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【グゥキマーイのティルル】⑩

 水曜日の夜、太の携帯電話が鳴る。既に夕食を終えて、真季は部屋にこもって勉強をし、龍太はなんとなくソファーの上でテレビを見ていた。一応高校受験の勉強をしなければという意識はあるのか、膝の上には英語の参考書がのっている。月子は台所で食器を片付け、太はテーブルに座って左手で泡盛を飲みながら、右手には【出雲】についての本を持っていた。何かの縁で子供達を探し島根と鳥取を這うようにして駆けずり回った。その思い出とともに出雲という地域への興味が止まらない。漫画で描かれた古事記なんかも読んでみた。とにかく出雲から戻ってきて太は出雲について書かれた本を読み漁っている。

 本に熱中しすぎて携帯電話の呼び鈴に数秒気づかなかった太は活字から視線をどっこいしょという感じで自分の携帯電話に移す。ディスプレイに「母」と表示されている。鶴子おばあから。もしかしてと思い慌てて右手で電話を取って通話のボタンを押す。そして受話器の向こう、鶴子おばあが興奮気味に「富おばあが生き返ったさー」と告げる。その言葉に思わず太は左手に持っていたコップを落としてしまい、テーブルが泡盛で濡れた。その音にただならぬ雰囲気を感じた龍太はとっさにテレビのリモコンを握り電源を切る。真季は部屋から出て来る。大自然に揉まれた二人は、第六感が発達したのか普通でないことに敏感になっている。月子は皿洗いの途中、水仕事の音で異常に気づいていない。真季が月子のそばまで足早に寄っていき、目で合図をする。月子は蛇口をひねって水をとめる。家は静寂に包まれる。

 「富おばあが生き返ったって、目を覚ましたってこと?」

 「そうさー。今日の夕食に残った最後の蛇の汁を口から飲ませて、しばらく富おばあを布団の横にしていたさ。そして、まーきーも龍太も帰ってきて私も安心しきって、なんだか居間でお茶を飲みながらぼーっと時間を過ごしていたら虫の声のような小さな音がする訳さ。季節も秋の終わりに近づいて暑い沖縄でも少し涼しくなったから外で虫でも鳴いているのかと思って気にしていなかったんだけど、その声がすぐ隣の部屋から聞こえてくるのにふーっと気づいた訳さ。もしかしてと思って、慌てて隣の部屋に行って電気をつけると目に薄ら涙を浮かべた富おばあが私の名前を呼んでいる。すぐに枕元に顔を寄せると富おばあは、「鶴子さん、私はどれくらい寝ていましたか?」と尋ねてきた。だから私はかれころ4ヶ月近く意識不明で眠っていましたと伝えたら、「ああ、そうですか、そんなにも眠っていましたか」と富おばあは言う訳さ。富おばあはしっかりと私の目を見て「寝ている間、色々と迷惑をかけましたね」と言ってくれて、私は首を横に振ったさ」

 太は、母の言葉を聞きながら唾を飲み込む。喉が渇く。テーブルの上は零した泡盛で酒の匂いがする。そして鶴子おばあが受話器の向こうで太に語り続ける。

 「富おばあは私に言ったさ、ずっと、イザイホーの夢を見ていましたって」

 その言葉を聞いて鶴子おばあはドキッとした。今年は午年。12年に一度のイザイホーの年。ただ、先日、島の神人を集め、イザイホーを開催できない祈りを島の神様達に捧げてきたばかり。イザイホーを開催するために祭りを取り仕切るノロの不在、イザイホーの条件に見合う神人の後継者不足のため。心臓をえぐられる気持ちで1978年の最後のイザイホー以来3度目の午年を迎えてしまった。鶴子はその伝統を未来に受け継げなかった自分に悔しさを覚える。その気持ちを察した富おばあは語る。

 「いいんです、イザイホーは途絶えても。イザイホーは第二尚氏琉球王朝最高の王様と言われる尚真王が琉球弧の島々全てを収めるため、女が持つ霊力を最大限に利用するために儀式化した行事。琉球の島々すべての神女を琉球王府に従わせるために最も霊力が強い久高島の力を頼った結果、利用した結果です。イザイホーを経て生まれた久高島の神女達が王の姉や妹を、王を守るための守護神、聞得大君に即位させる。王家の女を琉球すべての神女を司る頂点に君臨させるための役割を久高島が担っていた。だから琉球王府は久高島を厳しい管理下に置き、神女の中に役職を作り、久高島の男以外と結婚した女はイザイホーの祭りに参加できない・神に仕える資格がないなど、厳しい条件を次から次へと課しました。でも、その役目も琉球王朝滅亡とともに終わっているのだから、もう12年に一度のイザイホーを開催する義理も義務もない。でも・・・」

