70話 災厄の転生者
低い家並みの上をカーブを描く軌道に沿って、乗り物は滑るように進んでいく。
少年は窓の外を眺めながら、誰にともなくつぶやいた。
「……このモノレールは、俺が生まれるずっと前から廃線だったんだ。動いてるのは古い映像でしか見たことない。でも、乗ってみたいなぁってずっと思ってた」
「…………」
少年と三人を乗せたモノレールは、木々に覆われた低い丘に向かっていく。その中腹にトンネルが口を開けており、軌道はその中へと伸びていた。ほどなくして、モノレールはトンネルの中に入り、停車した。扉が開くと、少年は三人を車内に残し、一人無言で降りて行った。
ティレスとカシェラ、ザイイラも続いて降車した。降りた先は暗いプラットホームだった。床には埃が積り、壁には色褪せた広告看板とおぼしきものが並んでいる。先を進む少年の後を無言で追う。埃の上に少年の靴跡がくっきりと残っている。少年はホームの端にある鉄の防火扉を押し開け、その向こうへと消えた。
ぎいいい……
三人も重い鉄扉を肩で押し開け、その隙間から向こう側へ身を滑り込ませた。その背後で、鉄扉がガァァン、と騒々しい音を立てて閉じた。
三人の目の前には仄暗い通路が伸びていた。その左側の壁面に、ずらりとガラスが並んでいた。
ザイイラは背伸びして、ガラスを覗き込んだ。
「何だ、これは……」
それは水槽だった。その中に小さな人形が並んでいた。人形の数は十体ほどで、皆、少年と同じような黒い服を着ている。何らかの場面を再現したミニチュアのようだった。
ティレスも身をかがめ、ザイイラの横から水槽の中を観察した。
机がいくつも並んだ部屋の中で、ほとんどの人形は大まかな円を描いて立っていた。残る一体だけが、その輪の中心にいた。その人形は床の上に両手をつき、うずくまっている。それを取り巻く人形たちは笑っていた。中心にいる人物を指さし、手を叩いて笑い、人形たちは実に愉快そうだった。細部まで精巧に象られた人形の顔から読み取れるのは、まぎれもなく嘲笑だった。対照的に、中心でうずくまる人形はうつむき、その表情をうかがい知ることはできない。しかし、その後姿や雰囲気は見覚えがあるものだった。
「これは……あの男の過去?」
「どうやら、そうらしいな。ここを見ろ」カシェラが言った。
水槽の上に、表示板が取り付けられていた。ご丁寧にも、異世界の文字ではなくデリオンで使われている公用語で書かれていた。「○○中学校 三年二組のある日の光景」
「私たちに、自分のことを伝えようとしているようね」
三人は次の水槽に進んだ。「家庭の風景」と題されたその水槽には三体の人形が並んでいた。少年と、大人の男女。三人は食卓を囲んでいたが、その視線は三人とも全く別の方向を向いている。少年の家族だと思われるが、まるで温かみの感じられない風景だった。
次々と水槽を横切っていく。枯草の土手に座る二体の人形。「友の自死」と題された水槽には黒服の人形が大勢並び、白い花が飾られた祭壇には、眼鏡の少年の写真が掲げられている。暗い部屋で一人呆然と座る少年の人形。
そして、次の水槽は凄惨な流血の場面を映し出していた。両目をえぐられて倒れる人形の傍らに、もう一体の人形が無表情に立ちつくす。その袖口はべったりと血にまみれている。次の場面は、一目で監獄とわかる場所だった。
進むにつれ、展示の内容はどんどん陰惨なものへと変わっていった。展示の中で、少年はいつしか大人となり、そして数々の悪事に手を染めていった。窃盗、強盗、強姦……。
ミニチュアの展示はそこで終わっていた。
その横の壁には、大きな絵画がかかっていた。幅三メートルほどもある。「天啓」と題されたその絵には、巨大な怪物が無数の人々に襲いかかる黙示録的な光景が、うんざりするほど精密なタッチで描かれていた。
「魂食獣、「暗黒の獣」……その記憶の覚醒」ティレスがつぶやいた。
通路の突当りは、ここに入ってきたのと同じような重々しい防火扉となっていた。扉の向こう側からはくぐもった音が聞こえてくる。そして扉の下の隙間からはちらちらと光が漏れていた。三人は無言で目を見交わすと、扉を押し開けて中に入った。
「ぎゃあああああああ!」「がああああっ!」
三人を出迎えたのは絶叫だった。今まさに命を絶たれんとする人の上げる断末魔の叫び。
そこは座席の並ぶ劇場だった。正面のスクリーンでは映画が上演されていた。映し出されているのは殺戮の光景だった。
大きな黒い箱型の車が逃げまどう人々の群れに突っ込み、はね飛ばしていく。買い物袋を手にしたまま泣き叫ぶ人。倒れた男性によりそい呆然と座り込む少女。それらを巨大な車輪がひき潰していく。血塗れの広場に死体が散乱する光景を映した後、場面が切り替わった。映像は撮影者視点となる。激しい動きでぶれる視界の中、驚愕の表情を浮かべる人々が次々にナイフで斬られていく。顔を割られた女、血が噴き出る手首を押さえ、うずくまる老人。聞こえてくるのは犠牲者の悲鳴と男の激しい息づかいのみだ。
