1-2 リンのお手伝い
『蒼の国スィール』
これが私が今いる国の名前だ。とってもファンタジー。もちろん教えてくれたのは私の世話をしてくれているリュネートだ。
不慮の事故により22歳で短い人生に幕を下ろした私の今世の人生目標はおばあちゃんになるまで長生きすることだ。出来れば可愛いおばあちゃんになりたい。猫でも飼って縁側で日向ぼっこをする…そんな老後を夢見ている。
転生前の世界が恋しくないわけではない。両親や友達はきっと深く悲しんでいるだろうと思うと胸が痛んだ。だがそんな感慨に浸っている余裕はなかった。転生したはいいが言葉も通じないハードモードだったのだ。
言葉の壁は厚かった。しかし、こちらの言葉が英語と文法はほぼ同じで、発音も似ていたので1ヶ月もすれば意思疎通ができるようになった。
歩行訓練も順調で、体力は十分ではないが家の中と周りを歩けるくらいになった。歩けるようになると部屋のベッドの上で食事をとるのではなく、リュネートと一緒にキッチンにある木のテーブルで食事をとるようになった。大人用の椅子に座るにはまだ小さすぎる私のために、リュネートは私用の足の長い椅子を用意してくれた。味気ないと思っていたこちらの食事も二人で食べると幾分か美味しく感じられた。
だがこの塩味だけの食事は改善の余地がある、晩御飯を食べながらそう私は考えた。
「リュネート、私ごはん作るお手伝いする。」
私がそう宣言すると、リュネートは少し面倒そうな顔をした。彼女は基本無表情だがそんな些細な違いがわかるようになってきた。
「リン、貴女はまだ小さいのですからもう少し大きくなってからでいいんですよ。」
「私、何さい?」
そう言えば、言葉を覚えるのに夢中で自分の年齢を聞くのをすっかり忘れていた。
「貴女は今五歳になったところです。」
五歳…!予想以上にまだ幼かった。
「リュネートは何さい?」
「私ですか?百歳からは数えていなくて…百歳とちょっとということにしておいてください。」
冗談だと思ったが、リュネートが当たり前の様な真面目な顔で言っていたので本当かどうか判断出来なかった。
「百さい?ほんとう?」
「ええ。私は魔族の血が入っていますから。長寿の種だと五百歳まで生きる魔族もいるそうですよ。」
「魔族ははじめてきく。」
「魔族はリンや私のような人族とは別の種族です。海を隔てた別の大陸に住んでいるのでこの国ではそう多くありません。魔力が人族より強いため恐れられています。大昔は人族と魔族の交流は盛んだったので私のように魔族の血が濃く現れる人間も稀にいます。」
「ほー!」
こういうこちらの世界では当たり前の事情でも、いかにもファンタジーという話を聞くとテンションがあがる。ついにこにこ顔になってしまう。だが今は魔族よりも明日のご飯だ。
「リンは五さいだけど、お手伝いできる。朝ごはんならパンとサラダとミルクだけ。できるでしょ?」
話を元に戻されてリュネートは苦い顔をしたが、最終的にまぁ朝食なら、と了承してくれた。
自分の年齢が判明したところで、私は自分の姿が気になってきた。この家には鏡や窓ガラスというような姿を映す素材のものがないのだ。
「リュネート、鏡もってる?みたいの。」
「鏡ですか?五歳でもさすが女の子ですね。食事が終わったら見せてあげましょう。」
食事が終わってから私はリュネートに連れられて彼女の部屋に行った。彼女の部屋はきちんと整理されていた。本棚にはたくさんの本、テーブルの上には実験器具のようなものと植物を乾燥させたものなどがきちんと並べられている。そして私の部屋と同じようなベッドがあった。整理されてはいるが物が多すぎて雑然としているように感じられた。
リュネートはベッドの傍にある大きな縦長の額縁のような物にの前に私を連れて行った。手を少しかざすと額縁に水が薄く張り巡らされ、私の姿を鮮明に映し出した。
水面に映る少女はサラサラの長い黒髪と大きな紫色の瞳、真っ白な肌を持っていた。リンが手を動かすと鏡の中の少女も手を動かした。
「これ、私…?」
平凡だった前世に比べると随分と愛らしい容姿になっている。ハードモードの転生だと感じていたがそうではなないかもしれない。人間見た目はすごく大事だ。就職活動でもそれをひしひしと感じていたのだ。
「もういいですか?」
リュネートがそう言うまで私はまじまじと自分に見入っていた。とんだナルシストだと思われたかもしれないと思ってリュネートを見たが、彼女は微笑ましいものを見るかのような目で私を見ていた。そしてテーブルの上にある大きめの写真立ての様な物を私に差し出した。
「小さいですがこれを差し上げましょう。魔力を少し込めると水鏡になります。」
「私にもつかえる?」
「明日魔力のコントロールの仕方を教えましょう。」
「リュネート、ありがとう!」
私は喜んで水鏡を自分の部屋のベットの脇の小さな椅子に置いた。明日は朝御飯に魔力のコントロールの練習に大忙しの予定だ。私は明日に備えて早めに寝ることにした。
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次の朝、日が昇って明るくなってくるとリンは起きだした。いつもよりも随分と早い時間だ。
私は今日の朝ご飯でこちらに来てから作りたいと思っていたものを二つ作ってみることにした。
一つ目はバターだ。
ミルクを保管しているボトルの上積みが分離していることを発見した時から挑戦したいと思っていた。空き瓶がキッチンの戸棚にしまってあることも確認している。
私は早速バター作りを始めた。ミルクボトルの上積み部分、つまりクリームを慎重に空瓶に入れる。
そしてひたすら振る!振って振って振りまくる!
