5.異世界交流 発展
誤字訂正 10月7日
いつものように希露姫によって森に落とされた。
薪を集めながら周囲を詮索し、付近に魔物や大型の獣や虫、人間がいないかを念入りに確認する。これから自身の声帯を切り落とすのだ。血の匂いに惹かれて来るようなものは勿論のこと、人目につくのは都合が悪い。言い訳が面倒だ。
今回で七十六回目の転生となるが、今まで森で人間に遭遇したことがないとは言え、油断は禁物だ。なんせ前回の死から百年近くは経過しているのだろうから。ちなみに、その百年の内訳が寿命(自然な老衰。転生史上最も穏やかな死に方だった)が八十九年、希露姫による講習が数十年である。最初の頃は速攻で死んでいたからあれだけど、それでも一回目から数えれば、軽く数百年はこの世界、キルチアで過ごしているな。今では日本以上にキルチア、と言っても主にエラベルト王国とその領地であるベルズエラ領に関するものが主になるのだが、大分詳しくなった。天界での分も合わせると、下手をすると千年はいるのかもしれない。そう考えるとある意味当然か。
普通それだけ時間が経てば、森付近の農村が開拓されたり、津波や地震などの自然災害、戦争や疫病言った変化があってもおかしくはないのだが、今回もこれまで同様、森の地形や状態に変化はなかった。エラベルト王国も、ベルズエラ領も変わらずに健在だ。領地を拡大していないが、減少もしていない。揉め事がないわけではないのだろうが、大事にまで発展していないのだろう。流石に政治にまで詳しくないからこれくらいのことしか分からないけど。
そんなことを思案しながら森を歩いていると、かすかに足元がざわつく感覚を覚え、大きく後ろへ飛び退いた。恐らく、反射に近い速度での反応だったことだろう。
俺がいた場所に、地中から太ももくらいの太さのある、無数の腐った樹木のような質感と色合いをしたものが槍のように突き上げてきた。もし反応が遅れ、その場にいたのなら、間違いなく全身を串刺しにされていたことだろう。日本にいた頃なら、確実に死んでたな。前兆すら分からないな、きっと。分かったしてもこんな風には動けなかったから、どう足掻いても死ぬのだろうけれど。
見覚えのある棘だ。大方奴だろう。
地中からの待ち伏せに失敗し、獲物が逃げたことに気づき、仕留め直すために地中から這いずり出て来るであろう魔物を待つことにした。狩るために。
昔の俺ならこんなこと考えもしなかっただろうな。奴隷として過ごしている時も、逃げることしか考えられなかったし。冒険者として板についてきたこともあるだろうが、それ以上に天界で希露姫の無茶振りや理不尽に晒され、祟りの理不尽クオリティによるマイナス補正と言う修羅場の中で武技を身につけられたからこそ、こんな余裕があるのだろうな。
特にここ百年は大変だった。
希露姫の中で空前の洋画ブームが到来していて、軍用輸送ヘリから改造した車ごとパラシュートでダイブするぶっ飛んだアクション、スパイたちの、思わず見惚れてしまうような華麗な潜入術、敵対者が仕掛けた数々の致死トラップをギリギリのところで回避しきる主人公の機転と行動力、数え上げたらキリがないからこれ以上は言わないが、それらを己の身体能力のみで再現するよう強要されたことは忘れられない。
一応 講習の目標として、「グジョウ大陸で冒険者として活動出来るようなレベルに追いつく」と言う指針が表示されたが、明らかにそれ以外の要素(CGやセットなしでどこまで映画のワンシーンを再現出来るか、等)が強かった気がする。文字通り命が幾つあっても足りない講習であった。地球にいた頃はペーパードライバーだったと言うのに、何が悲しくてワ◯ルドスピード級のドライビングテクを体と言うか命を張って学ばねばならなかったのだろうか。グジョウ大陸には車なんてないのに。アクセルを思いっきり踏むだけでも怖いと言うのに、それに加え、スタントマン以上のアクションも要求されたのだ。死ぬに決まっているじゃないか。
他にも散々な目に遭った挙句死んだが、何回死のうが祟りを解除されない限り蘇るため、待遇が改善されることはなかった。
希露姫、もっと丁寧に扱ってください。俺の心をどれだけ粉砕すれば気が済むんですか? 俺は弱いですよ? 踏み躙っても、そんな達成感とかないと思いますよ?
まぁ、いつも通り、何一つ聞き入れてもらえかったんですけどね!
