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【花指し遊び】⑩

 翌朝、ミルク屋のジョーは日の出前の朝も暗いうちに牛乳配達を一回りして終えてくる。せりが朝食を作り、シローと真季、龍太は深い眠りからまだ覚めない。老夫婦二人の食卓で炊くご飯はいつも少しだけれど、今日は三合半炊く。シローと龍太が全部食べてしまうだろうと思うとこれでも足りないくらいかもとせりは思う。きんぴらごぼうと青菜のおひたしを簡単に用意して、卵焼きを焼く。味噌汁は昨日多めにつくったしじみ汁がまだ残っているので火にかける。鮭の塩焼きをやいて、近所の人からもらった明太子もあけてみる。後は冷蔵庫の奥から納豆。

 「いつも旅館のお客さんに豪華な朝ご飯を給仕してるけど、自分の家で朝こんなに用意したのは初めてかしら?」

 せりは自分の記憶を辿ってみる。そして「きっと生まれて初めてね」と笑う。

 「お父さん、みんな起こしてきて」とせりが言うと、ジョーはシローをまず起こしにいき、それから真季と龍太を優しく起こした。

 「真季ちゃん、龍ちゃん。朝だよ、起きなさい。洗面台で顔を洗ってきなさい。タオルは洗面台に置いてある好きなのを使って。寝癖も直して朝ご飯にしよう。お婆さんが腕によりをかけて準備しれくれているから」

 ジョーに起こされて、真季は朝寝坊したと思い恥ずかしくなる。龍太はまだ寝ぼけている。真季のほんのり赤い恥じらい顔を見てジョーは、「じじ、ばばは早起きだから、別に真季ちゃんが寝坊したわけじゃないよ」と笑う。それを聞いて安心した真季。まだ寝ぼけている弟の耳を引っぱりながら洗面台へと進む。「痛たい・・」と呟きながら引きずられる龍太。台所から聞こえる包丁の音が懐かしく思える。自分達も糸満にいた頃、台所から聞こえる音を耳にしながら学校に行く準備をしていた。お父さんとお母さん、やっぱり心配してるよね・・・と罪悪感を真季は感じる。でも悩んでも仕方ない、顔を洗ってさっぱりした気分になろうと真季は思う。ただ大きな鏡にうつる自分の隣に立つ弟は、まだ寝ぼけている。そのだらしない弟の顔にイラっと来る。真季は龍太の頭をつかみ、洗面台の蛇口の下に頭を突っ込ませ、水をかけて寝癖を直す。これで目が覚めるだろうと思うが、龍太は洗面台の排水溝に頬をつけてまだ眠ろうとするので、真季は龍太の鼻の穴の中に蛇口からの水を直接滝落としのようにして流し込んだ。咳き込む龍太。鼻の穴から入った水が口から溢れてくる龍太の顔に水を流し続け、ついでに龍太の顔を洗う真季。一通り洗い終わり、水を止め、むせぶ龍太の頭と顔をタオルでごしごし吹き上げる。「痛い、痛い」と龍太は叫び、「あんたはこれぐらいやらなきゃ起きないでしょ」と真季は主張する。そしてイッチョ上がりと言わんばかりに龍太を洗面所から蹴飛ばし、真季は自分の身支度をてきぱきと整える。真季が顔を洗い、髪の毛をセットして、洗面台まわりの水気をきれいに拭いて居間に戻った頃、ちょうどせりの朝ご飯の準備が完了した。

 「真季ちゃん、座って、座って」と、せりに促されるように真季は食卓につき、「どうぞ召し上がれ」というせりの合図とともに皆が「いただきます」と食べ始める。あっという間にシローが白飯をたいらげ、おかわりとせりに茶碗を出す。龍太も後に続く。だけど、そんなにガツガツ食べていいのか・・・と一瞬遠慮すると、せりは「三合半もご飯炊いたの。全部食べていってよ」と龍太の茶碗を受け取って大盛りでご飯を盛ってくれた。思えば、久高島を出てから、お腹いっぱい食べたのはジョーの家に来てから。ずっとお腹が減っていた反動が龍太の胃粘液を活発にさせている。真季はしじみ汁を頂きながら、野菜やお魚をバランス良く頂く。龍太は二杯目のご飯は納豆を大盛りでかけさせてもらい、口の中にかき込む。その勢いにせりは惚れ惚れする。

