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【花指し遊び】⑧

 真季が目を覚ました時、世界は少し暗くなっていた。どれくらい眠ってしまったのだろう。もう少しで夕方かもと真季は思う。夜になり視界が効かなくなる前に山を出ないといけないと生存本能が真季に訴えかける。体中の筋肉痛がミシミシ鳴るのを聞きながら起き上がってあたりを見回すと八匹の大きな蛇が伸び上がって眠っている。その脇で龍太も寝ている。急いで龍太を起こさないとと足を一歩進ませた時、自分の足下に体の膨らんだ蛇がいるのに気づく。目を開いて真季の顔を見つめている。真季は自分を見つめる蛇の顔を見て笑顔を返した。兎を飲み込んだ蛇神様に会うためにここまで来たんだ。そして、ここから帰らなくてはならない、久高島に向けて。

 真季は弟を起こしに行く。いきなり龍太の頭を張り手で叩く。熟睡している龍太は昔からこれぐらいやらないと起きない。龍太が痛みに堪え兼ねて目を覚まし、頭をさすりながら「なんねー、痛いさー」と真季に抗議する。

 「あんた、寝てる場合じゃないさー。陽が暮れるよ。蛇神様をお連れして須我神社目指さないと。ミルク屋のジョーさんに迎えにきてもらうさ」

 鼻息の荒い姉のその言葉に確かにそうだと思い龍太は慌てて起き上がる。そして真季も龍太も祭りの後片付けを始める。牛乳パックを回収し、太鼓にした石は木の根もとに大切に置いた。兎の巣穴は開いたままにしておく。雄蛇達は気持ち良さそうにぐっすり眠っている。老大樹のまわりにゴミや忘れ物がないか真季は二度チェックして辺りをキレイに片付けたことを確認した。そして、真季と龍太は膨らんだ体の蛇と改めて見つめ合う。お互いやっと会えたと思ってなんだか照れる。龍太は鼻の下がむずかゆくなりしきりに指で掻く。そして、「失礼」と言って蛇を抱き上げて篭に入れた。「帰ろう」と真季に言う。真季はその言葉を聞いてじーんと来る。海を渡ってここまでやって来た。正直目的が達成できるなんて一度も信じた事なかったけれど、これから自分達は帰るんだ・・・と思う。「うん、帰ろう」と真季も同じ言葉を弟に返した。

 二人は降りてきた八雲山を登り直す。来た道をそのまま戻ればあの家族岩に戻れる筈。夕日が沈むのが先か二人が須我神社に辿り着くのが先かの駈けっこ。家族岩の前にある表参道を降りた先に須我神社はあるとミルク屋のジョーは言っていた。真季と龍太は小走りで山を駆け上がる。まる一日以上山で過ごして足はだいぶ山道に慣れてきた。かなり長い獣道を降りて来たから急がないと間に合わない。龍太が先頭を走って、行く手を阻む木を掻き分けていく。一歩一歩、太ももに力を入れながら重力と地面の間で潰されそうな体を跳ね上げる。ところどころ真季の息があがり、龍太は足を止める。真季が膝に手をつき息を整え直すのを待ちながら龍太も呼吸を整える。下を向いた真季が顔を持ち上げると次のスタートへの合図。何度も立ち止まり、何度も走り出す。そして、獣道を抜けて、開けた場所に出た。

 「あれ・・・?」と龍太は呆気にとられる。後から龍太に追いついた真季も言葉を失う。獣道をそのまま戻ればあの大きな岩の場所に戻る筈だったのに、八雲山の山頂に出てしまった。昨日ほぼ同じ時間に見た風景とは全く違う。雲が山々を覆い、山頂よりも少し下に雲が見える。山を登り続けて雲の上の空までやってきてしまった。二人は息を整えながら雲の上に登って来た自分達を不思議に思う。海の上ではいつも雲は遠い空の上にいたのに・・・山を登って雲より高い場所に今はいる。八雲山山頂から見る景色に二人は何かを成し遂げた達成感のような清々しさを感じた。きっとスサノオの王様はこの山頂に立ち、美しい雲いづる国を愛し、命を賭けて守ったのだろう。そんな気がする。雲はきっとこの場所で産声をあげて、大きく成長しては日本列島の隅々まで流れていく。そんな神秘的な光景。白く厚い雲の向こうに夕日が落ちはじめ、天上の世界を赤く染めていく。龍太はふと蛇神様もこの景色を見たいのではないかと思った。龍太は篭の中に手を入れて、蛇神様を抱きかかえた。蛇神様は龍太の腕の中で八雲山の頂上から見る幻想的な風景をじっと見つめた。赤く染まった雲がゆっくりと、緩やかな海流のように流れていく。

 (お願いがある)

 真季の心に声が聞こえる。蛇神様が真季を見ている。

 (飲み込んだ兎を吐き出したい。手伝ってくれないかしら。まだこの兎は私の体の中でかろうじて生きている)

