら怖いところ。龍太は自分の母親を思う。似ていると笑う。龍太は太陽の光を全身にあびながらもう一度大きく伸びをした。春の日差しを気持ちよく感じながら、冬の終わりを思い出す。
小さなイザイホーが終わる時、島は喜びで溢れた。あの光景は一生忘れないだろうと龍太は思う。そして少しずつ、週末だけでも、一ヶ月に一度でも、故郷に帰ってくる久高の島人が多くなった気がする。真季も龍太も、なんだか久高島の居心地が良くてほぼ毎週末帰るようになる。真季は神人の祈りの行事の手伝いがしたいと何か島の行事がある時は参加するようになった。そして、母親の月子も一緒に参加する。久高島の女達が心に刻み、受け継いで来た祈りの記憶を未来に繋いでいきたいと偉そうなことを言い出した真季をおませな女子と龍太はからかう。自分に子供が出来た時、故郷のことを何も知らない母親にはなりたくないと真季は龍太に馬鹿にされてもきっぱりと言い張る。龍太は相変わらず真季は根が真面目だと思う。こんなにお硬い姉をもらってくれる男がいつかあらわれるのだろうかと龍太は心配になる。そして、ド真面目という名のぶっとい根っこが脳みそ中に張っている姉を持った弟の気持ちにもなってくれと嘆く。龍太はため息を一つついて堅苦しくてやってられないと笑う。真季は神女ではないから祈りの儀式には参加できない。でも、ちょっとしたお手伝いなどは進んで手伝う。昔の真季ではない。体調も顔色も良く、学校を休むこともなくなった。龍太は龍太で、久高島の男の行事、海の行事がある時は手伝うようになった。別に真季のような崇高な考えがある訳ではなく、海が好きで、海に生きる男達と一緒にいるのが好きなだけ。ただ、それだけだけど周りから見れば真季がやっていることとたいして変わらない。女達と同じで男達も祈る。航海の安全を祈り、大漁を祈り、海の神様に祈る。祈りって何だろう?と龍太は改めて思う。大切な人を思う気持ち。古代より命を繋いでくれたご先祖様達への感謝の気持ち。そして、太陽や月、海や星や雲や風、そして火や土、人間を生かしてくれる全ての自然の神々への恐れと愛。人間は自分でも気づかないうちにいつも祈っている。祈りとは生命の鼓動そのもの。生きることは祈ること。そして、古代から続くその祈りの記憶を受け継いで行くことで、今を生きる人間は過去と繋がり未来を創造することができるのだと龍太は思う。まだまだ世間知らずなので確信は持てないけれど、なんとなくそうなんだろうと龍太は感じている。そんなことを思いながら、龍太は旧正月を思い出す。海人は潮の満ち引きを司る月の暦で生きている。太陽が司る新暦の正月よりも月が司る旧暦の正月を盛大に祝う。旧暦の正月には、出雲のミルク屋のジョー一家が沖縄を尋ねて来てくれて、皆で久高島でお祝いをした。ジョーもシローも島酒で飲み潰れて、セリは久高の女達と気があった。旧正月を久高島で過ごした後、ジョー一家を連れて沖縄本島の観光地を巡りながら皆でもてなした。3人とも沖縄の海の美しさと文化に感動してくれて、また一年以内に絶対に遊びに来ると言ってくれた。もちろん、またんめんそーれ(また来てくださいね)と龍太達は伝え、自分達もまた出雲に行きたいと伝えた。出雲に行ったことのない母、月子が誰よりも出雲に行きたがった。
