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【洗い髪たれ遊び】④

 子供達がいなくなってから三日目の朝、フィリピンの東の近海に熱帯低気圧ができたというニュースが流れる。体調不良で一日休みを取ったけれど、その後は太も月子もどうしていいかわからないままだが仕事に行き、日常生活を続ける最大限の努力をしている。ただ体の中からマブイ(魂)が落ちてしまっているのが自分自身でわかる。今の自分達は中身のない抜け殻。生きている実感がない。そこに熱帯低気圧が発生したと聞く。うちなんちゅーが熱帯低気圧と聞いて真っ先に思い浮かべること、それは・・・・「台風が来る」。なんとか普通の生活を送ろうとする二人の脳裏に黒い雲の影がちらつく。急激な気圧の変化の予兆を本能的に感じて、頭蓋骨が握りつぶされるような激しい頭痛に襲われる。太も月子も思わずこめかみを抑える。そして、真季と龍太が家出したという噂が糸満市内に広がり始める。不自然な噂・・・。真季と龍太を知っている人達は皆思う、あの二人は家出するような子供ではない。両親が厳しくも温かい愛情を二人に注ぎ続けてきたのを知っているからこそ、疑いもなくそう思う。何かがおかしい。噂を聞いた人達の心には違和感しか残らない。糸満ハーレーで龍太をスカウトしてクンヌカセーのレースに出場するチームの糸満漁師達も腑に落ちない。

 「龍太は理由なく家出するような奴じゃない」と皆が口々に言う。気は荒いが人が困っているのを黙って見てられない糸満人。ましてや仲間の龍太が行方不明とあれば糸満の名前とメンツにかけてもあいつを探し出して無事に保護しなくてはいけないという人情が心の中に溢れ出す。せっかちの漁師達はいてもたってもいられなくなってソワソワし始める。龍太が所属するハーレーチームの代表ヤギが漁師仲間に言う。

 「沖縄本島は海の大きさに比べればとっても小さな島さー。そしてうちなーは誰かと誰かが必ず友達の友達の友達とかさ。うちなーは田舎だから、噂はすぐに広がる。誰かがどこかで二人を見ている筈さー。だから探せば、きっと見つけ出せる。皆、知り合い全員に連絡取って龍太とまーきー見なかったか情報集めてくれ。必要があれば米軍基地の中まで、軍人と結婚したねーちゃん達にお願いして探しにいくぞ」

 ハーレーに関わるメンバー、糸満漁港の漁師達、そして真季と龍太の友達達が捜索活動を開始する。太の勤め先である糸満市役所にも、月子のパート先にも噂は広がり、皆が気遣ってくれる。

 「太さん、今年の夏休みまだ取ってないさー。いつも頑張ってくれているから今年はこれから少し長めにお休み取ってみたら?太さんの仕事のカバーは皆でやるから」

 「月子さん、いつもありがとうね。でも最近顔色悪いからちょっとお医者さんとかユタに診てもらったら?ちょっと休まないと体壊すわよ。マネージャーには皆から最近月子さん調子悪そうって伝えているし、月子さんのシフトのカバーはパートの皆でまわせるようにさっき話し合ってみて大丈夫そうだったから、ちょっと休みなさいよ」

 皆の気遣いで、噂が広まっているんだと知る太と月子。思いやられると、むしろ気丈に振る舞ってしまう島人気質。太も月子も「ありがとうございます。でももう少し頑張れます。必要な時が来たらお休みをください」とだけ伝えて頭を下げた。


 ありがたいことに晴れの日が続いていると龍太は目を覚まして思った。雨の音はしない。海の音に耳を澄ます。荒れる気配すら感じさせない。今日の自然のご機嫌を確認することから一日が始まる。龍太は起き上がっては屋根にした帆を押し上げて畳んだ。日の出より少し早い時間。真季は龍太が作業する物音で目を覚ます。