 それを聞いて、真季は驚く。まだ生きているって・・・本当に?と。しかもかろうじて。そしたら死んでしまう前に急いで取り出さないと。

 「どうすればいいですか?」

 真季の疑問に、蛇神様は(私の口をあごが外れるくらいまで思いっきり開いておくれ)と答える。そして続ける。

 (私の尻尾の方から兎を押し出しながら、喉の奥に兎の耳が見えたら手を突っ込んで耳をしっかり掴んで引っ張り出して欲しい)

 真季は蛇神様の目を見て頷く。そして龍太に会話の内容を伝える。龍太は兎が生きていることに驚いたが、ならば急がなきゃと慌てて蛇神様を地面に降ろし、恐る恐る蛇の上唇と下唇に手をあてる。そして上下に力一杯口を開かせる。

 (まだ開く、もっと思いっきり開けていい)

 龍太は真季から聞いたその指示に従って更に力を入れる。真季は尻尾の方から兎の形をした塊を顔の方に向けて押していく。龍太は大きく開いた口の中、喉の奥をじっと見つめて、何か出て来ないか注意深く見つめる。そして、暗闇の中、光を反射する目のような点が二つ見えて、しわくちゃになった耳が見えた。龍太はその耳めがけて喉奥に手を突っ込んだ。何かを掴んだ感触を手放さずそのまま引き抜く。すると大きく開いた蛇の口を抜けてすぽーんと皮が剥げた兎が出て来た。龍太は剥げた兎の両耳の根元を握りながら、ありえない事実に目が点になる。蛇の体を絞り出すように握っていた真季は唖然としすぎて開いた口が塞がらない。確かに兎はまだ生きていた。体を微かに震わせ、口のあたりに手を持っていくと呼吸をしているのを感じられる。蛇神様は喉の奥に詰まっていた大きなものを吐き出すことができスッキリした顔をしている。兎は蛇の胃の中の消化液を体に纏ってべとべとしている。そして素肌が剥き出しなので少しの風が当たるだけでも痛そうな顔をした。なんとかしてあげないとと思い、真季は龍太から兎を受け取って、着ていたウィンドブレーカを脱いで兎をくるむ。これで風は当たらない。夜の色が少しずつ空に混じり、海の向こうの遠くの空は紫になっていく。驚いてばかりもいられない。早く山を降りなければ・・・と龍太は蛇神様を篭に入れ、山道を降りる準備をする。そして最後にもう一度だけ二人は八雲山の山頂から景色を見る。この景色を忘れることは一生ないだろう・・・。そう思いながら二人は表登山道を降りていく。山の中腹であの大きな家族岩の前までやってきて無事に兎を飲み込んだ蛇と出会えたことを感謝しながら手を合わせる。龍太は手を合わせた後、一番大きな岩を見つめ「ありがとうございます。スサノオの神様」と声に出して笑った。大きな岩もまた龍太を見つめながら微笑んでくれているように見える。二人は家族岩に別れを告げ登山道を降りて行く。途中に禊場みそぎばと書かれた湧き水で手を洗う場所があった。真季はとっさに思いつき、兎の体にまとわりついた蛇の胃液を洗ってあげるために、そこで水をくみ、丁寧に兎の体を洗った。一通り真季がネバネバを取り除いてあげたのを確認して、龍太は着ていたTシャツを脱いで真季に渡す。「これで体を拭いてあげて」と龍太が伝えると真季は「ありがと」とTシャツを受け取り兎の体を拭いた。龍太は裸の上半身に改めてジャージを着直す。地肌に直接ジャージを着るとところどころの隙間から風が吹き込んできてすーすーする。二人が兎の体を拭き終えて改めて山を降りるとすぐにコンクリートで舗装された田んぼの前の道に出た。

 真季は人里に戻って来られたことに安心し、龍太は額を覆った汗をぬぐった。二人は早足をやめて、ほっとした表情で夕焼けの空の下を少しゆっくり目に道路の上を歩いて行く。歩いてからしばらくすると人家がいくつか見え、窓から明かりが見える。山の麓の田んぼや畑からは虫の鳴き声が聞こえる。真季は民家の前を通って、少し中を覗いた。人がいた。人がいるということがこんなにも安心できるものとは思ってもみなかった。ほっとした反動で緊張が緩み、疲れが血液に混ざって体が重たくなる。龍太も同じように歩きながら無意識に家の中を覗いていた。20分程コンクリートの道を下ったところに須我神社があった。

 「良かったぁ・・・」と真季は胸を撫で下ろす。龍太は無言で目の前にある鳥居を見上げた。空に向かって高く伸びる2本の杉の木が目に映る。ほっとしたのだろう、龍太は少し放心状態でその2本の木を意味もなく見つめた。真季はぼーっとする龍太を軽くこづいて鳥居をくぐるよう促す。ふと我に返った龍太が先に鳥居をくぐり石段を登り、須我神社の中心まで足を進ませた。真季はその後に続いた。神社は薄い夜の闇が滲んだ夕暮れの中、境内を片付けて閉める準備をしていた。真季は後片付けをしていた神主さんに気まずそうに声をかける。