旧正月からちょうど一ヶ月経った朝、富おばあはニライカナイに旅立った。死に顔は穏やかで、苦しんだ形跡はなく、静かな眠りに抱かれながら命の火をそっと消した。龍太はなぜか悲しくなかった。あの脱皮不全の蛇の神様が富おばあを元気にしてくれて、短い間だったけれど富おばあは大切なことをたくさん残していってくれた。今度は偉大なる神女だった富おばあが、白蛇スープをたくさん飲む事で魂に宿したあの蛇神様をニライカナイに案内する番なのだろう。きっといつかあの蛇神様は富おばあに導かれた世界で再生するのだと龍太は思った。富おばあは目には見えなくなるけれど、ずっと側にいてくれるのはわかっている。それは熊おじいや寅也おじいが航海の途中で寄り添ってくれたように。だから悲しくはなかった。真季も富おばあが死んでも泣かなかった。自分と同じ事を感じたのかもしれないし、真季の目にはもう既に富おばあの魂が見えているのかもしれないと龍太は姉のことを少しうらやんだりする。
真季は、やはり広い世界を見るために東京の大学に進学するべく、今必死に受験勉強をしている。明日から4月になる。高校三年生。故郷久高島を忘れるつもりは一ミリもないらしい。育った糸満を愛する気持ちも変わりはない。けれど、この小さな島を出て大きな世界を見なければいけないという使命感に真季は駆られている。もしかしたら、昔から沖縄にいる島人はそうだったのかもしれない。真季と同じような使命感に駆られ、海流にのって海を渡り、世界中にサバニを繰り出したのかも。龍太は無事に地元の水産高校に合格した。鶴子おばあと両親を説得した。やっぱり俺は海の仕事がしたい、だから水産高校に行きたいと。皆、諦めて承諾した。龍太は天才と言われた寅也おじいの孫なのだからこうなるのは自然の運命だったのだろうと鼻息を漏らす。水産高校に合格すると糸満の漁師達が心から喜んでくれた。龍太は糸満の漁師の皆と海に出るのが今から楽しみで待ちきれない。そして冬の終わりとともに夏を開ける糸満ハーレーに向けての練習は始まった。龍太はその才能に更なる磨きをかけていて、ヤギチームの4連覇はほぼ間違いないと糸満市内で話題にあがっている。今年は糸満市役所を代表して龍太の父、太が糸満ハーレーの実行委員会を取り仕切っている。
「さて」と龍太は春の海を見つめながら冬の思い出を胸にしまった。カベールの岬の岩場から南の集落に戻ろうと足を進ませる。岩場が終わり、白い砂が一直線に伸びる道を目の前にする。その両脇を龍太の背丈以上ある緑の草や木々が覆い、大きな青空が広がって、そこはまるで楽園の入り口のように思える。その道に白い馬が立っている。白い馬は岩場から戻ってきた龍太を見ている。大きな海の真ん中でサバニに乗った龍太と真季は台風に遭った。あの風と波を思い出すだけで今でも肝が冷えて生きた心地がしない。あの海で、サバニを引きながら大波を切り裂き海の道を開いていってくれた海の神様。なんで久高島の海の神様は白い馬なのか、航海に出る前に聞いた話では意味がわからなかったけれど、今は少しの違和感もない。龍太は楽園の入り口に立つ白い馬に向かって足を進めて行った。白い馬は龍太が近づいてくるのを静かに待つ。そして、龍太は白い馬と向かい合い、恐る恐るそのたてがみを触った。白い馬は気持ち良さそうに体を少し左右に動かし、龍太の右肩の上に顎を乗せた。龍太は白い馬の鼻息を体で感じた。海の神様は、「また一緒に海に出よう」と誘っているのだと龍太は直感する。龍太は「もちろん」と言う気持ちをこめて白い馬の首筋を撫でた。それから一人の少年と白い馬は横並びでゆっくりと白い砂の道を寄り添うようにして歩き始めた。両隣の緑の木々、青い空、太陽の光が静かにその空間を祝福する。龍太も白い馬も何も語らない。ただゆっくりと静かな歩調で寄り添っている、遠い昔から海と人間が寄り添い続けてきたように。
【海流ハイウェイベイビーズ】完




