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【洗い髪たれ遊び】⑥

 真季と龍太は冷たい汗をかく・・・。距離を稼ごうとして与論島には立ち寄らずそのまま沖永良部島を目指したけれど、目測を誤ったことに遅ればせながら気づく。地図帳では近いと思ったけれど、やっぱり遠かった・・・。いつの間にか太陽が海の向こう側に行ってしまった時は本気で焦って、初めての夜間航海に緊張したが、沖永良部島に人が暮らしている電気の明かりが微かに見えていたのでそれを目指すことでなんとかたどり着けた。それでも日が暮れてから島の微かな灯りを頼りに4時間近くサバニを漕いだだろうか・・・。真季も龍太も背中にびっしり汗をかく。島の民家の灯りが灯台になって目印が合ったから夜間航海と呼ぶには大袈裟になるかもしれない。ただ、これが電気のない時代だったらと思うとお腹のあたりに寒気が走って肝が冷たくかたまりかけた真季と龍太。息絶え絶えに島の海岸に辿り着いた二人は雲に隠れた薄い月明かりをたよりにサバニを砂浜にあげる。そして、休む間もなくすぐに近くの木や草が生い茂る場所から小枝や雑草を拾って、火を炊く用意をする。日の出から海にいて、疲労とともに汗で失った水分の欠如で軽い眩暈と寒気を感じる二人は小さな火種が燃え上がりはじめるとほっとした。火のぬくもりを感じながら、今朝海で穫ったミーバイを焼いて食べる。真季は緊張感から解放されて、大きなため息を一つついた後、「おいしい」と呟きながら魚の身を何度も奥歯で噛み締める。龍太も火の温かさと夜ご飯に緊張がほぐれて気持ちが安心する。そして、食後二人が一息つきながら後片付けをしている時、たき火の炎がほんのり照らす海岸に10匹ほどのウミガメがあがってきた。「龍太」と小声で気づいてないかもしれない鈍感な弟に真季は声をかけるが、もちろん龍太も気づいている。ウミガメが月明かりの下で産卵している。真季と龍太は産卵の邪魔にならないように黙り込んでは身動き一つしない。人間がここにいることを知るとウミガメの産卵がうまくいかないかもしれない。けれど、ウミガメ達は離れた場所にある火を見ても驚いたそぶりがないので大丈夫かもしれないと二人は思う。真季と龍太はたき火の前に腰をおろしたまま、ウミガメの産卵をじっと見つめ続けた。テレビを通じて知る世界ではない。そこに生ライブがある。剥き出しの生命の営み。自然が見せてくれる最高のエンターテイメントかもしれない。


 ウミガメの産卵ショーを見た後、いつものように帆柱を外してサバニの上に帆をかけてテント状態にして眠った二人。その屋根に雨が当たる音がする。夢だろうか、それとも本当に雨が降っているのだろうか。龍太の意識は眠たさのあまりその雨音をやり過ごしたがる。でも確かにぽつ、ぽつっと聞こえて来る。どれくらい眠っただろう。まだ空は真っ暗。雨に濡れたら帆は重たくなり風を掴めなくなると龍太は考え始め、徐々に意識をはっきりさせていく。そして帆にしみこんだ雨が水滴となり龍太のおでこに当たった瞬間、龍太は慌てて起きあがった。急いで帆を畳んで、岩陰の雨のあたらない場所に置く。雨に濡れて真季も目を覚ます。真季が起き上がると、「まーきー、すぐそばの岩陰に小さな洞窟があるからこっち来て。ここなら雨に濡れない」と龍太が呼ぶ。龍太の声は聞こえるけれど、辺りが真っ暗で何も見えない。真季はゴミ袋に入れた荷物に雨があたる音を聞いて、びしょびしょに濡れてしまわないか気にしながらも、このままここにいたら風邪を引くと思い、龍太が探してくれた雨宿りできる場所に行こうとする。

