64話 別れ
輸送船の大爆発とともに強力な衝撃波が発生し、王都から避難する浮揚艇の群れに襲いかかった。そして、それらを木の葉のように吹き飛ばした。
グレンの乗る軽浮揚艇も、乗員たちが協力して防御魔術のバリアを張って衝撃波の直撃は防いだが、続けざまに襲来する衝撃波に船体が耐え切れずに、浮揚力を失ってついに地面に不時着した。
「痛つつ…‥」グレンは苦痛にうめいた。
グレンは不時着の衝撃で荷台から振り落とされ、頭を強く打っていた。
(…大丈夫?グレン?歩ける?…)
フーシェが横から心配げに覗き込む。
「ああ、何とかな……」
額をザックリ切り血が流れ出していたが、治癒魔術ですぐに止血した。
軽浮揚艇の乗員たちは、グレン含め数名が荷台から振り落とされて軽傷を負っていたが、ほとんどの者は無事だった。周囲の皆が咳き込んでいた。おそらく、爆発で飛び散った有害物質のせいだろう。
「げほっ、げほっ……それにしてもひどい臭いだ。あまり吸わない方がいい。マスクをしよう」
グレンは背嚢から布きれを取り出し、それで口を覆った。フーシェにもスカーフでマスクをさせた。
周囲にはねじ曲がった金属片と焼け焦げた瓦礫が散乱している。そして、真っ黒な煙がたちこめて視界を閉ざし、あちこちで炎が燃えている。爆発で工場地帯が丸ごと吹き飛んだようだった。
グレンたちの乗った浮揚艇は何とか不時着することができたが、一緒に飛んでいた他の浮揚艇はそれほど幸運ではなかったようだ。瓦礫の中に、原型をとどめないほど破壊された浮揚艇の残骸がいくつも転がっていた。そして、乗員たちの無惨な遺体も。グレンはそれらから目を背けた。
乗員たちはほとんど無事だったとはいえ、浮揚艇は不時着の際に破損し、再び浮上することができなかった。仕方なく一行は歩くことにした。
油臭い黒煙と瓦礫の間をしばらくさまよった末、一行はようやく工場地帯の焼野原を脱した。そして、雑然とした郊外の町を進んでいくと、王都から徒歩で脱出しようとする避難民たちの群れに遭遇した。彼らは荷車や手押し車に家財道具を満載し、ぞろぞろと大群をなして大通りを歩いていた。浮揚艇の一行は避難民の群れに合流し、王都の外を目指して歩き出した。
途中、何度かオーク襲来の知らせが駆け巡り、避難民たちはパニックに陥った。しかし結局それらは誤報だった。そして夕刻には、グレンたちは王都の北の境界をなすヒランギ川にかかる鉄橋を渡り、王都の外へ無事脱出することができた。対岸の一帯には続々と到着する避難民たちが寄り集まり、急ごしらえのテント村ができつつあった。
どこを見ても、疲れ果て、途方に暮れた人々の群れでいっぱいだった。
グレンはこれから先のことを考えていた。デリオンにはもう住めないだろう。そもそも、この都市に来たのは、修練者を失格になった後に行く先がなかったからに過ぎない。少し前に仕事も失っていたし、もはやデリオンにいる理由は何もなかった。どこか、ここほど大きくはないが、よそ者のエルフ族と媚獣の二人でも受け入れてくれるような街を探そう。これから先、どこも王都からの避難民でいっぱいになるに違いない。まだ余裕がある内に新しい住処を見つけておいた方がいいだろう。
「フーシェ、少し休んだら、俺たちは先へ進むぞ」
(…どこまで行くの?…)
「まだはっきりとは決めてない。とりあえずテーダまで行こう。そこに空港があるから、飛行船に乗ってどこか別の国に行こうと思ってる」
(…別の国か、すごいね。私、生まれてからずっとデリオンで暮らしてきたから…)
「フーシェはどこか行きたい所はあるか?」
