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66話 戦師

 明け方。ついにオークどもは蔓の防壁を突破した。

しかしその内側ではエルフの弓兵たちが待ち構えていた。町エルフの使う弓矢は小型だが威力は抜群だ。居住区内へなだれ込んできたオークの第一陣は矢の雨を浴びてまたたく間に全滅した。

 しかし、次に侵入してきたオークたちは対策を講じていた。どこからか引きはがしてきた分厚い鋼板を急ごしらえの盾にしていたのだ。さすがにエルフの矢でも鋼板の盾の前には無力であった。オークたちは盾を並べて鉄の壁を作り、エルフの弓兵隊に向かって押し寄せてきた。盾を手に押しせまる敵に、弓兵たちは次々と倒れていった。


 エルフ居住区の壁が破れたという情報は、オーク独自のネットワークを通じてすぐさま王都全体に広がった。エルフ族がオーク同士の抗争を煽りつづけてきたことは、すでに広く知れ渡っていた。いまやエルフ族は全オークの憎悪の的だった。朝日が昇る頃には、ニュースを聞きつけたオークが居住区に大挙して押しかけ、防壁の周囲をぎっしりと埋め尽くした。




 長老の館三階。今ではこの部屋がエルフ族の司令室となっていた。

 深夜の会議の後、大半の者が二階の寝室で休息中だった。今、三階に残っているのは戦師マグサ、町エルフ数名、それにカシェラだった。


 時折、前線の兵士から念話による通信が届いていた。

(…こちら南地区。オークがどんどん入ってきています!もう防壁はズタズタです…)

(…北地区、矢が尽きました、撤退します…)


「おいおい、ヤバくなってきたぞ」町エルフの一人が言った。

「俺たちも逃げたほうがよくないか?」また別の一人が言う。

「逃げるったって、いったいどこへ?完全に取り囲まれてるんだぞ!」さらに別の町エルフがわめいた。


 その時、マグサが静かに声を上げた。

「……私たちが出ましょう」

 町エルフたちはいっせいにマグサの方を振り返った。

「私たち?」

「私と、デウルーの二人がいれば、オークどもを追い払うことは可能でしょう」

「たった二人で?いくら何でもそれは……」

 無茶だろ、という言葉を町エルフは飲み込んだ。それに対し、マグサは無表情に返す。

「戦師の力を甘く見ないことです。……なるべく魂食獣(ソウルイーター)との戦いに力を温存しておきたかったのですが、この状況で、手をこまねいて見ている訳には行きますまい」


「全くその通りだ!」

 部屋に野太い声が響いた。いつの間にか、階段の降り口に戦師デウルーが姿を見せていた。

「話は聞かせてもらった!我ら戦師の二人で、侵入してきたオークどもを蹴散らす!皆はここの守りを頼む!」

 そう言い残すと、デウルーは三階の窓を開け、マグサと共に外へ跳び出した。




 エルフ居住区、南地区。

「ぐ……クソッたれが……」

 コジルは路地の壁にもたれて座り込んでいた。その脇腹を血が赤く染めている。

 カシェラやザイイラたちを交えた深夜の会議の後、コジルは劣勢になった防壁の救援に駆けつけていた。夜明け前に蔓の防壁が破られ、盾を持ったオークの大群がなだれ込んできた時も、コジルはそこで弓矢を手に防衛にあたっていた。

 コジルの弓の腕は確かだった。生まれてからずっと都会暮らしで実戦経験とは無縁の人生を送ってきたが、エルフ族の素養として弓の訓練は受けていた。敵を前にしても冷静さを失わず、わずかな防御の隙間を狙って一体ずつ確実に射抜いていった。


 しかし、すべての兵士がコジルほどの技量と冷静さを持ち合わせている訳ではなかった。無理もない。数日前まで皆、普通のデリオン市民として平和に暮らしていた者ばかりなのだから。押し寄せる敵と空しく弾かれる矢。兵士たちの間には恐怖と焦りが蔓延していった。弓兵隊は次第に押されていった。そして、じりじりと後退を重ねる中で、ついに隊列に乱れが生じた。オークたちはその隙を見逃さなかった。重い盾を捨て、武器を振りかざし、凶暴さをむき出しにしてエルフの兵士めがけて突撃してきた。弓兵隊はついに総崩れとなった。


 こうなってはもはや弓は使えない。コジルは懐からミスリル製のナイフを抜いた。

 仲間を逃がしながら、踏み止まってナイフを振るった。大鎌を横なぎにしてきた茶色い肌のオークの首を刺す。背後から振り下ろされた斧を危ういところでかわし、振り返りつつ相手の腹を切り裂く。コジルの全身はオークの血に染まっていった。

 しかし、逃げ遅れた若い兵士をかばおうとした時、槍で突かれ、脇腹を深々とえぐられた。コジルは襲いかかってきたオークを返り討ちにし、何とか狭い路地の奥に逃げ込んだ。オークたちはやがて居住区の中心部目指して駆け抜けて行った。

 オークたちが去った後の道には、十数名の兵士の死体が転がっていた。

(…南地区、隊は……全滅しました。私も重傷を負っています…)

