表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/50

【花指し遊び】⑦

 少しずつ晴れてきた空に太はほっと一安心する。拝殿での雨宿りはかなりの時間になった。焦る気持ちと闘いながら雨を見つめ続けた。こんなにじっと長い時間雨を見続けたのは生まれて初めてだと思う。拝殿前の水溜りに落ちる雨粒の数が少なくなったのを確認して太は空の下に足を踏み出す。せっかくご縁があってここ出雲大社まで来たのだから拝殿だけではなく、本殿も一応お参りしておこうと思う。

 本殿まで足を進ませるとその後ろにある小さな山の上に虹がかかっているのに太は気づく。その虹が神様からの何かのお知らせではないかと太は感じる。いや、むしろそう信じたいというのが本音。どうか真季も龍太も無事で生きているという吉兆のしるしでありますようにと太は本殿に手をあわせた。

 お参りを終え、30分だけ出雲大社の博物館に行きこの土地の歴史を勉強した。古より続く奥深い歴史の余韻に浸りつつ、その後は駆け足で駐車場へと急ぐ太。車に向かう途中に脳裏に焼きついた太古の出雲大社の姿に思いを馳せる。それはまさに天に続く階段を登って出雲の神様に会いにいく巨大建造物だった。そんなことが今から約2000年近く前に可能だったとしたら、古代に生きた人達はとても高度な文明を持っていたことになる。太は軽い眩暈を感じながら学校の歴史の時間に学んだ知識は一体何だったんだ・・・と思う。全然話が違うじゃないか!そう感じざるおえない・・・。現代に生きる人間のおごりが教育の中に蔓延しているんだろうか?太古の昔は原始的で野蛮で動物に近い生き方をしていたんだろうという傲慢な思い込みと浅はかな想像力が古代の人への敬意を失わせ、我々は記憶喪失のように過去を忘れてしまったのだろうか?

 博物館で初めて目にした縄文や弥生時代、その後の時代を生き抜いていた人達の暮らしは想像を越える程に高度で洗練されているじゃないか・・・。そして豊かにすら見える。一体、今まで何を勉強して、試験されて、大学まで行って生きてきたんだと自分が学んできたことの薄っぺらさに呆れ返りながら、大きな水溜りを幾つも越えて太はレンタカーに辿り着いてはドアを開け、運転席に座りエンジンをかけた。駐車場からはほとんどの車が消えていて、空っぽでがらんとした光景だけが雨の後に残されていた。


 子供達が出雲大社で見つからなかった現実を受けとめ、今度は海沿いを探そうと太は気が焦る。一番近い稲佐の浜という海岸へと車を走らせる。アクセルを踏みながら歌舞伎の始祖、出雲の阿国の墓という標識を越えていく。出雲の阿国?知らない・・・と太は一瞬だけ思う。歌舞伎は知っている、見た事ないけれど。歌舞伎の発祥の地は出雲なのだろうか?出雲って何だか不思議なところだと改めて思う。そんなことを思っているうちに、あっという間に稲佐の浜の駐車場に着く。太は車を降りて広い砂浜を端から端まで探す。サバニはどこにもない。砂浜の真ん中に立つ弁天島と呼ばれる岩場の後ろも探してみるが何もない・・・。太はため息をつく。脱力感を感じる。海の波がただ延々と寄せては返していく。海の向こうの大空を呆然と見つめる。ここに真季も龍太も来ていない。水平線を見つめてみると、沖縄からここ出雲までサバニで来るのはどう考えても夢物語にしか思えない。それでも太は気を取り直して、他の海岸を探そうと肩を落としながら駐車場へと戻る。レンタカーのエンジンをかけて、西の方角に向かう。出雲まで辿りつかずにその手前のどこかの海に二人はいるかもしれない。国道9号線山陰道を大田市に向けて車を走らせ、右手に砂浜か駐車場が見えると車を停めて、サバニを探した。広大な海と荒い波を目の前にすると無事に二人がここまで辿り着いているとは到底信じられない。太はまた肩を落とす。そしてその後も海岸沿いを探し続けるけれど二人の影は見つからず、なんとなく心にひっかかる稲佐の浜の辺りの海岸をもう一度探してみようと引き返す。事故を起こさないように注意しながら、でも焦る気持ちを抑えきれずにアクセルは強めに踏み込んでしまう。信号で停まると少しイライラしてしまうことを繰り返しながら稲佐の浜まで帰ってくるが車の左に見える海岸には相変わらず子供達の姿は見えない。もう一度この海を探しても仕方ないと思い太はそのまま車を停めることなく、道路を北上していくことにした。するとそこは砂浜もない岩場だらけの海で、道は山を登るようにして続いていく。運転を続けても道路脇は断崖絶壁。サバニをここにあげることはできない。検討違いの場所を探している自分に呆然としながら山道を走っていると小さな集落を幾つか抜けたところに漁船が停まっている場所を見つけた。いつの間にか山道は終わっていて海岸線を走っていた。太は車を停めて、その船置き場にサバニがないかを探す。船が置かれているところは海からあがってすぐの洞窟になっていて、信じられないくらい大きな巨岩が屋根になっている。洞窟に降りて行く手前に案内板があり、「猪目洞窟いのめどうくつ」と書かれていた。そして・・・案内板の説明書きにはこう書かれている。


