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69話 心の世界へ

 ごうごうと風の吹き荒れる、灰色の荒野。

 ティレスは周囲を見渡した。地面は渇き、ひび割れ、草一本生えていない。空は灰色の雲に分厚く閉ざされている。

 「潜心の呪法」が発動し、魂食獣(ソウルイーター)の心の世界に侵入したのだ。


「やれやれ、なんともまぁ殺風景な場所だな」

「これが奴の心の中なのか?」


 振り返ると、オークのザイイラとリザードマンのカシェラの姿があった。念話により彼女とリンクされていた彼ら二人も、男の心の中に無事入れたようだった。彼らの肉体は今もエルフ居住区の長老の館で眠っているはずだ。


「そうです。これが、彼の心象風景を可視化した世界です」

「……何にもねぇな。空っぽで、暗くて、とてもじゃないが長居したくなる場所じゃねぇ」ザイイラが言った。

「同感です。ここまで空虚な心の世界、見たことがありません」

「他の心の世界も見たことがあるのか?」

「はい。私たち念師は、心の傷を癒すため人の心の世界に入ることがあります。私にも何度か経験があります。そこで見た心の世界のありようは人それぞれでした。治療を必要とする悩める人々の心ですから、どこかいびつな世界ばかりでした。醜かったり、奇妙だったり、あるいは陰鬱だったり。ですが、このように荒廃した世界に出会うのは初めてです。……この男の精神は、病んでいるどころではなく、死に瀕しています」

「死に瀕している、か。確かにそんな感じだな」

「この枯れ果てた光景は、人間らしい感情を喪失していることの隠喩(メタファー)です。それにこの空虚さは、物事への興味や好奇心を失っていることを表しています」



「精神分析の講義は結構だ。で、肝心の「核」とやらはどこにあるんだ」カシェラが言った。

「今から私たちでそれを探し出すのです」

「だけどよぉ、探すったって何にもねぇぜ。何を手掛かりにすりゃいいんだ?」ザイイラが言う。

「そうですね……あの向こうに見える岩山、とにかくあちらまで行ってみましょうか」


 ティレスは地平線の上にかすんで見える山脈を指し示した。黒くゴツゴツした陰気な山脈が、平原のはるか彼方にうずくまっている。

「……おいおい、ずいぶん遠そうじゃねーかよ。何日もかかりそうだぞ」

「安心してください。心の世界での時間の経過は現実の時間とは無関係です。この世界で何年過ごそうとも、現実ではほんの一瞬に過ぎません」

「とにかく、他に目ぼしい手掛かりもない以上、当面はあそこを目指すしかあるまい。行くぞ」

 カシェラが先に立って歩き始めた。それにティレスが続き、最後に渋々といった感じでザイイラが着いてきた。




 果てしない荒野をひたすら歩き続け、一行はようやく岩山のふもとに辿り着いた。

「これは……いったい……」

 三人は絶句して、目の前の岩塊を見上げていた。

 垂直に近い絶壁が、数百メートルの高さまでそそり立っていた。しかし、彼らを驚かせたのは岩山の険しさではなかった。その岩肌を構成している物体だった。


 それはおびただしい数の腕、足、胴体、そして頭部だった。人を象った石像がバラバラに砕け、その破片が膨大に積み重なって山脈を形成しているようであった。そして、何よりも異様だったのは、無機質な灰色の岩から削り出された石像がどれも激しい苦悶の表情を浮かべていたことだ。胴体をねじり、顔をゆがめ、歯をむき出しにし、どの断片として一つも例外なく、激しい苦痛に苛まれていた。

 それらは、単なる石像としてはあまりにも真に迫りすぎていた。


「もしかして、これは……」

「喰われた者たちの魂……なのか?」

「断言はできませんんが、おそらくそうでしょう」

「むごい…」

 三人は一様に言葉を失った。多少なりとも他者に共感する心を持った者であれば、正視に耐えない悲惨な光景だった。それほどまでに、石化した魂たちの姿は無残だった。まるでそこから苦痛の波が放射されているかのようであった。彼らは極限の苦痛の一瞬のまま、永遠に凍りついていた。


「まだ推測に過ぎませんが、おそらくこれは、犠牲者の魂の残渣ではないのでしょうか。魂食獣(ソウルイーター)が魂から生命力や能力、知識などを吸収した後に残された、搾りかす。……言い方は悪いですが」

 ティレスが自らの考えを述べた。

「こんなに殺したのか?まさか」

 ザイイラが言った。常に死と隣り合わせの人生を送り、自らも戦闘で何十人も人を殺めてきたオークのザイイラでさえ、この光景に激しい嫌悪感を抱いていた。


「で、どうする?登ってみるか?」カシェラが言った。

「そうですね……」ティレスは絶壁を見上げた。石化した魂が積み重なった岩山は凹凸が多く、それらを手がかりにすれば登頂するのは比較的簡単そうではあった。


「うえぇ……勘弁してくれよ」ザイイラが身震いした。

「じゃあザイイラ、お前はここで待っていろ」

「おいおい、ここで一人で待てってのか?それもぞっとしねぇぞ」

「ちょっと待ってください。……あそこに穴があります」


 ティレスが指し示した箇所を見ると、たしかに穴が開いていた。岩山と接する場所で地面が陥没し、直径三メートルほどの洞窟が地下へ向かって口を開いていた。三人は洞窟の入り口に移動し、中を覗き込んだ。真っ暗で何も見えなかった。


