【グゥキマーイのティルル】③
昨晩は少し飲み過ぎて、朝目が覚めてからも頭痛がする太。子供達を探さなければいけないという焦燥感に反して体はベッドに張り付いたまま。それでも行かなければと重たい頭を引きずるようにしてシャワーを浴びるためにバスルームに入る。そしてふらふらする視線でお風呂にテレビがついているのに気づく。ところどころ小奇麗にしているビジネスホテルだなと思ったけれどなんてリッチな作りになっているんだ・・と、こめかみをマッサージしながら太は思う。昨日チェックインする際にいくら払ったっけ?と思いだすけれど、一般的なビジネスホテルの金額だった気がする。サービス競争戦国時代。こうやって少しでもお客さんを捕まえていくんだろう。役所も民間に負けてはいられないなと職業柄考えたりする。とはいえ、脳の奥の神経が泥のようにどろっとしている感覚は続く。シャワー浴びて、体を温めて代謝をあげながら血の巡りをよくして、早くこの二日酔いから来る頭痛を取り除きたいと裸になってシャワーの蛇口をまわす。せっかくだからとお風呂についてるテレビをつける。NHKの地元局の時間帯。山陰地方のニュースを流し、その後地域の天気と交通情報へと移っていく。天気予報の直前に美保関という漁港の映像がBGMと一緒に流れた。太は特に何を思う訳でもなくシャワーを浴びながらその映像を見る。移り変わった画面で山陰地域の天気予報の地図が映し出される。直前に見た映像の場所が地図上で確認できる。(へー、松江のちょっと斜め右上に美保関という漁港があるんだ)くらいにしか太は思わない。太は、その地図を見て、まだ探していない海岸があるなと思う。それこそ自分がこの出雲に入ってきた米子鬼太郎空港のそばの弓ケ浜はまだ探していない。今日はそこに行こう。無理を言って取らせてもらった長期の有給休暇も無限にあるものではない。なんとか手がかりだけでも掴みたい。とにかく出来る限りのことをやろうと太はバスタオルで体を拭いて、歯磨きをしながら鏡に映る自分に誓う。
チェックアウトをすませ、車のアクセルを踏む。なんとなく土地勘がついてきて、ナビなしでも国道を使って目的地に向かえる。通勤で渋滞する米子の町を抜けるとすぐに弓ケ浜。20キロ近くある海岸線で車を停められるところを見つけては、駐車して砂浜を捜索する。探せど探せど、どこにも真季と龍太の影はなく、サバニの姿は見当たらない。太は改めて思う、日本というのは大きな海に囲まれた大きな島国なんだと。20キロもある海岸線を見ていると、どれだけ行けども終わりがない。大和の人達も琉球の人達と変わらず海とともに生きてきたんだと身をもって実感する。海岸を探し続けてお昼になる。朝から何も食べてない。お腹が鳴る。国道沿いに車を走らせると海鮮丼の店がいくつもある。せっかくだからと海鮮丼を昼食に食べて、改めて手がかりを探そうと太は思う。
昼食後海岸線を探し続けながら14時過ぎに境港という弓ケ浜の終点に着く。道路標識を見ると水木しげるロードなるものがあるらしい。太が小さい頃に一度、ゲゲゲの鬼太郎ブームが日本を覆ったことがあるので水木しげるの名前はもちろん知っている。まさか、そんなところに真季や龍太がいる訳ないと思いながらも魂が行きたがる、水木しげるロードに。個人的な趣味だと思うけれど、近くにあるのなら訪れたいと太は強烈に思う。境港駅のすぐそばの駐車場に車をとめて水木しげるロードを歩く。道中、町中、ゲゲゲの鬼太郎と妖怪だらけ。楽しいような、怖いような。水木しげるロードに飾られた100体以上ありそうな数々の妖怪のブロンズ像を見ると、世の中にはこんなにも多くの妖怪がいるのかと唖然とする。