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【エーファイ】⑤

 もう何日連続で海に浮いているだろうと龍太は思った。中学三年生の夏休み後半。普通に日本中の同年代は高校受験のために猛勉強しているのだろう。その真逆にいるふとどきもの。暇で暇でしょうがない夏休み。宿題すらせずに龍太は海で泳ぎを磨いて、疲れたら海に浮くの繰り返し。母親には家に帰る度に激怒されるが、まあ慣れた。残念ながら必死に勉強して、少しでもいい高校にいこうとマジになっているやつを尊敬できる才能が自分にはないのだと龍太は諦める。そういう自分の姉真季も高校2年生の夏休み、少し早いが大学受験を見据えて勉強に励む。偉いと思う。龍太はそう思う。でも、龍太は、自分は勉強するよりも海の中にいる方が学ぶことが多いと思うから毎日海に飛び込む。用は向き不向き。自分が得意な分野で生きていければいいのに、どうも世の中そうはなっていないようで、大きな流れに身を任せるのなら受験勉強という潮流に乗って大学進学、就職と進んでいく必要があるよう。龍太は海の真上の青い空に剥き出しの太陽を見て、「なんくるないさー」と声に出して言ってみる。「どうにかなる」という根拠のない自信が自分にはある。だけど力なく鼻息を一つ漏らす。しばらくぼーっと海に浮かんだまま顔を横に向けて、水平線を見つめもう一度小さく「なんくるないさー」と呟き、龍太は勢いよく大きく息を一つ吸い込んでは浮いた体を反転させる。そして海の底に潜ってはトロピカルな熱帯魚と戯れる。このまま受験勉強のことを忘れて魚に生まれ変わってずっと海で泳いでいられたらいいなー・・・と現実逃避。より深い海の底目指して泳いで、陸から遠ざかろうとする龍太。そこに竜宮城がないかといつも目を凝らして探してしまう。そしてそんなものはない事実にいつも突き当たり、現実から逃げている自分をいつも鼻で笑ってしまう。そしてため息を一つついていつも海からあがる。


 うふおばあをお見舞いに行ってから毎週末誰かしら久高島には行くようにしている。太、月子、真季、龍太の誰か一人は安座真港から富おばあの様態を見に行く。龍太は夏休みの暇さを利用して誰かが久高島に行く時はついて行く。一人でもバスを乗り継いで島に行く。真季が行く時だけは「あんたウザいから来ないで」と拒絶されるから行きたいけど行けない。夏休み終了一週間前に家族全員で久高島に行った。ほぼ毎週お見舞いに来ている龍太にはうふおばあの命が時間とともに失われていくのがよくわかる。寝たきりの状態が長く続き、体から筋肉が溶けるようにしてなくなっていく。一日の少しの食事と水分は鶴子おばあが無理にでも富おばあの体を起こして食べさせる。食べさせるというよりは噛む必要のない流動食を無意識の富おばあの喉の奥に流し込む繰り返し。咳き込んだ時はどうか窒息しないでと祈りながら背中をゆっくりさすり続ける。意識のない富おばあはもちろんトイレに行くことができないためオムツを鶴子おばあがマメに交換する。排泄があるだけ、まだ生命力がある証拠だと鶴子おばあは安心する。

 「この夏を乗り切れたら少し涼しくなって体調が回復することもあるかもしれないけど・・・。でも、もしかしたら難しいかもしれない・・・」と肩を落とす鶴子おばあ。

 「でも、まあ富おばあは十分生きたから、もうこれ以上苦しまずニライカナイ(天国)に行って楽になってもいいかもしれないと思ったりもするさ。ただ、眠っている時によく寝言で神歌ティルルを歌っている富おばあを見てしまうと、もう一度だけ元気にしてあげて、島の御嶽や海岸に連れていって拝みさせてあげられたら、どんなにいいかと思うこともある訳さ」