 念話で司令室に報告を入れた。


「うぅ……ぐっ……」

 痛みにうめく。脇腹の傷口を押さえた手の下から、どくどくと血が流れ続けている。さきほどから「治癒の呪法」を使ってはいるが、うまく傷口が塞がらなかった。

 虫を使った監視術や、気配を隠した尾行は得意だけど、治療の魔術はガキの頃から苦手だったんだよな。あのおばさん、ヒーシェン教術師…だったっけ?厳しくて嫌いだったんだよなぁ。でも、こんな事になるなら、あの時マジメに勉強しておくべきだったぜ。いまさら後悔しても遅いが。痛てて……。脂汗を流しながら、コジルはとりとめもなく思った。やばい、だんだん頭がぼんやりしてきた。血を失いすぎてる。


 その時、コジルは二つの事に気付いた。

 目の前の道に赤ん坊がいた。

 一体なんでこんなところに赤ん坊が。コジルは驚きつつ、暗い路地の奥から朝日に照らされはじめた道を見つめる。赤ん坊は死体の間をハイハイで動き回っていた。よく見ると兵士たちの死体に混ざって、エルフの若い女の死体が転がっていた。あれが母親だろうか。オークの襲来に驚いて家を飛び出したところを戦闘に巻き込まれたのかもしれない。

 そして、もう一つ。道の向こうから足音が近づいてくる。

 べたべたと足の裏を引きずるような不快でだらしない歩き方は、明らかにオークだ。


 コジルは路地から頭を覗かせて、道の先を見た。やはりオークだった。やたら背が高くて肩幅が広い奴だ。そのオークはときおり立ち止まり、死体の上にかがみ込んでいた。そいつがしている事に気付いた瞬間、コジルの背筋を戦慄が走り抜けた。

 食ってる……。オークは死体の腹を鉈で切り裂き、内臓を貪っていた。オークの間には一定の割合で人肉嗜食(カニバリズム)の習性を持つ者がいた。


「はぐはぐ……、うめぇ……」

 オークは恍惚とした表情で死肉を頬張っている。その口元から胸にかけてが血でべっとりと汚れていた。

 コジルが吐き気を覚え、目を背けようとした時だった。オークの動きが止まった。


「……おいおい、ありゃ、エルフの赤ん坊じゃねえか、おほほほ。エルフの赤ん坊、いっぺん食ってみたかったんだよなぁ。じゅるり…」

 オークは赤ん坊へと大股で歩み寄ってきた。


 何てことだ。コジルは残された体力を振り絞り、路地の壁に手を突いて立ち上がった。

 弓矢は逃げる途中に失くしていた。武器はナイフだけだが、この傷でまともに戦えるとは思えない。だが、あの赤ん坊を見殺しにすることはできない。コジルは路地から道へと歩み出ると、赤ん坊を拾い上げた。そして胸にしっかりと抱いてよろめきながら走り出した。


「おいこら!てめぇ何すんだ!待ちやがれ!」

 背後からオークの怒声を浴びながら、コジルは走り続けた。しかし脇腹から流れ出る血とともに、活力がどんどん失われていく。次第に視野が狭くなり、意識が朦朧としはじめた。オークの声が間近に迫った時、ついに足がもつれ、コジルは赤ん坊を抱きかかえたまま路上に転倒してしまった。


「……まったく、手間かけさせやがって、ダボが」

 頭上からオークの声が降ってきた。目を開けると、すぐ前にそいつがいて、コジルと赤ん坊を見下ろしていた。胸のむかつくような悪臭。灰色のがさついた肌、血まみれの胸元、鉛筆のように鋭く尖った牙。手には棘だらけの鉄球が握られている。あれで殴られたら、彼の頭など一撃でスイカのように叩き潰されるだろう。

