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【花指し遊び】④

 朝一番の那覇発羽田行きの飛行機に乗り、東京に辿り着いた太。しばらく東京に来ることがなかったが飛行機の窓から見下ろした高層ビルが乱立する大都会はどこか違う惑星の風景に思えた。羽田空港で乗り換え便を待つ間に目につくのは人、人、人、人。日本の文明の中心、東京の飛行場を行き交う人の波。圧倒的な数の人間が繰り返す移動につぐ移動。自分の祖先達がサバニで海を行き来していた時代は遠い昔。今は気軽にどこへでも簡単に飛んでいける。そして人は海から離れていった・・・。そんなことを太は思いながら、米子鬼太郎空港行きの飛行機に乗り換える。1時間25分のフライト。離陸して少し浅い眠りに落ちた太はすぐに着陸態勢に入るというアナウンスで目を覚ます。東京から山陰までぐっすり眠れないぐらいにあっという間に着く。文明ここに極まれりと思う。機長がアナウンスで窓から山陰地方一高い山、大山がキレイに見えると告げる。太はその山を初めて見る。威風堂々として美しい。

 飛行機が着陸し、扉が開くと太は駆け足で降りては空港内を早足で歩く。予約していたレンタカーを借りに行くため小走りする。真季と龍太がこれから向かう出雲のどこかにいてくれることを心の中で何度も何度も祈る。レンタカーを借りる手続きを終え、太は初めての土地をドライブする上で行き先をナビに打ち込む。そのキーワードは出雲大社。出雲地方で一番有名なところから捜索を開始しようと思う。太はナビの音声に従い、アクセルを思いっきり踏む。


 登山道を上がってしばらく行くと大きな柵があった。どうやら猪やら害獣除けの柵らしい。開けたら閉めろと看板に書いてあるので真季も龍太も素直に指示に従う。登山道なので比較的歩きやすいけれど、人が通るところは獣も蛇も怖がって出てこないだろうと二人は考え込む。どこかで登山道を外れて山奥に入る必要があると思うものの中々怖くて決心がつかない。そう思いながら歩いているうちに、山道の真ん中に灰色の糞のようなものが落ちていて、かすかに湯気が立っている。猪の糞だろうか・・・。しかもまだ温かいということはこの辺りにいるのかも。猪と遭遇したらどうすればいいんだろう・・・。真季は思わず身震いする。龍太は龍太で海と勝手の違う山に汗をかきながら困惑気味。海に潜るとそこは音のない静かな世界。山は音で満ちている。木が揺れ、鳥が鳴き、虫が動く。目に見えない無数の気配に周りを取り囲まれている気分になる。そんなことを考えていたら、近くの木陰にいた小鳥が人間の気配を感じ取って飛び立ち、その音の大きさに真季も龍太も一瞬身をすくめる。二人の頭皮から一筋の汗がつーっと頬に向かって流れ落ちる。

 まだ太陽は高いところにあるのに、山の中は暗い。生い茂る木々が太陽の光を遮断してしまい、二人の近くにまで届かない。一度音が気になると、どんな小さな音にも反応してしまう。通り過ぎたあの猪の糞かもしれない物が頭の中でちらつく。頼むからあの糞をした生物はどこか遠くに行っていて欲しいと思う。足を進める度に少しずつ息があがっていく。山の一歩一歩が重たい。龍太がちょうど竹やぶの脇を通った後、少し日の光が入ってくる。真季の顔にほんのりと陽が当たる。その温かさに緊張していた表情がほっとして少し緩む。こわばった思考が若干ほぐれて真季はふと思い立った提案を龍太にしてみる。

 「ねえ、とりあえずこの登山道をあがってまずは頂上まで行ってみない?」

 蛇を見つけるのも大切だけど、まずはこの山の全容を知っておくことが大事なんじゃないかと真季は考えた。泡盛の一升瓶を脇に抱えながら歩く龍太は真季の提案に特に異論なく頷いた。そして八雲山の頂上を目指し、二人無言であがっていく。息遣いと斜面を踏みしめる足音だけがあたりに響く。山頂まで920メートルと書かれていたから意外にあっさり着くかと思ったけれど、なかなか頂上は見えない。太ももが痛くなる。真季だけじゃない。体が丈夫で体力もある龍太も足を軽く摩る。水泳は得意だけど、山登りは全然別物だと龍太は額に滲む汗の玉を手で拭う。