暫くするとクリームはホイップ状になってくる。腕が疲れてきたがさらに振ると、液体とバターに分離してきた。液体は別の料理に使えるかもしれないので別に保存しておく。バターに塩を適量入れてぐるぐる混ぜる。
これで手作りバターの完成だ。少し味見をしてみるとふわふわのバターは予想以上に美味しく初めて作ったなら上出来だと思った。
二つ目はマヨネーズ。
卵黄と塩こしょうを混ぜる。そこにこちらでは保存食用に使う酢の様な物を入れてさらに混ぜる。油を少し入れてさらに混ぜる。マヨネーズらしくなってきたら完成だ。
酢と油が私の知っているものと少し違うため風味は違うが、かなりマヨネーズだ。今日はサラダにかける予定だが、パンに塗って焼いても美味しいしマヨネーズレシピは夢が広がる。
リュネートが起きてキッチンの様子を見に来たので私は手早くパンとサラダを盛り付けカップにミルクを注いだ。キッチンに備え付けの小さなオーブンの使い方が分からなかったためパンを温めるのはリュネートにお願いする。
朝ご飯の準備が整ったら二人でテーブルについた。私はパンにバターをつけて食べるように勧める。リュネートが手に取るのを見たら私も暖かいパンにバターをたっぷりつけた。贅沢だ。香ばしいパンと溶けたバターは絶妙だった。
「どう?おいしい?」
もくもくとパンを頬張るリュネート尋ねた。
「はい。驚きました。バターをここで食べられると思いませんでした。」
どうやらバターはこの世界にもあるようだ。リュネートの口ぶりからするとあまり普及はしていないのかもしれない。私は牛乳の上積みから作れることを説明した。
「リュネートはバターしってたの?どこで食べたの?」
「…とあるお屋敷です。バターは牛乳から少量しかできないと聞いています。平素口にするには高価なのです。」
そう言えば私の世界でもバターはマーガリンより高かった気がする。
サラダにはマヨネーズをかけるように言う。マヨネーズはこの世界にはなかったようで、生野菜が美味しく食べれるとしきりに感心していた。
「次はジャムをつくりたいの。コンロをつかってもいい?」
この世界のものはなんでも魔力で動く。コンロはガスコンロのような感じでガスを使わずに少量の魔力を使うように出来ている。
「コンロを使うのは魔力のコントロールが完全にできるようになってからです。水鏡と違ってコンロは危険です。」
ジャムを作るのは少し先になりそうだが、却下されたわけではないのでよしとしよう。
「今日は魔力のコントロールをおしえてくれるんでしょ?いつ?」
「そうですね~お昼ご飯を食べたあとにしましょう。」
「わかった。よろしくおねがいします!」
私は朝食を終えると食器を洗うことにした。ここでは水を外の井戸で汲まないといけないから大変だ。リュネートは水の魔術も得意なので食器を洗うのはあっという間だが私はそうはいかない。
「美味しい朝御飯を準備してくれたのだから洗い物は私がします。」
そうリュネートは申し込んでくれたが片付けぐらいは出来るようにならなければ、と思い断った。私が井戸まで食器を持って行って洗い物をする様子をリュネートがはらはらしながら覗いていたが、気づかないふりをした。