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【エーファイ】④

 龍太は真季の方に顔を向け、にたっと笑う。

 「まーきー、俺、何も喋ってないけど、何で俺が考えたことがわかる?」と返すと、真季は、顔を赤らめて、「喋ったさー。聞こえた!」と声を荒げて反論する。両親が認めたがらない真季の体質を、真季も認めたくはないのでそれが表に出た時は恥ずかしくなる。龍太は、それがわかっているからこそからかう。

 「ま、いいや。喋った、喋った。はい、おっしゃる通り。で、もすこし詳しく教えて」と龍太は真季に謝り、続きをねだる。イザイホー、初めて聞いたけど、忘れてはいけないと思わせる響きがその言葉にはあるような気がする。真季はご立腹なので無視を決め込み始める。

 「はい、そう来ましたか、まーきーさん」と龍太は開き直って、短パンの後ろポケットから折り畳んだ紙を広げ始めた。今朝の朝刊に挟まっていた取り立てほやほやのヤマダ電機豊見城店のチラシを真季の目の前でちらつかせる。真季に何かをお願いする時には家電情報を提供すると早いということを小さい頃から龍太は心得ている。自分は全く興味がない家電のチラシを家の中で見つけた時は自然とズボンの後ろポケットに折り畳んでしまう癖がついている。家電情報に敏感な真季は目の前を行き交う今朝取れ立てほやほやのチラシを龍太の手から受け取り、クールを装ったままチラシの右から左に目を通して渋々と語り始める。

 「12年に一度午年の旧暦11月の満月の4日間にわたって行われる久高島の女が神女へと就任式する儀式。久高島で生まれ育ち、久高島の男に嫁いだ30歳から41歳の主婦が対象で、神様、ご先祖様に島の平和と家族の健康、幸せ、その他いろいろを祈る神女の身分になるわけ。でも、1978年の午年を最後に神女になる対象者の減少と祭司を司る神職者の不在などの理由でもう35年行なわれてないお祭り。鶴子おばあがその1978年の最後のイザイホー参加者で、うちのお母さんは、久高島出身で久高島育ちの男と結婚したけど、儀式が行なわれてないから、ただの主婦。でも、鶴子おばあより年上の女達は、遠いご先祖様の代にさかのぼっても全員神女になっている。という、他人事ではない私達の血のお話を私は優秀な女子高校生だから去年の高一の自由研究で発表して学年優秀賞をとった訳さ。そして今年は2014年の午年」

 真季は広告を顔の前に持ったまま話し終えた。最新のウォシュレットがだいぶ安くなっている。お父さんの痔のためにも買った方がいいんじゃないかと思った瞬間、龍太がその広告を空手チョップで真っ二つにする。真季は両手に広告の半分ずつを持ったまま龍太を見ている形になる。そして自分の目に映る龍太の瞳が少女漫画の主人公のようにキラキラしている。この弟は何かに興味が湧くと世界の果てまで行って確かめないと気がすまないような面倒な男であることは姉である自分はよく知っている。まずい、話さなきゃよかったと真季は後悔した。龍太の目はうざいぐらいに輝きを増していく。キラリン、キラリン。

 「今年午年ってことは、あるってことイザイホー?」

 「だから、もう35年やってないからある訳ないじゃない、わかんないの馬鹿、アホ」

 「いや、そろそろやるんじゃない?まーきー、学校の先生に聞いてきて。私立でしょ」

 「は?先生知らんさー。馬鹿じゃないの。島の大人がやるかやらないか決めるの」

 「じゃあ、島の大人にやってくださいってお願いしてきて。まーきーは可愛いからきっとそのちょっと大きいお尻をおじい達に触らせてあげればやってくれるさー。お願い」

 そう両手をあわせて真季を拝みながらお願いする龍太の股間に蹴りが入る。こういうところは母に似ている。んぐぉ・・・と龍太は悶絶する。ちょっと大きいお尻と言われたのが気に食わない。うずくまる龍太に捨て台詞を吐くように真季は言う。

 「人類が飛行機で空を飛んで、宇宙に行って月面に着陸し、世界中の人達と一瞬にしてネットで繋がる時代だよ。神様が人間の前に出てくる機会が少なくなった世界なんじゃないの?だから昔ほど人は神様やご先祖様の力や霊力を必要としなくなったから自然と途絶えたのよ、そのお祭りも」

 龍太はあがった金玉を下にさげるように三度ジャンプをした。ついでにマブヤー、マブヤーと左胸を三度撫でて真季に反論する。

 「月には行ったことあるかもしれんけど、太陽には行ったことないさ」

 「は、あんた本当の馬鹿?太陽なんて全部火よ。行ったら死ぬ。それだけ」

 龍太は真季の語った歯切れのいい科学的事実をニタニタ笑いながら聞く。真季は頭痛を感じ始める。弟の常識の通じなさに呆れる。そして本当に面倒くさいと思う。そう思っている間に気分がより悪くなる。少し吐き気も感じはじめたので、真季は「お母さん、ちょっと草むらで吐いてくる。それで風通しのいい日陰でちょっと休んでくるね。龍太が頭悪すぎて気持ち悪くなった」と縁側から降りてサンダルを履き、東海岸の方向に向かって歩いていった。真季は久高島に来るとよく一人で島のどこかに行き、しばらく帰ってこなかったりする。それは小学生の頃から。この狭い島、どこに行っているのか気にしたことはなかったけど、龍太はなんとなくその当たり前のことを少しだけ疑問に思った。