 「やっぱり男の子はよく食べないと」と大盛り納豆ご飯を食べ終えた龍太の茶碗にまたご飯をよそってやる。その間に龍太は鮭の塩焼きと卵焼きを頂き、三杯目のご飯は明太子で食べる。シローも現役漁師として負けていない。ジョーはその食卓の風景を嬉しそうに見ている。まだ朝日が登り始めたばかりなのに、物凄い勢いで朝食は終わってしまった。朝食の締めにみんなでミルク屋のジョーの牛乳を飲む。口のまわりが白くなる。口のまわりを拭きながら皆で一気に後片付けをする。男達が食器を台所に運び、せりと真季が手際良く洗っていく。そして朝食の後片付けをし終わった後、ジョーは真季と龍太にもう一度確認する。

 「帰るんだね、サバニで?」

 龍太は頷き、真季も同意する。ジョーもせりもシローもその二人の覚悟を確認する。ジョーが「それならみんなで美保関まで見送りに行こう」とせりとシローに声をかける。ジョーは真季と龍太が着てきた服などを全部洗濯してくれていた。海水と砂でべちょべちょに濡れていたスポーツバックや持ち物もキレイになっている。真季はipadを手にした。画面が割れて完全に壊れていた。お別れする前にみんなで写真を取りたかったのに・・・と心の中で呟く。

 真季と龍太は借りた寝間着を返し、自分達が航海中に着ていた服に着替える。沖縄の夏服。それじゃ寒かろうとジョーは昔着ていた漁協のぶかぶかのウィンドブレーカーと水仕事をする時に使っていたビニール製のズボンを防寒具としてそれぞれ二人にくれた。漁師向けにつくられたウィンドブレーカーは厚手で温かい。左胸のところに美保関と刺繍が縫われていて、バックプリントに大黒様と恵比寿様が鯛を釣り上げている刺繍が入っている。龍太はそのかっこよさに思わずニヤけてしまう。久高島の鮫漁師の孫が島根の漁協のウィンドブレーカーをもらう。サッカーのユニフォーム交換じゃないけど、なんだか島根の海の男達に認められたようで龍太はちょっと感動する。いつか自分も糸満と久高島を代表するような海の男になって、ユニフォーム交換で他の地域の海で生きる人達に沖縄海人Tシャツをプレゼントできる男になりたいと思った。

 ジョーは二人が持って来た荷物を再度牛乳配達の軽自動車にのせて、蛇の篭も乗せた。家の中に忘れ物がないことを確認して「さあ、行こうか」と真季と龍太に牛乳配達の車に乗るよう促す。せりは皮のはげた兎を抱えてシローが美保関から乗って来た軽トラックに乗り込む。ジョーもシローも車のエンジンをかける。車が前に走り始めると改めて「縁」ってなんだろうと真季は思う。台風の大波で流れ着いた稲佐の浜。眠りから覚めたら目の前にミルク屋のジョーがいた。夢を見ているのか、ここは死んだ後に辿り着くあの世の世界なのか。目の前にいるのは神様なのか、頭が混乱した。でも、現実だった。繋がった縁が龍太と自分を導いてくれた。そして幾つもの不思議な体験をしながら、今再び海に向かっている。龍太は後部座席から出雲の風景を目に焼き付けるようにして見ていた。

 「ジョーさん、俺、またいつか出雲に来るね」とジョーに告げる。ジョーはバックミラーを通して龍太を見る。

 「ああ、龍ちゃん、是非おいで。待ってるよ。出雲を第二の故郷だと思って、また来ておくれ」と言ってくれるジョーに「ジョーさんも是非沖縄に来てください」と真季はお願いする。信号待ちの車の中、ジョーは嬉しそうに助手席に座る真季の顔を見る。

 「ああ行きたいねー、沖縄。ずっと憧れていたけど一度も行ったことがないからね。真季ちゃんと龍ちゃんがいるなら尚更行きたいよ。だから航海安全で沖縄まで帰りなさいね。陸が見えるところを通って、決して陸から離れてはいけないよ。いつでも陸地にあがれるところを航海しなさい。琉球弧の島と島を渡るようにしてサバニを進めなさい。そしたら沖縄まで帰れる。昔このあたりまで魚を捕りにきていた沖縄の漁師さん達もそうしていたから」

 ジョーの言葉に真季も龍太も「はい」と返事する。信号が青に変わり、ジョーはアクセルを踏む。通勤渋滞前の道路と透き通る朝一番の空。緑の小山に囲まれた景色を見ながら龍太は青い道路標識に書かれた美保関までの距離を見る。その距離を車で走ったら、そこにはサバニと海がある。胸が高鳴る。大好きな海の香りがそこにはある。

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