6、 メルルバへ
喉の傷を癒す傍ら、換金出来そうな魔物や獣、自身の食料になるものを狩りながら森で何日か過ごした。
治療薬に用いたアーラン蜘蛛の液状糸の強烈な臭いのおかげで、こちらが手に負えないような猛獣などが近寄ることはなかったが、獲物となるものも寄り付かず、近づいてもすぐにバレた。毎度のこととは言え、困ったものだ。いくら川で水浴びをしようが、時間が経つまで全く落ちない。それどころか、魚さえ逃げ出す始末。全く、どれだけ臭いんだよ。
まとわりつく悪臭に辟易しながらも、罠を仕掛け、獲物を狩っていった。
そうして、徐々に動物達が近づいても離れないようになり、臭いが抜けたことを確認すると、農村へ向かった。
農村では仕留めた獲物の肉や毛皮を現金に変え、真っ先に丈夫な衣服と靴を買った。森に落とされる時、怪しくないようにとの希露姫の配慮によって、衣服は粗末な服しか与えられないから。靴もないので、獣や魚を狩り、その皮で簡素な靴もどきを作るしかなかった。流石に、これから街へ赴き、冒険者として活動するにあたって、心許なさ過ぎる。
あと、ノートくらいの大きさの黒板とチョークも手に入れた。これがないと意思疎通がかなり困難になるから。
黒板を入手した後は、お馴染みとなった自身の設定、漂流した剣奴であると言うことを語り、今のエラベルト王国の現状を尋ねた。身分はどう頑張ったところで身元不明であるため、奴隷と称するしかないのは少々面倒だが仕方ない。この世界、キルチアは中世並みに貴族制度とか奴隷制度が普及しているくせに、出自や出身地などといったものは、例え大陸を離れようと、それこそいくら難破して漂着しようとも、一日とかからず簡単に調べられてしまうのだ。何せ平民の殆どが何かしらギルドに加入しているから。そのため、下手にデタラメな出身地などを告げるとかなり不審がられる。状況によっては聖騎士団(駐在型の警察機関)に捕縛される。あそこは本当に怖い。普通に取り調べで拷問とかしてくる。希露姫のような、理不尽な暴力には多少の耐性はあるものの、聖騎士団のようにマニュアル化された、事務的な拷問は未だかつて受けたことはなかった。
また、聖騎士団取調室では正気を失うことを一切許されなかった。人間の精神がどの程度まで耐えられるのかを熟知しており、絶妙な匙加減でこちらの精神を削るだけ削られた。いったいどこでそんなノウハウを覚えたのだろうか。あんな凶悪な技能を習得しておいて、どこら辺が「聖」なのか全く理解出来ないレベルだ。そもそも、「騎士」と名乗るのも語弊がある気がする。いっそ特高や異端審問部隊と名乗った方が正しいことだろう。
曲がりなりにも取調べであるため、質問に対する答えに不備があればあるほど、拷問は苛烈になってくる。全盛期の魔女狩り顔負けな拷問を施されたことだろう。爪を剥がされるのは序の口で、腹に釘を打ち込まれるは、畳針のようなデカいキリで足を穴だらけにされるは、歯を力だけで曲げる、なんてこともされた。色々おかしいな、うん。職務に忠実すぎるだろ、聖騎士達。
記憶も一部飛んでいる部分がある。希露姫が珍しく同情してくれるほどのことをされたのだ。決して思い出してなるものか。
まぁ、俺は特殊な身の上なため、取調室に問答無用で招待されてしまったが、普通は取調室にお呼ばれすることなんてまずないからな。あそこは重犯罪者専用の部署だし。市民がお世話になる、一般的な軽い罪状では拷問なんてされず、有難いお説教と奉仕活動を科せられる程度だ。それに、普段から奉仕活動も盛んに行なっており、民衆との接点が一番深い騎士団でもある。重罪人、及び容疑者に対しては一切の慈悲も容赦も施さないが、それ以外であれば正に聖騎士団の名に恥じない者達なのだ。
ギャップが激し過ぎるわ!
