【グゥキマーイのティルル】⑦
ヤギから真季と龍太の母である月子の携帯に連絡があった時、月子は高熱で寝込んでいた。鳴り止まない月子の携帯電話に何かしらの緊急性を感じて鶴子おばあが代わりに出る。月子の携帯の電話番号は真季から聞いた。ヤギは何度も真季に自分で母親に話すように促したが、真季は家出して迷惑をかけてしまい、何を喋っていいのかわからない・・・怒られるのがわかっているから緊張して言葉が出なくて話すに話せないとヤギに伝えた。まあ、それはそうだろうとヤギはその気持ちを汲んであげて、ちゃんと地元に帰ったら、両親と顔を合わせて話さなきゃいけないことを話しなさいと真季を諭し、とりあえず簡単な電話一本は自分から入れてあげようと思い月子に電話をした。母親ではなくおばあが出たのにはヤギも少しほっとする。ヤギは受話器の向こうの鶴子おばあに真季と龍太の二人を無事に糸満の漁師達が保護したことを伝える。長い事情を一通り話した後、ヤギは会話を続ける。
「だからよー。おばあ、まーきーと龍太は大丈夫だから心配いらんさー。これから二日ぐらいかけて久高島まで送るから待っててよー。龍太は風邪引いて寝込んだけど、もう熱下がって大丈夫そうよ。まーきーは、家出して迷惑かけて皆になんて話したらいいかわからんって言ってて、まだ気持ちが不安定だからよー、この電話でとりあえず二人の無事だけ私からお伝えしましょうね。うん?どこに二人はいたねーって。二人を見つけたのは島根県の隠岐の島の手前で見つけたさー。ええ、隠岐の島ってどこねーって。島根県の島さーね。今一緒にいる漁師仲間に聞いたら、沖縄と一緒で闘牛が有名なところらしいさー。ついでに、今、思いついたんだけれど、島根県って沖縄みたいに島じゃないのに県名に島って漢字が入って、根ってかくさーね。不思議さー、島じゃないのに島なんて。それに沖縄は神行事で神人の役職名に根神とか根人とか根がつくことが多いね。何でだろうねー。島根県って県名は意味深さー。もしかしたら、島根県と沖縄は親戚かも知らんねー。はいはい、お礼はいらんさー。龍太がいるから糸満ハーレー勝たせてもらって、うちのチームもここ数年鼻が高いさ。こっちも恩返しさ。龍太は仲間だからよー。ほっとけんさー。はいはい、明後日ぐらいには久高の港に送っていけると思うから待っててよ」
会話が終わり携帯の電波が切れる。鶴子おばあは息を一つ漏らして、熱で倒れた息子の嫁の体を起こさないように軽く撫でて、「良かったねー。こんなことがあるんだねー」と呟いた。目が覚めたら教えてあげよう。今はまだ命を賭けて悪夢と闘っている最中。人は生きていく上でたまにやってくる悪夢と闘わなくては健全な人生は生きていけない。悪夢を乗り越えて人は成長していく。この成長の機会を奪う訳にはいかないと、長く生きてきた鶴子おばあは年老いたババー臭いことを思っているなと自分でも自覚している。とはいえ、息子の太に教えてやろうと太の携帯電話に電話をかけるけれど一向に受話器を取らない。鶴子おばあはなんとなく察する。太も嫁の月子と同じで、悪夢と闘い続けて最後には熱を出して寝込んでいるんだろうと。二人とも早く目を覚ませばいいのにねーと鶴子おばあは思う。瞼さえ開けてしまえば、そこにはもう悪夢はない。真季も龍太も生きている世界が待っているのに。いつまでもぐずぐずして体調不良なんて勿体ない。
そして、もう一人・・・・目を覚まさない富おばあ。鶴子おばあは何となく思う。この一連の騒動は富おばあがわざと久高島の神様と結託して起こしたんじゃないかって。富おばあは大正生まれ。90歳を越えている。久高島の神様とは長い間ずっと一緒にいた人。何か思うところがあって、自分の意識と引き換えに久高島の神様とこんな大騒動を起こしたんじゃないかとすら勘ぐってしまう。皆、今回の騒動では精魂尽き果てた訳で、脱力感を引きずりながら鶴子おばあは意識を失った姑の顔を覗く。下手な芝居だと思いたくないけれど、微妙に死にそうで、微妙に回復の予知がありそうな顔でぐっすり眠っている。役者が違う。昔から富おばあの霊力は尋常じゃなかった。自分の命を丸々神様に委ねて、何か大きな企みに加担している気がする。鶴子おばあは、改めて富おばあの寝顔を見て冷や冷やする。何か大きな流れが動いているのを感じる。富おばあの体に触る。意識を失い、病状は安定しているけれども体からは切迫感を感じる。鶴子おばあは、じっと富おばあの顔を見つめ続けた。その時、月子の携帯電話がまた鳴る。鶴子おばあは電話に出る。太だった。
「なんねー、月子から電話あったみたいだけど、あんまー(おかあさん)ね」
「そーさー。月子さんは熱で今眠っているさー」
「月子、大丈夫?わったーも熱が出てしまって、ずっとレンタカーの中で眠ってた訳さー。起きて携帯の着信履歴見たら、月子の携帯電話から着信履歴残っていたから」
「ああ、それ、私が電話したさー。真季と龍太は無事に島根県の隠岐の島の手前で糸満の海人達が保護してくれたって連絡があったさー。だから電話したさー」
・・・・・・・。
