【花指し遊び】⑥
出雲大社の大きな駐車場にレンタカーを停めて、フロントミラー越しに空を見て太は声を失う。世界を覆い尽くすような量の雲が空を覆い始めていた。辺りは暗くなり、太陽の光が地上から消えていく。黒い雲はかすかなうなり声をあげている。何だか神話の世界に迷い込んでしまったかのよう。空を埋め尽くした雲のせいか、辺りに薄らともやのようなものがかかる。
「これが雲がいづる国か・・」
太は軽い頭痛を感じながら思わずそう呟く。まだ雨は降っていないけれど、今にも降り出しそうだから、とにかく駆け足で出雲大社を探しまわって真季と龍太がいないかを確認しようと思う。持ってきた荷物の中に折りたたみ傘を入れてこなかったことに今更ながら気づく。だけど、そんなことを後悔してる暇はないと太は車から飛び降りて、小走りで出雲大社境内へと足を進める。太自身、出雲大社は縁結びの神様ということは知っているけれど、それ以上のことはよく知らない。歴史で勉強した単語だけしか知らない「古事記」、「日本書紀」の世界と繋がっているようだけれど、難しそうで興味もない。もちろん読んだ事はない。雨が今にも降り出しそうなのに、観光客が多い。縁を求めてやってくる人波の中に自分の子供達の姿を探すが見つからない。そして、ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。出雲大社の境内を一周した後、大社の外にあるスターバックスやお土産屋さんも覗いてみる。その間に雨脚が強まり、稲光がときおり走る。強く降る雨の音が太の耳の奥に響き続け、思わずお土産屋さんでビニール傘を買う。傘をさせば、まだなんとか行けそう。雨がこれ以上強くなると探したくても探しきれないと思い、もう一周だけ境内を早足で歩こうと大鳥居をくぐり松並木の参道を傘を差しながら駈ける。足を進ませるほどに雨が強くなり、靴の中の靴下までびしょ濡れ。参道の先にある小さな鳥居をくぐった時に雷が激しく鳴り、どこか近くに落ちた。思わず太は身を屈める。そして辺りを見渡しながら雨と雷を嫌がり駐車場に向けて帰っていく観光客の流れを注意深く見つめる。けれど真季と龍太はそこにはいない。雷がもう一度大きな音を立てて空を切り裂き、これ以上探すのは無理だと諦める。太は目の前にある大きなしめ縄をかけた拝殿の下で雨宿りをすることにした。あまりにも雨の勢いが強すぎて、傘が壊れてしまいそうな程に雨は降り続けている。駐車場に戻りたくても豪雨で戻るに戻れない。拝殿の下で雨をよけている観光客が3名程いるが、それ以外の人影は近くからは全て消えてしまった。先ほどまでの賑わいはどこへやら。太は諦めて雨がやむまで拝殿の屋根の下にいようと思う。そして、することがなく、まだ出雲大社の神様にお参りしていないと思い、ちょうど拝殿の下で雨宿りしているのにお祈りしない手はないと神様の前へと足を進ませて、お賽銭を入れて手を合わせた。
「真季と龍太、二人の子供がどうか無事でありますように。そして二人を見つけられますようお導きください」
降り注ぐ雨は少しだけその勢いを弱めた。真季を先頭にして姉弟は八雲山を下り続ける。そして獣道を抜け切ったその先で大きな木に突き当たった。そこで地面は平になる。その大樹を中心にして小さな丸い空き地になっている。真季は来た獣道を振り返る。そして山を見上げる。