 龍太は馬鹿なりに暇を持て余した夏休みに図書館で久高島について調べた。沖縄本島の端の方に浮いている小島の祭りについての本なんて、せいぜい2冊ぐらいあればいいやと思って図書館に行ってみた。そして沖縄の歴史・文化書籍コーナーの前に立って唖然とする。その本棚には「イザイホー」という単語が溢れていた。頭の良さそうな名前の人達が民俗学、文化論、歴史、古代史の観点からイザイホーについて書いてある本の多さ。それらの中で「沖縄文化論 忘れられた日本」という本の存在が目に飛び込んでくる。岡本太郎という、いたってシンプルな名前の人が書いた本。太郎という名前を聞くと龍太は小さい頃に親に読んでもらったおとぎ話の数々を思い出す。桃太郎、金太郎、浦島太郎・・・岡本太郎。きっと岡本太郎もおとぎ話に関係している人なんだろうと思うけれど、タイトルにある忘れられた日本という言葉が龍太の胸に響く。そして少し焦る。忘れられた??どういうこと??と少量の汗をかきながらイザイホー関連の本を何冊か手に取って「何だこれは・・・?というか、そんなに有名な祭りなの?」と龍太は呟いて閲覧席に持って行ってぱらぱらとページをめくった。難しい文章が多いので、斜め読み以上のことはできないけれど、どうやら久高島の神女達は琉球王府から特別な存在として見なされていたらしい。第二尚氏三代目国王の尚真王が琉球王国中の神女を組織化し、各地にノロと呼ばれる神女を割当て統制し、そのノロ組織の頂点、聞得大君きこえおおきみという最高位に国王の姉や妹が就任する制度を確立した。ただ、ここで重要なのはその聞得大君の就任式を琉球王府最高の聖地といわれる斎場御嶽せーふぁうたきで取り仕切るのは久高島のノロ、神女達だった。久高島の神女から認められる形で国王の姉や妹がそのノロ組織の頂点に立つ。また、信じがたい話だが・・・就任式を行なう祭場にはわざわざ久高島の海岸から白砂を大量に運び込んで、その場所に隙間無く敷き詰めたと言う。琉球王府ができる以前の遠い昔から神の島として崇められてきた久高島の力を時の権力がなんとか利用しようとする必死さがお馬鹿な龍太にもわかる。島の南部に集落が密集している以外は、ただの手つかずの自然しかない、何もない島だと思っていたのに、調べてみると沖縄の中でも大切な御嶽うたきが久高島にはたくさんある。そもそも御嶽って何だ?と龍太は思う。沖縄では聞き慣れた言葉だからなんとなく聞き流してあまりちゃんと考えたことなかったけれど、その本当の意味をよくわかっていない自分がいてちょっと恥ずかしくなる。これまた調べてみると御嶽とは神様やご先祖様が大きな木をはしごにしてその下に置いてある石に降りてくる場所らしい。だからたいていの御嶽はガジュマルやらクバの木やら天と地上をつなぐはしごがあり、その下に石が置いてある。神様が降りてきて石の上に座るから、その降りてきた石の前に対峙するように置いた香炉に線香を灯して人間は祈る。木、石、香炉、それ以外には何もない空間・・・。自然の中にぽっかりと空いた真空。あまりにも何もなさすぎて唖然とするくらいだが、そこに神様やご先祖様が天より降りてくる。なので、常にそこに神様がいる訳ではないらしい。岡本太郎というシンプルな名前の人は、御嶽についての感想を「何もないことの眩暈めまい」と表現して驚き、感動していた。なるほど、ふむふむふむふむと龍太は色々わかった気になって本のページをめくっていく。ここまで勉強してみて、自分も天才に一歩近づいたなと自画自賛する龍太。これほどの理解力を発揮できるとは。こんなことを知っている中学三年生は沖縄狭しといえども自分しかいないと思う。そもそも父親も姉も勉強ができるのだ。実は勉強していないだけでもしかして自分も父親や姉と同様に頭いいんじゃないかとにやりと笑う。とはいえ、やっぱり興味があること以外を勉強する気にならないさーと思いながら毎度図書館を後にする。ましてや受験勉強なんて無理無理と小さなため息をつきながら家に帰ってはよく寝て、海で疲れた体を癒しては泳ぐための筋肉だけがどんどん進化していく。