 立っているだけで下半身に重力が重くのしかかり、斜面を登る足を前に出すのがきつい。海の中では体は浮力で自然と浮くから重力を感じることなんてほとんどないけれど、山登りは体がとにかく重たくなっていく。ジョーにお別れを行って参道を登り始めてからかなりの時間が経った気がするけれど太陽は同じ場所で光っている。スマホを海に落としてしまって時間がわからないけど、まだ山に入って20分くらいかと真季は思う。でも1時間はいる感覚に陥る。時間の観念すらわからなくなる中で二人は頂上を目指す。ついさっきまでは周りの音にとにかく敏感だった二人。でも足を進めていけばいくほど、今度は音が遠くなっていく気がしてきた。徐々に辺りが静寂に包み込まれてシーンとしてくる。二人の額から汗が土の上に落ちる。息が切れる。足を進めど、空が開けてこない。木々が覆い尽くす空間。辺りを見回すが蛇はいない。どれだけ時間が経っただろう・・・。鼻から漏れる息の量が多くなり、足をとめて顔をあげたその時、視線の先が少しだけ開けているのに真季は気づいた。龍太はもくもくと山肌を見つめながら歩いている。

 「龍太、もしかしてもうすぐ頂上じゃない?」と真季が切れ切れの声を漏らす。龍太は立ち止まり顔を上げた。真季の声が薄く辺りに木霊している。確かに空が近づいてきている。龍太は無意識に一つ息を漏らした。頂上が近いとわかると足取りが少しだけ軽くなる。それから二人は100歩程足を進めた。開けた場所に辿りつき、傾斜のない平な地面がそこにはある。

 「頂上だ・・・」と龍太はあがった息を整えながら呟いた。真季は竹でできたベンチを見つけ、そこに座って足を休める。二人の目の前には清々しい絶景が広がる。八雲山頂上はあたりの山々よりも頭一つ高く、八雲山を包み込むようにして小さな山脈が緑色の波を打つ。その向こうにはここに来る途中で海と勘違いした宍道湖が見える。龍太は手で汗を拭き、真季は手を内輪にして顔を仰いだ。竹のベンチは幾つかあり、その一つに龍太も「ああ、疲れた」と腰をおろす。

 八雲山の頂上で雲一つない青空と山のうねり、宍道湖とその向こうに見える日本海を見ていると心の中に風が吹きこんでくる気がする。不思議なほどに気持ちが和み、頭がすーっとする。山を登って乱れた呼吸が落ち着いてくる。海で失った体力、山を登ることでパンパンに張った筋肉、一度ベンチに座ってしまったらもう体は動かない。その動かない体を無理に動かそうとはせずに真季も龍太もこの景色をずっと見ていたいと思った。ただ無心で宍道湖の方角を眺める。二人とも何も言わない。じーっとこの清々しい景色を眺めながら、ここにいる奇跡を思った。沖縄の久高島からサバニで海を渡り、出雲の八雲山の頂上で心に沁みる透き通った景色を今、現在進行形で見ている。これを奇跡と呼ばずして何というのだろう。その想いが二人の心の内側を微かに震わせる。山頂に誰も来る気配はない。邪魔するものがいない静かな場所。カラスが大空を舞っている。一時間だろうか、二時間だろうか。真季と龍太は体力の回復をはかりながら、ただずっと八雲山山頂からの景色を眺め続け、サバニで出雲に辿り着いたミラクルに思いを馳せた。


