71話 魂の伴侶
ティレスは振り返り、突然現れた謎の少年を一瞥した。ザイイラとカシェラはそれぞれ武器を構え、少年に油断のない視線を送っている。一方、藤田はスクリーンの前で耳を塞ぎ、じっとしゃがみ込んでいた。
「僕の友達にあんなこと言うなんて、ひどくないですか?お姉さん」
柳田健太と名乗る眼鏡の少年が言った。血色の悪い顔色ときゃしゃな体格からはひ弱な印象を受けるが、どこか危険な雰囲気を漂わせている。
「彼はとっても繊細で、傷つきやすい性格なんです。見てください、泣いてるじゃないですか」柳田が藤田を示しながら言った。
「あら、ずいぶん友達思いなのね。でもあなた、お友達がいじめられていても素知らぬ顔で席に着いてたじゃない。隣の部屋で見たわよ」
ティレスが冷ややかな口調で応じた。
柳田少年はかすかな薄笑いを浮かべて言った。
「あ、エルフの上級念師ともなれば、さすがに鋭いですね。細かい所まで見逃さないや」
無視してティレスは続ける。
「……それにあなたの写真も見たわ。葬儀の場面で。あなた、死者ね」
柳田を真っ直ぐ見つめ、ティレスが言った。
柳田は歯を見せてにやりと笑う。映写機の光に小さく尖った歯がちらりと光った。
「ふふふふ……。話が早いや。その通り、僕は死んでいます」
「死者のあなたが、一体ここで何をしているの?」
「話せばちょっと長くなりますが、いいですか?
ある事情から、僕は自ら死を選びました。魂だけの存在となった僕は、死後も意識があることに驚きました。しかし同時に、自分の存在がどんどん薄れていくのもわかりました。このままでは僕という存在が消滅してしまうのも時間の問題、猶予はおそらく数日しかありません。自殺しておいて今更でしたが、僕は自分が消え去ってしまうのが怖くなりました。
僕は消滅を逃れる方法を必死で探りました。そしてついに見つけ出したのです、魂の消滅を逃れる安全地帯を。それがここ、我が親友、藤田君の精神の世界でした」
「なるほど、そういう事なのね……」
ティレスは氷のように冷たい視線を向けながら言った。
利己的な理由から他人の心の中に勝手に入り込み、そこに居座る。相手の人間性を完全に無視した最低の行為だ。しかもそれを友人に対して平然とやってしまう。この少年には明らかに共感能力が欠如している。精神病質者か。
スクリーンでは、聖地の森の惨殺が終わり、マイロン街の殺戮の場面が始まったところだった。人体が次々と破裂し、血と臓物が飛び散る。舞台の上の藤田は相変わらずうずくまったまま身動き一つしない。まるで糸が切れた操り人形のように。
それを見て、ティレスの中で疑念は確信へと変わった。
ティレスは口を開いた。
「……この男、フジタが起こした事件には二つのパターンがあった。マイロン街事件のような無差別大量殺人と、聖地の森のような猟奇殺人。一見、両者は似ているようだけど、その動機は大きく異なるわ。大量殺人の根底にあるのは怒り。社会や世界、上手くいかない自分の人生への不平不満の爆発。対して、猟奇殺人は欲望。肉体を損壊することに快楽を覚える異常性欲。同一人物がまったく異なるタイプの事件を起こしていることを私は疑問に思っていた。
でも、謎が解けたわ。ひとつの肉体に二つの魂が宿っていた。大量殺人はフジタが行い、そして猟奇殺人はあなたがやった」
「へへ……。まあ、だいたいそんな感じですね」
「そしてあなたは、フジタの魂を支配している。あなたは精神世界に潜んだまま、フジタを操って自らの欲望を満たした」
「支配だなんて……。ただ望むだけで、藤田は僕の思いに応えてくれるんです。僕たちは文字通り一心同体、魂の伴侶ソウルメイトなんですから」
「…………」