 「龍太、どこ?」

 「こっち、こっち」と声が聞こえるけれど龍太は見えない。なんとなく声のする方向はわかる。でも真っ暗で怖い。雨に濡れながら躊躇している真季。どうにかしないと取り返しのつかない程に濡れてしまうと思った瞬間に「あっ」と声を出し、真季はゴミ袋に入れた自分のスポーツバックを漁る。小型の懐中電灯を持ってきた筈。手探りの末、懐中電灯を手にした真季は灯りをつけて自分のスポーツバックをもう一度しっかりとビニール袋に入れて雨がしみこまないのを目で確認する。そして懐中電灯片手にサバニを降りて龍太の声のする方向へ向かった。

 「龍太、どこ?」と真季は暗闇を小さな灯りとともに手で探りながら前へ進む。

 「こっち、こっち」と龍太の声。

 とにかく声の聞こえる方向に向けて恐る恐る足を踏み出すと真っ暗な世界に火の玉が浮かんでいるのを見つけた。妖怪かと思って身をすくめてしまうけれど、それは龍太が100円ライターを点火してこっちに合図している火だった。真季は龍太に呼び込まれるままに小さな洞窟に入った。雨は洞窟の中までは入ってこず、風をしのげる穴の内側はとても温かかった。その洞窟は入り口こそ狭かったけれど中に入ってみると意外に広い。穴の奥から風が吹いて来る音も聞こえる。

 「まーきー、この洞窟、結構奥が深いよ」と龍太はライターで暗闇を照らしながら興味深そうに呟く。声が反響する。龍太の表情に火の影がちらつき、真季は肝試しのお化けに話しかけられている気分になる。

 「まさか、奥に行きたいとか言うんじゃないでしょうね、あんた?変な考えやめて雨がやむまでここでおとなしくしていようよ」と真季はか細い声で龍太に確認する。龍太は真季の消え入るような言葉を聞いて笑う。その笑った顔が100円ライターの炎に揺らめいて幽霊の微笑みに見える。

 「じゃあ、まーきーだけここにいればいいさー。ここにいたら安全さー」

 龍太が洞窟の奥に行こうとするので、真季は慌ててついていく。一人にされたくない。龍太の肩に手を置きながら、懐中電灯で前を照らす真季。

 「あんた、私置いて行ったら殺すよ」と真季は震えながら話かける。

 「はいはい」と余裕の龍太。なんでこんなに神経の図太い男が自分の弟なんだろうと泣きたくなる真季。そして真季の照らすライトの先を目指してどんどん奥に進んでいく二人。ぽたぽた水のしたたる音があちこちから聞こえ、洞窟の中に反響する。懐中電灯の灯りのあたる先はつららのような、石みたいなものが無数に天井から垂れている。

 「これって、もしかして鍾乳洞?」と真季は気づく。

 「鍾乳洞って何?」と龍太は続く。しかし、真季はうまく答えられない。真季にもうまく説明できないことがこの世にあることに笑顔になる龍太。暗闇の中のその笑顔がまた気味が悪いと思う真季。そして龍太が無言で真季から懐中電灯を奪う。「ひっ」と声を思わずだしてしまう。気味の悪い幽霊龍太が洞窟の隅々まで順に灯りを照らす。当たり一面ガジュマルの樹の根っこのような、雪のつららみたいな石が洞窟の天井から伸びてきて、洞窟内の池のような青い水たまりに一滴一滴水を落とす。その光景を見て、「なんだか、根っこの国に来ちゃったみたいじゃない?」と龍太は笑う。真季もたしかに地底深く張り巡らされた根っこだらけの世界に潜り込んでしまった錯覚に陥る。根っこの国という幼い表現が真季の目の前にいる弟から気味の悪さをなくさせる。今いる場所が肝試しの世界観からおとぎ話の一ページに様変わりする。

 「確かに根っこの国だね」と真季も笑った。そして怖さが消えた真季の舌は軽くなる。

 「でも、沖縄も昔からガマっていう洞窟が無数にあって、遠い昔は家をたてるわけじゃなくて、人間は集団でガマに住んでたって聞いた事ある。沖縄戦の時は、米軍から隠れるために皆、ガマに逃げ込んだ。だから、もしかしたらこんなに大きな鍾乳洞は、古代は超高級住宅地かもしれんねー。最近立った那覇の新都心のタワーマンションみたいなものかな、原始時代とかその辺の。だから、ここ家賃、超高い筈よ。古代にお金はなかっただろうけど」