 空の高い場所にあった太陽が宍道湖の向こうの水平線に向かって高度を下げて赤みを帯びていく色の変化を感じる。夕焼け。ほんのり赤い光が網膜の奥の視神経に血と同じ色を染めた後、二人はゆっくりと伸びをする。体をほぐす。少しだけど気持ちにも体にも力が戻って来る。脳みその中に赤い太陽の残像が残り、同じ色の血が自分達の体の中を流れ続けていることを思う。赤。人間の生命に訴えかける色。その色彩を心の中で溶かして、心の膜にまんべんなく塗り続ける。血管の中を血液が駆け巡り、自分達の生命力はまだ果ててないことを拳を軽く握りしめてみて感じる。大丈夫、ちゃんと生きていると真季は思う。

 龍太は竹作りのベンチから立ち上がる。宍道湖を見る西の方角はまだ赤い光が満ちているけれど、見上げた八雲山山頂の空は赤い光と夜の暗闇が混ざり合う紫色。そして輝き始めた月が黄金の色素を紫に適量足している。

 「さあ、そろそろ蛇を探そう」と龍太が真季に告げ、真季もベンチを立ち上がる。ぎこちない動きだけど体はなんとか動く。龍太は登山道を外れた緩い斜面に向かって歩き、嗅覚が赴くままに生い茂る木々を掻き分けてその中に入っていく。その後ろに真季が続く。夕日の残照に照らされた木々の葉や草はほんのり赤い。そしてその薄い赤が少しずつ闇に溶けていく。真季はリュックの中から大型の懐中電灯を取り出し、明かりをつける。するとその光めがけて無数の虫が飛んで来る。その迫力に思わず真季は身をすくめ、細かく震えながら冷汗をかいた鳥肌浮き上がる手でスイッチをオフにする。

 「もー嫌だあ、これじゃ、せっかくの懐中電灯も使えないじゃない・・・」と真季は泣き出しそうな小声で呟く。龍太はそれを聞きながら空を見上げる。雲がなく、月が隠されることのない素顔のままで夜空に浮かんでいる。

 「月明かりだけでなんとか頑張れるんじゃない?後、星も出て来たし」

 龍太はそう真季を励ましながら、草を掻き分けて、斜面の角度に注意し、一歩一歩足場を確認しながら前に進んだ。龍太が足場を確認しながら進んでくれるから、真季は弟の背中を目印に前に進めば安全。すると突然、「はっ・・」と龍太が驚いた声をあげて立ち止まる。真季の心臓が一瞬止まる。真季は緊張で固まり、恐怖に押しつぶされそうになるが、龍太は「うっそーん、何もありません」とふざける。真季は弟の背中を本気のグーで殴る。だけど、真季の心は少し楽になる。張りつめていたものがすこし緩む。その後、二人は山を掻き分けて蛇を探し続けたが尻尾の影すら見つけられなかった。フクロウが鳴く声が聞こえる中、3時間は探したと思う。そして辺りを一周したのか、八雲山の頂上に戻ってきてしまった。遭難せずに頂上に戻ってこられたことに安心したのか、真季はその場に座り込んでしまう。足がパンパンでもう動かない。龍太も慣れない山の中で額から流れる汗がとまらない。

 「まーきー、ここでちょっと待ってて。竹で作ったベンチがあるということは、この辺りの登山道沿いとかに屋根のある山小屋みたいなのもあるかもしれんさー。ちょっと表登山道を少し降りてみて、見て来る」

 龍太がそう言って歩き出そうとした時、真季は慌てて立ち上がった。山の中で一人にされてたまるもんですか!とムキになる。足はもうカチコチの棒状態で、ぎこちなくしか動かないけれど置いて行かれるのは命に関わるし、そんな怖いことには耐えられない。二人は表登山道を少し降りてみる。すると、登山道のすぐそばに物置きとして利用していそうな山小屋を見つけた。鍵は開いていて、中に入れそう。外で寝てもいいけれど、小屋の中は風がしのげて、温かい。少し臭うが我慢できる範囲内。横になることはできないけれど、物置の荷物に軽く寄りかかって少し眠ることは出来そう。