「僕は現世にひとつだけ未練があってね。もっと殺しがしたかった。それだけが心残りだった。藤田の内側から外の世界を眺めながら、もどかしくて気が狂いそうだった。そこで、藤田の魂に僕の真摯な思いを伝えたんだ。殺したい、殺したいって、来る日も来る日もささやき続けたんだ。もちろん、藤田は僕が心の中に住んでいることに気付いていない。直接対話することもできない。でも、毎日語りかけるうちに、しだいに僕の気持ちが通じるようになったんだ。
そしてついに願いがかなった。あれは藤田が高校生の時だった。コンパスの針で同級生の目玉をえぐったんだ。久しぶりに血を見て、あの時は興奮したなぁ。奇跡だと思ったよ。その後、藤田はどんどん暴力的な男になって、僕の願いを次々と叶えてくれた。やっぱり、持つべきものは親友だね」
柳田は陶然とした表情を浮かべながら語った。
「ハッ、寄生虫野郎が。よく言うぜ」
これまで黙ってティレスと柳田のやり取りを聞いていたザイイラが吐き捨てるように言った。
「なに、そこの小さいおっさん?」柳田が不機嫌そうに言った。
ザイイラは柳田に指を突きつけて言った。
「俺はお前のような奴が一番嫌いなんだよ。自分の手は汚さず、裏でこそこそ動き回る卑怯者がよ。俺も数々の悪事は働いてきた。盗みも殺しも日常茶飯事だ。だがな、それは俺が自分自身でやったことだ。そのことで恨まれようが殺されようが仕方がねぇと思ってる。悪事を働くならそれくらいの覚悟を持てよ、臆病者のガキが!」
「何このおっさん、うざいんだけど……殺すよ?」
「笑わせる。卑怯者の幽霊野郎に何ができるってんだ!」
「ザイイラ、よけろ!」カシェラが警告の叫びをあげた。
何か鋭利な物がザイイラめがけて飛来した。ザイイラはかろうじて身を反らした。それは顔をかすめて飛び去った。温かいものが顔を伝うのを感じ手をやると、血だった。頬をざっくりと切られていた。
「あれ、意外とやるじゃん、小さいおっさん。頭部を半分に切断してやるつもりだったのに」
「……何だ、これは」柳田の姿を目にし、ザイイラはうめいた。
柳田の姿は、グロテスクな変容を遂げつつあった。
小柄な少年の背中から、黒い肉塊が覆いかぶさるようにせり出してきた。肉塊からは長い触手が無数に伸び、うねうねと蠕動している。触手の先には鋭い鉤爪が付いていた。先ほどザイイラを襲ったのはそれらの触手の一本だった。黒い肉塊のそこここには、赤い小さな眼が光っていた。狡猾さと貪欲さをにじませた非人間的な瞳。触手と肉塊は少年を包み込んでいった。
「まさか、ひょっとしてまさか、あなた……」
ティレスはあえいだ。今、目の前に姿を現しつつある怪物の姿。これは導師レオドから聞かされた古代の魂食獣、「暗黒の獣」そのものではないか。
「そう、僕もソウルイーターなのさ。だからこそ僕と藤田は互いに引かれあうソウルメイトなんだよ。やっとわかってくれたかな」
柳田の声は醜く歪み、もはや少年のものではなかった。
「……はるか昔、「暗黒の獣」の魂の結晶は僕らの世界に出現した。だけど、不幸なことに僕らの世界の魔力はきわめて微弱だった。その大半がカラビ・ヤウ多様体の余剰次元に折り畳まれていたからね。魂の結晶は構造を維持できず崩壊し、微粒子となって世界中に飛散してしまった。
微粒子は微生物の細胞内に取り込まれた。しかし、魂の微粒子は消化も吸収もされなかった。魔力が存在しない世界なので、「結晶化の呪法」の効果が働かなかったからだ。だから微生物は魂食獣と化すことはなかった。それは単なる無害な鉱物として微生物の内部に残留した。
微粒子を内部に宿した微生物は、より大きな小動物の餌となった。微粒子はやはり小動物の体内に蓄積されたままだ。そして今度は小動物が昆虫の餌になり、昆虫は鳥の餌となった。こうして微粒子は食物連鎖によって受け渡され、生態系のピラミッドを上るにつれ、しだいに濃縮されていった。生物濃縮といわれるプロセスだ。