 そこまで語って富おばあは在りし日のイザイホーを布団の上で思い出しているようだった。そして懐かしむように、「イザイホーは楽しかった」と呟いた。そこまで話すと富おばあは鶴子おばあの手をそっと握り、微笑んだ。

 「もう少しだけ眠ります。でも、朝日が東の空にあがると同時に私はちゃんと起きます。だから心配しないで。もう大丈夫だから。今日は何曜日?水曜日ね。そしたら、週末には太や月子さん、まーきーや龍太にも会えたりするかしら?皆に早く会いたいわ」

 富おばあは鶴子にそう伝えた後、もう一度瞼を閉じた。しっかりとした寝息が聞こえる。鶴子おばあはしばらく気持ちを落ち着ける。それから太に電話をした。太は鶴子おばあの話を聞き、「週末には必ず久高に行くから」と伝えて電話を切った。そして、月子、真季、龍太は太に鶴子おばあの話を自分達にも教えてくれるよう目で訴える。太は、聞いたままを3人に伝える。皆、富おばあの意識がしっかりとしたことに歓喜する。月子は安心からか腰を抜かしたようにソファーに座り込み、真季は薄ら瞳に涙をうかべ、龍太は大きくガッツポーズをした。真季と龍太は出雲の蛇神様に感謝する。そして改めてあの出雲の八雲山での出来事を思い返す。それからイザイホーについて考えを巡らせる。イザイホー、イザイホー、イザイホー。どうしようもない程に気になって気になってしょうがない、イザイホー。


 土曜日の朝、真季と龍太は両親が起きるよりも早く目が覚めてしまった。そして、アピールするかのように、音を出しながら洗面台で髪を洗い、服を着替える。その物音で仕方なく太は目を開けて、月子も続いた。真季はドライヤーで髪を乾かしながら航海に出ていた頃は日の出とともに目を覚ましていたなと思い出す。両親が起きてくるのが遅いから真季が朝食を作り始め、龍太が食卓をセットする。その手際の良さに寝ぼけた太も月子もうなる。可愛い子には旅をさせよ、という名言を二人とも思い出す。真季も龍太も自分で考えて自分で行動するようになっている。

 簡単に朝食を済ました後、久高島行きフェリーの始発に乗るために軽自動車を走らせる。真季も龍太もなんとなく落ち着かない。安座真港に着いたら、始発のフェリーの時間までまだ40分近くもある。龍太は待ちきれずに泳いで久高島に渡ろうと服を脱ぎ始め、母親の回し蹴りをくらう。一ミリの狂いもなく龍太の尾てい骨に蹴りが入り、泳ぐ気力を削がれる。仕方なくフェリーを待つ。そして、時間通りにフェリーが来て、時間通りにフェリーが久高島に着く。両親はいつもどおりにゆっくりとフェリーを降りるのに、真季と龍太は接岸するや否や、船を降りて走り出す。息を切らしながら鶴子おばあの家まで走ると軒先に富おばあが座っている。富おばあは真季と龍太を見て、「ああ、まーきー、龍太、よく来たねー」と微笑む。真季と龍太は思わず富おばあに飛びつく。そして抱きつく。富おばあは胸に飛び込んできた二人のひ孫をしっかりと受け止める。

 「まーきー、龍太、ありがとうね。おばあのために出雲まで蛇を捕りに行ってくれたって、鶴子さんから聞いたさ。お陰でこの通り、元気になったさ」


 一通りの感動の対面を終えた後、真季と龍太は富おばあの両隣に腰掛ける。清涼感漂う秋晴れの空の下、太は冷蔵庫からオリオンの缶ビールを出して、魚釣り用の簡易イスを庭に置いて座る。月子も鶴子おばあもなんとなく富おばあの前にイスを持ってきて座って、自然と輪になる。