人間が気づいていない、見えていないだけで、この日本中にこれだけの妖怪が今もいるのなら、それは大変なことだと太は思う。目に見えないものを感じること、それが魂で感じるということなのだろうか・・・。自分には見えていない・・・でも、真季と龍太はその大人には見えない何かを感じたから旅に出たのだろうか・・・。それではいつまでたっても自分には二人の行き先はわからない。真季と龍太が感じた何かを自分は二人と同じ年頃に感じていたのだろうか。もう忘れてしまった・・・。日々の生活で目に見えないものを気にしている余裕はない。そう思いながら、水木しげるロード終点の水木しげる記念館に辿り着き、チケットを買う。館内に足を進ませ、ああ・・・と太は思う。そこには水木しげるという戦争で左手を失ったお爺さんが目に見えないものを魂で感じ続けた歴史があった。ちょっとしたお化け屋敷的な要素も水木しげる記念館にはあるけれど、不思議と太は怖いとは思わなかった。そこにいる全ての妖怪をとても身近に感じた。この感覚なのだろうか、魂で感じるということは。太は水木しげる記念館に展示されている一つ一つのことを、時間をかけて自分の中に消化し同化しようと思った。そこには水木しげると家族の記憶もたくさんある。その家族の風景を見て、太は改めて真季と龍太を愛おしく思う。どうにかして二人を見つけ出したい。溢れ出すその気持ちで狂いそうになるのを太は下唇を前歯で噛みながら必死に抑える。
水木しげる記念館を出ると、入る前と人生観が変わっている自分に気づく。目に見えないものを感じて、信じる力。そして運命の大きな流れを感じて理解する力がなければ、俺はいつまでたっても、お前は何もわかっていないと言われ続ける。そう思った時、ふと朝見たニュースの美保関漁港の光景が頭をよぎった。天気予報で見た美保関は境港のすぐ向こう。あっ・・と太は思う。この直感を信じてみようと思う。太はレンタカーを駐車したコインパーキングに向かって全速力で走る。中年の体を揺らしながら、息を切らし、汗が飛び散る。もうこの感覚を信じるしかない。太は、車に乗り込むと慌ててパーキングブレーキをおろし、アクセルを踏む。焦るようにして料金ボックスにお金を入れて、バーが開いた瞬間、F1レーサーのようにアクセルを全開で踏み込み、ドリフトしながら公道に出た。そうこの感覚を信じてみよう。いざ美保関へ。
昨晩は何年かぶりに大騒ぎをして、朝起きて頭の芯がズキズキ痛いことに月子は後悔する。年甲斐もなく若い頃のように飲んでしまった。三線をひく敏子の歌を聞いていると心の緊張が少し緩んで、羽目を外してしまった自分が少し恥ずかしい。一緒になって歌って、いい気持ちになり、飲めない筈の泡盛をどれだけ飲んでしまっただろう。それでも朝はいつもの時間に起きて、富おばあの看病をする。富おばあの呼吸を確認して、おむつを替え、寝間着を脱がせて体中の汗をタオルで拭いて新しい寝間着に着替えさせる。そして、赤ちゃんが食べるような離乳食を富おばあの喉の奥に流し込む。一看病終えて、まだ頭痛が引かないと思いながら軒先に座りながら温めたさんぴん茶を飲んでいると最近姿を見せなかった富おばあがかわいがっていた茶トラ猫が庭に現れた。そして、じーっと月子の顔を見た後、月子の膝の上に乗って来て、喉を鳴らしながら座った。
「なんねー、この子は」と笑いながら、月子はその茶トラ猫の額や喉、猫の手や舌が届かないところを撫でながらマッサージしてやる。すると猫は気持ち良さそうな顔をする。その表情を見ていると少しずつ月子の頭に残っていたアルコールが空に向けて蒸発して飛んでいく。見上げればいい天気。月子は猫の頭を撫でながら、かなり長い時間青い空を眺めていた。雲がゆっくりと流れている。小さな雲が四つ、体を寄せ合うようにして空に浮かんでは風に流されている。その雲を見て、家族かな?と月子は思う。そして、雲が生まれる出雲という場所からこの久高島の空まで流れて来たのであって欲しいと月子は思う。もしかしたら、真季と龍太のことを何か知っているかもしれない。何か知っているのなら、このまま風に流されずに、ここ久高島の空に何日でも泊まっていって欲しい。
