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【グゥキマーイのティルル】⑤

 夜が明けた糸満漁港。まだ太陽の光は生まれたて。柔らかくて触ると赤ちゃんの肌のようにぷにぷにと弾力を感じる錯覚に陥る。集まった漁船は63隻。いつでも出航できる。若手漁師達に拡声器を勧められたヤギは首を横に振り断る。自分の地声で集まってくれた漁師達皆に向けてスピーチする。

 「皆さん、夜明け前から集まってもらってありがとうございます。皆さんも胸を痛めていたであろう、我々のハーレー仲間の龍太がお姉ちゃんのまーきを伴って、のっぴきならない理由でサバニで島根県出雲を目指した件です。嘘だと思っていたけれど本当でした。まさか出雲を目指しているとは知らず、一度皆さんに集まってもらった時には沖縄本島海域と検討外れの宮古方面での捜索にご協力頂きました。ごめんなさい、私の至らないばかりに。とはいえ、あの龍太のやろう、ハーレーの天才だけでは飽き足らず海に生きる男として龍宮の神様にどうやら愛されているらしいです。正直嫉妬します。妬いてしまいます。そんな風に海に愛される龍太を。神隠しにあったあの野郎を。あああ、俺だって神様に隠されてみたい。くぅー、じぇらしー。そんな龍太は、無事に台風の中・・・出雲に辿りつき、目的を果たして、今、サバニで久高島を目指して航海をしているそうです、あいつのお父さんの話では。はい。ただ我々漁師は毎日風と潮を確認しながら生きる海の民族。今の季節、龍太がどれだけ頑張っても全てが逆。まずここまで戻って来られないと予想します。ただ初めての航海で出雲まで辿り着いたあいつの根性を讃えて、我々糸満海人が迎えにいってやろうと思いますけど、皆さんどうでしょう?」

 ヤギのスピーチを聞きながら、早く海に出たくてうずうずしている海人が多い。ヤギは頭にかけていたサングラスを鼻の上におろす。そしてサングラス越しにもじもじしている糸満海人の集団に向かって大声で聞く。

 「対馬海流に乗っちゃってもいいかな?」と笑っていいとものノリで聞く。

 「いいともー」と糸満漁港中から同意の大声が返って来る。その声を聞いて、ヤギの顔はおちゃらけたやり取りから真剣なものに変わる。サングラス奥の目つきの鋭さにカリスマ性が光る。皆、ヤギの次の言葉を待つ。

 「さあ行こうさー、雲いづる国出雲に」と言葉を発した後、ヤギは颯爽と自分の漁船に乗った。そして、点検後一度止めておいた船のエンジンをかける。それに続くようにして糸満漁師達は心の中に抑えきれない気持ちを「うぉぉぉぉぉぉ、いずもぉぉぉぉぉぉ」とうなり声にして各々発しながらそれぞれの漁船に乗り込んで船のエンジンをかけた。柔らかいぷにぷにした太陽の光は照らす、大漁旗と航海の安全を祈る日の丸の旗を眩しいくらいに。


 ヤギ達糸満漁師一団は、沖縄本島西側から北上する形で最短距離で黒潮を目指す。まずは一般道である波が混ざりあう海域から一方向に向けて高速で流れる海流ハイウェイの入り口に向かう。ヤギは船に積んだGPSと情報端末を駆使して現在の潮の流れを正確に確認する。沖縄本島から約180キロ離れた場所に黒潮が流れている。最高速度で走り続けて約5時間後に黒潮に当たる。ヤギは最高出力で漁船を進ませる。エンジンフル回転で海のうねりにあたると握った舵が一瞬大きく振れる。それを力で押さえ込む。まるで暴れ馬に乗っているかのよう。ヤギは後ろを振り向く。甥っ子達は船にしがみついて海に投げ出されないように必死。そしてヤギについてくる62隻の漁船のうちの何隻かはふらついている。無線でヤギが吠える。