 「ふーん、さすが、まーきー。何でも知ってるさ。確かにガマの中にいたら台風とか来ても家壊れなくていいさーね」

 そんな会話をしながら二人は鍾乳洞の世界を堪能して小冒険を終えた。来た道を戻って洞窟の入り口まで来るとまだ空は暗かった。まだ朝が来ていないことに安心して二人は洞窟の壁にもたれかかり、日の出まで少し眠った。洞窟の外から聞こえる雨音はこの場所に逃げ込んで来た頃よりは小さくなっている。真季と龍太は静かな雨の音を聞きながら根っこの国の入り口で寝息を立てる。


 微かな光が洞窟の中に差し込んで来る。真季は目を覚まし、光を見つめる。洞窟から出てみると太陽はなかなか高いところにあった。寝過ごしたと真季は思う。薄い雨雲が太陽を隠し、小雨はまだ降っていた。疲れているのだろう、龍太はまだ寝ている。昨日は航海が始まってからもっとも長い距離を進んで来た。寝かせてあげようと思い、そっとしておく。それにしてもお腹が空いた。喉も乾く。サバニに戻ると蒸留水を入れるビンの蓋が空いている。そこから雨水が入ったのだろう、少し飲料水の量が増えている。龍太がサバニを離れる際に気を配ったに違いない。社会で通用する一般常識レベルの教養を持ち合わせていない馬鹿な弟が海に出ると抜け目のない天才に思える。よく考えたら雨は水なのだ。シンプルに考えると飲み水が空からたくさん降って来る。それを溜めない手はない。なんだか現代社会に住んでいて蛇口をひねると水が出てくるのが当たり前だとそんな感覚すら忘れてしまっている。真季は大きなビンを少し傾けて漁師道具に混ざっていた小さなコップに水を注いで飲む。おいしい。水道水もミネラルウォーターもすぐ手に入る環境でこの瞬間を生きていない事実。でも、本当は長い人間の歴史から見たら、これが普通のことだったんだろうと真季は思う。そう考えると生きるということはとても大変なことだと改めて実感する。

 龍太が物音に気づいたのか目を覚ましてあくびをしながらサバニに向かって歩いて来る。真季は「おはよう」と龍太に声をかける。龍太は脇にサバニの帆を抱えながら、もう一度大きなあくびをして、「おはよう」と真季に返す。そして、目を擦りながら眠気がまだ残る目で海を見て、空を見る。龍太は瞬きを繰り返す。目に映る小雨は気にならない程度だけど、この航海をはじめてから一番波が高いかもと龍太は思った。この波では遠くまでは行けないけれど目の前に見えている徳之島まではなんとか今日中にたどり着きたい。その気持ちを真季に伝えると、真季は黙って頷く。今までが順調過ぎて、いつか海が荒れるのはここまで来る途中に覚悟していた。小雨は霧雨に変わる。真季はずっと思っていたことを龍太に伝える。

 「ねー、龍太。私もサバニ漕ぎたい」

 ずっと弟が一本のエークで右舷と左舷から交互に海をかいてくれていた。でも二人で漕げばきっとあの高い波も超えられる。エークはサバニに6本積んであるから真季が使う分もある。真季の申し出を龍太は笑顔で受け止めて、サバニからエークを一本取って、真季に渡す。