そんな環境の中で強くなったからか、もう下級、中級ランクの魔物程度では逃げようと言う気も起きない。
勿論、舐めるような愚行は犯さないが。このキルチアにはゲームのようにレベル制や経験値と言ったものはない。そのため、例え下級の魔物であっても、場合によっては例え上級の冒険者であってもあっさり殺される。
死んだらまた希露姫の無茶振りが待っているのだ。簡単には死ねない。
ため息を堪えていると、もぞもぞと地中から、待ち伏せをしていた魔物が現れた。
アーラン蜘蛛。
この森以外にも、広い生息地を持つ下級の魔物だ。下級と言えど、森での戦闘に慣れていない冒険者には少々キツイ相手だ。大きさは成人よりやや小さいくらいで、苔生した樹木のように、深緑色と焦茶色が入り混じった色合いをしている。地中から出て来た今でも、新人の冒険者程度ならうっかりすると見失いかけないほど、周囲と同化している。機動力もあり、小回りも効くため、見失ったらあっという間に狩られてしまう。
俺は毎回のように森に落とされ、森での戦闘や逃亡を否応なくさせられている上、希露姫の森・及び密林における戦闘講習を受けているので、森での戦闘はそんじょそこらの冒険者では足元にも及ばないほど膨大な経験と知識がある。それでも、祟りのマイナス補正でチートな展開は何一つ構築出来ないのだが。
予想通りの魔物が姿を現したので、俺は更に息を殺し、攻撃のタイミングを伺う。一撃で仕留めるために。ただ仕留めるだけであったなら、態勢の整え難い、地中から地上へ這い出る時に不意をついて仕掛けるのが一番楽だろう。だが、今回は売り物や素材として求めているので、地上に完全に出てくるまで待たなければならなかった。
でないと毒を吐かれる上、体の至るところが毒まみれで、とても使い物にならないのだ。
地上に完全に体を出させてしまえば、体の構造上、毒を吐くことも、体内に溢れさせることも出来なくなるので、よっぽどのことがない限り、地上へ誘き寄せる。でないと元が取れない。
この不意打ちが失敗すれば、十中八九、奴は毒を撒き散らして逃走するだろう。毒と言っても催涙スプレーのようなもので、特に後遺症などは残らないが、この距離だったら確実に射程内だ。素材は取れないわ、苦しいわで、踏んだり蹴ったりなことこの上ない。
無一文であるため、換金のしやすい物は狩っておきたいのだ。
毎回森に落とされるから、森に硬貨や鉱石など、長い年月をおいても風化しない換金可能な物を隠しておくことも試してみたが、悉く魔物や獣、虫の餌食になったので諦めた。
流石だよ、ファンタジー生物ども。てめーらに食えないものはないんだな。特に蛙。俺の隠し場所を寝ぐらにした挙句、中身を全て食い尽くすとかどういう了見だ。罠を設置し、毒にまで浸していたと言うのに。どこまで蛙は俺にとって鬼門なんだ。
そんな感想を抱いて以降、森で換金可能な魔物や獣を狩って街や村で金を手にしている。ついでに情報も。
アーラン蜘蛛の肉は苦味があって俺は嫌いだが、そこそこ売れるし、内臓の一部は今回俺自身の治療に使いたいから、なるべくこの場で仕留めたい。拾っておいた石をポケットから取り出し、いつでも投擲できるように握りしめる。後はチャンスが来るまでジッと待つ。それは向こうも同様らしく、微動だにしない。
穏やかな日差しの下、木々の間から木漏れ日が漏れ、そよそよと風が吹き抜ける。枝にはさえずる小鳥がいるし、小動物や虫もちらほら視界の端に映る。実に長閑な光景だ。
パッと見、俺が森林浴をしているように見えることだろう。実際は狩りの最中なのだけど。動いた瞬間、勝負は着く。
静かに息を吐き、深く吸い込む。それを何回か繰り返し、神経を研ぎ澄ましていく。それに伴い、五感も段々と研ぎ澄まされてゆくのを感じる。こうしている間にもアーラン蜘蛛は俺の位置の特定に努めていることだろう。アーラン蜘蛛は地中にいる時は振動で、地上では呼吸と臭いを感知して獲物を狩る。まだ仕留めるほどの実力がなかった頃は、待ち伏せを回避したらそのままジッと動かず、アーラン蜘蛛が地上に出てくるのを待った。現れたら息を止め、アーラン蜘蛛が再び地中に潜るまで待つ。アーラン蜘蛛は夜間でなければ、二分と待たず地中に戻るから。それを見届けてから、ようやくその場を後に出来た。勿論、忍び足でだが。
だけど、今は狩るつもりなので、引きつける意味合いも含め、必要最低限の呼吸はしている。程なくして、向こうもこちらの位置に気づくだろう。
はやる鼓動を鎮め、耳に余計な雑音が入らないほど集中したら、ゆっくりと心の中でカウントを開始する。
5…まだ獲物は動かない。こちらもまだ動かない。
4…背中の棘はゆっくりと上下しており、いつでも動かせる状態だ。それでもこちらは、まだ動いてはいけない。向こうはまだ警戒している。
3…棘を誘うように緩慢に動かしてきた。だけどこれは囮だ。本体の重心が低い。これで突っ込んだら殺られる。恐らく、俺の臭いを僅かながらも探知し出したのだろう。もう少し待たなくては。
2…徐々に脚を動かして始めた。位置を完全に把握したのだろう。
1…よく見ていないと気づけないほどゆっくりとした速さで近づいてくる。だがまだ遠い。もっと誘き寄せないと、すぐに地中に戻られてしまう。
0…今だ!
