65話 合流
デリオンのエルフ族居住区。ここにもオークどもは押し寄せていた。
「ウォオオオオッ!突撃ぃ!」
リーダー格のオークの号令とともに、居住区を取り囲む防壁にオークどもが突撃を繰り返す。しかし、強固な壁に跳ね返され、どうしても突破することができない。
防壁は密生した蔓植物でできていた。この蔓、元はエルフ族の家々の壁を覆っていたものだった。それらをエルフ魔法で急成長させ、木質化したものが、緊密に絡み合い十重二十重の壁となって居住区全体を包み込んでいる。蔓の壁は敵の攻撃をしなやかに受け止め、衝撃を吸収するので破れにくい。その上、穴が開いてもそこに新たな蔓が伸びて、すぐに塞いでしまう。
「ダメだお頭!破れねぇ。この壁、堅ぇ!」
「バカ野郎!火だ!火持ってこい!焼き払え!」
蔓の防壁に次々と燃えさしが投じられた。しかし、炎が燃え広がることはなかった。いくら火を投げ込んでも次々と煙をあげて消えてしまう。
「ちくしょう、いったいどうなってんだ?」
オークどもは気付かなかったが、蔓植物には小さな昆虫が共生していた。
アワフキムシ。樹液を吸い、体の周りに泡を分泌する昆虫。この蔓に住むアワフキムシは火を感知すると泡を分泌するようにエルフ魔術で操作されていた。一匹一匹の虫の出す泡の量は微量だが、この蔓植物には膨大な数が生息している。虫たちの分泌する粘着質の泡が火を消していたのだ。
「油だ!油持ってこい!エルフどもは全員焼き殺せ!」
オークたちが油の樽を転がしてきた時、防壁の上にちらりと顔が覗いた。
ヒュッ…
かすかな空気の唸りとともに、リーダー格のオークの眉間に短い矢が突き立った。オークはのけぞるようにして後ろに倒れ、それきり動かなかった。油樽を運ぶオークたちのこめかみと首筋にも、相次いで矢が刺さる。
「くそっ!お頭がやられた!退くぞ!」
下っ端のオークどもはいったん退却する。
同じ展開が、午後のオークの集団蜂起以降、幾度となく繰り返されていた。オークどもは力ずくで突破を試みるが蔓の防壁を破れない。やがて蔓を焼き払うため油や火薬を持ち出す。するとエルフ自身が手を下し近くにいるオークを片付ける。怯んだオークどもは一時撤退する……。
しかし、夜になってから、次第に展開が変わり始めた。
日光のない夜は植物の活動力が鈍る。強靭な蔓の防壁が、ついに何ヶ所かでほころび始めた。オークどもはそこを狙って集中的に攻めてきた。蔓が払われ、防壁の中に道が切り拓かれていく。侵入したオークめがけて周囲から蔓が伸びる。昼間ならオークなど簡単に絞め殺してしまうほど強靭な蔓の力も、夜間は弱々しく、武器で簡単に切り払われてしまう。緑の壁を抜けてオークどもがエルフ居住区に到達するのも時間の問題だった。
「急げ!オークどもが入ってくるぞ!」
「子供や老人は地下室へ避難を!戦えるものは防壁へ行け!」
エルフ居住区では、町エルフたちの動きがにわかに慌ただしくなった。多くの者が戦闘に駆り出され、弓矢を手にして防壁へと向かっていく。
長老の館の三階。
「……それにしても、導師はどこに行かれたのだ?」
「まだ連絡がつかないのか?」
「まさか、混乱に巻き込まれて依代に何かあったのかもしれん」
「いや、まさかそんな事はあるまい……」
二日前の会議以来、導師の依代、グレン/レオドは姿を見せていない。デリオンの町エルフたちは、導師の不在に不安を隠しきれなかった。
「案ずるな、皆の者。導師は必ずや来てくださる!」
壁際でたたずんでいた戦師デウルーが言った。ハイチャフ・ギルフから派遣された、エルフ族最強の戦士だ。彼とともに、町エルフたちは魂食獣の攻略作戦の詳細を練ってきた。いかにして王宮に侵入し、男を倒すのか……。
鍵となるのは、人の心に入り込む「潜心の呪法」だ。それを扱えるのは、同じくハイチャフ・ギルフから来た上級念師ティレスのみ。ティレスは部屋の隅に蓮華座を組んで静かに瞑想している。
「そう、デウルーの言う通り。貴方たちが導師の事を心配するには及びません。それより、作戦において足を引っ張ることがないよう、各自の役割を頭に叩き込んでおくのです」
戦師マグサがぴしりと言った。この白髪の老婆は、浮き足立つ町エルフたちを冷たい眼で見た。その射すくめるような視線を浴びて、町エルフたちは一様に委縮した。
その時だった。
室内の光の具合に異変が生じた。