凶行の場面が続いた後、大きな階段を見上げたところで画面は溶暗した。
しばらくして画面に映し出されたのは夜の森だった。枝葉をかき分けると、その向こうに見えたのは少女の白くなめらかな背中だった。そこに力任せに刃物が振り下ろされる。一度、二度、三度。ぱっくり開いた傷口から血が溢れ出す。崩れ落ちた少女の下から裸の少年が這い出す。その首を刃物の一撃が断ち切る。二人を殺害した後、再び夜の森をさまよう。次の獲物もすぐに見つかった。
映写されている映像の正体に気付いて、ティレスは身を固くした。
「これは……聖地の森の修練者惨殺事件……」
「くくく……。ご覧いただけたかな。俺の偉業の数々を」
スクリーンの真正面に、少年が立っていた。背後のスクリーンと同様、その全身に凄惨な光景が映写されている。少年の顔が鮮血の色に染まる。
「……あなた、名前は?」ティレスが聞いた。
少年は一瞬、きょとんとした顔でティレスを見つめた。
「……そういえば、こっちの世界に来て、はじめて名前を聞かれた……。
藤田。藤田辰夫。それが俺の名だ」
「フジタ・タツオ……。私はティレス。エルフ族よ。ちなみに一緒にいるのがオークのザイイラと、蜥蜴人のカシェラ。あなたの心の世界、しっかり見せてもらったわ」
「ふぅん。で、どうだった」
「過去に辛いことがあったのね。それで心を閉ざし、周囲の世界を憎むのようになった。そして、坂道を転がり落ちるようにして悪の道に進んだ。そして、いまや人としての心さえ失いかけている。……哀れな男ね」
「俺を憐れむか」少年は鋭い目つきでにらんだ。
「ええ、哀れだわ。哀れなほど脆弱で、幼稚で、つまらない男」
少年は嘲りの笑みを浮かべながら言った。
「あれ、怒ってる?結構キレてる?くくく……。やっぱりこの場面を見ればエルフ族の君は冷静じゃいられないよね」
少年は背後のスクリーンで続く、聖地の森の殺戮の映像を指し示した。
「ええ、たしかに怒ってるわ。体が震えるほどにね。
心の世界に潜るまで、あなたのことは伝説の怪物、魂食獣として恐怖していた。でも、ここであなた、フジタ・タツオという人間の正体を見て考えが変わった。ほんのささいなつまづきで自分から勝手に殻の中に閉じこもり、人生を諦めてしまった、内気な少年。それがあなたよ。その証拠に、心の世界でのあなたの自己像は、まだ少年のままじゃない。精神の成長が止まってるのよ。
こんな幼稚でつまらない男に殺されたすべての人があまりにも可哀想で、怒りが抑えられない」
「なんだと……」
「世界が、他者が怖くて仕方がないから、逆に自分が他者から恐怖される存在になろうとした。殺戮を繰り返すのも、そのために過ぎない。弱者である自分にさえ耐えられなく、偽りの強者になろうとした」
「偽りだと、馬鹿な。俺はソウルイーター。魂の捕食者。あらゆる生物の頂点に君臨する存在!正真正銘の強者だ!俺の前では、人間だろうとオークだろうと、エルフだろうと、単なる餌にすぎない!!」
今やはっきりと怒りの形相を浮かべながら少年が言い放った。
そこが最大の悲劇だ。誰よりも弱い心の持ち主が、たまたま魂食獣の魂を継承してしまった。魂食獣の転生者でなかったなら、この男はまともな悪人にさえなれず、ひとりで勝手に世界を憎みながら、誰にも顧みられずにみじめに人生を終えただろうか。いや、いつの日か自分の弱さを受け入れて他者に心を開き、人間として立ち直ることさえできたかもしれない。
魂食獣の転生者であったことは、何よりフジタ・タツオにとって災厄だったのだ。
「でも、やっぱり、人間としてのあたなは弱者よ。弱すぎて、自分の弱ささえ認められないほどに」
「俺は人間の上に君臨する存在だ。人間の価値観など俺にとって意味などない!!」少年は叫んだ。
「……私は念師。病んだ心を癒す者。
あなたの心の表層、顕在意識は荒れ果てて不毛の地と化していた。でも、わずかな亀裂がこの深層にまで達していた。あなたが殺した人たちの魂の重さでひび割れたかのように。あなたにはまだ、かろうじて罪の意識が残っている。
それに、私たちは途中で抵抗に会うこともなく、ここまでたどり着いた。あなたの潜在意識は私たちに助けを求めていたということよ。フジタさん」
「……違う、俺は、僕は……」少年はうろたえていた。
「本当はあなた、殺したくなんてなかったのよ。もういいのよ。自分の心を殺してまで、こんな事を続ける必要なんてないわ」
「……やめろ、やめてくれ、やめて……」少年は両手で耳をふさいだ。
その時だった。カシェラが突然振り返り、背後の劇場の壁に向かってナイフを投擲した。ナイフは壁に突き立った。
「出てこい。そこにいるのはわかってる」カシェラが言った。
「……あれ、ばれちゃったか」
虚空から声が聞こえた。少年フジタのものより甲高い、聞いた事のない声だった。声がした空間が揺らめき、一人の小柄な少年が姿を現した。
「誰だ、お前は」ザイイラが剣を抜きながら言った。
少年は人差し指で眼鏡を押し上げながら言った。
「はじめまして、僕は柳田健太。藤田辰夫君の親友さ」