(…う~ん、そうだね。いつもお天気がよくて、涼しくて、ゆっくりお昼寝ができるところがいいかな…)
「ははは、フーシェらしいや」
(…でも、いつかこの街に戻って来たいな。ここが私の故郷だから。嫌な事もあったけど、私はこの街が好き。たくさん人がいて、にぎやかで…)
「……あの男やオークどもの天下が続くはずがない。いつか必ずデリオンは元通りになる。そうしたら、また二人で戻って来よう」
(…きっとだよ…)
「ああ、そうだね」
その時、グレンを突然の頭痛が襲った。まるで頭全体が鉄輪で締め付けられているように痛む。グレンは思わず地面にうずくまった。痛みのあまり吐き気も込み上げてきた。
「……頭が痛い」
(…大丈夫、グレン?…)
「さっき頭を打ったせいかな。痛てて……」
(…やっぱり、今日はここで一晩ゆっくり休んだほうがいいよ…)
「そう……、かもしれないな。今の状態では……、先へ進むのは……無理そうだ」
グレンは冷汗を流しながら、やっとのことで答えた。
その夜、グレンたちは避難所に設置された大テントの隅に身を寄せた。
夜になって冷え込んでくると、外から続々と避難民たちが入ってきて中は過密状態になっていた。テントの中は狭くて空気が悪く、病人のせきや赤ん坊の泣き声、それに苛立った人々の口論などで常に騒然としている。その中で人々は床の上に折り重なるようにして休んでいた。こんな劣悪な環境では、病気が広まるのも時間の問題だろう。
グレンの頭痛はあの後すぐ治まっていたが、まだ鈍い痛みは残っていた。それに、奇妙なことに王都デリオンから離れてはならないような気がしてきていた。すっかり忘れてはいるが、何か大事な用があったような気がする……。しかしグレンは何も思い出せなかった。単なる気の迷いだろうか。
グレンはフーシェと一緒に毛布をかぶり、体を縮こまらせて窮屈な思いをして眠った。
夜半を過ぎた頃、動きがあった。
テントの入り口に携帯式発光球を手にした男たちの集団が現れた。年齢や服装はばらばらだが、全員右腕に赤い布を巻きつけている。それに、全員が武器を帯びていた。疲労困憊してテントの床で眠る人々に向かって、集団のリーダーと思しき男が大声で言った。
「夜分おそくにまことに申し訳ない!我々はデリオン市民解放戦線だ!」
獣人襲来後、あちこちで結成された自警団のうちの一つか。いったいこんな夜中に何の用だ。グレンは疑問に思った。男たちは眠る避難民に向けて、発光球の光を遠慮なく浴びせている。人々はまぶしさに目を細めた。
「我々はある情報を入手した。その確認のためにここに来た。皆さんにも是非ともご協力いただきたい!」
そう言うとデリオン市民解放戦線の面々は、ずかずかとテント内に踏み込んできた。その通り道から人々が慌てて体をどかす。その高圧的で独善的な態度にグレンは不快感と嫌な予感を抱いた。リーダー格は歩きながら続ける。
「情報とは、スパイについてだ。この中に獣人のスパイがいる!」
テント中の人々がざわめきだした。
まずい、今フーシェが見つかったら、何をされるかわからない。グレンはフーシェに念話で語りかけた。
(…フーシェ、毛布をかぶってじっと隠れてるんだ…)
(…わかった…)
幸い、解放戦線の男たちはグレンに一通り光を浴びせただけで通り過ぎていった。ほっと一安心した時だった。少し離れた場所で、避難民の一人が通りかかった解放戦線の男に何かを耳打ちした。そしてこちらをまっすぐと指さした。よく見るとその避難民は、ここまで一緒に歩いてきた同じ集合住宅の住人だった。あの男にはたぶん、フーシェの正体を見られている。