 夏休み終了一週間前の久高島のお昼過ぎ。日差しが強い。紫外線が皮膚に突き刺さるように降り注ぐ。龍太以外の家族はみんな鶴子おばあの家でクーラーをつけて静かにしている。外が暑すぎて家から出る気力さえ奪う沖縄の夏真っ盛り。龍太だけは腕を組んで考え事をしながら外を歩く。集落をふらふらする。とにかく歩き続ける。たまに同じ場所を何度も回ったりする。あまりに同じ場所を歩き続けて、野良の子猫が2匹面白がって龍太の後ろをついて歩いたりもする。でもその子猫の存在にも気づかない龍太。龍太の鼓膜に残る残響。鶴子おばあが呟いた願いが頭の中で響き続ける。富おばあをもう一度元気にしてあげて久高島の御嶽や海を、死んで天国のニライカナイに行く前にもう一度祈らせてあげたいという気持ち。その想いは泳いでいる時に耳の奥に入ってくる水のようにいくら頭を振ってみても龍太の頭から抜けるものではなかった。でもどうすることもできない。沖縄本島に渡って最先端の医療を受けることを富おばあの意志が拒否する。そうでなくても、もう家から出ることすら不可能に思える昏睡状態。いくら人類が文明を発展させても避けることのできない運命、「死」。右耳にはおばあをもう一度元気にしてあげたいという水が入り、左耳には人間が逃げることのできない定めである死という水が入る。頭を必死に上下左右に振ってもその両耳に溜まった水は抜けそうにない。鼓膜が音を感じる機能を失い、静けさだけが目の前にある。龍太はその静けさの中を泳ぐようにして考え事を続けながら、港近くのキャンプ場までやってくる。さすがに日差しが強すぎてちょっと皮膚が痛い。体中がべたべたになるまで汗をかいている。日陰に入ろうと小さな屋根のついたベンチに座る。少し疲れたのか自然とベンチの上で横になってしまう。寝そべりながら考え事をしようと思う。でも、音のない世界は龍太を昼寝へといざなう。暗闇に引きずり込まれる意識をなんとか保とうと抵抗してみるが眠りは大きく、そして力強かった。真っ暗・・・と龍太は自分が落ちた場所を思った。さっきまで太陽の強烈な日差しを浴びていたのに、その焼けつくような匂いすらない。汗を焦がすような熱気もない。両耳から水は抜けないまま、音一つ聞こえない暗闇の中で龍太はひたすら眠り続けた。太陽が西に傾く。昼寝にしては深く長い眠り。だけど夢ひとつみない。暗闇に意識を浸し続ける。そのまま意識が漆黒に溶け始めるのを感じ始めた時、声が聞こえた。


 「兎を飲み込んだ蛇を食べさせよ」


 龍太はその声が聞こえた瞬間、とっさに身震いをした。同時に寒気が走る。震えは微かな音波の揺れのように小刻みなものだけれど止まらない。眠りながらその震えがおさまるのを待つ。どれだけ体に力を入れても目が開かない。ただひたすら微かに感じる地響きみたいな神経の揺れがおさまるのを待つ以外何もできない。


 どれだけ時間が経ったのかはわからない。鼻の奥に抜けていく潮風の匂いが懐かしい。意識が薄ら戻ってきては波の静かな満ち潮が少しずつひいていくように時間をかけて震えは消えていった。体の奥に居座り続けた寒気や悪寒も消えていく。そして、また声が聞こえた。

 「神女に兎を飲み込んだ蛇を食べさせよ」

 その声が両耳の水を蒸発させ鼓膜を震わせた時、龍太は自然と目が覚めた。夕方の久高島キャンプ場のベンチの上で気だるい意識がゆっくりと鮮明になっていく。そして、頭蓋骨の奥にはっきりとその声の残響がある。

 「なんだ?一体・・・」

 龍太は頭を左右に振りながら起き上がり、西の空にある太陽を見た。夢かと思うが、脳みその根っこのような場所に言葉は響き続ける。

 「兎を飲み込んだ蛇を神女に食べさせよ」

 龍太は体に微かな寒気がぶり返してくるのを感じながら、少し怖くなって歩き始めた。太陽の強い日差しは柔らかい光へと変わり、あたりは夕焼けオレンジ色に染まっていた。龍太が久高島の漁港の方に向けて歩いていくと、頭に残る残響が次第に大きくなる。何かのレーダー探知機のようにその声の主のそばにいくと頭に残る音が大きくなるように感じた。西海岸の集落、漁港のそば。導かれるようにして龍太は漁港脇の小さな祈りの場に辿り着く。漁港から集落に入る坂の左側の階段を登った場所。集落ではそこを「アカララキ」と呼んでいるのを龍太は知っている。でも龍太自身前を素通りすることはあっても今までここで立ち止まったことはなかった。耳の奥で残響が鳴り続けている。龍太はもう一度頭を左右に軽く振って唾を飲み込む。そして意を決して階段を一歩一歩恐る恐る登る。するとそこは小さな空き地になっていて生まれたての赤ん坊の頭くらいの石が小さな祠に奉られている。その祠の裏にも同じくらいの石が置いてあり、これもきっと奉られているものだと、触ることがはばかられる独特の霊気を感じて左腕に少し鳥肌が出る。祠の前に香炉が置いてある。それ以外はまさに何もない小さな空間。龍太は足を進ませそのアカララキと呼ばれる石の前に立った。その瞬間、残響が夕方のそよ風に流されるようにして消えた。声の主はきっとこの石。龍太は直感でそう感じた。沈みかけの西日が石にあたり、月のような丸い光が石の表面に浮き上がる。龍太は立ちながら地面にあるその石を見つめ続けた。もう声は聞こえない。少し安心してしゃがみこみ、石を間近で見つめる。すると石の表面に反射した丸い光がゆっくりと欠けていき、そしてまた満ちていった。龍太は眉をしかめる。思わず後ろを振り返り光が差し込んでくる方角を見つめる。満ちて欠ける光・・・。そんなもの初めて目にする。木々の間から差し込んでくるその光をしばらく見つめていると一瞬米粒程の小さな閃光が走った。微かな輝きが弾けるようにして爆発する。あたりから鳥が数羽飛び立つ音が聞こえる。龍太は反射的に目をつぶる。そして数分間何が起きたのかわからず目を閉じ続ける。マブヤーマブヤーと呟きながら胸をさすって気持ちを整え直して恐る恐る目を開け直すとその細い光の筋は消えていて、月の形の残像だけが龍太の瞼の裏に残っている。アカララキの石にもう一度目を落とすと月の形をした光の反射は消えていた。