(八雲山ってこんなに大きかったっけ・・・富士山くらいあるように見える・・・)
真季は自分が今いる場所がどこなのかを必死に考えながら心の中でそう呟いた。
龍太は足を進めて目の前にある大樹に触れてみる。とても年老いているように感じる。何百年、何千年?いやもしかして何万年?と龍太はその老大樹に掌を当てながら樹齢を推測しようとしてみた。正確にはわからないけれど、とても古い昔の匂いがする。よーく匂いをかいでみると、ふと地球がこの宇宙に出来た時の匂いがするなんていう幻覚に陥りそう。
空き地の周りを見渡すと老大樹の周りを囲むようにして若い木々が壁のようにぎっしりと生えている。隙間ない緑の生け垣が壁になって(これ以上先には行けないんだ・・・ここが降りて来られる終点)と真季は確認する。そして、真季は耳を澄ませる。あの声はまた聞こえるだろうか・・・。
真季が老大樹の前で目をつぶって瞑想をしている間に、龍太は木を一周してみた。幹が太く、大きな根の一部が地面に盛り上がって波打っているので一回りするにも苦労する。左まわりで一周して元いた場所に戻る手前、地面に盛り出した根っこの付け根あたりにサッカーボールくらいの石が置いてある、何かそこにある穴に蓋をするような形で・・・。
(久高島の神の使いよ、石をどけてくれ。私をここから出してくれ)
心に声が聞こえて、真季は目を開ける。すると大樹の右側から龍太が真季の方を見ながら手招きしている。真季は小走りで龍太の元へ行く。獣道から見て木の右側の斜め後ろの方に少し大きい石がある。そしてその石は何かを塞いでいるように見える。
「まーきー、この石の奥の穴って、兎の巣穴かな?」
龍太の言葉に真季はなるほどと思う。
「まーきー、目をつぶって何か聞こえた訳?」
ああやって目を閉じている時の真季は昔から何かを聞いている時と龍太は知っている。
「石をどけてくれって言ってた・・・」
「なるほど」と龍太は真剣な表情で納得する。
「この石をどけて、この世界が終わるとしたらどうする、まーきー?」
「知らんさー、そんなこと。でも、映画とかアニメでもあるけど、こういう石をどけると大抵封印されていた悪魔とかがこの世界に蘇ってしまうパターンだよね」
「同じことを思った訳、俺も。どうしたらいいんだろう・・・」
するとまた真季の耳に声が聞こえる。
(心配しなくていい。私はただの雌蛇だ。お前達が探している兎を飲み込んだ蛇。兎を飲み込んでいる間に誰かが兎の巣穴に石で蓋をした。それだけならいいのだが、その誰かが石で蓋をしめきる直前にこの穴に貪欲な八匹の雄蛇を投げ込んだ。その八匹の雄蛇が私の体に絡みつき、次から次へと交尾を繰り返してきて、私の体内はその雄蛇達が植えつけた卵で溢れている)
真季は喉が乾いていくのを感じながら、二つほど咳き込んで聞こえる内容を頭の中で整理する。その内容を短くまとめて龍太に伝え、龍太は兎を飲み込んだ雌蛇が自分達を呼んでいることに薄ら汗をかきながら頷いた。どうする・・とまだ決断がつかずにいる。真季も龍太も一度唾をごくりと飲み込んだ。額に浮かぶ汗の量が増えていく。