突然、グレン/レオドが部屋の真ん中に実体化した。「空間転位の秘法」を使ったのだ。
「導師レオド!……」
部屋にいた町エルフの一同は驚いて声を上げた。
「ご無事でしたか導師!我々はてっきりオークに……」
「いや、大丈夫じゃ」
「…!導師、お怪我をなさっているようですが」
グレン/レオドの額には、血が流れた跡が残っていた。
「おお、これか、心配ない。傷口はとっくに塞がっておる」
しかし、そう言うものの、依代の青年グレンの肉体は著しく消耗しているように見えた。
「あんたが、エルフ族のリーダーか?待っていたぞ」
その時、部屋の隅から見知らぬ男が言った。デリオンの町エルフでも、ハイチャフ・ギルフから派遣された戦士たちでもない。それどころか、おそらくエルフ族でさえない。
「…………何者だ?」
グレン/レオドが言った。
「導師にお話があるということで、今日の午後、居住区に来た者です」
戦師デウルーが言った。
そこに立っていたのは、大きな布ですっぽりと身を包んだ正体不明の男と、小柄なオークだった。声を上げたのは謎の男の方だった。オークの方は態度こそ極端な猫背をさらに縮めて平伏しているが、グレン/レオドに向けられた目はやけに鋭い光を放っている。
オークは口を開き、わざとらしい、馬鹿丁寧な口調で話し始めた。
「……これこれは、失礼つかまつりました。わたくしめはオーク族の始祖たる偉大なるフクラ・グスに連なる系譜であるイギオグフ氏族の第三八分家、ザイイラール一家の家長、ザイイラ・ゴルトバヴ・イで御座います。そして、この者はカシェラといいまして、我が一家の食客であります。
ハイチャフ・ギルフのエルフ様とは、各種の雑用、野暮用、汚れ仕事などで長い付き合いをさせていただいておりました間柄でございましたが、恐れ多くも導師さまは我々のような下賤の者などご存じないでしょうな」
「……ふむ、ザイイラール一家、か。たしか聖地の森の東方の山麓にテリトリーを構えていた氏族だったな。そのザイイラール一家のオークが一体何の用じゃ。それにそこの怪しげな男、何者だ」
それにはカシェラが答えた。
「あんたらには正体を見せても大丈夫だろう」
そう言うと、カシェラは布を解き、素顔を晒した。エルフ族の間に驚きが広がった。
「リ、リザートマン!」
「まだ生き残っていたのか!」
町エルフたちは武器を構えて二人を取り囲んだ。蜥蜴人がテロリストとしてデリオン全土を恐怖に陥れたのは昔のことだが、当時の記憶はエルフ族たちの間にまだ生々しく残っていた。
「待て……俺たちはあんたらとやり合うために来たわけじゃない。あの男を倒すため、ともに戦いたい」
「あの男……魂食獣のことか」
「そうだ」
「だが、お主らの種族、蜥蜴人とオークは闇の眷属じゃ。なぜお主らはあの男に背き、我らと共に戦うのだ?」
「我々二人はあの男と少なからず因縁を抱えている。このザイイラは家族を殺され、その恨みがある。
それに、獣人たちを組織し、オークたちを辺境からこの街に呼んだのは我々なのだ。人間社会と平和的に共存することでしか、滅びゆく人外の民が生きながらえる術はなかったからだ。しかし、あの男の出現が、すべてをひっくり返してしまった。
今回の事態の責任の一端は我々にある。自分たちの手でけじめをつけたい」
カシェラが言った。
重ねて、ザイイラが言う。
「だけど、あの男はたった一人で近衛軍を滅ぼした怪物です。我ら二人がノコノコ出ていったところで犬死するだけです。そこで、貴方がたの貴重なお力をお借りしたいと思った次第で……。デリオンでまともな戦力を保持し、オークの攻撃をはねのけているのは、いまや貴方がたエルフ族だけなのです」
「ふむ、そういうことであったか。……よかろう、共に戦おう」
「感謝する」カシェラが言った。
「皆の者、それでよいな?」
「は、はい…」エルフ族の一同は戸惑いつつも一応了承した。
ザイイラとカシェラの二人も加え、再度、作戦会議が開かれた。
前回の会議以降、事態が大きく変わったため、各人の役割分担と動きが詳細に検討され、再調整された。そして、人外の民二人の存在が、思わぬ利点をもたらした。
上級念師ティレスが説明する。
「太古の昔、魂食獣、「暗黒の獣」はみずからの魂の断片から闇の眷属を生み出しました。今でもオークや蜥蜴人の魂には魂食獣の特性が受け継がれていると思われます。そこで、このお二人にも来てもらえれば、魂食獣の精神界面を突破し、心の世界への侵入するのも容易になります」