「雲さん達、何か知ってたら教えてね」と月子は空に語りかける。すると猫が月子の顔を見ながらにゃーと鳴く。
交通ルールを守りながらも、太のドリフト走行は続く。境港からナビなしで道を走り、途中で道を間違える。美保関に渡る橋かと思って超急勾配の橋を進むと道路標識が間違った道を走っていることを教えてくれる。松江に戻る道に来てしまっている。それにしても恐ろしい角度で橋が造られていて度肝を抜かれる。登りはいいが、下りはもっと斜面の角度が急。太はブレーキを踏みながら下りきって、一つ目の交差点をUターンをしてまた元来た道に戻ろうとする。目の前にある橋を改めて見つめる。軽自動車のCMで見た事ある光景。通称「ベタ踏み坂」。ここにあったのかと太は思う。この地に来て勉強した、古代の出雲大社は高さ48メートル、今の15階建てのビルに匹敵する木造建築だったこと。その出雲大社に見えてしまうような坂道。もし出雲大社がこの橋と同じ規模であったとしたらその技術と迫力は想像の世界を絶している。そんなものを古代の人々は本当に建築することができたということだろうか・・・。歴史の時間に習ったことのある遠い昔の人達は狩りをしたり、どんぐりを拾ったりして生きていて、現代人の感覚からすると文明も文化もない原始的な生活をしていた。でも、出雲という土地をさまよい歩いて出会ったものは高度な哲学と技術、文明、文化、そして祈りの名残り・・・。
信号が青に変わった。この出雲という土地の神々しさを思いながら、太はベタ踏み坂をアクセル全開で登り、あらためて美保関を目指す。そんなことをしている間にまた日が西の空に傾いていく。時間の流れる早さが悔しい。そして本来渡るべき橋を渡る。鳥取県境港と対岸の島根県の間の狭い海峡をかけた橋を降りるとあとは一本道。太は焦りとともに制限速度いっぱいにアクセルを踏む。ただ、海沿いの道を走りながら、美保関まで辿り着くのにあまり時間はかからなかった。今朝ニュースで見た光景が目の前に広がる。太は漁港の駐車場に車を入れて外に出る。山に囲まれた夕暮れの漁港はとても静か。少し歩くと左側に神社がある。神社の前は石畳が敷き詰められていて、凛とした雰囲気。美保神社と書かれた石碑を見ながら、太は鳥居をくぐる。そのまま足を進めると右手に宝物館と書かれた建物。中が見えるようにガラス張りになっているところから館内を覗く。電気が消えていて暗くてよく見えないが黒い大きな木の舟がある。この辺りで昔からよく使われていた舟だろうということは想像できた。なるほどと思いながらその場を去ろうとした。でも、何かが心に引っかかる。何だろうと思いながら、改めてガラスの向こうにもう一度目をやる。そして太は信じられない光景を目にする。顎が抜けそうなほどに驚く。視線をその黒い舟の向こうにやると一艘のサバニが置いてある。
「あ・・あああ・・・」
声に鳴らない声が太の口から漏れる。太は急いでまわりを見渡す。なぜここにサバニがあるのか、誰かに聞きたい。だけど、誰もいない。とりあえず誰かに話を聞きたいと漁港の方に向けて走り出して慌てるあまり転んだ。すぐに起き上がり、やはり本殿の方向に行こうと思い直して足を絡ませながら駆けて行き、階段を登っていく。階段の途中でもう一度転んだ。でも太自身転んだことに気づかないほど瞬時に起き上がり無我夢中で階段を駆け上がる。そして左手にある社務所でお守りを売っている巫女さんに息も絶え絶えの声でサバニについて聞く。