(体が破裂しそうなのだ。苦しくてしかたない。私を久高島に連れていっておくれ。私を殺し、バイカンヤーで薫製にしてこの身を粉々に崩して、神女にスープにでもして飲ませなさい。私は脱皮する能力を失ってしまった脱皮不全の蛇。兎を飲み込み、雄蛇に絡みつかれながら絶えず交尾を求められ卵は体内に増え続けている。私の体は膨張していくのに、古くなった皮を脱ぎ捨てることができない。早く殺してくれ。苦しい・・・)
久高島のイラブーを薫製にする小屋、バイカンヤーの名前をこの石の向こう側から聞いて、この声が龍太と自分をここまで連れて来た主だと真季は悟る。この石をどける運命を龍太と自分は背負っているのだろうと真季は思った。龍太に聞いた声の内容を伝える。龍太も石をどける覚悟を持つ。このためにサバニで海を渡ってきたのだ。もう後戻りはできない。
微かに震える手で龍太は石を少し持ち上げた。すると石の隙間の暗闇の奥にこちらを睨みつける大蛇がいっぱいうようよ。目に当たった光が鏡のように反射して光る。その大蛇が口を大きくあけて舌を揺らしながらこちらに首を大きく伸ばして威嚇して来る。その迫力に真季は絶叫し気絶しかかる。おしっこが少し漏れてしまう・・・。龍太は激しく身震いしながら慌てて石をもう一度兎の巣穴に突っ込んだ。とりあえずもう一度穴を封じると辺りに静寂が戻ってくる。一瞬激しく爆発するように動いた時が完全に静止してしまったように感じる。龍太は思わず反射的に持ち上げた石を元に戻してしまった自分に言い聞かせる。
「ちょっとタイムでしょ・・・あれは。ビビった・・・蛇っていったってあんな大きな蛇がこんな小さな巣穴の中でうようよしているなんて思わないさー。迫力が凄かったさ。半端ないさー」
地面に座り込んでしまった真季。大樹に身を預けながら、顔中から冷汗が滲みでる。乱れた呼吸を落ち着かせるように激しく波打つ胸に手をあてて自分に言い聞かせる。
「無理無理無理。作戦会議必要。緊急会議必要。避難訓練も必要。いきなり石どけたらいけない系の穴じゃない。ああ、喉渇く・・・駄目だ。あんな大きくて凶暴そうな蛇達がこんな小さな穴でうごめいてるなんて・・・」
龍太も老大樹に寄りかかって座り込む。二人を威嚇してきた大きな蛇達に絡まれて奥の方でぐったりとしていた蛇がいた。それがきっと兎を飲み込んだ蛇。体の真ん中がらくだのこぶようにしてふくれあがっていた気がする。そこに飲み込んだ兎がいるのだろう。龍太は一つ大きなため息をつく。真季は呼吸を整え終わるとリュックの中から水筒を取り出してお茶を飲む。水分が喉を潤し、少しだけほっとする。
「まーきー、俺もお茶欲しい」と龍太が言うと、真季はあのド迫力はお茶でも飲んで一服して心落ち着かせないと無理だろうとコップにお茶を注いで龍太に渡してやる。龍太はそれを一気に飲み干す。わさわさした気持ちが少し落ち着き、真季とともに大樹に頭と背中を預けて座り込んだ。
「はぁー、どっと疲れたさー」と龍太は雨が小降りになってきた空を見ながら呟く。それを聞いて真季はなんだかおかしくなる。小さい頃から海で遊んで体を鍛え上げてきた体力あり余る龍太は疲れたことがないと思っていた。その弟が疲れたと口にしているのが笑えた。
「は、何笑ってるさ、まーきー」と龍太がくすくす笑う姉を問いつめると真季は「何でもない」と笑いをこらえて真面目な顔をする。するとまた声が聞こえた。
(久高島の神の使いよ。石を一度持ち上げてくれたのはいいが、まさかもう一度この穴を塞いだままということはない・・・・わよね?)