やがて微粒子は人間の体内に取り込まれた。ここで転機が訪れる。人間の精神世界は、この世界で唯一、魔力が働く場所だったからだ。ついに「結晶化の呪法」が発動し、魂の微粒子は人間に吸収された。そして、大量の微粒子を吸収したごく一部の人間が魂食獣となった。
ソウルイーターと化した人間は他者の魂を求め、殺戮を好んだ。しかし彼らは所詮、不完全なソウルイーターにすぎなかった。「結晶化の呪法」が使えないから、魂を喰うことも他者の能力を吸収することもかなわない。彼らは飢餓感に苛まれながら生涯を終えた。死後、それらの魂はソウルイーターの特性を保持したまま空しく輪廻転生を繰り返した。
そうして幾千年が過ぎた後、僕と藤田が出会った。藤田も僕も、ソウルイーターだった。数少ないソウルイーターの魂が出会うのは極めて確率の低い事象だった。まさに奇跡だ。実際には、藤田よりも僕の方がソウルイーターの特性を色濃く受け継いでいたけどね。二つの魂が出会ったことで互いの欠落部分が補完され、「暗黒の獣」の記憶がよみがえった。時空転生の方法もね。そして、僕らは還ってきた。完全体の魂食獣になるために」
「さあ藤田、そろそろ起きろよ。僕らの邪魔をする奴らを片付けてしまおう」
スクリーンの前でうずくまっていた藤田が立ち上がった。その手にはくの字型に曲がった大きなナイフが握られていた。ククリナイフ。癖のある前髪の影で、切れ長の目が凶暴な光を放った。
「来るぞ!」
藤田の体が空中に躍り上がった。それは劇場の座席の列の上を軽々と飛び越えてきた。ティレスめがけて全体重をかけたナイフが振り下ろされる。その刃をカシェラの剣が受け止めた。金属が激しくぶつかり合い、火花が散った。
「ほらほら、余所見してる暇はないよ」
ザイイラには柳田の触手が襲いかかった。高速で振り回される触手を双剣で次から次に切り捨てる。しかしいくら切っても新たな触手が伸びてきてキリがない。ザイイラは座席の列の間に逃げ込んだ。
「ははは、臆病者はどっちだよ。逃げるなよおっさん」
身長の低いザイイラの姿は完全に座席の影に隠れた。
「どこ行ったんだ、おっさん、出て来いよ。って言っても出てくるわけないか。まあいいや。全部まとめて潰しちゃえ」
柳田は大量の触手を伸ばすと、座席の列めがけていっせいに繰り出した。無数の触手に貫かれ、広範囲の座席が粉々に砕け散った。さらに追い打ちをかけるため、触手の群れでずたずたになった座席の残骸を激しく鞭打つ。破片と埃の雲が劇場内に舞い上がった。
「これでどうだ、ははは…」
「馬鹿め、どこ見てやがる!」
柳田の足元から声がした。そこには地を這うように低く伏せたザイイラの姿があった。その両手に握られた双剣が一閃した。柳田の両足が切断された。さらに剣が閃いた。何度も何度も続けて。
「そ、そんな……馬鹿な……」
驚愕の表情を浮かべたまま、柳田は細かく分割されていった。
カシェラは必殺の蹴りを繰り出した。足指の鉤爪の一撃を藤田はククリナイフで弾いた。両者一歩も引かぬまま闘いは続いていた。
「があああああ」
藤田は野獣のような叫びをあげて渾身の力でククリナイフを叩きつけてきた。カシェラはそれをかわす。藤田の体勢が崩れた瞬間、カシェラは強烈な後ろ回し蹴りを放った。藤田の体が後方に吹っ飛び、床に叩きつけられた。
ティレスの手に光の弓矢が出現していた。「破魔の呪法」。聖なる光の矢で邪悪なる精神を滅する。精神世界にある魂食獣の核を破壊するために用意した魔術だった。
「フジタ・タツオ、あなたには人間として、自ら犯した罪を悔いてから逝って欲しかった」
ティレスは狙いを定め、光の弓矢を引き絞った。