「さあー、よく経緯は知りません」と若い巫女さんは首をかしげるが、ちょうど裏から神主さんがやってきて教えてくれた。
「戦前、日本海で追い込み漁をしていた沖縄の糸満の漁師さん達が沖縄に帰る時にサバニ一艘をここ美保神社に奉納されていったそうですよ」
その話を聞いて太は呆然とする。糸満の海人達はここまでサバニで漁に来ていたのか・・・。糸満の海人が来ているということは、久高の漁師達も来ている可能性がある。まさか、まさかだけれど・・・真季と龍太はこの事実を知っていたのだろうか・・・。
しばらく考え込んで無口になってしまった太は我に帰って慌てて、神主さんに「ありがとうございます」と経緯を教えてくれたことへの感謝を伝える。お礼に何か買おうと目の前に陳列されている絵馬を見て更に額に冷たい汗をかく。冷汗が頬を伝う。諸手船神事と書かれた絵馬に、先ほど宝物館で見た黒い舟にのった神職さん達が9人、木の櫂で舟を漕いでいる海の光景が描かれている。糸満ハーレーの光景と似ている。着ている服と乗っている舟の色が違うだけで後は全く同じに見える。同じだ、同じだ、同じだ。よく見れば見る程、糸満のハーレーと同じに見える絵馬。昔からこの漁港と糸満漁港は少なくとも交流があったということだろうか。諸手船神事の絵馬をくださいと巫女さんに伝えてお金を払う。神主さんにもう一度「ありがとうございました」と太はお礼を伝える。神主さんは「また来てください」と笑顔で返してくれる。
神妙な面持ちで太が美保神社の本殿の前に立つと「お前は何もわかっていない」と言う声がようやく消えた気がした。目の前に清らかな沈黙だけがある。その静かなる空間に向かって手をあわせて祈る。どうか、真季と龍太が無事でありますようにと。そして、祈りを終え、絵馬に同じ内容のことをマジックで記し、祈願奉納する場所に絵馬を括り付け精一杯の念を送りながら、願いを結んだ。
美保神社を後にし、漁港そばの石畳まで来るとすぐ左手に趣深い一本道がある。その一本道も石畳。両脇を昔の問屋さんや宿に使われていた日本家屋が並ぶ。太は吸い込まれるようにしてその通りに足を向ける。江戸時代にタイムスリップした感覚を味わいながら歩くと通りの中程に無料の資料館があり、この美保関は日本海航路の重要な港として古代より栄えていたことがわかった。この辺りは船を停泊させる漁師や商人達で昔からにぎわっていたのだろう。今は静かな漁港かもしれないけれど、石畳と趣きある日本家屋が立ち並ぶ空気感は、過去の賑わいを今でも雰囲気として感じることができる。太はそのまま青石畳通りを歩ききり、また漁港の前へと出た。海のすぐそばに魚釣り用の小さな簡易椅子に座ってお酒を飲んでいる二人の漁師さんがいた。夕焼けの赤く染まった空の下で、漁を終えてひと時の休息を取っているのだろう。絵になる光景だと思いながら、太は漁港の駐車場に向かおうとする。だけど、何かが心に引っかかる。絵になる光景に何か違和感を感じた自分がいる。何だろう・・・。もう一度その二人に目をやる。少し太り気味のニコニコしたお爺さんと自分と同じ年齢ぐらいのこれまた少し太めの日焼けした男性。親子だろうか。その二人の足下に置いてある一升瓶・・・。どこかで見たことがある。どこだろう?そして、はっと息を飲む。その一升瓶の銘柄を注意深く見て心臓が止まる思いがする。太は慌てて二人に駆け寄る。いつも糸満の自宅で自分が夜ご飯を食べながら晩酌する泡盛ブランド。沖縄の漁港ならまだしも、島根県の田舎の漁師さんが好んで一日の終わりに日頃なじみがないであろう泡盛を飲むだろうか?