真季はこらえた笑いがまた吹き出す。この声の主の兎を飲み込んだ雌蛇は、きっと蛇の神様なんだろうと真季は思う。その神様がまさかこのまま自分をこの石の奥に置き去りにして久高島の神の使いが帰ってしまわないかと不安で焦っている。それでは久高島の神様に使者をよこしてくれとお願いした意味が全くなくなってしまう。そんな蛇神様の心の動きがわかってしまって、なんだかぐっと親近感を覚える。
「蛇神様、私達はきっとあなた様をお救いして、久高島のバイカンヤーまでお連れします。だけど想像以上にあなた様をお救いするのが簡単ではないことがわかり、作戦会議を弟としたいと思います」
真季は聞こえた声にそう答える。龍太は真季が何を聞いたのかはわからないけれど、なんとなく会話の内容を想像できる。蛇神様がちゃんと助けてくれるよね?と念を押ししているのだろう。もちろん!と龍太は思う。久高島に辿り着いた蛇神様は蛇スープになって意識不明の富おばあの命を再生するのだから。蛇神様をお救いすることは大好きな富おばあを救うことでもある。決してここに置き去りにはしない。やらねばと思った龍太は、糸満に居た時から考え続けた作戦を実行に移す準備にかかる。持ってきた泡盛の一升瓶の栓を開ける。そして匂いを嗅ぐ。匂いだけで酔っぱらってしまいそうなほどのアルコール。指先に少し泡盛をつけて舐める。ピリっとする。中学生にはまだ刺激が強い。よく大人達はこんなもんをぐびぐび飲むなと改めて思うけれど、これを飲み過ぎてぐでんぐでんに酔っぱらって眠り続ける沖縄のおじさん達や親戚を数知れず見てきた。その代表が寅也おじい。きっと人間のおじさん達同様に雄蛇達もこの飲み物が好きな筈。そう信じるしかないと龍太はもう一度泡盛を指につけて舐めた。龍太は「重たかったけどサバニに乗せて持ってきて良かったさ」と真季に泡盛の匂いをかがせる。頭の奥につーんと突き抜けていく酒の香り。真季の顔がほんのりピンクになる。龍太はアルコールの匂いにやられる真季の顔を見て笑いながら語る。
「まずは、アルコール匂い攻め。石の隙間から泡盛を流し込んで密室に匂いを充満させて酔って眠らせる攻撃。蛇神様も一緒に酔ってもらえばパンパンで破裂寸前の体の節々の痛みの麻酔にもなるさーね」
真季は弟の発想の豊さに異議なく同意する。姉がうなずくのを見て作戦決行を決める龍太は石を少しだけ動かして、その隙間から泡盛を流し込む。一升瓶の3分の1程の量を流し込んだ。そして石を再び穴に押し込んでアルコールの匂いが外に出てこないように完全なる密室を作る。すると真季の心に咳き込む蛇神様の声が聞こえる。
(凄い匂いね・・・頭がくらくらするわ)
その声を聞いて、真季は龍太に視線を投げる。
「龍太、効いてるさー、匂い攻撃。頭がくらくらするって蛇神様が言ってる」
「マジ、まーきー。さすが俺。ではこのまましばらく匂い攻撃の効き目が回りきるまでは石を塞いでおきましょうねー」
龍太はそう言って、老大樹に寄りかかるとウトウトと昼寝をし始めた。真季も思わずあくびをする。大きな木がちょうど寄り添いやすくて、ソファーみたいで体を預けてしまう。なんだかんだ色々と疲れている。海を渡って来て、山を登って・・・そしてずっと山を降りてきて。だから自然と眠りに誘われてしまう。無意識に目を閉じてしまった真季も30分程眠ってしまっただろうか。目を覚まし、弟を起こす。
「そろそろ、匂い攻めも一段落つく頃じゃない?」と真季は龍太に次の作戦を促す。龍太は大きく伸びをして、目を擦りながら真季のリュックの中からミルク屋のジョーがくれた牛乳パックの空き箱を取り出す。