「何だこの穴は」

「……不気味だな」

「心の世界の論理では、洞窟とは深層意識への入り口を示す隠喩(メタファー)です。この奥にあの男の核がある可能性が非常に高い。私はそう思います」

「山を登るよりも気がすすまねぇが……仕方がない。行くか」



 洞窟は曲がりくねりながら、下へ下へと続いていた。ティレスが灯す魔法の光に、ごつごつした岩盤が浮かび上がる。地上にそびえる岩山と異なり、こちらは普通の岩石で構成されている。下に向かうにつれ、穴は狭くなっていった。腹這いになってようやくすり抜けられるような狭い隙間を何度もくぐる。突き出た岩で擦りむき、手足は傷だらけだ。

 空間が広くなったと思ったら、そこは奈落の底へと口を開く絶壁だった。わずかな岩の出っ張りを手がかりにして彼らは闇の世界を下っていった。岩は結露していて滑りやすかった。


「なぁティレスさんよ、もし……ここで落ちたらどうなる?」

 岩にしがみつきながらザイイラが聞いた。

「死にます。心の世界の中で死ねば、現実世界の肉体も死を迎えます」

「おお怖い……」

 それ以降、三人は無言のまま黙々と手足を動かし続けた。


 洞窟に入ってからどれだけ時間が経ったのか、それさえ判然としなくなってきた頃だった。

「……かすかだが、空気の流れを感じる」カシェラが言った。

「出口が近づいてきたのかもしれねぇな」

「ちょっと明かり消してみます」

 ティレスは魔法光を消した。しばらくて眼が慣れてくると、ここが完全な暗闇ではないことがわかった。かすかに物の形が浮かびあがって見える。再び光を灯し、三人は先を急いだ。明るさはどんどん増し、洞窟は広くなっていった。そしてついに、曲がり角の向こうに洞窟の出口が見えた。




 三人は日の光の下に進み出た。

「……ついに辿り着きました。ここが、あの男の深層意識です」


 地上とは違い、そこは灰色の荒野ではなかった。黄色がかった陽光の下、町並みが広がっていた。四角い建築物が雑然と並び、その間をより低い瓦屋根の建物が埋めている。ここは明らかにデリオンではなかった。いや、それどころか、この世界のどんな町でもない。

 そして三人は目にした。町並みの間から覗くその城を。高い石垣、白い壁、幾重にも積み重なる瓦屋根。まるで舞い上がる鳥のように優美なその城を。美しい城は超然とした面持ちで町を見下ろし、空に向かってそびえていた。


「いったいここは何なんだ……」

「……異世界。

 十二万年前、古代の魂食獣(ソウルイーター)、「暗黒の獣」は死の直前に巨大な結晶体を残しました。魂食獣の復活を恐れた古代人たちは時空魔法を使い、結晶体を異世界へと放逐しました。そして、その世界で魂食獣は復活した……。今見ているこの風景こそ、魂食獣の男が住んでいた異世界の姿に違いありません」



 その時、カシェラとザイイラが武器を取り出し身構えた。

「気配を感じる……誰かいるぞ」

 三人のいる場所のすぐ近くに、直方体の無機質な建物が建っていた。無数の四角い窓が規則的に並んでいる。おそらく集合住宅だろう。変わっているのは、建物の低層階を棒状の軌道が横から貫いていることだ。気配はその建物の中から感じられた。

 何者かが、建物の入り口に姿を現した。

 黒い服を着た少年だった。胸に金ボタンが五つ並んでいる。年の頃は十五ほどか。その歳にしては背が高い。どことなく貴族的で、切れ長な眼が印象的な独特の顔立ち。それは明らかに、魂食男(ソウルイーター)の男の若き日の姿だった。少年はしばし三人をじっと見つめていたが、やがて背を向け、建物の中に姿を消した。


「どうやら、誘っているようですね」

「罠か?」

「わかりません。しかし、殺気は感じられなかった……」

「たしかに。行ってみるか」


 三人は少年を追って建物に入った。内部は長い間使われていなかったらしく、埃と鳩の糞が分厚く降り積もっている。階段と停止したエスカレーターを登り、廊下を進んだ先に、一台の乗り物が停止していた。どうやら先ほど外から見えた棒状の軌道の上を走るものらしい。中には座席が並んでいる。

 少年はその一つに座っていた。顔は反対側に向けられており、表情はうかがえない。三人は乗り物の前で少し躊躇したものの、開いたままの入り口から中に乗り込んだ。

 三人の背後で静かにドアが閉まると同時に、乗り物が動き出した。

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