 「何なんだ、一体・・・」と龍太は首を傾げる。もう一度閃光が走った空間を見返すけれど、夕焼けの落ち着いた赤い色が葉と葉の間に残っているだけ。弾け飛んだ小さな光は何かの錯覚だろうか・・・?と龍太は頭をかく。大きくため息を一つつく。昼過ぎからずっと強い日差しを浴びすぎてきっと軽い熱中症にでもかかっているのだろう。幻聴を聞いて、幻覚を見ている。もしかしてまだ自分は眠っていて幻想的な夢の中にいるのかななんて思ったりもする。参ったなと鼻の下をかきながらアカララキの石の前に体育座りをして考え込む。キャンプ場のベンチで眠り込んでしまった間に聞いた声、「兎を飲み込んだ蛇・・・」「神女」「食べさせる」一体どういう意味だろう・・・。蛇とは海蛇のイラブーのことだろうか?兎・・・なぜ兎?というか、蛇って口があんなに小さいのに兎なんて飲み込めるの?それに沖縄に兎っているの?ヤンバルクイナはいるけど。というか、沖縄県人だけどヤンバルクイナ見た事ないけど。神女・・・富おばあのことか?というか一体、何なんだ・・・。訳がわからない。確かに喉の奥に乾きを感じる。軽い熱中症になってしまったのは間違いないのかもしれない。額に手をあてると少し体温が高い気がする。そんなことをアカララキの石の前で体育座りのまま考えている間に夜の色が薄く空を覆いはじめている。一度空になじんだ闇は速度をあげて世界を黒く塗りつぶしていく。龍太は空を見上げた。太陽は後10分もしないうちに沈むだろう。暗くなる前におばあの家に戻ろうと龍太は腰をあげて立ち直す。そして立ったままアカララキに手をあわせて頭を軽く下げ、家への道を歩いた。家に着く前に世界は夜になった。


 おばあの家での夜ご飯。鶴子おばあが作ってくれたのはニガナ(苦菜)の和え物とイラブー汁。それに白米のご飯。龍太は小さい頃からこの組み合わせが大好きだった。ニガナは島でよく取れる野草で、とにかく苦い。聞くところによると薬草として薬にも使われるらしい。苦い分だけ元気になれそうな野菜で、そこにお刺身を入れて酢であえる。夏の暑い時には体の中がスッキリする気がして龍太は小さい頃から苦味を奥歯で噛み潰しながらいつも完食していた。そして、海蛇イラブー汁。海蛇の薫製に昆布を巻きながら出汁を取り、さらに鰹だしを加えた後、鶏、豚などの肉や野菜を入たりしながらスープにする。小さい頃の龍太はこの汁を美味しいとムシャムシャ食べながら島酒を飲むおじいの姿をカッコイイと思った。蛇を骨ごと強い顎で噛みちぎる寅也おじいは絵本に出てくる怪物か鬼か海賊に見えた。ヒーローもいいけど、そういうボスキャラ的な存在にも憧れる。「イラブー食べると元気になるさー」と豪語しながらお椀から汁をすするおじいを真似して幼い龍太も「イラブー食べると元気になるさー」と偉そうに語る。グロテスクで怖かったけど蛇を無理矢理口に投げ込んで無我夢中で顎を動かして噛んだのを龍太は覚えている。口の中に入れて噛み始めてしまえば見た目と違って、淡白な味で美味しい。久高島の夏バテ防止2大料理。ただ、真季がこの二つの料理が大嫌いだった。病気がちな真季に精をつけさせるため、鶴子おばあも月子もなんとかニガナとイラブーを真季の口の中に押し込もうとする。泣いて嫌がる小学校低学年の真季。