「我らもあの男の心の中に入るのか?」
「はい、そういうことになります。お二方、念話は使えますか?」
(…ああ、大丈夫だ…)
カシェラは思念を返した。
「俺は念話など使えんが……。そうだ、この指輪があったな」
そう言うと、ザイイラは懐に手を突っ込み、銀色の金属製の指輪を取り出した。念話のリング。二つ一組で、これを装着すると念話の呪法が使えぬ者でも意志を伝え合うことができる。かつて、男の捜索を依頼された時にエルフ族の戦士セギラから預かったものだった。しかし、その後セギラは男に殺され、指輪の片割れは失われていた。
「大丈夫です。私は念師なので、指輪ひとつでも十分に接続可能です」
上級念師ティレスが言った。
「コジルさんたちの監視結果などからプロファイリングすると、魂食獣の男は、大量殺人者に特徴的な人格パターンを有しているように思えます。ふだんは内向的な性格で孤独に暮らしていますが、心の奥底には社会や世界に対する怒りをため込んでいて、ある日突然、凶悪な無差別殺人におよぶ……。マイロン街の殺戮に始まる一連の犯罪は、社会に対する挑戦、自らの存在の誇示という意味合いが強く感じられます。
一方で、非常に奇妙なことなのですが、ハイチャフ・ギルフの森での修練者惨殺事件の調査結果からは、明らかな快楽殺人者の特徴が見出せるのです。遺体の状況や現場に残された痕跡からは、男が殺戮を愉しんでいたことは明らかでした。わざと相手を逃がし、散々追いかけまわした末に殺害したり、遺体を必要以上にはげしく損壊したり……」
「それが何か?相手は狂った男だ。どんな事をしてもおかしくはないだろう」
カシェラが疑問を呈した。
それに対し、ティレスが答えた。
「ささいな違いのように思われるかもしれませんが、大量殺人者と快楽殺人者、両者は全く違うタイプの人間です。大量殺人者の原動力は怒りです。対して、快楽殺人者は欲望。性欲と言ってもいいかもしれません。多くの場合、彼らにとって、殺人や死体損壊は欲望を満たすための行為なのです。
それに、大量殺人者はできるだけ目立つ事件を起こそうとします。自らの犯行を世間にアピールし、肥大化した自我の欲求を満たすためです。ですが連続殺人者はできるだけ自らの犯行を隠そうとします。社会に隠れ潜んだまま、この先もずっと殺人を楽しみ続けるために」
「…………」
「……つまり、何が言いたいのだね、念師ティレスよ」グレン/レオドが聞いた。
「気になるのです、導師。この食い違いが何を意味しているのか。はじめに男の存在が確認された聖地の森では快楽殺人者で、デリオンに来てからは大量殺人者に転じた……一体なぜ?」
「あの男は魂食獣だ。もとは快楽殺人者だったのが、他人の魂を喰った影響で、人格が変化したのじゃないのか?」
コジルが言った。
「その可能性はあると思います。ただ、……もしそれほど簡単に他者の魂から影響を受けるのなら、善良な人々の魂の影響で、改心して殺人をやめるとは考えられませんか?あの男がこれまで殺してきたのは大半が罪なき人々のはずです」
「たしかに……そうだな。魂を喰うことで能力や知識は吸収するけど、人格はあまり影響を受けないのかもしれないな」
「古代の魂食獣「暗黒の獣」は貪欲な存在だったという。快楽殺人者的な振る舞いとは、その本質が現れた結果ではないのだろうか。魂食獣についてはまだまだ未知の部分が多すぎる。まだ議論するのに足るほど十分な情報がない現状、これ以上この問題に踏み込んでも得る物はなかろう。些細な疑問点にばかり捕らわれて、全体を見失う危険性に注意するのだ、念師ティレスよ」
グレン/レオドが言った。
「は、申し訳ございません、導師よ……」
ティレスは頭を下げた。
しかし、その疑問はティレスの脳裏から離れることはなかった。
聖地の森での修練者大量殺人事件。あの日、ティレスも事件現場の調査に参加したのだ。地面に転がる頭部、切り裂かれた若い肉体、歯形の残った肉片、木の枝に引っかけられた臓物……。あの陰惨な雰囲気は単なる獣の捕食行為などとは根本的に違っていた。あの時、野営地跡に濃厚に漂っていたのは、強烈な悪意の残滓だった。その光景はトラウマとなって今もティレスの心に刻み付けられている。