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【グゥキマーイのティルル】④

 広大な海の上で龍太が期待したミラクルは長くは続かなかった。軽い追い風は3時間程航海した後に急に向かい風に変わる。龍太は押し戻されないように慌てて帆を下ろす。その最中、真季はサバニの上で寝転びながらストレッチを継続する。ゆっくりと3時間、少しヨガのポーズも混ぜながら体を伸ばして行くと凝り固まった全身の筋肉が若干ほぐれてきたのを感じる。帆を下ろした龍太は、向かい風の中を人力でサバニを漕ぎ続けるために腕を何度かまわして肩まわりの筋肉をほぐす。そして海の呼吸を感じながらエークをリズムよく海に突き刺してはサバニを漕ぐ。天気がいいのは助かるけれど、その太陽の熱が龍太の額にいつも以上の汗をかかせる。たまに海水を手に薄くすくい、舐めて塩分を体に補給する。

 「行きも大変だったけれど、帰りはもっと大変さあ」

 そうぼやきながら龍太は手で汗をぬぐう。それから一時間程龍太一人でなんとか頑張った。ちょっとは前に進む。その頃にちょうど真季の体がだいぶほぐれてきて、「龍太、私も少しなら漕げるさ」とエークを持つ。二人でかけ声をかけながらサバニを漕いで少しずつだけれど前進していく。航海を通じて潮目を見るのに慣れてきたとは思うけれど、真季の目にはどれも自分達に向かって逆流してくる流れにうつる。流れに逆らうということは、とてつもないことだと真季は唖然とする。自然の大きさを前にすると人間の力の小ささに驚く。それでも自分達には前に進む選択肢しかない。真季は非力ながら龍太のかけ声にあわせてサバニを漕ぐ。ほぐした筈の筋肉がすぐにカチコチに固くなる。エークを海にいれて押し込むと腕が引きちぎれそうな感覚に真季は目をつぶる。そして漕ぎ切って目をあけた時に腕がまだ肩の付け根についていることを確認して、もうちょっとだけ頑張ろうと思う。龍太は真季に言う。

 「まーきー、俺が3回漕いだら1回漕いで。それでリズムをあわせよう。がむしゃらにやっても体力なくなるだけだから、その1回にぐっと力入れて。そっちのほうがうまく行く気がするさ」

 真季は半身の姿勢で後ろに座る龍太の顔を見て頷く。龍太のかけ声にあわせて3回に1回しっかり水を後ろに押す。すると、ぐぐぐぐっと前に進む。

 「進んだ!」と真季が歓声をあげると、「ナイス ファインプレー まーきー」と龍太は大きな声で真季の気持ちを盛り上げる。そして龍太自身、自分の気持ちにもう一度しっかりと力を込める。


 深く暗い静かな夜道を西に向かって太はアクセルを踏み続ける。美保関から西に向かう海岸という海岸に出て子供達の姿を探すつもり。もう迷いはない。迷ってなんかいられない。子供達に会いたい。ただその気持ちだけが大きくなる。エンジン音に混ざって自分の心臓の音が聞こえる。交通ルールを守りながらも気持ちは焦る。赤信号で止まると、早く青に変わってくれと祈るように信号機を見つめる。停止している間は止まるエンジン。心臓の音だけが車内に響く。昨日の朝一に出航ということはほぼ丸二日分、真季と龍太はサバニで航海している。いくつか道路脇の海岸を見てみたけれど、それだけの時間が経っているので、もう二人は出雲地方にはいないだろう。とにかくゴー ウェスト。車を走らせながら太は国道に出て出雲市から隣の太田市に入ったことがわかる道路標識を見た。思えば出雲に来てからの数日、濃縮された濃厚な時間だった。自分の子供達を探している途中に古代の息吹を感じ、忘れていたものを思い出したりもした。新たな気づきもあった。車は道路標識を越えて行く。太はバックミラーに目をやり、後方の遠ざかって行く出雲市に向かって車の中で「お世話になりました。ありがとうございました」と声に出して感謝の気持ちを口にした。冬に向かっていく季節、夜になって少し冷え込みはじめたけれど、この熱い気持ちが出雲に伝わるといいなと太は思った。そしてバックミラーから視線を前に向けて、最寄りのコンビニ前に車を停める。急いで車を降りて懐中電灯を買う。太は太田市の夜の海岸に子供の足跡がないかを念入りに探し始める。大田市から浜田市までの海岸を車に乗ったり降りたりしながら捜索活動する。見つからない。ただ波音を聞きながら、砂浜に足をとられながら、懐中電灯を灯し続けて子供達を探し続ける。そして浜辺で日の出を東の空に見る。夜通し砂浜の上を捜索し続けた太の足は力つきる。足だけじゃない。自分の体にこれ以上捜索を続ける体力が全く残ってないのに気づく。仕方なく海岸の駐車場に停めた車の中で少しだけ眠る。2時間寝て起きようと何度も自分の脳みそに記憶させたつもりだけど、体は正直で素直で2時間では足りないと少なくとも5時間の睡眠を求めた。太が目を覚ました時には日の出から6時間が過ぎていた。しまった・・・と太は思いながら、自分の顔に往復ビンタを二往復させて目を覚ます。目は覚めたけれど体の内側のだるさが抜けない。太は自分が情けなくなる。体が熱い。やっと子供達の消息が掴めたのに疲労で微熱が出始めている。車を走らせながら一番初めに見つけたコンビニで冷えピタとチョコラBBロイヤルを3本買う。食べないと弱ると思い、食欲はないけれど少しでも食欲が湧くようにコンビニ店内手作りのちょっと高級なサンドイッチを二つ買う。そして冷えピタを額に張り、栄養ドリンクを飲み、再びアクセルを踏む。頭がくらくらした時は自分の頬をつねる。なんだか太は運命の向かい風を受けているような錯覚に陥る。やっと二人の手がかりがつかめたのに行く先は強い冬型の季節風が吹き始めている。この向かい風に負ける訳にはいかないと太は右手でハンドルを握りながら左手に握りしめた厚切りカツサンドとポテトサンドをまとめて奥歯で噛み切る。とにかく次の海岸を目指してゴー ウエスト。