「次は島酒 フューチャリング 牛乳パックでカリー大作戦」
「は?」
「いや、単純に牛乳パックに泡盛注いで、石をちょっとだけずらしてそこから中に入れて、まあ乾杯しながら飲んでもらって気持ちよく酔ってもらいましょうという訳」
沖縄では乾杯の時のかけ声を「かんぱーい」ではなく「カリー」と言う。そして龍太は4つの小さな牛乳パックにそれぞれなみなみと泡盛を注ぎ、大蛇に噛まれないように石を少しだけずらして兎の巣穴の中に次から次へと泡盛を差し入れた。するとしばらくしてからまた真季の耳に声が聞こえる。
(雄達は宴会をはじめて上機嫌・・・でも、凄い酒臭くて私にはつらいわ)
やった!と真季は小さくガッツポーズをし、穴の奥の状況を龍太に教える。そして同時に蛇神様、どうか酒臭い匂いは少しだけ我慢してくださいと心の中で伝える。龍太は腕組みしたまま、真季から穴の中の状況を聞き、右の眉を軽く上げ下げして、「さすが俺」と自画自賛。酒がなくなりそうな頃あいを見計らって、龍太はまだ手元にある4つの牛乳パックに泡盛を注ぎ、岩の隙間から穴に差し入れた。
「泡盛おかわりお待たせしましたー」と居酒屋の店員気分。さあ、宴会よ盛り上がれ、宴よたけなわになれ、欲深い雄蛇達よ酔っぱらえと龍太は思いながら次の作戦を考える。泡盛の香りが宴を満たし、皆の顔が赤くなって目がとろーんとしてくると沖縄で始まるのが踊り。三線の音にあわせて、皆で踊る。沖縄県人は世界一といっていいほど指笛が上手い。
「さ〜て〜ぇ、宴たけなわ〜」と龍太は歌舞伎役者のように滑稽に自分の声に抑揚をつけて日本の伝統芸能っぽく叫んだ後、気の向くままにリズムを取りながら指笛を鳴らし始める。真季は木に寄りかかりながら沖縄を思い出して、その指笛に手拍子をあわせる。指笛と手拍子が八雲山に響き渡り、辺りにそわそわした高揚感が満ち始めるのがわかる。祭り。龍太はここで祭りを開こうと思う。指笛を鳴らしながら、穴を塞いだ石の前に正座して平手で石を叩きリズムを取る。
「せい、せい、せい、せい」と沖縄の盆踊りであるエイサーのかけ声を張り上げながら石を太鼓かわりに叩く。真季も指笛はふける。龍太の石を叩く音にあわせてリズムを取りながら指笛をふく。二人は一心不乱に音をかき鳴らし、山を包み込んでいた静寂を打ち消していく。勘違いかもしれない・・・でも八雲山が喜んでいるように感じる。そして黒い雨雲が風に流されて、少しずつ空が晴れてくる。
「せい、せい、せい、せい」とかけ声を繰り返しながら龍太は祭りのテンションをあげていく。塞いだ穴の石の向こうからもそわそわした雰囲気が伝わる。
(暗闇と沈黙と苦痛しかなかった世界に音色が響き、明かりが差してくるようだ・・・)
蛇神様の呟きを真季は聞いた、そして立ち上がって龍太に言う。
「石をどけて。もう大丈夫。私達襲われるどころか宴たけなわよ。蛇と兎と一緒に皆でお祭り、お祭り」
真季のはしゃぐ姿を見て龍太は笑う。そして思いっきり石を持ちあげる。するとべろんべろんに酔っぱらった大蛇8匹がリズムに誘われて穴から出て来る。祭り。いや、ロックンロールの盛り上がり絶好調のライブ?それとも上質なクラシックコンサート?世界中に心地いい音が溢れている。音はこれほどまでに生命の鼓動を揺さぶるものなのだろうか?沈黙は既に世界から消え、孤独は消滅したかのよう。8匹の雄蛇はもう雌の蛇神様に絡みついたりしていない。音の鳴る方へと本能的に体を揺さぶらせながら這い出して来る。