 「古代の人々は、死者の世界を「黄泉よみ」と表現していました。『出雲国風土記』には、「夢にこの磯のあなの辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至まで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり」と書かれ、「夢の中でこの洞窟に行くのを見たならば、必ず死んでしまう。ここは昔から黄泉の坂、黄泉の穴と呼んでいる」と記されています。古代には、この洞窟は「あの世」につながると信じられていたようです」


 案内板を読み終えた太の頬を冷たい汗が一筋流れる。他にも幾つか案内板がある。読むとこの洞窟には縄文時代から弥生時代・古墳時代にかけて人が暮らした跡があり、そして死んだ人を埋葬していた墓地でもあるとのことが書かれている。人骨が13体以上見つかっており、特に注目されるものとしては、南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や舟材を使った木棺墓に葬られた古墳時代の人骨、稲籾入りの須恵器を副葬した人骨などが出ているとの事。各種土器なども出ているそう。

 太は、ふと真季と龍太は既に死んでしまっていてこの洞窟の奥にいけば二人に会えるのではないかという錯覚に襲われる。そう思い込むと太はいてもたってもいられずに奥行き30メートルほどの洞窟の奥に足を進める。そして剥き出しの岩屋根が斜めに横たわっていて洞窟の奥には子供が入れるかどうかの小さな穴だけがある。太は吸い込まれるようにしてその漆黒の闇の向こうに歩いていこうとしたが、屋根になっている岩にゴン!っと思いっきり頭をぶつけて痛みとともに我に帰る。右の額の髪の毛の生え際に大きなたんこぶができる。じんじん痛むそのたんこぶが気づかせてくれた事。太は自分の頬を思いっきり右手で三度叩き、「真季も龍太も死んでる筈ないじゃないか。父親である俺が信じなくてこの世界で他の誰か信じるんだ」と声に出して自分に言い聞かせる。その言葉は洞窟の壁に当たって辺りに反響する。

 改めて漁船を見渡すけれどそこにサバニは見つからない。ここに子供達はいないと確認し、太はまたレンタカーに乗り込む。エンジンをかける前に夕日が西の空に落ち始めるのを車のフロントガラスから見た。今日はこれ以上の捜索は無理か・・・とため息をつきながら太は元来た道を戻る決心をする。出雲大社に続く道沿いを走らせ続けると日御碕神社と書かれた標識があり、少し心にひっかかるものを感じた。まだ日が沈むまでもう少しだけ時間がありそう。駄目もとでその神社の方にも行ってみようとハンドルを切ると海の方に赤い神社が見えた。そしてその向こうに漁港が見える。漁港を探せばサバニが見つかるかもしれないと太は日御碕神社の駐車場に車を置いた。駆け足で神社境内や周辺、漁港を見て回るがどこにも子供達の影もサバニの残像すらもない。そうしている間に夕日が水平線へと沈んでいく。太は立ち止まってその光景を見つめる。海の果てがほんのりと暖かみのある赤い色で染まり、そしてゆっくりと光は消えていった。太はその自然の有り様を美しいと思った。辺りは暗くなり、月が柔らかな光を海の上に注いでいる。太は夜の闇に覆われた漁港を背にして車に向かって歩く。結局今日一日では自分の子供達を探し出すことはできなかった・・・とため息をつく。洞窟に頭をぶつけたたんこぶはじんじんと痛み続ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