とにかく、一度、聖騎士団の取調室で獄死して以来、俺は多少の不便を被ることになったとしても、奴隷だと名乗ることにしている。
この世界の住人でない俺は、奴隷と言う身分を名乗るしかないのだ。ノーモア、取調室なのだ。奴隷なら身元不明だろうが何だろうが、不問にされるから。
幸い、七十回目辺りの転生から改革などが盛んに行われ、エラベルト王国における漂流奴隷の認識は大分向上していった。今も話を聞く限り、精々で出稼ぎの労働者、と言う程度の認識であるようだ。これは有難い。やはり、意識改革があるかないかで、大分扱いが変わるからな。奴隷と言うことで、平民以下の被差別民階級であることには変わりないらしいが、入れる店などの制限も以前に比べ、緩やかに廃れつつあるようだ。
そのおかげか、持ち込んだ素材の買い叩きも大分減ったし、贋金をつかませられることもなくなった。やはり、意識改革ってすごいことなんだな。
ありがとう、改革者さんたち。名前は碌に覚えてないけど、感謝しているよ。
「で、兄ちゃん。ここいらで一番栄えている街が知りたいって話だが、何かツテでもあるのかい?」
おっといけない。会話の途中であることを忘れていた。
表情には出さずに、さも今まで聞いていたような態度でアーラン蜘蛛などを買い取ってくれたオッちゃんと会話を続ける。
『ツテはない。剣奴だったから、武芸の心得は多少ある。金も持っていないから近場で出来るだけ早く稼いで、奴隷解放をしたいんだ』
かなりガサツと言うか、ぶっきらぼうな口調だが、俺の見た目と漂流奴隷と言う設定上、丁寧な言葉遣いをしては逆に不審がられるので、これくらいでちょうど良い。
ちなみに、俺の見た目は上記した通りかなり逞しくなり、身長も転生以前は176cmだったものが198cmまで伸び、日本人離れした精悍な体躯となった。かつては身長と同等の大きさだった「薄翅」だが、今では頭一つ分くらい抜かしている。
顔付きも大分変わった。以前に比べ引き締まったのはいいが、素材があまりよろしくないのと、課せられた祟りの一つである「身体能力を90%から75%への制限」の弱体化効果により、常に感じる気怠さによって目つきが悪くなり、尚且つ以前負った顔面を横断する一文字に割かれた傷と、声帯を取り除いた時の傷がかなり目立っている。ハリウッド映画であれば、まず主人公サイドには入れない凶悪さだ。入れたとしても、かなり訳ありの奴と言う設定になることだろう。
インドア派で日に焼けることのなかった肌は、農民ライフや冒険者生活で日に晒されて地黒の域にまで浅黒くなり、それに加え今まで負った大小様々な古傷が残っているため、とても堅気には見えない仕様となっている。また、体力やサバイバル技術も転生以前とは比べるのもおこがましいほどについた。やはり、何百回と死線を潜り抜けてきたからだろうな。
「まぁ、そうだろうな。ここら辺で一番栄えている所となると、メルルバ市かジゼン市になるな。どっちも駅馬車で二日ほど揺られていれば着くくらいの距離だし、ベルズエラ領の主要港があって人の出入りが盛んだ。兄ちゃんみたいな奴隷や流れ者も大勢いるから、解放手数料分なら、選り好みしなければすぐに稼げる筈さ。奴隷解放機関も確かあったはずだ。
金はさっき売ってもらった分があることだし、安い携帯食で我慢すれば十分足りる。
俺は個人的にはメルルバ市を勧めるよ。
あそこは昔から貿易や漁業、そして兄ちゃんみたいな流れ者で栄えた港街だ。何より飯が美味い! 魚料理も絶品だが、貝の料理が一番だな。折角拾った命なんだ、楽しまねーとな。アレは一度は食べておかないと損だぞ?
ジゼンも悪くはないんだが、飯がイマイチでな。それに、元々軍事要港として整備されていた街だから、軍部関係者が多いんだ。何かにつけて規則が多いんだよ。罰則もキツイものが多いし。最近跡を継いだ領主様の意向もあって、ここ数年は特にそうだな。まぁ、それでも色んな分野の新しいものが集まる所だから、今でも人は集まる都市だな」
なるほど。主要な港も変化があったか。
メルルバ市もジゼン市も何度か足を運んだことはある。どちらも今聞いた説明の通り、栄えた港街だ。ただ、どちらも軍港の側面を持っていたのだが、どうやらジゼン市にその役割を集中させたようだ。恐らく、メルルバ市は古過ぎたのだろう。何せベルズエラ領で一番古い港街なのだから。技術が発展した中で軍港を擁するには、色々と不都合なことが多かったのだろう。まぁ、全く違う理由によってそうなったのかもしれない。ここは、あまり考えても意味がないな。
思案に耽りそうになる俺に、オッちゃんは声を潜めて「まぁ、兄ちゃんにメルルバ市を勧めた理由はそれだけじゃないんだが」と告げた。顔つきからしても、あまりいい話ではなさそうだ。
「最近ジゼンじゃ『懐古主義』なんてもんが流行っているらしいんだよ。血統主義とか貴族至上主義の思想みたいなもんだと思えばいい。で、奴隷階級や漂流者、その子孫に対する風当たりが妙に強くなってきているんだ。多分代替わりしたジゼンの領主様もその口さ。