「エイサーの後は、カチャーシーじゃない?」と真季は龍太を促す。龍太は右目で真季にウィンクをした後、持ちあげた石を左脇下に抱え込んで、右掌で石を叩き続け太鼓のリズムを早める。カチャーシの代表曲「唐船ドーイ」を叩きながら、真季が歌を歌い、両手を高くあげくゆらせて踊り始める。真季の歌声は美しく、龍太の石太鼓の音は力強い。唐船ドーイは、海に生きた琉球人の喜びの歌。遠い海に出た船が危険な航海を経て無事に故郷に帰って来た時、それを待つ家族達が喜びながら踊り家族を迎えいれるために歌った曲。カチャーシーは喜びの舞い。龍太は左脇に石を抱え、右手の指で笛をふく、そして真季の歌にあわせるように裏でかけ声をかける。八雲山の木々も踊り、風は歌い、空が明るくなっていく。凶暴に見えた8匹の大蛇も体をよじらせ、首を動かし踊っている。祭りのリズムは生命の鼓動に響くのだ。人間も蛇も兎も関係ない。皆、踊って歌う。そして笑い、生命に喜びが満ちる。兎を飲み込んだ蛇神様が重たい体を穴から這いずり出してその祭りの風景を見つめる。どれほど長い間暗闇の中にいたのだろう。そして孤独と向き合ってきただろう。もう記憶もないくらいの遠い昔から穴の奥に封じ込められていた気がする。そして今この目の前にある世界はどうだ・・・生命の歓喜に満ちあふれている。祭りの賑やかさに蛇の目にも涙が溢れる。真季は歌い踊り続け、龍太は石太鼓を叩き指笛を吹き続ける。二人は体力が及ぶ限り踊り、歌い、指笛を吹き、石太鼓を叩き、祭りをする。龍太は合間に雄蛇達に酒を勧めて、牛乳パックに泡盛のおかわりを注いでやる。そして2時間ほど経つ。真季も龍太も体力がつきて大きな老大樹の下で倒れ込む。8匹の雄蛇は飲んだ酒を吐くほどに酔っぱらい気持ちよさそうに眠っている。唯一しっかりと正気を保っているのが兎を飲み込んだ蛇神様のみ。蛇神様は祭りの終わりを見守った。山中の生命が躍動し、その余韻が再び辺りを包み込んだ静寂の中でも蛇の耳に木霊する。閉鎖された空間に閉じ込められると生命は無感動になる。無感動な生命はその閉ざされた、限られた存在意義を持て余し何かを意味もなく傷つけ、何かを意味もなく破壊し、何かを意味もなく勝ち誇ろうとする・・・。その何かが何なのかもよくわからないまま・・・。穴の中で何度狂い果てて、叫び果てて、壊れ果てようとしただろう。しかし、世界を閉じていた石は取り除かれ、私は感動ある太陽の光の下に帰ってきたのだと蛇神様は思う。8匹の雄蛇も長く暗い閉塞的で音のない世界で争いあい、欲望を性欲の形で吐き出し続けて、狂った世界の中で王になることを望んだかもしれないが、石が取り除かれ祭りが始まると光が射すほうへと自然と出て行ってしまった。そういうことなのだ・・・と兎を飲み込んだ蛇神様はしみじみと思う。兎を飲みこんだ上に、雄蛇どもの精子が体中に宿っている。でも脱皮不全になってしまった自分の体。弾け飛んでしまいそうな体内の膨張は、光を浴びて幾分和らいだ。その重たい体を這わせながら蛇神様は眠ってしまった真季と龍太の元まで寄っていき頬を舐めて、ありがとうの気持ちを伝える。そして蛇神様は久々の太陽の下の世界を真季と龍太が目を覚ますまで静かに見つめ続ける。目にする光景の隅々まで光が満ち溢れている。狭い穴から出て、蛇神様は体をぐーっと伸ばし、ストレッチをする。凝り固まった体の筋肉が伸びていくのを感じて笑った。そして疲れ果てて眠る久高島から来た神の使いが目を覚ますまで二人の寝息を微笑みながら聞いて待つ事にする。そよ風が山の上から吹いて来る。そこに淀んだ密室の空気の匂いはない。蛇神様はひとつ大きく鼻息をもらした後、その清々しい空気を思いっきり吸い込み、大きく深呼吸をした。