 「しっかり舵にぎれ。海に負けるな。糸満漁師の誇りにかけて全速力で黒潮まで行くぞ」

 その無線に若手漁師が言葉を返す。

 「ヤギ、後ろから見てるとヤギの船が一番ふらふらしてるけど」

 その声に笑いが起きる。続いてヤギを茶化す幾つかの冗談が無線を飛び交う。

 「馬鹿野郎、俺を年寄り扱いしたらただじゃおかねえからな。ついて来れるならついてこいー」

 ヤギはこの走りにビビっていない若い漁師達の肝っ玉をたくましく思いつつ、水平線を見つめ直す。船は上下に激しく揺れる。甥っ子二人はこんな激しい揺れの中で船に乗ったことがないので、早速船酔いで潰れている。これもこれから漁師として生きて行く上では良い経験になるとヤギは漁船の中に倒れ込む二人を放っておく。海は広い、そして大きい。だからこそ、素晴らしい。ヤギはタバコをくわえて火をつける。そして暴れる舵を力で押さえ込み続け漁船を黒潮に向けて走らせる。


 太は益田市の海岸をふらふらしながら歩く。体内の熱はどんどん温度をあげていっているように思える。海岸にサバニの影を探しながら、海に目をやりながら二人が航海していないかを確認する。何度か頭がぼーっとして水平線の手前にサバニが浮かんでいるような錯覚を見たけれど、それは幻だった。現実と幻想の狭間で太はさまよいながら足を進ませ、捜索活動を続けるが、額から流れる熱を宿した汗が頬を伝うと今度は寒気に襲われた。


 月子は引退した神人のシズさんに伴われながら久高島の拝所で、子供達の無事を祈り続ける。閉じた瞼の暗闇に大きな海が見える気がする。潮の香りが鼻の奥に抜けていき、波の音が聞こえる気がする。幻想だろうか。体が少しだるい。頭の中に熱がこもっている。目を開けて現実を見た瞬間に体がよろける。


 山口県萩市の沖合い、小さな島影がすぐそばに見える。相変わらず風は向かい風。進まないサバニをなんとかリズムをあわせながら必死に漕ぐ真季と龍太。しかし、時間とともに龍太のかけ声が擦れてくる。力のない声になり、肩で息をする音が大きくなる。心配になって真季が後ろを振り返ると龍太の顔が真っ赤になっていて、尋常ではない量の汗をかいていることに気づく。真季は慌てて、龍太の元に駆け寄り、額に手を当てる。燃えるように熱い。熱さのあまり思わず真季は手を龍太の額から離す。

 「なんねー、まーきー。大袈裟に。俺は小さい頃から風邪とか引いたことがないから大丈夫さー」と龍太はへらへら笑いながら言うけれど、明らかに真季を見る視点が定まってない。

 「あんた、普通じゃないよ。これ以上、サバニ漕ぐのは無理さ。すぐそばに島が見えるからあそこにサバニあげて休もう」

 真季が汗だくの弟の耳元で大声で叫んだ救急事態。真季はもう一度龍太の額に手を当てる。鉄板のように熱い額を確認して真季が手を離すとともに龍太は倒れた。意識を失う。龍太の体中から湯気が出ている。湯気ははっきりと目に見える。真季は倒れ込んだ龍太の体を揺さぶる。「龍太、龍太」と叫び、「聞こえる龍太?」と声を振り絞って問いかける。龍太から反応はない。真季はなんとか島にサバニをあげなければと思い、エークを持って舟を前にすすませようとするけれど、真季の非力ではサバニは全く動かない。潮に流されながら今まで来た海の道をゆっくりとサバニは戻っていく。東へとサバニは流されていく。真季は祈る。お願い、このまま流されて、どこか島でも海岸でも流れついて、と。弟をこのままにしておけば死んでしまうかもしれない。陸にあげて助けを呼ばなければ・・・。もしくは近くの海を通る船か漁船を探して助けを求めなければ。しかし、どこにも船影は見当たらない。あるのは大きな海と空だけ。真季は呆然とする。弟と自分が置かれた現実の過酷さに。龍太は全身を真っ赤にしながら火山のマグマを体内に宿したように皮膚という皮膚、毛穴という毛穴から湯気を発する。

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