太は止まりかけた心臓に手をあてながら「すみません。ちょっとお伺いしてもいいですか?」と二人に声をかける。
「はい、どうしましたかな?」とお爺さんが笑顔で応えてくれる。
「突然お声をおかけてしまい、申し訳ありません。ただ、ちょっと気になりまして。お二人が海を見ながら飲んでらっしゃるこのお酒は泡盛でしょうか?」
「はい、そうですよ」とお爺さんが落ち着いた声で返してくれる。
「よく飲まれるんでしょうか?泡盛を」
「いえ、初めて飲みました。なかなか美味しいですなー、沖縄のお酒も」
「初めて・・・。この近くで売っている場所があったりするのでしょうか?」
「見たことありませんね。沖縄から来た姉弟さんにプレゼントしてもらいました」
「姉弟・・・。もしかして・・・」
太は、慌てて自分の携帯電話をポケットの中から取り出す。慌ててしまい一度コンクリートの地面に落とす。幸い画面は割れなかった。真季と龍太の写真を探しだし、「もしかして、その姉弟はこの二人ですか?」と二人に見せる。
「あああ、そうです。そうです。真季ちゃんと龍ちゃん」
お爺さんがそう語った瞬間、太は腰が抜けて、地面に崩れ落ちるような格好になる。一瞬呆然としたが、微かな力を振り絞って訴えかけるようにして太は尋ねる。
「私は、この二人の父親です。真季と龍太はここに来たんでしょうか?私は二人を探すために沖縄からやって参りました」
「あああ、お父さん。それはそれはご苦労様です。さぞかしご心配でしたでしょう。ご心中お察し申し上げます。でも今時珍しいですよ、あんなに素直で心が奇麗な子供達は。ご両親の愛情をたくさん受けて育ったんだろうと、ここにいる息子のシローとちょうど泡盛を飲みながら話していたところです。申し遅れました、私、ミルク屋のジョーと申します」
お爺さんが名乗ってくれたのを聞いて、慌てて太はその場で正座をし、「こちらこそ申しおくれました。真季と龍太の父、太と言います」と名乗りもせずに突然声をかけたことを冷汗かきながら詫びる。そして、聞きたかった本題をコンクリートの上で正座したまま背筋を伸ばして伺う。
「真季と龍太は無事なのでしょうか?元気なのでしょうか?」
「ああ、無事で元気でしたよ。台風の波に流されて、出雲の稲佐の浜というところに流れ着いたのを私が見つけて保護しました。なんでも兎を飲み込んだ蛇を探したいとか言っていたので、そんな蛇がいそうな山まで連れていってあげたら、見事に捕まえて山を降りて来て、昨日の朝一番でここ美保関からサバニで沖縄に向けて帰っていきましたよ。私もシローもこの季節の沖縄への航路は風も潮も逆だからサバニで帰るのはおよしと何度も止めたんですが、真季ちゃんも龍ちゃんもサバニで帰ると言って聞かないので、昨日の朝、ここの漁港から食料や水をしっかりと持たせて見送りましたよ」
その話を聞いた瞬間、太は思わずジョーの右足にすがりつく。涙がとまらない。二人は生きている。その言葉を聞けただけで嬉しい。父として子供達がこの世界で生きているという事実を確認できることがこんなにも嬉しいなんて・・・世の中の父親という父親に教えてやりたい。太がジョーの足に泣きついている傍らでシローがiPhone6をポケットから取り出し、「お父さん、ほら、真季ちゃんと龍ちゃんとうちの家族がみんなで一緒に取った写真」と写真を見せてくれた。太は涙を右腕で拭きながら、シローの手からiPhone6を両手で丁寧に受け取る。真季と龍太がこの漁港をバックに笑顔でジョーさん家族と一緒にサバニに乗って写っている。また溢れんばかりの涙が滝のように流れる。鼻をすすりながら太は、シローにお願いをする。
