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【洗い髪たれ遊び】⑨

 結局真季と龍太が乗ったサバニを沖縄本島南の海域では見つけることができなかった。探せるところは全て探したのに・・・ため息が漏れる糸満漁師達の憂さ晴らし。夜のネオン街、宮古美人達との宴は前後不覚になるほどの大騒ぎ。飲めや歌えや三線ひけや。記憶を失う程に糸満漁師達は酔いつぶれ、なんとかタクシーを呼んで漁港に繋いだ自分達の船に戻っては日の出を拝む。どれだけ船酔いしても吐かない漁師達が、漁船に戻った瞬間海に吐く。胃から熱いアルコールが逆流してきて、美味しく頂いた宮古牛も結果小魚の餌になる。酔い潰れて船の中で眠る漁師達は夕方まで起きてこなかった。竜宮城に行った帰りはいつもこう。離島近くまで漁に出た時の唯一の楽しみは立ち寄る島の美人とお酒。ヤギは夕方目を覚ます。右のこめかみあたりをさすりながら、漁港に充満する海の匂いを嗅ぐ。大きく開いた鼻の穴の奥に微かな台風の匂いが通ってくる。二日酔いの頭痛を抱えながら慌てて起き上がり、すぐに皆を叩き起こす。

 「糸満に帰るぞ、臭い」とヤギが大声で叫び、皆はバタバタと同じように酒が抜け切らない頭を起こしては帰り支度を始める。ヤギが臭いという時は台風が太平洋のどこかで間違いなく大きくなっている。不思議な嗅覚。海の匂いがわかる漁師ヤギ。あっという間に日が暮れて辺りは夜の闇に覆われる。漁船団は次々とライトをつける。整備の整った漁船は夜の航海をものともしない。むしろ夜の方が魚が穫れたりする。GPSを駆使して船を北へと走らせながらヤギと糸満漁師達は真季と龍太の行方を案じる。台風が北上してくる。沖縄本島南はすべての小魚が網にかかるほどに探した。でも見つけられなかった。ということは、二人はきっと北を目指している。台風が沖縄本島北部海域まで行くにはまだ時間がかかるだろう。でも、これから海が荒れてくる。ヤギは目を閉じる。今ここにいる連中を荒れた海に出航させる訳にはいかない。沖縄本島より北に船を出せるだけの時間がない。糸満漁港に戻って、台風対策をして時間は終わってしまう。そこでタイムオーバー。なぜ初めから北側を探さなかったのかと自分を責めるヤギ。でも、エンジンのついていない木の舟であの短時間に沖縄本島北端の辺戸岬より先にいるとは思えなかった・・・。漁船の眩しい明かりに目が慣れて、真っ暗な夜空にある筈の星は見えない。ため息が漏れる。

 「どうか、台風が過ぎるのを待つ事のできるどこかの島にサバニをあげて、雨と風をよけながら無事でいてくれ」とヤギと糸満漁師達は痛切に思い、同じような言葉を皆呟く。二人を見つけられなかった後悔の気持ちが船のおもりになる。糸満まで一刻も早く戻ろうと思うのに船のスピードはあがらない。「どうか二人をお守りください」と糸満漁師達は海の神様に手を合わせる。


 夕暮れの向こうに少しずつ星が輝き始めている。太は安座真港へ車を走らせながら、その星にすがるようにして心の中で祈る。祈ることしかできない現実が目の前にある。自分の力ではどうにもならない。そして太は祈るということについて想いを馳せる。通信機器も何もない、祈ることしかできなかった時代。旅に出た愛する人、戦に出た愛する人、海に出た愛する人達にどうか無事に帰ってきて・・・と願う気持ちはどれ程狂おしいものだったのだろうか。世界中どこにいても電波の繋がる場所なら顔と顔を見て話せるスマホはまだ世の中に現れて10年も経っていないだろう。便利だと思っていた文明が使い物にならなくなった時、苦しい程に人間は無力な自分達を思い知る。真季と龍太は現代文明の外の世界に行ってしまった。繋がる術がない・・・。遠い遠い昔、私達のご先祖様達はどうやって生きていたんだろう。守られすぎている現代人。剥き出しの生存本能がなければ生き残れない世界で愛しい人と繋がっていたいという古代の人達の気持ちは、通信機器が発達した21世紀の人間には想像がつかないくらいに強かった筈。愛する人達の安全を願う祈り。それはこの地球上で最も純粋な人間の想いだったかもしれない。そして太と月子は現代においてその想いの純度をあげていく。心にあるのは真季と龍太の安全を願う不純物が入る余地のない気持ち。