 「なんねー、みんな、こんなして輪になって」

 軒下に座る富おばあはその光景がおかしいのか目を細くして笑う。真季は富おばあの腕に自分の腕を絡ませて甘える。そして富おばあに尋ねる。

 「ねえ、うふおばあは、4ヶ月近く眠っていた間は何を考えていたの?夢を見た?」

 「まーき、そんなにうふおばあのことに興味ある訳?おもしろいねー、この子は」

 「あるさー。だって、真季、自分の両親やおじい、おばあの故郷の久高島のこと何も知らないさ。だから、聞きたい。教えて。熊おじいとどうして結婚したのかも知りたい」

 「あい、まーきー。何で熊おじいの事を知っているさ?」

 「だって、海で会ったもん。熊おじいと。熊おじいがサバニの乗り方を龍太に教えてくれた」

 「あきさみよー。あなた達、熊おじいに会ったねー。おばあですら、会いたい会いたいと思ってもあの人は会いに来てくれないのに。ジェラシー感じるさ」

 富おばあはそう言ってまた笑った。ずっと笑顔。みんなも笑う。平和っていいな、家族っていいなと思う。温かくて、柔らかい。そして安心する。その中心に富おばあがいる。富おばあを通して、自然や神様と繋がっている不思議な感覚。忘れてはいけない空気感。富おばあはしばらく黙って、意識を失っていた時間をゆっくり思い出そうとしていた。

 「眠っている間はね、初めは苦しくて苦しくてしょうがなかった訳さ。真っ暗で蒸し暑くて風の吹かない世界をずっと歩いていた気がする。ずっとずっと。ずっとずっと。どこに行けばいいのかわからないけれど、おばあはずっとお祈りしながら歩いたさ。そして、ふーっと風が吹いた。なんだろうと思って風の吹く方向に歩いていってみると、おばあが産まれたばかりの頃の久高島の景色が見えた。まだ沖縄が戦場になる前の島。自然も人も神様も皆、優しい気持ちでいられた懐かしい風景の中に辿り着けた。例え夢でもとても嬉しくなったさ。海のそばの木々に囲まれた小さな空き地に座って、波の音、風の音、草木が揺れる音を聞きながら目をつぶるとおばあが生きてきた人生が見えるさ。久高島で生まれて、久高島で育って、戦争があって、生き延びて、熊さんと結婚して、寅也や子供が生まれて、イザイホーで神人になって、久高島の神々に祈りを捧げ、息子に嫁が来て孫が生まれ、命が繋っていった。熊さんが海で死んで、最後になったイザイホーを無事に終えて、70歳で神人を引退し、かわいいひ孫が生まれてくれた。そして、息子がまた海で死んだ。そんな自分の人生をずっと思い返していた訳さ。大変なことが多かった気がするけれど、でも久高島に生まれて良かった、この島で育って良かったってずっと思い返していたさ。神様がすぐそばにいる。だから熊さんも寅也も海で死んだけれど、その魂はすぐ側にいてくれるのをずっと感じていた。本当に久高島に生まれて良かったと思って、その後はイザイホーの夢を見ていた。十二年に一度のお祭り。久高島の女の晴れ舞台は緊張の連続だったけれど、祭りの終わりは言葉で言い表せない喜びが体の中に湧き上がる。そんなことをずっと思い出していたさー」

 富おばあは、空を見上げながらそう話した。皆、その話の余韻をそれぞれに感じる。真季はずっと地面を向いたまま、龍太は木の上にのぼった子猫の動きを追いかけながら。

 「ねえ、富おばあ。私、もっと久高島のこと知りたい。富おばあがどんな風に生きてきたのかも知りたい。もちろん熊おじいも寅也おじいのことも。神人ってどんな事をするのかも知りたい。久高島の御嶽がどこにあるのかも知りたい。おばあが楽しかったっていうイザイホーのことも。だから教えて欲しい。これから、真季は毎週末久高島に来るから富おばあの知っていること全部教えて」

 ひ孫の言葉に顔がほころぶ。富おばあは、ああいいさーと言って頷く。龍太は、遅ればせながら自分も毎週末久高島に来ると富おばあにアピールする。富おばあは龍太に向かって微笑む。それから皆、しばらく黙った。そして、思い思いに島に流れる時間や音、日差しや風を感じる。空は澄み渡り、波の音が微かに聞こえて来る。


 昼食を終えて、真季は富おばあを散歩に誘う。集落の中をゆっくりとした足取りで一緒に歩く。龍太も後ろからついていく。そして久高殿の前の広場につくと真季は富おばあにイザイホーってどんなことしていたのと興味津々で聞く。富おばあは、広場をゆっくり歩きながら真季にイザイホーについて説明していく。どんな踊りを踊ったのか、どんな歌を歌ったのか身振り手振りで教えて、真季はその踊りを実際に富おばあに教えてもらう。真季は早速その踊りを自分でも踊ってみる。龍太もついでに踊ってみる。そして富おばあも一緒に踊る。広場の真ん中で楽しそうに3人で踊る姿は通りすがる島の人達の心を癒す。


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