 「慣れない山で動き回ったからくたくたに疲れたさー。ここで少し眠らせてもらって、また探そう」と語る龍太の言葉にお腹がぐぅぅーっと鳴るバックグラウンドミュージックがつく。龍太はお腹をさすりながら小屋の扉を開けて中に入る。真季も続けて小屋の中に入りながらジョーにもらったおにぎりを思い出す。真季は真っ暗な小屋の中、懐中電灯の光をつけてリュックからおにぎりを取り出し、龍太に一つ渡す。そして真季も一つ手に取って口にする。塩気が効いていて、疲れた体にしみわたるお米。そして、梅干しが入っていて酸っぱいけれど美味しくて、唾がどんどん口に溢れてくる。体がもっと求めている。龍太も真季もおかわりをする。二人ともそれぞれ二つずつおにぎりを頂き、ジョーが持たせてくれた温かい緑茶を水筒からコップに注ぐ。飲むと体が隅々までポカポカしてくる。体が喜んでいる。そして安心している。真季も龍太も小屋の中でほっと息を漏らす。心も体も少し落ち着いた途端に眠くて眠くてしょうがなくなる二人。真季は、水筒を絞めて、リュックの中に戻し、懐中電灯のスイッチを切って、寝息を立て始めた。真季が目を閉じた時には龍太は既に小さないびきをかいていた。













 「・・・・久高島の神の使いよ」




 真季は深い眠りの奥底の夢の中で声を聞く。夢にしては妙に意識に響く声。でも、どうせ夢だから起きれば忘れている筈。疲れた体はもっと深い眠りを欲していた。真季はその声を何かの聞き間違いだと思ってやり過ごして眠り続ける。だけど、その声は続く。



 「よく海を渡って来てくれた。早く私を久高島に連れていっておくれ。助けておくれ」



 その声ははっきりとした口調で真季の意識に訴えかけてきた。見過ごしていい夢じゃないと真季は思わず目を覚ます。少し雨が降っているのか、小屋の屋根に雨粒が弾ける音がぱらぱらと聞こえる。雨音以外は龍太の寝息が少し聞こえるだけで後は山を包み込む沈黙だけがある。もう一度真季は聞こえた声は何かの間違いじゃないかと思う。それほどに辺りは静寂に包まれている。ただ一度完全に目が覚めてしまって眠るに眠れない。それでも体の芯には疲れが溜まっている。もう一度瞼をつぶって、寝ようと努力するとまた声が聞こえる。

 


「こっちに来ておくれ。そこから登山道を降りて山の中腹に大きな岩がある。その岩の後ろを真っすぐに進んで降りてきておくれ」



 真季は声に反応して再び目を開ける。間違いじゃない、何かが呼んでいる。その声から只事ではない切迫感が伝わってきた。真季は隣で寝ている龍太の頬を強くつねって起こそうとするけれど、龍太はしぶとく眠り続ける。仕方ないと思い、みぞおちにパンチを入れる。寝息が一瞬止まり、その後咳き込みながら龍太は目を覚ました。

 「なんねー、まーきー」と龍太は真っ暗闇の中、顔の見えない姉の気配に向かって文句を言う。

 「行くよ、龍太。誰かが私達を呼んでいる。はっきりと声が聞こえたさ」

 真季の言葉のトーンに、龍太は本気だと思った。真季が聞いたなら間違いない。誰かが呼んでいるのだ。龍太はとっさにその場で立ち上がる。小さな小屋の天井に頭をぶつける。目の前に火花が飛び散り、痛みとともに龍太の目は完全に覚める。

 「表登山道を降りた山の中腹に大きな岩があるらしいさ。そこの裏側をどんどん突き進んで降りて来て欲しいって。行くよ。その声は私達が久高から出雲に来たことを知っていたさ」