「この写真を私の携帯に送って頂けないでしょうか?二人が沖縄を出てから、妻は心配で一時的に体を壊してしまうほどで・・・この写真を送ってあげればどれほど喜ぶか・・・」
「ああ、もちろん、もちろん。お父さんのスマホ貸してくださいな。メールアドレス確認して送りますよ」
シローは太から携帯電話を受け取り、慣れた手つきでメールアドレスを確認し、写真を送ってあげた。太は、ただただ正座をしながら膝の上に手をついた状態で二人に「ありがとうございます。ありがとうございます」とお礼を言う。そんな太の肩を撫でながらジョーは語りかける。
「お父さん、真季ちゃんと龍ちゃんをこの漁港から見送るまでは私達家族で最後まで面倒みたけれど、今はまた日本海を航海中ですよ。二人の安全を確認したいなら、日本海を西に向けて探した方がいいんじゃないですか?」
そう言われて、太は確かにそうだと跳び上がった。急がなくては。太はジョーとシローに何度も頭を下げてお礼を言う。そして、「改めて、またお礼に伺わせてください。連絡先をお教えいただけないでしょうか?」と太はお願いし、二人の快諾を受け、ジョーやシローの住所や電話番号を携帯電話に登録する。
「もうお礼はいいから、早く行ってあげなさい、お父さん」とジョーに促される。シローに背中をぽんぽんと叩かれ、太は心が軽くなる。最後に一礼して、太は漁港の駐車場まで全速力で走った。走りながら思い出すのはシローが送ってくれた写真の光景。サバニを見て懐かしくなった自分がいる。あれは確かに自分のおじいやオヤジが乗っていたサバニ。あのサバニに乗って真季と龍太は本当に海に出たんだと・・・再び思い返す。ずっと海岸線を捜索活動をしていたけれど写真を見るまでは心のどこかでオヤジのサバニに乗って真季と龍太が海に出たなんてありえないと半信半疑だった。
辺りは真っ暗闇に月がほんのり光る夜になっている。太は駐車場に停めた車に乗り込み、月子の携帯電話に連絡する。5度目のトゥルルで月子が電話に出る。
「もしもし」と月子が言う声を聞いて安心する。声に張りがあるので元気になってきていると直感した。太は興奮を抑えながら、冷静に携帯電話の向こうに語りかける。
「真季と龍太、生きてるさ。出雲までサバニで無事について、昨日の朝一番でまたサバニに乗って沖縄を目指して戻っていったってミルク屋のジョーさんご家族から聞いた」
「え・・・」
月子は声を詰まらせる。突然の知らせに呆然とするけれど、言葉にならない思いが胸に溢れて来て声にならない。唇が震え、鼻をすする音が太には聞こえる。月子の頬に涙が伝うのが、すぐ隣にいるかのようにわかる。太は、月子の気持ちが落ち着き、喋れるようになるのをじっと待つ。
「本当に二人は生きてるの?どうしてわかるのさあ?」
「ミルク屋のジョーさんという方が台風の波で流されて出雲の稲佐の浜という海岸に流れ着いた二人を見つけてくれて保護してくれた。そして二人が兎を飲み込んだ蛇を探しているということを真剣に受け止めてくれて、そういう兎がいそうな山までおにぎりとお茶と懐中電灯を持たせてくれて案内してくれたそう。兎を飲み込んだ蛇・・・不老不死の薬ってそのことなのかな?・・・。まさかだけど、本当に真季と龍太はその蛇を探し出して、捕まえて山を降りてきてジョーさんに連絡をして迎えに来てもらったそうさ。それからジョーさんのご家族が止めるのを振り切り、どうしてもサバニで沖縄に帰りたいと昨日の朝一番に美保関という港からサバニを出した。