 「おはよう」と真季はあくびをしながら龍太に声をかけ、「おはよう」と龍太は作業を続けながら返す。二人は朝食にサトウキビをかじる。タコの天日干しはもしもの時の非常食に取っておく。そして、朝日が昇り始めて、龍太はそのあたたかい光を学校で使っていた地図帳に当てながらこれからの航路を考える。今日、沖縄本島を出る予定。真季が少し不安そうに聞く。

 「これからどうするつもりね?」

 龍太は地図帳をじっと見つめながら考える。久高島から海に出る前に何度も何時間も地図帳をじっと見た。地図帳には食堂で食べた沖縄そばの汁やファーストフード店のコーラのシミがいたるところについている。暇さえあれば集中できる場所に行って地図を見ていた。そして気づいたこと。沖縄本島から鹿児島までは大小様々な島がいっぱいある。与論島、沖永良部島、徳之島、奄美大島、喜界島、宝島、小宝島、諏訪之瀬島、中之島、口之島、屋久島、種子島、そして九州本島。視力がずば抜けてよければ、水平線の向こうに島がうっすら見える筈。きっと間違いない。目にうつる次の島を目指してサバニを漕ぎ続けて、辿りついた島で休んでは次の島を目指せば必ず九州まで辿り着ける。海が荒れれば辿り着いた島で待機して、海が静かになるのを待って出航する。素人考えかもしれない。でも龍太の体はうずく。海人のDNAが語りかける、沖縄本島から内地まで行くのは実はそんなに難しくないと。テレビもスマホも何もなかった時代、近眼になる要素が皆無だった古代の海人達の遠くまで見通せる視力は水平線の向こうに琉球弧とよばれる島々が連なる景色が見えていた筈。島を伝って北上していく海の道。九州まで辿りつければ、後は日本列島の岸沿いに海をあがっていけばいい。海や天気が荒れそうならすぐに陸地に寄せて、過ぎるのを待つ。出雲に行く。九州まで辿りつければ、後は熊本や長崎の岸近くをあがっていき、五島列島を抜けて対馬海流に乗る。龍太はそのような航路を頭に描く。難しく考えることはない。この航路はいつでも海から陸地に戻れるから安全な筈。海は安全第一。しかし、それでは時間がかかりすぎる・・・と龍太は同時に考えもする。富おばあに兎を丸呑みした蛇を届けるには、出雲から帰って来る時間も考えなければならないし、探す時間も加えなければ。龍太の脳裏に痩せていく富おばあの様子が思い浮かぶ。九州本島まで島伝いに行く航路は一般道。もっと早い段階で高速道、ハイウェイ対馬海流に乗ることができないかとずっと考えている。島が連なる琉球弧を離れて対馬海流に乗るとすれば、そこにはどこにも立ち寄る島がない大海原を昼夜かかわらず航海しなければならない。生き残る確率よりも命を落とす可能性が高い世界。言うなれば未開の自然が鬱蒼と広がる大きな山に草を刈り取る鎌一本で道を開き頂上まで登ろうとするようなもの。人間を拒む自然がそこにはある。そこに入っていく勇気があるだろうか?龍太は自分に問いかけ続ける。龍太は事前準備で地図帳を見ながらよだれを垂らして眠ってしまった跡を指しながら真季に言う。

 「とりあえず与論島まで行ってから考えよう。与論までだったら島影を目印にサバニを進めればいいだけだから海の上で迷子になることはないさー」

 真季は龍太が指し示したよだれだらけの与論島と沖縄本島北端辺戸岬の間にある距離を見る。これぐらいの短い距離であれば行けるかもと真季は思う。

 「本当に大丈夫?」と少し安心しながら龍太を試すようにして聞く。

 「これぐらいのちょっちゅねーな短い距離、具志堅さんばりのアフロにするまでもなくガッツがあればなんでもできるOK牧場さ」と龍太は相変わらず調子がいい。調子が良すぎていつも真剣味を感じない男だけれど、弟は必死に恐怖心を押し殺して下手で意味のわからない冗談を言っているんだと察してやる。仕方ない、行くか・・・と真季は思う。そして二人は朝焼けの中、出航準備に取りかかる。