 「嫌だ、蛇なんて気持ち悪い。ニガナは苦くて食べたくない。まずい」

 「まーきー、何言ってる?おばあが作ってくれた食べ物にまずいなんて」

 怒る母親は、真季を捕まえてお尻を叩く。叩きながら「おばあに謝りなさい」と母親は言うが、真季も意地を張って大声で泣きながら「嫌だぁー。謝らない。蛇もニガナも大嫌いーっ」と叫ぶ。強情な真季を抱きかかえて、家の外まで連れてきては「そんな子はもう家にはいりません。出て行きなさい」と母親は真季を置いてけぼりにする。家の外でひとりぼっちになった真季は「嫌なものは、嫌だぁ・・・」と泣きながら真っ赤に腫れた小さなお尻をさすりながら立ちすくむ。10分程して、鼻水をすする音が聞こえなくなったので、もう懲りて泣き止んだかと思う頃、太は気が気で無い思いを抑えられずに家の外に出てみる。真季がいない。太は慌てて家の中に戻り、「まーきーがいない。月子、探しに行かなきゃ。お前が怒りすぎるから」と自分の妻を責めると月子はより頑固になって、「あんなわがままな子はいりません。人が作ってくれた料理を、その人の前でまずいなんていう人は私の子供じゃない」とこちらも強情になって言うことを聞かない。母と娘のケンカにハラハラする男性陣。何でこんなに年の差が離れているのにどっちも一歩も引かずに感情的になるんだろうと、女の戦いを目の前にしてオロオロするだけの太はとにかくいてもたってもいられずに懐中電灯を持って真季を探しに行こうとする。寅也おじいも一緒に行こうとすると富おばあが、「まあ大丈夫さー。ほっとけばいいよー。小さな女の子だから島から出ていかれないし、こんな小さな島だから簡単に見つかるさー。これも大人になる勉強さ。久高島の神様は、あんな小さな女の子を、この島で危ない目にあわせたりしないから。まーきーが帰ってきたいと思うまで待てばいいさー。お腹空いたら帰ってくるよー。心配いらんさー」とニコニコ笑いながら語る。富おばあの言葉には安心感がある。富おばあの言う通りにしていたら、あまり大きな間違いは起きないというような雰囲気がある。その言葉を信じ、意地を張り続けている自分の妻の機嫌もこれ以上は損ねられないとの恐怖から太は家にいることにした。それに続いて寅也おじいも腰を降ろし、コップに島酒をついで飲み直し始める。そのいざこざの間に我関せずの龍太はイラブー汁もニガナの和え物も白いご飯も全部平らげて、お腹パンパンになって眠くなっていた。1時間半後、どこからともなく真季がお腹を空かせて帰ってきて、食卓に座り込み、白いご飯とニガナの和え物に入っているお刺身だけを取り分けて食べ始める。太は、「まーきー、どこに行ってた?お父さん心配したさー」というと、真季は、口のまわりにご飯粒つけて、刺身を噛みながら「ひみちゅ」とだけ答えた。真季のご飯を食べる姿を嬉しそうに見つめる富おばあ。その目は真季の言う秘密の意味すら知っているかのよう。この後、二日間は母と娘は冷戦状態でお互い会話をかわすこともなく、太の胃は痛み続けた。真季はとても素直で、基本的にはおばあや両親の言うことはよく聞き、勉強も家の手伝いもよくやる手のかからない女の子なのだが、一度気に入らないことがあると、とことん嫌で強情で頑固になる。それは、自分の妻である月子も小さい頃から、同じ小学校の同級生だった頃から全く同じなので仕方ないかと太は諦めもする。そして二人同時にそうなると太は絶望的な気持ちになる。この親子ゲンカはその後何度もあり、その度に久高島で小さい真季がどこかに行ってしまうことが少なからずあった。どこかに行っても結局いつも帰ってくるので時間の流れとともに真季が久高島でいなくなっても、散歩でもして気分転換しているのだろうと誰も心配するものもいなくなった。

 

 龍太は、イラブーの身を噛みながら兎について考える。真季は、味覚の変化とともにニガナは食べられるようになったが、蛇は相変わらず食わず嫌いで、龍太の汁碗に自分の碗内の蛇を投げ入れる。龍太は毎度「にふぇーでーびる(ありがとう)」と言ってありがたくもらう。蛇のいない野菜と豚肉の汁になったのを確認して、真季は箸をすすめる。龍太はもらったイラブーにも箸をつけて口に運び、噛みながら考え続ける。久高島で蛇といえばあそこしかないから、明日朝起きて、本島に戻るフェリーに乗る前にあそこに行こうと龍太は思った。


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