ジョーさんの息子さんのシローさんが二人が海に出る前にジョーさんご家族と一緒にスマホのカメラで取った写真を私にくれたからこの電話を切った後に月子の携帯に送信するから、ちゃんとその目で二人が生きていることを確認しなさい。自分はこの電話を切ったら夜通しで日本海を西に向けて車を走らせて、二人を探しに行く。月子・・・出雲って不思議なところだよ。なんだか現代の常識では考えられないような場所さ。子供達の無事を確認して落ち着いたら、家族みんなで改めて旅行に来よう」
太はそこまで言って、月子に「わかった?大丈夫?」と聞いた。
「わかったさー。でも早くその写真を送って欲しい」と月子はまるで少女が大好きな男子の告白を今か今かと待ちわびているようにそわそわした声で言う。
「すぐ送るよ。また連絡する」と太は電話を切り、月子のメールアドレスにシローからもらった写真を送信した。月子は待ちきれない気持ちを必死に抑えながらメールの受信を着信音とともに確認する。月子はすぐにメールを開く。するとそこには漁港の海をバックに真季と龍太と二人を守ってくれた家族、そして蛇と不思議な皮のはげた兎が写っていた。月子は久しぶりに見た子供達の笑顔に涙がとまらなかった。その時、鶴子おばあがちょうど雑用で出ていた近所から帰って来る。携帯電話を見ながら泣いている月子を見て、慌ててそばまで駆け寄る。
「大丈夫ね、月子さん?」
鶴子おばあのその声に月子は何度も頷く。
「太さんから連絡があって、真季も龍太も無事に出雲について、蛇を捕まえた後、昨日の朝一番で沖縄に向かってサバニで海に出たと連絡がありました」
それを聞いた鶴子おばあがたまげる。耳にした話に小刻みに震えながら「あきさみよー」と驚いた鶴子おばあは腰を抜かしかけた。月子は真季と龍太が生きているという証拠である太が送ってきた写真を鶴子おばあに見せた。
「あああ・・」と鶴子は言葉にならない声を漏らした。そして、月子は太から聞いた話をかくかくしかじか鶴子おばあに伝える。台風の波で流れ着いた浜で保護してくれたミルク屋のジョーさんご家族の話もしっかりと。
「それはとてつもないご縁さ、月子さん。ああ、これはとんでもないことだよ、月子さん。まーきと龍太は神様に守られている。今からでもいいから、シズさんにどうしてもとお願いして一緒に御嶽参りをして神様に感謝を伝えなければいけないさー。これはとんでもないことさー。恐れ多いいことさー」
そう言いながら鶴子おばあは神人のシズさんの家に小走りする。そして、真季と龍太が無事というニュースはあっという間に久高島中を駆け巡った。皆、自分の家族のことのように喜んでくれる。狭い島国、沖縄県。親友の友達が遠い昔の幼稚園で一緒だったり、つきあい始めた彼女の女友達が中学時代につきあっていた元カノだったり、那覇市の歓楽街松山のキャバクラに行ったおじさんがかわいい子だなと思って口説いたら同級生の娘だったり・・・この麗しき狭い島国の人間関係。噂は一瞬にして島中を駆け巡る。ちょうど糸満漁師の頭領ヤギは若い漁師連中を連れて、糸満公設市場裏のスナックで酒を飲み続けていた。賑やかな店内、ヤギが持っている時代遅れのガラパゴス携帯が鳴る。一度は無視して酒を飲み続け、若い衆と語らい続けていたけれど、何度も何度も電話が鳴り止まない。仕方なく電話に出る。糸満ハーレーでライバルチームの古株漁師からだった。まわりがうるさくて、「聞こえんさー。