実を言うと俺の爺さんも奴隷の漂流者でな、『懐古主義』を掲げる奴らに苦労したって話だ。親父の代で一応収まりは見えたと思ったんだが…。まぁ、詳しいことは知らんから、俺に言えるのはここまでだ。
兄ちゃんも気をつけな」
囁くような小声で話される内容に、思わず眉を顰める。
『懐古主義』には俺も何度も苦湯を飲まされた思い出がある。あの忌々しい思想、まだあったのか。
『なるほど。確かに、それは気をつけないとな。礼を言う』
先にこの情報を仕入れることが出来て良かった。これは多少無理をしてでも、早めに金を稼いで奴隷解放をした方がいいな。
『おっさんのお勧め通り、メルルバに行くことにするよ。ジゼンは肌に合わなさそうだ。携帯食を買える店と、駅馬車の有無を教えてくれないか?』
「なに、いいってことよ。これも何かの縁さ。
携帯食は駅馬車の近くに売り場があるからそこで買えばいい。この村にはそこでしか携帯食なんて扱ってないからな。駅馬車はまだ午後の便が一本ある。今から行けば間に合うだろうよ。
ま、万が一間に合わなかったら、俺のとこんに来な。一泊くらいなら面倒を見てやるよ」
有難い申し出だ。だが、警戒も忘れてはいけない。警戒し過ぎるのも良くないが、無警戒は更に良くないから。オッちゃんに悟られないよう、注意深く観察しながら、罠や裏がないかを探る。
『有難い申し出だが、漂流者の奴隷なんて置いて平気なのか? 『懐古主義』の奴らに睨まれたりしないのか?』
オッちゃんの腹の中を探るために投げかけた言葉に、オッちゃんは豪快に笑う。
「こんな森付近の農村にまではそうそう流行らないさ。ここら辺の村の連中は、大抵俺みたいな出自を持っているんだからよ。
それに、俺の爺さんを『懐古主義』の奴らから助けてくれたのは兄ちゃんと同じ、漂流した剣奴だって話だしな。確か、アルゼン、って名前だったかな? 少しは恩返ししないと、バチがあたるだろうさ」
『へぇ、それは面白い偶然もあるもんだ』
自然と頬が緩むのを感じながら、オッちゃんの言葉に返した。
アルゼン。それは、俺の前回の名だ。そうか。だとしたら、オッちゃんはあの時助けた子供の孫か。思わぬ所で懐かしい記憶に出会えた。
それから他愛のない会話をした後、教えられた駅馬車の停留所へ向かった。
場所はすぐに分かった。『停留所』とだけ書かれた、木で作られた簡素な看板が掲げられており、その下に携帯食を売っていると思われる小さな屋台小屋もあった。そこでタバコをふかしていた小太りの親父に、四日分の携帯食と水を売ってもらいつつ、ジゼンやこれから向かうメルルバについて尋ねた。
やはりジゼンは『懐古主義』が流行っているようで、漂流者や奴隷の子孫達は徐々に疎外されており、既に新たなスラムを形成するに至っている地区もあるらしい。そのため用事がない限り、農村部の住人はジゼンに行きたがらない。まぁ、当然だな。
対してメルルバは今では観光地としても栄えているが、漂流した無法者が根付いてギャングのように組織だっているらしい。スラムではないが、そういう裏の街とも呼べるものが公然の秘密として存在している状況であるとのこと。
やはり、ジゼンの排斥活動が前回よりも進んでいる。スラムは元からあったが、排斥によってスラムが新たに出来るようなことはなかった。
代替わりした領主が懐古主義者であることが大きいだろうな。でないと、そこまで人を動かせない。前回も懐古主義はあったが、精々で貴族間の中で話題に上がる程度で、領民の下にまで普及してこなかった。俺が死んだ後に何が起きたのかは知らないが、面倒なことをしてくれる。
こっちは意識改革がなされる前からこの世界で漂流者として過ごしてきたのだ。また以前のような家畜よろしくな扱いを受けるのは御免だ。かと言って、特に何か出来ることがあるわけではないし、自身の祟りを解くことが最優先だから、滅多なことがない限り何もする気はないが。
滞りなく食料とメルルバ市行きの旅券を買えたので、停留所で馬車を待ちながら、露店で一番安かったタバコをふかす。転生前はタバコなんて吸ったことなかったが、口がきけなくなったせいか口淋しくなって、タバコを吸うようになった。日本と違い、噛むだけで歯を磨ける便利なガムがあるため、歯磨きは小まめにしている。この不思議ガム、フッ素やキシリトールを含んでいるのか、噛めば噛むほど、歯についたヤニが取れる。おかげで歯は白いままだ。
しばらく紫煙をゆらめかしていると、蹄と車輪の音が聞こえてきた。馬車が来た。二頭立であまり大きくないが、こざっぱりしていて清潔そうだ。
御者に旅券を預け、ホロ馬車に乗り込む。
「あら、随分とひどい顔だこと。見るからに野蛮だわ」
唐突に、まだ幼さの残る、少女の声が俺に侮蔑の言葉を投げかけてきた。
どうやら、メルルバへ到着するまでの間、退屈することはなさそうだ。