 「漕ぎ方はずっと見ていたからわかる。だから、どうして欲しいか指示して」

 真季のその言葉に向かって満面の笑顔で龍太は親指を立てる。二人でサバニを小さな台車に乗せて、海まで押す。この作業にはだいぶ慣れてきた。サバニを海に浮かせた瞬間、今日は打ち寄せる波も強ければ、沖への引き潮も強くてサバニが一気に走り出す。龍太は慌てて真季をサバニに押し込み、自分も台車を抱えてサバニに飛び乗る。引き潮に上手く乗れたおかげで沖の手前までは出られるけれど、今度は大きな波が打ち寄せてきて、崩れた波が白く泡立ちながらサバニめがけてぶつかってくる。無情にもサバニは岸に向かって押し戻される。波が崩れるポイントの向こう側にいかなければ、いつまで経っても沖には出られない。徳之島へは辿りつかない。外洋からのうねりが陸に近づくほど海底は浅くなる。浅い海底に持ち上げられた海水は山となって崩れる。波立つ場所の向こうは深い海。そこまでいけば波に押し戻されることはない。うねりのタイミングを見計らって、波が崩れる前に向こう側に行きたい。真季は龍太の動きを感じる努力をする。龍太は迫り来る波を真っすぐに見つめながら「まーきー、右側を漕いでくれる?タイミングあわせよーね」と言ってから、「てぃーち、たーち、みーちのリズムで」と指示をする。龍太はリズムを取るために「てぃーち、たーち、みーち、てぃーち、たーち、みーち」と声を張り上げる。真季は必死にそのリズムにあわせてエークを海に突き刺して、水を後ろに押し返す。10回連続で漕いだら、肩と背中と二の腕が痛くなった。龍太が真季を励ます。

 「まーきー、頑張って。波越えたら休もうねー」

 リズムをかけつづける龍太。3度トライしたけど、次々に迫り来るうねりが波になって崩れては押し戻される。根気よくチャレンジを繰り返すしかない。それ以外に出来ることは何一つない・・・。そして7度目のトライでうねりが山となり崩れる前にサバニを漕ぎきることができる。うねりが膨らむ際に山の斜面をあがっていく感覚。ピークを越えると急な斜面を真っ逆さまに落ちるようにして波を越えた。一瞬宙に浮く。真季は思わず体を小さくする。その1秒後に波が崩れる音がサバニの後ろから聞こえてきた。真季は波を越えたことに安心して手をとめそうになるが、龍太がリズムを取り続ける。その声につられるようにして真季はサバニを漕ぎ続ける。前を見ると次のうねりが入ってくる。とにかくこの海域を越えてしばらく先まで行かないといつまで経っても波しぶきに翻弄されることを身をもって知った真季は力を振り絞った。そしてなんとか沖に出ると真季は「疲れたー」とサバニの上で崩れる。龍太はそんな真季を見て笑う。「休んだらいいさー」と真季の頑張りを讃える。ただ、沖に出て、海底が深いところまで来たので崩れる波にはならないがうねりが大きいため、サバニは上下に揺れた。うねりに持ち上げられて、そして突き落とされる。その繰り返し。真季はサバニの舟底に横になったまま、「気持ち悪くなってきた・・・」とつぶやいた。無理もない。海に慣れている筈の龍太ですら眩暈がする。荒れた海の怖さを知る。上下に激しい揺れを繰り返しながら、龍太はなんとか目の前にある徳之島に向かう風を探す。脳内の平衡感覚を海の破天荒な動きで完全に破壊される。龍太もサバニの中でうずくまりかける。荒れた海のど真ん中で何をしていいのかわからなくなり、龍太は軽いパニックに落ちかかりかける。その時、強い風が吹く。風は巻いているけれど徳之島方面に向かっていると龍太は直感的に感じた。思わず帆をあげる。そして、帆をあげた縄をしっかりと握りしめる。風に巻かれて帆が左右に激しく揺れるが、それを抑え込むと真っすぐに徳之島への風を掴むことができた。相変わらずうねりは高く、海の山をのぼっては落ちるの繰り返し。お願い、このまま風よ、吹き続けてと・・龍太は祈り続ける。祈りのせいではないだろが、風は勢いを強める。それにつれて海も荒れるが「海の神様、助けてください・・・」と何度も心の中で繰り返し祈り続けた龍太はなんとか徳之島の浜辺までサバニをつけた。陸にあがった途端、龍太は胃液を吐く。真季も同じくサバニの中で横になって倒れながら胃液を吐いていた。これが海だと龍太は思う。自然の圧倒的な力だと思う。気持ち悪すぎて、何かを食べる気にすらならない。吐いた胃液分だけ水分を少し取る。浜辺の木陰にサバニを隠し、二人は気絶するようにして眠る。海と違って地面が揺れないことが心の底から嬉しい。


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