 安座真港へ向かう道は空いていて前を行く車もいなければ、対向車とも一度もすれ違わない。月子が倒れて、自分も体調不良ということで役所を今日は休ませてもらった。皆、理解してくれる。愛する子供達が自分の目の前から消えた太の境遇を。もし仮に自分達にそんな悲劇が起きたら正気を保てるだろうか・・・と自分達の人生に重ねあわせた上で理解してくれる。とても正気を保っていられないと子供を持つ親達は想像する。どうかその不幸が自分の家族に降り掛からないようにと願いながら、家に帰ったら厳しくも優しい愛情を子供達に注ごうと皆改めて思う。家に帰っても子供達がいない哀れな人間に向けられた同情以外の何ものでもないけれど、そんな職場の同僚からの同情は人間がもつ優しさから来るものだと太は痛い程わかっている。悲惨な境遇の自分に卑屈になって優しくしてくれる人を逆恨みしてはいけないのはもちろんのこと・・・。その優しさに甘えながら太は家族を守らなきゃいけない現実と向き合わなければと車のアクセルを踏む。月子は助手席で疲弊した顔で眠っている。


 安座真港から最終便のフェリーで徳仁港に着き、鶴子おばあの家にかろうじて辿り着く太と月子。鶴子おばあの顔を見た瞬間、玄関で二人とも腰が抜ける。今まで張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れた。そんな二人の目を鶴子おばあは覗き込む。

 「腐った魚みたいな目をしている」と呆れながら言い放つ。そんなか弱い二人を見て鶴子おばあは深いため息をつく。鶴子おばあは寅也おじいが海に出る度に無事に帰ってきてほしいと願いながら肝っ玉を鍛え続けて来た昔の海の男の女房。自分の息子とその嫁のだらしなさを笑うしかない。

 「親馬鹿さーね。自分達親がいないと真季と龍太が生きていけないと思っているさー」

 鶴子おばあはそう語りかけ、昔のことを思い出しながら太の顔を覗き込み、そして頭の上に軽く手を置いた。「お母さんがほっといても太はこんなに立派に大きくなったさ」と笑う。

 確かに太は漁に出続ける父親寅也の傍らで一日中家事をして畑仕事をして寅也が穫ってくる魚を処理して働き続けている母の姿しか記憶にない。さすがに鮫の解体は男達がやっていたけれど、母はずっと働き続けていた。構ってもらったことなんて記憶にない。だからたまに遊んでもらえると心から嬉しかったのを覚えている。どちらかというとかなりほっとかれていた子供だった。でも両親の働く姿を見て、色々なものを感じて、考えて、悩んで自分は自然に大人になったと太は思う。鶴子おばあは息子の太の表情を見て、何を思っているかすぐにわかる。「そういうことさ」とだけ太に言う。真季と龍太は自分の命を簡単に手放すほど弱くない。今まさに大自然と闘っている筈。必死にもがいている。自分達で生き残るための道を探している。自分の手から離れて行く子供が無事でいて欲しいと願う気持ちは世界中の親の気持ち。その苦しい祈りに耐えることで子離れできる。そして子供は親離れする。それが親にとっても子供にとっても正しい生命の成長の過程。鶴子おばあが言葉にしない言葉を理解する太と月子。それを思った月子は自分を少し鼻で笑った。体の中に少し暖かみが戻ってくる。昔のことを思い出す。確かにいつまでも少女だと思っていたのに、自分でも驚いてしまうけれど、いつの間にか母親になっている。大人になる訓練なんてしたことないのに・・・。真季も龍太ももう赤ちゃんじゃないのだ。親馬鹿と言われて正気を取り戻した。太と月子の瞳に精気が微かに戻ってくる。