握っていた石を思いきり投げつけ、八つあるうちの一つの目を潰す。
今までの緩慢さが嘘であったかのように、瞬発力を遺憾無く発揮し、三メートル以上あった距離を、一瞬にして手を伸ばせば触れれそうなほどに詰められていた。おかげで、投擲の不意打ちがうまくいった。
目を潰されたことで若干怯んだものの、すぐ立ち直り、むしろ怒った様子でわななきながら突進してきた。その際、脚を網のように広げ、攻撃を繰り出してくる。ヤスリのように小さな棘の凹凸で覆われている脚による斬撃を、「薄翅」と名付けた呪いの大太刀で全て受け流し、首を切り落とすべく、一気に脚を振り払う。
脚を振り払われた際、俺への攻撃のために前のめり気味になっていた体がバランスを崩し、頭部をがら空きにした状態で後方へよりかかった瞬間を見逃さなかった。棘を繰り出すが、もう遅い。一閃と共に、頭部を切り落とした。
ふぅ、終わった。
切り落としたアーラン蜘蛛の頭部を見降ろしながら、ホッと一息つく。
一撃で仕留められて良かった。素材として売値が上がることも喜ばしいが、一撃なら俺に課せられた祟りの一つ、「相手を攻撃した際、総ダメージの0〜20%をランダムで受ける」と言う制約を無効に出来るから。
これは長年かけて知った祟りの抜け道のようなもので、この制約で受けるダメージとは、「薄翅」による攻撃で相手が負ったダメージの一部であるのだ。そのため、「薄翅」以外の武器や攻撃方与えたダメージはカウントされない。また、一撃のみなら「薄翅」で与えたダメージもカウントされないのだ。稀に一撃であっても、ダメージカウントされる魔物もいるが、それ以外だったらこの抜け道ルールが適用される。
他にも色々と抜け道を見つけたが、ここでは省こう。
抜け道の存在は希露姫も知っているが、希露姫にとって、祟りはあくまで娯楽の一つでしかないため、特に手を加えることも制限を課す気もないと断言された。公認してもらえるのは有難いが、娯楽として扱われる我が身が悲しい。
多少しんみりしながらも、アーラン蜘蛛を解体し、周囲の詮索と薪集めを再開する
周囲の安全の確認も終えたので、集めた薪と枯草を組む。薪を集める途中で見つけた油虫(デカイコオロギみたいな虫。名前の通り、可燃性の油を背の油袋に溜め込んでいる)から拝借した油を浸した枯草に、火打石で火をつけ、組んだ枯木に点火する。火勢が出始めたら、「薄翅」を火で炙る。十分に炙り終えたら、自身の喉に突き立て、そのまま一気に声帯を切り落とした。
喉を焼くような痛みにも、肌が焼けつく臭い、口に溢れる鉄臭ささや生臭い血の味も、今ではすっかり慣れてしまった。初めの頃はそれだけで意識が飛びかけたが、今ではそんなこともなく、淡々と周囲を気にしながら先程の戦闘で手に入れたアーラン蜘蛛の内臓ー糸袋と呼ばれる、液体状の糸が溜め込まれている部位ーを裂き、中身を飲み干す。臭いも味もひどく、思わず吐きそうになる。周囲にいた小動物たちも、その強烈な臭いに驚き、一目散にこの場から離れて行く。だが、声帯以外の傷ついた気道を治療出来るので重宝している。やはり声帯を切り落とすと呼吸が大変だし、飲食の際すぐにむせて苦労するのだ。
吐き気を堪え、飲み終えたら、糸袋の内側にこびりついた半固形の糸液を、処置を施した首に塗りつける。やはり臭いはひどいが、二、三日もおけば、数ヶ月前くらいに負った傷に偽装出来る。時が経つにつれて、あまり生々しい傷では目立つようになったから、このくらいが丁度良い。
それにしても、流石はアーラン蜘蛛。「繋糸」の原料に使用される、ウーラン蜘蛛の亜種だ。あまりの臭いと味に誰も利用したがらない(俺自身こんな厄介な身の上でなければ決して利用しようなどとは思わなかった)が、治癒効果はそこそこ高い。焼け爛れたかのような痛みが徐々に治まりつつある。
さぁ、このひどい臭いが取れたらまた農村を経由して街へ行こうか。
冒険者ギルドに登録し、祟りの解放に向けて頑張ろう。
今回こそ、祟りを終えたいものだ。