その鶴子おばあの話を聞いて太は言葉を失う。頭が混乱する。こめかみの筋肉が思考停止を告げるかのように石みたいに固まる。糸満の漁師達がわざわざ日本海まで船を出してくれて二人を助けてくれたという事実をうまく飲み込めない。これは家族の問題で、家族で解決する問題だと太は思い込んでいた。なぜ、そこに糸満漁師達が力を貸してくれるのだろう。間違いなく、自分自身が糸満市役所の職員であるということは関係ないだろう。
鶴子おばあはヤギから聞いた言葉をしっかりと太に伝えた。同じ海に生きるもの、海で何かあれば助け合う。それは糸満だけでなく昔から久高の海人も同じスピリットで生きてきた。海に生きる民族の誇りを持ちながら、何かあったら海人はお互い様。そして、何より龍太は大切な糸満ハーレー仲間で、仲間の命は自分の命と同じである海人の遺伝子がほっとくわけにはいかなかったと。
太は携帯電話越しに聞く母親の言葉を聞いて、出雲の神々様が言うように本当に自分は何もわかっていなかったと深く反省する。その反省で冷汗が頬をつたい体を覆う高熱が下がり平熱になる。いや、平熱以下に体温をさげているかもしれない、自分が自分自身に猛省を促すために。糸満ハーレーはただの糸満市の形式行事だと思っていた。昔からやってきているから仕方なく未来に引き継がなければいけない無駄な経費のかかる文化の負債か何かだと思っていた。21世紀のこの合理的な世界でその祭りにかかわる人間達が、祭りを通じて命を共鳴させている事実に気づいていなかった。祭りって何だ?海に生きる男達の感性を真季と龍太を探す旅で全くわかっていなかった自分に痛いほど気づく。陸ではなく、海で生きる男の人生をある意味では滑稽だと思っていた自分がいる、時代にあわないと・・・。自分が受け継いだ遺伝子は古代より海を恐れ、海を敬い、海を愛し、海とともに生きてきた。文明は発展していき、人間は海から遠ざかっていった。飛行機が飛び、激しい船酔いをせずとも短時間で世界中どこでも移動できる時代。海岸線から遠い波の音の聞こえない場所で閉じこもるようにして生きていくことが当たり前になってしまった。海が身近でなくなった21世紀・・・。鶴子おばあは後悔の念を込めて太に言う。
「あなたを海から遠ざけたのは私さー。寅也さんという伝説の海人の息子を。でもそれはやっぱり間違っていたのかもしれないねー。許しておくれ」
鶴子おばあは電話の向こうで少しだけ泣いた。でも、母親を責める訳にはいかない。鶴子おばあは見てきた、久高の海人として生きるために背負わなければいけない過酷な運命の数々を。それを自分のお腹から産まれた可愛い男の子の小さな体に負わせるには重たすぎる気がした。だから夫である寅也には太を海人にはしたくないと訴え続けてきた。夫の寅也は優しい人だった。何も言わずにその訴えを聞いてくれた。それも笑顔で・・・。受話器の向こうの母親のその言葉を聞いて太は奥歯を噛み締めながら静かに涙を流した。仕方ないことなのだ。時代がそうだったのだ。自分だって小さい頃から父親の仕事を尊敬していた。海で生きる男のかっこよさを一番身近で見てきたのだ。でも、時代はその職業の過酷さと収入の低さ、島の過疎化や資本主義社会の競争の中で、かっこいいと思った親の職業を受け継ぐことを必ずしも良しとしなかった。そして、安全な人生を進んで欲しいという母親の願いを受け入れて自分は海人にはならなかった。その選択が間違いだとは思わない。でも、忘れてはいけないものがあった。自分は少なくとも海人の息子だということ。その誇りを。陸に上がったと同時に海が遠くなった。沖縄の生活圏内に海は視覚的にいくらでも目に入ってくる。でも波の音が久々に心の奥まで響いてきたのは、真季と龍太を探して海岸という海岸を歩いていた時。子供の頃、波の音が身近だった気がする。それが遠くなり、子供達の影を海岸で探しながら海の音を聞いて、少しだけれど原点を思い出した。太は母親の謝罪を受け入れない、海人にしないというのも母の愛情。その愛情の意味をしっかりと心に思い出しながら母に語りかける。
「違うさー。久高島の伝説の鮫漁師の息子という地位にビビった俺が悪いさ。だいたいそうだろ、大物の2世ってのは少ない成功例を除いては皆、失敗作になるさねー。俺は間違いなくそうなる素材。あんまーのせいではないさ。俺の素質の問題。むしろ海に向かないのを見抜いてくれて助かったさー。海人になったら今頃もう死んでいたかもしれないし。あんまーのお陰で今、幸せな家族と一緒に生きていられる。本当にありがとう」
太は感謝の気持ちを母に伝える。その後、太は母親と長い時間喋った。これほどに長く話し込むのは、もしかしたら反抗期前の小学生以来かもしれない。色々とわかりあえているつもりで、話してみると全くわかり合えていない事実が、悲しいけれど痛い。でも話せば話す程、痛みを乗り越えてわかりあえる喜びに変わる。なんで今までこんな些細なこともお互い知らなかったんだろうと思って反省する。話せばわかると昔の人達は言った。そうなんだと改めて実感する。そしてもっといろんなことを話合いたいと素直に思う。
「これから沖縄に戻る飛行機を予約して帰るさー」と太は言う。その声にうなずく母親の姿が受話器の向こう、遠く離れていてもわかる。太は涙の跡を拭いた。さあ帰ろう、沖縄に。