 小屋の扉を開いて真季はそう言った。外は夜の明け始め。小雨が降っていて、空には雲がかかっている。龍太は真季の言葉を何度か頭の中で繰り返した。

 「私達が久高から出雲に来たことを知っていたさ」

 龍太は思わず聞いたその言葉の意味に絶句する。冷たい汗が握りしめた拳の掌にじわりと滲む。ここに来ることは初めから決められた運命だったのだろうか。それも昨日、今日決められたんじゃなくて、生まれるずっと前から決められていた類いの・・・。そんなことありえるのだろうか・・・と龍太は思い、雨に濡れる真季の横顔を見た。雨が木の葉にあたる音が無数に聞こえる。真季が先頭にたって、登山道を降りて行く。龍太は後を追う。龍太には聞こえない声を聞いた真季には小さい頃から素直についていくことにしている。真季は歯を食いしばりながら筋肉痛の足を前に出して、下り坂を走る。龍太も走る。真季は何度も聞こえた声を思い出す。その声は助けてくれと言った。ならば、急がなくては・・・。そして下っていく途中、細い山道の目の前に茶色い兎が現れた。真季と龍太は慌ててストップする。茶色い兎はしばらく二人の顔を見つめた後、草の向こうに行ってしまった。真季と龍太は一瞬呆気にとられて思考能力が停止してしまったけれど、乱れた息を整えて、また山を降りていく。斜面が終わり、平坦な道になる。登山客が休憩する屋根付きベンチを通り超す。そして前に進んで走っていき、真季は立ち止まった。龍太も立ち止まる。二人とも一瞬息をするのを忘れる。視線の先、左側に苔むした大きな岩がある。それも一つじゃない。一番大きな巨石に寄り添うように一回り小さい岩があり、その二つの岩に守られるように更に小さな岩が一つある。それぞれの岩には細いしめ縄が巻かれて、白い紙を先端につけた棒が岩に貼付けられている。出雲大社でも熊野大社でも似たような白い紙が縄と一緒に添えられていたのを思い出す。稲妻のような形に折られた白い紙。台風と雷が起こる時、そこには龍がいると真季は思っている。ジョーが言っていた・・・しめ縄は蛇を形どったもの。蛇は龍に通じるかも・・・と真季は無意識にイメージを重ねる。この巨石に龍が眠っているのだろうか。龍太が岩の前まで足を進ませて、三つの石を見上げる。すると何だか温かい気持ちになる。なんだろうこの感じと思いながら龍太は石にそっと手を触れる。

 「この三つの石は家族だね。それも温かい家族。こんなに寄り添っている。そして、一番大きな石の持っているこの威厳・・・全てを包み込んでしまうほどの優しさに満ちあふれている」

 龍太は三つの巨石を見つめながら自然と笑顔になる。三つの石が発する柔らかいオーラを全身に受け止めながら石と見つめ合う。真季は龍太のようには、まだ笑えない。何となく恐れ多い恐怖心が先に来る。確かに何か大きな力がここにあるように感じる。そして、その力に包まれている感覚が不思議だけれど懐かしいような気がする。赤ん坊を守るような優しい柔らかさがここにある。真季は木札に書かれた文字を見る。

 「奥宮御祭神 須佐之男命 奇稲田比売命 清之湯山主三名狭漏彦八島野命」

  真季は、木札から一番大きな石に視線を移しながら龍太に向かって語りかける。

 「昨日お参りにいった熊野大社と同じ神様だね。スサノオの王様とその奥様。そしてこの長い名前の神様は誰かわからないけれど、きっとお子さんね。こんなに仲睦まじく寄り添い合っているんだもん。龍太が言うように何か温かいものを感じるかも」

 真季はそこまで語った後、ようやく笑顔になる。恐れ多いものへの緊張感が和らぐ。

 「なるほど、ジョーさんが言っていた出雲王朝を作った初めての王様がこの八雲山には奉られているということか。まーきーと違って俺には霊力ないけど、そのスサノオの王様は今もこの大きな岩に宿っている気がするさ。だって、感じるさー、圧倒的な包み込む力的なものを。この王様に守られて生きた人達はきっと幸せだったんじゃなかったかなーって思うさ。それぐらい大きくて優しいよこの一番大きな石。奥さんの石も離れたくないって寄り添って、子供の石も二人にしっかりと守られている」

 龍太がずっと大きな石を見つめている横顔を真季は見る。龍太が語った言葉に真季は心の中で頷く。そして、夢で聞いた言葉に従うならば、自分達はこの大きな岩の後ろに行かなくてはいけない。真季は龍太に言う。