 島の茶トラ猫が暑い初夏の太陽の日差しを嫌って、おばあの家の庭に入ってきて縁側から二番座にあがってくる。月子は「野良猫、上がってきちゃ駄目」と茶トラをシッシしようとするが、鶴子おばあがそれを止める。

 「いいさ、この猫は富おばあがずっと可愛がってきた野良猫さ。偶然ね、寅也さんが死んだ後、この辺りで生まれた猫なのさ。そう考えるとこの野良もだいぶ年なんだけどね。あんた達は知らんかもしれないけど、富おばあはこの茶トラを息子の寅也のトラにかけて、寅也の生まれ変わりさーと言って、家に遊びに来る時はいつも可愛がっていた訳さ。あんまり来ないんだけど、最近はよく来て、来ると富おばあの布団の上で寝るさ。この茶トラが来ている時は不思議だけど、富おばあはぐっすり寝て、顔が穏やか。だから、この猫は大切にしないといけない訳さ」

 鶴子おばあが語るように、茶トラ猫は、2番座に上がってきて、そこに集まる人間の顔をちらっと見上げた後、富おばあの布団の隅で丸まる。日陰で風通しがよくて気持ちいいのだろう、茶トラは喉をゴロゴロ鳴らして昼寝を始める。すると富おばあの額から噴出していた汗の玉が流れ落ちるリズムが微妙にゆっくりになったかもと、龍太は錯覚にも似た感覚をうふおばあの顔を見つめながら思った。この茶トラ野良猫が寅也おじいの生まれ変わりなら色々と話したいことがあるのにと龍太は思った。


 鶴子おばあは、龍太が海に入ると物凄い怒るから怖いおばあだったけど、うふおばあはひ孫の龍太を可愛がりこそすれ一度も怒ったことはなかった。富おばあと話している時、不思議なほど素直になれたことを龍太は思い出す。何か地球の果てまで覆ってしまいそうな大きい毛布にくるまれて温かいという感じ。安心感と心地よさ。恐怖のない世界がそこにはあり、素直になれるのが当たり前の空気がそこにはあった気がする。ただ年齢が年齢だけにいつ天国に行ったとしても誰も不思議に思わないうふおばあの命。でももう少し、もう少しでいいから一緒にいたいと龍太は思う。ゴロゴロ喉を鳴らして眠る茶トラの頭を自然に撫でてしまう龍太。猫の頭を撫でながら、自分の頭を撫でている気になってくる。猫の気持ちよさが自分の脳内にも伝わってくると思ったその時、富おばあが眠りながら無意識に小さな声で歌い始めた。音が擦れてしまって何を歌っているのかは龍太にはわからない。鶴子おばあは言う。

 「神歌ティルルさ。うふおばあは今でも夢の中で神女の時と変わらず神様に歌を歌い、この島とあなた達の幸せを祈っているのさ」

 龍太は微かに聞こえるそのうふおばあの奏でる音程に引き込まれそうになった。富おばあが神女として神に祈るために歌を歌う人だなんて、今の今まで全く知らなかった。龍太は一瞬身震いがして茶トラ猫の頭をぐっと握ってしまった。そしたら怒った猫に右手の小指の付け根を思いっきり噛まれる。痛い・・・。母にしても姉にしても猫にしても、なぜ皆こんなにも自分に暴力を振るうのだろうと自分の身の上の悲劇を嘆き、この世界は恐怖と暴力が支配していると思ってみたりした時、うふおばあの口から歌が止った。呼吸の音色だけを残し、うふおばあはぐっすりと眠りに落ちた。龍太はそれを見て安心だと思った。きっと富おばあの孫やひ孫、野良猫までがおばあの側に寄り添ったことで死神が居心地の悪さに、とりあえずどこかに行ってくれたのだろう。そんなことを思った龍太は、パーティーバレルを抱えて父親の太に「近所の小学生とかそこらへん歩いてる子供にケンタッキーあげてくるさー」と言って家を出た。

 太は、「おお、そうだ。息子よ、冷めないうちに島の子供達に配って来てくれ」とご近所まわりを始めようとする息子の背中に語りかけた。昔は自分がやっていたことを息子が自主的にやってくれるようになったと嬉しい気持ちになる太。父親冥利につきるというのは、こういう何気ない子供達の気遣いや優しさに触れた時なのかもしれない。そんなことを育った島に帰ってきて思ったりもする。


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