 サバニでの航海三日目。だいぶ波の動きと龍太の呼吸があってきた。真季も浮き輪に体を通しながら、ずっと続いていた軽い船酔いが消えて頭の中がスッキリしているのを感じる。風を感じて、空を見上げる。雲の流れと太陽の位置を確認する。

 「ねえ、龍太。昨日は運良くタコが取れたから良かったけど、これからは海で魚の影みつけたら、ちょっと潜って魚取って来てよ。じゃないとこのままだと出雲着く前にお腹空きすぎて餓死するさー」

 龍太は、エークでサバニを操りながら、うんうん、と二度うなずく。

 「だいぶサバニの動かし方にも慣れてきたから、そうしよう」

 その言葉に真季は安心し、視線を海面に集中させる。龍太にはサバニの操船に集中してもらって、自分は海の中の魚を見つけて、すぐに龍太に報告しようと思う。それぐらいの仕事はしないとサバニに乗っていても暇なだけ。海面は太陽の光を反射してキラキラしている。目が痛い。目が疲れたらまぶたを閉じて網膜を休ませる。海面の光の残照が目をつぶった暗闇の中で赤や青や緑に輝く。それらの色がすこしずつ闇の中になじみ黒へと戻っていくのを確認し、真季はまた目を開く。龍太は与論島の方角をしっかりと見据えながら、潮と風の流れを感じ続けた。サバニはまっすぐに与論島を目指している。左側に見えていた沖縄本島北端が二人から離れていく。真季も龍太も遠くなっていく沖縄本島をしばらく見つめた。二人はそれぞれに気持ちを整理しながら、辺戸岬の絶壁とその後ろにそびえ立つ大きな山から視線を与論島に戻した。離れゆく景色を振り返るのをやめて気持ちを整える。そして、真季が視線を海面に戻したその時、サバニの進行方向に数十匹の魚の影が通った。「龍太、魚!」と真季は海を指差すと、龍太は銛を持ってサバニの上から音を立てないように海に飛び込んで、魚の群れを追いかけて泳ぎ始めた。真季は唾を飲み込んで、弟が海面にあがってくるのを待つ。どこまで潜っているのか、龍太の影すら見えないので一瞬不安に思っていると、真季の視線よりもだいぶ先の場所で水が弾ける音がする。龍太が銛の先に魚2匹をついて海から顔を出し、こっちを見て笑顔で手を振っている。真季は思わず嬉しくなってサバニの上から龍太に手を振る。

 「凄い、龍太!」。

 龍太は急いでサバニまで泳いで戻って来て、サバニによじ上ると銛についた魚を外して真季に渡す。ミーバイ(ハタ類)が2匹。まだ生きていて、身を動かしている。

 「上等さー」と真季は感心しながら、サバニに積んだ漁師道具の中から包丁を取り出す。そしてサバニの帆柱手前の自分が座っていた木板の上で、ミーバイの頭のエラ蓋に包丁を入れて一気に中骨を切り、即死させて、さらに尾の付け根を切り込み血抜きがしやすいようにする。海から引き上げられた魚はもがけばもがくほどストレスをその体内に残してしまい鮮度がわるくなる。即死させて血抜きをすることで魚はおいしく食べられる。真季はそのことを教え込まれているからとっさに体が動く。龍太は感心しながら真季の魚の処理を見る。

 「これで今日の夜ご飯は安心ね」と真季は笑顔になる。龍太は想像以上に海になじんできている姉を鼻で笑った。その事実をからかおうと思ったけれど、真季の陽に焼けた表情を見て特に何も言わずに与論島目指して再びサバニを漕ぎ始めた。真季は満足げにもう一度海の中を覗き込み魚の影を探し始める。


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