 月明かりが照らす糸満漁港。日の出の時間まで2時間ほどあるだろうか。辺りには夜の闇がまだたっぷりと残っている。普段の同じ時間は波音以外何も聞こえない静かな漁港に次々とエンジン音が鳴り響く。対馬海流に乗るための準備にどの漁師も抜かりがない。灯りを照らした漁船の部品部品の隅々まで確認する。船が故障して足手まといになる不名誉は糸満漁師のプライドにかけて受け入れることはできない。燃料もたっぷり積み込む。久高島の漁師達も凄かった。でも人数が少なかった。遠い昔からこの南の海の島々が連なる琉球弧最強の海人は糸満の男達。琉球弧の島々だけじゃない。事実、太平洋に糸満海人に勝るものなしというほどに大きな海を東西南北駆け巡った海に生きる民族の筆頭代表が糸満海人。その糸満海人が対馬海流を目指すのが久しぶりとはご先祖様に笑われる。出航準備にかかる漁師達の目は真剣そのもの。海流とともに生き、海流の偉大さも、海流の怖さも知っている。対馬海流まで辿り着かなければならないけれど、その手前に流れる世界最大級の潮、真っ黒な黒潮に乗る怖さはベテラン漁師といえども震え上がる。ヤギは高校を中退した甥っ子二人を漁師として食わせていけるように見習いとして面倒を見ている。甥っ子の名前を叫びながら、船の準備を指示する。自分はエンジンなどの基幹部品のチェックを徹底的に確認する。そして、ヤギの陽に焼けた黒い肌に赤みが指す。太陽が東から昇ってきた。日の出を確認して、ヤギは大漁旗とともに日の丸の旗を漁船に掲げる。沖縄の人達は日の丸を見ると第二次世界大戦を思い出すから日章旗を掲げたがらない。あまりに過酷な歴史が沖縄の人達に日の丸とは何かを忘れさせてしまった。戦争よりも遠い遠い遥か昔の記憶を忘れさせてしまった。日の丸を掲げたがらない沖縄。でも、久高島には今でも日の丸の旗を掲げる祭りが多くある。それは、久高島の人々が明治時代に日の丸が国旗として使用されるよりも遠い昔から日の丸の旗を使っているから。日の丸を明治政府が国旗として使うようになった経緯は薩摩藩が船の航海にこの旗を掲げていたことから由来する。そして、聖徳太子の日出づる国の思想と一致して極東の島国である日の本の国にふさわしい旗として認知されていくが、そもそも薩摩藩がこの旗を船に掲げていたのは薩摩が実質的に支配した琉球の影響。久高島を含め遠い昔から海に生きる民族は太陽を絶対的な神様として敬い航海の安全を太陽に祈っていた。いわゆる太陽信仰。遠い昔のいつからか海に生きる人々は航海の安全を祈るために船に赤い太陽を描いた旗を立てるようになる。海の民の信仰から生まれた日の丸の旗を明治時代の東京の役人は、明治維新の立役者である薩摩藩が航海に使用しているという理由から国旗に制定した。しかし、そもそもの起源は海の民族である琉球弧の島々に生きる人々が太陽に航海の安全を祈っていたことが原点。それを薩摩藩が琉球に影響されて使い始めただけのこと。日の丸は海に生きた民族の象徴。古代から続く太陽信仰を今に受け継ぐ神聖かつ清らかな旗。ヤギは沖縄で躊躇無くその旗を船に掲げる。この旗を漁船の上でなびかせることで海に生きて来た民族の誇りを思い出す。掲げた日章旗に太陽の光が指す。船は海の上で微かに揺れる。柔らかい風が海から吹き込んで来る。日の丸は遠い昔から航海の安全を祈るための海人の旗。ヤギに続いて糸満漁師達は次々と大漁旗と日の丸を船に掲げていく。

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