 「龍太、私達はこの大きな家族岩の向こうに行かなきゃいけない訳さ。普通は絶対入ってはいけない神様の領域に行くんだから、ちゃんと手を合わせてお祈りして」

 真季は手をあわせて、心の中で祈りの言葉を家族岩に向かって伝える。

 (大変失礼に当たるのは重々承知しておりますが、この向こうから助けを求める声が聞こえました。どうか、後ろの世界に行かせてください)

 真季は祈りを終えて、龍太を見る。目をつぶって手をあわせ祈りを捧げていた龍太も真季に遅れること10秒ほどして祈りを終えた。

 「出来る限り、この家族岩の神様のお邪魔にならないように遠回りしてから後ろの世界に行く」

 「わかってるさー、そんなこと。俺だって行儀悪いって神様に怒られたくないさ」

 言葉をかわしながら、真季と龍太は三つの岩を遠く回り込むようにして走る。家族岩から少し離れたところに社務所と書かれた木製の小屋があってその前を回り込むと岩の後ろに出る。人が登っていける微かな登山道のようなものが見えるけれど、聞こえた声は登るのではなくて降りてきて欲しいと言っていた。巨石の後ろで一度立ち止まる真季と龍太。石の前と後ろで空気感が変わる。真季の皮膚に一瞬鳥肌が立ち、龍太は微かな気圧の違いを感じ鼓膜が痛んだ。二人はその違和感に戸惑う。静けさだけがそこにある。聞こえるのは自分の呼吸音だけ。立ちすくんでいると山の上の方から透き通る風が吹いてきて二人を包み込む。その空気を吸い込むと鼻の奥から脳に清涼感が抜けていき、感じた違和感は溶けるようにしてなくなった。目の前には薄らと霧がかかる。そして霧の向こうは木々が生い茂る山肌。道はない。人が入ってくるのを拒んでいるかのような木々の枝。真季はその霧の向こうに足を一歩踏み出す。木の枝を掻き分けながら真季は意を決して緩やかに山を下って行く。龍太は真季の後に続く。雨脚が少し強くなってきた。髪の毛が濡れて、目に張り付くのを煩わしいと思いながら真季は足場を確認して山を降りていく。二人は木の枝を掻き分けながら、時に木の枝に捕まりながら人が入った形跡のないありのままの自然を進んでいく。真季は何かを感じ続ける。でも、転ばないように細心の注意を払いながら山の斜面を降りれど降りれど、なかなかその何かまではまだ辿り着かない。進めば進む程に今度は草深くなる。人が歩いた形跡は感じられない。二人は草を掻き分けながら、木をよけて、獣道のような小動物が一匹程通れそうな細い道を見つけては降りて行く。30分程降り続けただろうか・・・まだ獣道は続いて行く。この山、そんなに大きくない気がしていたけれどいつまで経っても山を降りきらない。獣道は続いて行く。掻き分けた草に当たる雨が強くなる。

 真季も龍太も一度立ち止まり、空を見あげる。いつの間にか雨雲が空を覆い尽くしていた。一ミリの隙間も見えない。真季は空の上の雲の中に龍がいて、こちらを見ているような気がした。そしてゴロゴロと雲が鳴る。次の瞬間、空に微かな閃光が走る。弾けるような光を目にして真季は怖くて一瞬しゃがみこむ。龍太もとっさに両手で頭を守るような仕草を取る。体が反射的に動いてしまう。雷がどこか遠くに落ちた音がして、被害に遭わなかったことに安心しながら真季は立ち上がる。心臓の鼓動は早くなり続ける。ゴロゴロと雨雲が鳴る音はだんだん大きくなる。稲光がその雨雲のうめくような音と一緒に強くなり、空を裂くようにしてあちこちで光る。雨の勢いは強くなるばかり。龍太は大きな雨雲を見上げながら、雲から落ちてくる無数の雨に打たれ続けながら呟く。

 「これが雲いづる国、出雲・・・」


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