 「申し訳ありません。お片づけされている途中で」

 神主さんは振り返り真季の顔を見た。一瞬こんな時間に誰だろうというような顔をしたが、何か気づくことがあったのか、真季が言葉を繋げる前に神主さんが口を開いた。

 「もしかして、ミルク屋のジョーに連絡したい姉弟さん?」

 その言葉を聞いて、真季はビックリする。

 「はい、そうです」

 真季はぶしつけなお願いをどう伝えていいのかわからなかったけれど、こちらがお願いしたいことを先に言ってくれて助かったと思う。

 「聞いてるよ、ジョーから。山に入った少年少女がいるから、山を下りてきたら連絡してくれって。冗談かと思ったら、本当なんだね。ははは、くだらないシャレだと思ってたよ。ジョーはたまによくわからない冗談を言ったりするから。お酒の席で常識では考えられない昔話や不思議なおとぎ話をよくしたりするから、その類いの怪談話に近い洒落だと思って、またかと思ってたけど。まさか、本当に目の前にあなた達がいるとなると・・・ジョーが言っていたこともあながち冗談と決めつけるのもどーかなと今一瞬ふと頭をよぎってしまったけれど。ま、そんなことはどうでもいい。ちょっと、待ちなさい。今連絡してあげるから」

 そう言って、神主さんは社務所まで急いで携帯電話を取り行ってくれて、電話をかけてくれた。会話が二言三言交わされて、神主さんが二人に向けて伝えてくれる。

 「すぐ来るって言ってたよ。それにしてもなんだか混みいった事情があって八雲山に入っていったってジョーが言っていたけど、目的は達成できたのかい?」

 「はい、お陰様で無事にミッション完了です」

 真季がそう伝えると神主さんは嬉しそうに笑ってくれた。

 「ああ、それはきっと須佐之男命のお導きだろう。古事記では荒れ狂う我がままな乱暴ものみたいに描かれてしまったけれど、本当は慈悲深い優しい神様だから」

 龍太はその神主さんの言葉に素直に頷く。あの大きな岩の前で感じた包み込まれるような、守られているような、圧倒的な温もりの量たるや海と同じほどに大きなものだった。

 「あ、そうだ。二人は沖縄から来たってジョーから聞いたけれど本当かい?」

 真季が「はい」と答えると神主さんは閉じまいしていた社務所の中にもう一度入って、細長い白い紙に包まれた何かを持ってきて、龍太に「これを持っていきなさい」と手渡してくれた。そこには「宝剣御守 日本初之宮 須我神社」と書かれている。

 「須我神社でしかない珍しいお守りだ。当社御神木の神也木を使って須佐之男命が神話の中で大蛇を退治なされた宝剣 十握剣とつかのつるぎをかたどったお守り。5000円する高価なお守りだけど、二人の澄んだ目を見ていたらこれをプレゼントしたくなったよ。八雲山のこと、須佐之男命のことをいつまでも忘れずにいて欲しいという願いを込めて、そして末永く須佐之男命のお守りお導きがあなた達にあるようにプレゼントするから持っていきなさい」

 龍太は受け取った細長い剣のお守りに目を落とす。なんだか一人前の男と認められたような気分になる。素直に嬉しい。そして、思う。スサノオの王様のことは死ぬまで忘れない。神主さんはその嬉しさがじわじわこみ上げてきている龍太の表情を満足そうに見る。そんなやり取りや少しの世間話をしている間に日が暮れて、月が出る。石段の方から足音が聞こえてくる。少しの金属音が混じっている。左足を失ったミルク屋のジョーの義足の音。真季と龍太は振り返る。月明かりを浴びて太った体を揺すりながらこっちに向かってくるミルク屋のジョー。たった一日しか経っていないのに随分久しぶりに再会した気分。真季と龍太はジョーに駆け寄る。するとジョーは二人を抱きしめて、「ああ、無事で良かった、無事でよかった」とニコニコ顔で喜んでくれた。月の明かりが柔らかく輝く夜。

 「神主さん、お世話になりました。また今度一杯やりましょう」

 そう言ってジョーは須我神社の神主さんに頭を下げた。真季もあわせるようにして頭を下げ「本当にありがとうございました」と伝える。龍太も頭を下げた後、「このお守り一生大切にします」と神主さんに伝えた。神主さんは満足そうな顔をして、「何かあったらいつでもここに戻ってきなさい。須佐之男命があなた達を守ってくれるから」と二人に告げる。そしてミルク屋のジョーに軽く背中を押されながら二人は石段を降り鳥居をくぐった。神主さんはなんとなく帰っていく3人の後ろ姿を見つめながら口ずさんだ。

 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣よ」

 日本で最初の和歌である。須佐之男命が八雲山の頂上で口ずさんだ心の音色。

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