もっと大きな声で」とヤギが促すと電話の向こうの相手は怒鳴るようにして喋った。その内容にヤギは「何?」と真剣な表情になる。周りも一瞬静まる。ヤギは「わかった、明日の夜明け前、俺のところの糸満漁師全員集めて出航する。今から、俺も声かけていくから。一緒に来てくれる?助かるさー。ああ、そう。対馬海流に乗って、エンジンの出力マックスで迎えにいく。ガソリンは出雲往復できるだけは船に積む準備はちゃんとするさー。うん、センキューベリーマッチ。教えてくれてありがとう。明日の航海から戻ったら今度那覇で上等なステーキご馳走するわ」と携帯電話の向こうの相手に伝える。若い衆が真剣な眼差しでヤギを見る。スナックのおばあとおばさんもヤギの電話終わりを待つ。会話を終えてガラパゴス携帯電話をポケットに入れたヤギは言う。
「今日の酒はここまでだ。みんな家帰って寝ろ。明日夜明け前に船出すぞ」
それを聞いたスナックのママが「なんねー、もうちょっと飲んでいけばいいさ」と言うと、「そうもいかない訳さ。神懸かり的な知らせが入ったからには俺はもう海に出たくて仕方ない訳よ」とヤギが満面の笑みで返す。
「なんね、その神懸かり的なニュースって?」とスナックのママが言うと、ヤギは遠い遠い海を見るような目をして呟く。
「龍太がやりやがった。久高島の噂であいつはサバニで出雲を目指したんじゃないかってのは聞いていた。でもそんな馬鹿げたことをいくらなんでも中学生の龍太が実行に移せるとは思えなかった・・・。でも、あいつは本当にサバニで島根県の出雲市まで行きやがった、あの台風の波の中で。あいつのオヤジが美保関の漁港で確認したらしい。昨日の朝一で美保関を出航してサバニで沖縄に戻ろうなんて格好いいことを現在進行形でやっているらしいさ。あいつは俺たちのヒーローよ。えー、今の時代、誰がエンジンついてない木の舟であんな大きな海を渡れるっていうのさ」
ヤギの言葉に若い衆がソワソワし始める。嘘だろう・・信じられない・・・と正直に顔に出る。ヤギは隣に座る若い漁師の肩を叩く。
「酒はここまで。海を渡る最強の民族と呼ばれた昔の糸満の海人でも風と潮が逆流するこの季節に南を、沖縄を目指さない。偏西風が収まる春まで待つのに、あの龍太の馬鹿、サバニでこっちに向かって進んでいるらしい。迎えにいってやらないといけない。人間の非力ではこの季節、こっちまで戻ってこれんさ。今こそ人類が脳みそフル活用して作り上げた動力ガンガンのエンジンつきの船の出番さー。明日の夜明け前、糸満漁師の大船団が大漁旗掲げて対馬海流に繰り出す。お前らも来い。こんなワクワクする航海は久々ぞ。最近は島の近くで慎ましい漁ばっかりやっていたから腕が鈍っていたさ。行くぞ、俺たちの英雄を迎えに」
そう語るヤギの熱い言葉に若い漁師は大声をあげて応える。興奮が弾け飛び、血が沸騰する。どの若い漁師も顔を真っ赤にしている。いい顔だと思いながらヤギが勘定を済ませると皆、我先にと足早に家に向かって駈けていく。ヤギは思う、対馬海流を目指すこと自体がどれくらいぶりだろう。そう思いながら雲一つない澄んだ夜空を見上げた。遠い昔から海に生きた男達が目印にしていた北極星を見つける。ああ、昔、貧しい家庭環境で学校にもろくに行けなかったから、少しでもお金を稼げるようにと糸満に修行に出されて漁師になりたての若い頃は、親方からあの星をまず見つけることから漁が始まると教わったもんだ。今や、GPSやら魚群探知機やらそんな機器を使うことに慣れて北極星を探すことすらいつの間にか忘れていたとヤギは思った。