 「大丈夫、信じなさい。真季と龍太はこの世界のどこかで生きているって。そして祈り続けなさい、いつか戻ってきてくれるって、信じられないくらい逞しくなって」


 横当島海域からはしっかりと宝島が見える。あの島が対馬海流に乗る前の最後の島だと思うとここまで来られたことに少し感動してしまう真季。龍太は相変わらず脳天気に鼻歌を歌いながらサバニを漕いでいる。宝島、なんで宝島という名前なんだろう?と真季は思う。もしかして昔の海賊が隠した財宝が眠っていたりして・・・なんてむふふな妄想を少しだけしてしまう。大きなダイヤモンドの指輪をしている自分を思い描いてみたり、山ほどある金貨に埋もれてみたり。妄想遊びでにたにた笑っている真季と違って、龍太の鼻歌の調子があまり良くない。幾つもの雨雲がこの海域を流れては空が黒ずみ始めている。太陽の光が届かない海もまたどす黒い色をしている。濁っているようにすら見える。波は荒く、風も強い。龍太はその気象条件を本能的に嫌がっている。いつもの脳天気な龍太には変わりないけれど瞳の奥が緊張しているのを真季は感じ取る。ただこれまでの道のりで少しずつ真季も龍太も海で生き抜く胆力が養われてきている。海が怖いものと本能で理解しながらも、いちいち驚かない。真季は空を見上げる。風が気まぐれに向きを変える。海風にさらされてすぐに龍太のパンツは乾いた。龍太は背伸びして帆柱からパンツを降ろして、スポーツバックの中にしまって真っ赤な帆をあげた。ばたばたと帆が風になびく。そして追い風を捕まえて宝島目指して30分ほど真っすぐに進んだけれど、今度は向かい風に変わった。龍太は急ぎ帆を降ろす。そして真季と龍太の人力で頑張ってサバニを漕ぐけれど中々前に進まない。潮は宝島に向かっている。でも風が逆向き。しばらくはこのあたりで行ったり来たりするのだろうと思い、風がもう一度追い風に変わるまでご飯になる魚を穫りに行こうと龍太は思った。昨日はろくなものを食べてない。お腹が空きすぎて頭がクラクラする。龍太は、漁師道具の中から水中眼鏡であるミーカガンを取り出して装着し、一番大きな銛を持って海に飛び込む。ザブーンと大きな音が鳴って水しぶきが真季の顔にかかった。真季は海の中を覗き込む。でも暗い。太陽の光が届かないとこんなにも視界が効かないのかと思う。龍太はその暗い海を見渡しながら目をこらす。視界が効かないからこの状態で魚を穫るのは無理かなと思った瞬間、目の前を30キロ越えのカンパチが泳いでいった。(あっ・・)と龍太は思うがカンパチは既に見通しの悪い視界の向こうに消えてしまった。さすがと思う。龍太は海の中で腕組みをしながらそう思う。龍太が今まで浅瀬で見てきた魚と違って大物はスピードが格段に違う。この海域で魚を穫るのは大変だと改めて知る。ここは小魚が平和に暮らせるぬるい環境じゃない。海の中の生態系の上位を我が物顔で君臨する大物ばかり。そんなことを思っていたらすぐに巨大な真ハタが龍太の足の下を通った。更に視界の届くギリギリをマグロが数十匹群れになって泳いでいった。龍太は海の中で冷や汗をかく。格が違う。これが本気の海だ。龍太が学校さぼって糸満の防波堤から飛び込んで遊んでいた海とは違う。一度息継ぎのためにサバニが浮いている水面へと上がる。上がる途中に信じられないくらい大きなアジとクエを手の届かないところに見た。龍太は苦笑いするしかない。今まで俺が知っていたつもりの海はなんだったんだと・・・。

 「どう、龍太?」と真季が聞くと海に潜る前の龍太の瞳に浮いていた調子ズレした濁りは消えていた。新たな海の表情を見て自然と龍太の目が輝いている。言葉で表現できる世界じゃない。龍太はもっとこの海を感じたいという衝動を抑えられずにいる。海面に顔を出して数分しっかりと深呼吸して肺に空気をためた龍太。楽しそうにもう一度龍太は海に潜った。濁りがきつい。さっきよりもより視界が効かない。魚影が見える。こちらに向かってくる。マグロかカンパチかハタかクエかアジか?どんな魚でも仕留めてやると思って待ち構えていると・・・・まさかの2メートルを越える鮫がすぐ目の前にやってきた。


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