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8話 逃走

 誰かいるのか。

 寝ぼけまなこで確認しようとしたパステムは突然リウィに突き飛ばされて転がった。次の瞬間、今までパステムの頭があった辺りにヒュンっと空を切って大きな刃物が振り下ろされた。刃の軌道にあった太い枝がカッと音を立てて断ち切られて地面に落下した。

 見上げると、そこに大男がいた。闇の中で大きな刃と目だけがギラギラと異様な輝きを放っている。

 あまりの突然の事態に反応できずにパステムは転がったまま凍り付いていた。一体誰なんだ。今までの全部見られてたのか。今のが当たったら死んでいた…。羞恥と当惑と恐怖の狭間で混乱に陥っていたパステムの呪縛を解いたのはリウィの叫びだった。

「逃げて!」

 その声でようやく地面から立ち上がった。そこへ半裸のままのリウィがパステムと男の間に割り込んだ。男が今度はリウィ目がけてナイフを振りかぶった。リウィは早口で何事かを口にした。

 次の瞬間、周囲に白色の閃光がほとばしった。目くらましの呪法。標的に強烈な光を浴びせて一時的に視力を奪う呪法。しかしリウィといえども修練者に過ぎない。未完成の呪法ではせいぜい懐中電灯程度の光量が限界だった。しかしそれで十分だった。夜の森の中を何時間も歩き続けてきた男に、それはサーチライトを直射したかのような効果をもたらした。

 しかし光に目がくらんだのは男だけでなかった。パステムも警告なしで放たれた光をまともに見てしまっていた。まぶたの裏にちらつく赤と緑の残像以外何も見えない。その手を誰かが強く握りしめた。リウィだった。

「こっちよ!付いてきて!」


「さっきはごめん!目は大丈夫!?」

「あぁ、何とか見えるようになってきた」

 裸の体に無数の枝やとげがひっかかり、傷をつける。土の中から突き出した木の根に何度もつまづき、転びそうになりながらも二人は必死で夜の森を駆け続けた。少し距離を置いて、後ろから男が追ってくる音が聞こえた。手にした武器で荒々しく枝葉を薙ぎ払いながら迫る。

 もうすぐだ。もうすぐみんなが、教導者がいる野営地に着くはずだ。そこまで着けば安全だ。教導者に助けを求めさえすれば助かる。

「助けてー!」

「おーい!誰かー!」

 走りながら二人で口々に大声で叫ぶが、誰からも応答はなかった。二人がいた場所から野営地までは50メートルも離れていないはずだったが、やけに遠い。まるで何キロもの道のりに感じられた。誰もやってこないことをいぶかりながら走っていると、リウィがガクンとつんのめり体勢を崩した。二人ともに地面に転がった。

「リウィ!!」

「痛ぅ……」

「大丈夫?」

 木の根か、突き出た石に足を取られたのだろう。そう思いながらふと地面に目をやったパステムは慄然とした。

 死体が転がっていた。首が切断されているせいで誰かはわからない。切断面からはまだじくじくと血が流れ出ている。その死体から伸びてリウィの足元に絡みつくものがあった。まだ湯気を立てている臓物だった。

「うわあああ」

 二人は絶叫した。そしてその時、初めて周囲の様子が目に飛び込んできた。


 そこは野営地の端だった。しかし皆がテントで眠っているはずの場所は変わり果てていた。月明かりに照らされた林間の空き地には、何体もの人影が横たわっていた。それらの周りには黒い染みが広がっている。血だ。遠くて損傷の程度はあまりわからないが、皆まったく動かず死んでいることは確かだった。二人がつまずいた死体の少し先には切断された頭部が二つ転がっていた。見慣れた修練者の仲間、ドゥルーとカジムだった。あちこちに張られたテントは切り裂かれ、布地に血が飛び散っていた。つい数時間前、皆でたき火を囲み、和やかに談笑していた場所は地獄絵図と化していた。

 二人が野営地を離れていた数時間の間に、これだけの凶行がなされていたのだ。


「ああ…もうダメだ」

 リウィの全身から力が抜け、その場に座り込んですすり泣き始めた。

「リウィ、しっかりしてよ、ねぇったら!」

 パステムが何とかリウィを立たせようと叱咤しながら振り返ると、殺人者は木々の間を悠然と歩みながら、月明かりの中に踏み出そうとしていた。もはや奴は走っていなかった。その顔には満足そうな表情さえ浮かんでいた。獲物を追い詰めたことを確信しているのだ。

 そしてパステムは気付いた。はじめから奴は遊んでいたのだ。わざと枝を踏んで音を立てて自分の存在を知らせた上で、怯えて逃げる獲物をいたぶっていたのだ。そしてまんまと奴の思惑通り、俺たちはこの狩り場へと追い込まれたのだ。


 男の手で、ブーメランのように湾曲した刃が光る。男の足元で草が踏まれる音さえ耳に届いてきた。もう終わりだ。パステムの心は絶望に蝕まれていく。もうすぐあれで斬り殺される。自分も、リウィも。

 リウィも。

 傍らで座り込み肩を震わせる彼女は、いつもの頼りがいのある姿からは想像もつかないほど小さく、弱々しかった。人間の町育ちでエルフ族のやり方に馴染めなかった自分をいつも支えてきてくれた上に、こんな自分を選んで愛してくれた女性ひと

(リウィだけは、リウィだけは何としても守る)

 たとえ自分が死んでも彼女だけは殺させない。

 だがどうやって?自分の魔力なんて無いに等しい。奴にダメージを与えられそうな呪法など何も使えない。拳、いや木の棒で殴りかかる?だめだ体格差がありすぎる。足元の地面に覗く石、これを投げつければ…だめだ深く土に埋まっていてすぐに掘り出せそうにない。パステムは利用できそうなあらゆる攻撃手段を検討していったが、有効なものはついに何も見つけられない。

(仕方がない。オレが突っ込んでおとりになってリウィが逃げる時間を稼ぐしかない)


 そう決意したものの、迫りくる殺人者と手にした武器を見て、彼の決意は揺らぎ始めた。この場に教導者の姿がないということは殺されたに違いない。手練れの彼女を倒すほどの相手に、自分程度が囮にさえなれるわけがない。どうせ一瞬で殺されて終わりだ。そもそも町で暮らしてた頃からケンカなんか滅多にしたことがないのだ。しかも数少ないケンカは全敗だった。どう考えても無理だ…。

 恋人の事を思い一時燃え上がったパステムの勇気の炎は急速に燃え尽きようとしていた。その目に涙がにじみ始める。当然、恐怖は感じていた。しかしそれよりもむしろ自らの不甲斐なさが許せなかった。いつも助けられるばかりで、大事な人を守る事さえできないのが情けなかった。

 体に、力が入らない。膝が震え、いう事を聞かなくなった。

 男はいまやすぐ間近に迫っていた。濃厚な血の臭いが鼻を突いた。男は全身にべったりと返り血を浴び、それが月光を反射して濡れた輝きを放っていた。

「リウィ…ごめん、やっぱりだめだ」


 その時だった。

(…通じたか?)

 パステムは頭の中に自分のものではない異質な思考がねじ込まれるを感じた。

 まさか、これは念話の呪法なのか。修練者のレベルではまだほとんど使いこなせない高度な呪法だ。ということは念話の発信者は教導者に違いない。森の中でまだ生きていたのだ。だが、かすかに差し込んだ希望の光は次に受信した念話で無惨にも打ち砕かれた。

(…通じたようだな。俺だ…お前のすぐ目の前にいる…話がある…聞け)

 それは目の前の殺人者からのメッセージだった。

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