 オークが鉄球を振り上げた。

「クソっ!」コジルは目を閉じて赤ん坊に覆いかぶさった。


「…………」

 しかし、覚悟していた一撃はやって来なかった。

 恐る恐る視線を上げたコジルは信じがたい光景を目にした。

 直立不動するオークの頭頂部から股にかけて、正中線沿いにまっすぐの線が現れた。と、その線を境にオークの身体が真っ二つに両断されて左右に崩れ落ちた。


 オークの向こう側に、一人のエルフの老女が立っていた。

 黒衣に身を包んだ老女の手には、一振りの剣が水銀のような輝きを放っていた。

「戦師マグサ……」

「あなた、怪我をしているわね。待ちなさい」

 マグサは「治癒の呪法」を発動させた。コジルの脇腹の出血はたちどころに止まった。そして、体の底から体力と気力が湧き上がってきた。コジルは立ち上がった。

 赤ん坊は今になって火が付いたように泣き出した。


「……命を助けていただき、ありがとうございます、マグサ様」

「コジル、だったわね?その赤ん坊を連れて今すぐ居住区の奥へ避難しなさい」

 マグサはそう言って後ろを指し示した。

 しかし、コジルは逡巡している。

「お言葉ですが、そっちにはすでにオークの大群が……」

「安心なさい。ここに来る途中、奴らはすべて始末してきました。居住区の奥は安全です」

「まさか、あれだけの数を?」

「合計五十七人、ひとり残らず倒したわ。それとも、この私が信じられない?」

 そう言ってマグサは笑みを浮かべた。それまでの無表情で厳しい顔よりも、なぜか、コジルにはその笑顔のほうがよほど怖ろしく感じられた。

「さあ早く、その子を安全な場所へ。次のお客が来たようだわ」



 振り返ると、防壁の破れ目から新手のオーク集団が侵入してきていた。弓兵が壊走したため、もう鉄の盾は担いでいない。しかし、それだけに身軽で動きが早く、狭い破れ目からどんどん居住区内に入ってきていた。その数、約三十名。


「もう逃げても間に合わないわね。下がってなさい」

 コジルにそう言うと、マグサは剣を構えた。

 その刃が白く輝いたように見えた瞬間だった。

 剣が伸びた。

 細く長い剣先が先頭のオークの喉を貫き、その後ろのオーク七人の身体をも瞬時に串刺しにした。いずれも心臓や頸部、脳などの急所を正確に射抜いていた。剣が引き抜かれると、オークたちは地面に崩れ落ちた。


「こ、これはいったい」コジルは呆気に取られた。

「霊剣サイラニア。使用者の生命力を代償に、自在に姿を変える剣」

 今の一撃で、さすがのオークたちも怯んでいた。その隙をマグサは見逃さなかった。

 再びオークに向かって白銀の刃が空中を走った。オークたちはこちらに辿り着くことも逃げる事もできず、その場で貫かれ、切り裂かれ、そぎ落とされ、そして全滅した。ほんの一瞬の出来事だった。

 通常の長さに戻った霊剣を鞘に戻すと、マグサはオークどもの遺骸を越えて防壁へと歩いていった。

「強い……」

 コジルはその後姿を茫然と見送った。



 マグサは防壁の破れ目に立った。

 その向こうには、おびただしい数のオークがひしめいていた。まるで灰色の海のように、はるか向こうまで街路を埋め尽くしている。奴らの唸り声が、まるで波音のように打ち寄せてくる。

「やれやれ、こんなに集まっていたとはね」

 逆に好都合だ。一挙に殲滅してやろう。マグサの顔に残忍な笑みが浮かんだ。



 オークたちは防壁の外に姿を現したマグサに目を留めた。

「あん?何だあのババア」

「まさか、あいつ一人で俺たちと戦うつもりか?」

「ハッ!ババアが笑わせる」

「でも、なんかやばい感じがしねぇか?」

「ああ。あいつ絶対強いぞ」

「どうでもいいわ!八つ裂きにしてくれる!」

 オークたちはマグサに殺到しようとした。しかし、それは果たせなかった。彼らは走り出した途端、まるで地面に飛び込むかのようにバタバタと前のめりに倒れ、それきり動かなくなった。

「あいつ魔術を使……」

 警告の叫びをあげようとしたオークが言葉半ばで意識を失った。同時に、その周辺にいたオーク百名余りも昏倒した。まるで、見えない手になぎ倒されるかのようにオークたちはばたばたと倒れていった。エルフ居住区の周囲に群がるオークの大集団に動揺が走り抜けた。


 オークたちに襲いかかったもの。それは、酸素濃度6%の空気だった。

 通常の空気中の酸素濃度は21%である。16%を下回る空気を吸入すると酸素欠乏症の症状が現れる。16%で頭痛、めまい、12%で筋力低下、8%で意識喪失、そして6%では瞬時に昏倒し呼吸が停止して死に至る。一息吸いこんだだけでも症状は避けられない。

 マグサは都市の地下深くを流れる下水にたまったヘドロを魔術で反応させ、低酸素の巨大な空気塊を作り出した。それをオークの集団にぶつけたのだ。目に見えない瘴気の塊に包み込まれたオークたちは瞬時に窒息死していった。やがて周囲の空気と混ざり合い、低酸素濃度の空気塊は消え去った。後にはおびただしい数のオークの死体が残された。運よく空気塊に飲み込まれなかったオークたちは逃げ去っていった。


 マグサは「火葬の呪法」を発動した。道路に折り重なって倒れたオークの死骸がオレンジ色の炎を噴き上げる。浄化の炎は建物や生者を焼くことなく、オークの屍だけを一瞬で焼き尽くして消えた。



 居住区の周囲からオークの姿が一掃された。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った街路を朝日が照らしている。マグサがエルフ居住区に戻ろうとした時だった。

 マグサは異様な気配を捉えた。

 それは明らかにオークや獣人などではなかった。この世のすべてを憎悪する暗い思念と、飽くことを知らぬ貪欲な殺意の塊が、こちらに向かって来る。こんな禍々しい気配を発する存在は、たった一つしかありえなかった。

 魂食獣(ソウルイーター)

 マグサは擬態の呪法で周囲の景観に溶け込み、完全に気配を消した。 同時に導師と戦師デウルー、念師ティレスに向けて最大強度の念話を発した。

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