「おい!そこの男、立て!一緒にいる女もだ!」
解放戦線の男が叫んだ。その男のもとにテント内を見回っていた仲間たちが集まってくる。そして、グレンたちを取り囲んだ。テント内の避難民たちは固唾を呑んで成り行きを見守っている。
「なんだ、おまえエルフ族か?ますます怪しいぞ……」
「いったい何の騒ぎです?僕がスパイな訳ないでしょう」
「いいから立て!そこで毛布にくるまってる女もだ!」
「馬鹿馬鹿しい、第一、いったい何の権利があって……」
「黙れ!」
男の一人がグレンに武器を突きつけた。両刃剣だ。この男、王都警備隊の生き残りのようだった。男は血走った目でグレンをにらみつけたまま、仲間たちに言った。
「そこの毛布をはぎ取れ、女が隠れてるはずだ」
「おいやめろ!」グレンは叫んだ。
「黙れと言った!」
警備隊の生き残りは裏拳でグレンの顔面を殴りつけた。鼻の中が切れ、血が流れ出した。解放戦線の男たちに毛布を奪い取られ、フーシェが見つかってしまった。フーシェは目に怒りの色を浮かべて憤然と立ち上がった。
(…俺は大丈夫だ、早まるんじゃないぞ、フーシェ…)グレンはフーシェに念話を送った。
「……おい女、お前、媚獣だというが本当か?」
「ち、違う」フーシェは言った。
「怪しいな。頭に巻いたその布を取ってみろ」
「い、嫌だ」
「おい、取り押さえて頭の布をはぎ取れ」またもや警備隊の生き残りは仲間たちに命じた。解放戦線の男たちはじりじりと間合を詰めてくる。
(…フーシェ!走れ!…)グレンは思念を送った。
フーシェは弾かれたように走り出した。同時にグレンは目の前の警備隊くずれの男に「気絶の呪法」を使った。青白い電撃が走り、男は数メートルも弾き飛ばされた。フーシェは迫る解放戦線の男たちをかわして逃げた。しかし、そのうちの一人に頭の布を取られてしまった。オレンジ色の髪から飛び出た耳が露わになった。
「こいつ!やっぱり獣人だぞ!」
「逃がすな!追え!」
解放戦線の男たちは口々に叫びつつグレンとフーシェを追った。だがその距離はどんどん開いていく。所詮、素人同然の自警団、獣人とエルフの身体能力には遠く及ばない。
もうすぐ大テントの出口に辿り着くと思った時だった。
出口の前に、別の男たちが立ちふさがった。解放戦線のメンバーではなく、今までテントで眠っていた避難民たちだった。
「おい、悪いがそこをどいてくれ!」グレンは言った。
「どかねぇよ……腐った獣人のスパイめ!」避難民の男は吐き捨てた。
「俺も彼女もスパイじゃない!」
「うるせぇ!俺の家族はなぁ、獣人どもに八つ裂きにされて殺されたんだよ!あんな小さかったトームでさえ……。てめぇらは絶対許さねえ。一匹たりとも生かしちゃおけねぇ!」
避難民の男は涙を流しながら咆哮した。
「わしも長年やってきた店をやつらに荒らされ、火をつけられたんじゃ!絶対に許さん!」
一人目の男の横で、小柄な老人が憤った。
「……獣人どもと、その協力者に死を!」中年の女が叫んだ。
テント中の人々が、「獣人殺せ」と連呼を始めた。
武装した解放戦線の男ならともかく、避難民に対して「気絶の呪法」は使いたくはないが、この場を切り抜けるためには仕方がない。グレンがそう思った時だった。
ゆらり…
グレンの目の前に広がる光景が揺らいだ。そして意識がぼんやりとし始めた。まさか、よりにもよってこんな時に。これは、いつもグレンが意識を失う時の前兆だった。フーシェを守らなければならない今、意識を失うわけにはいかない。グレンは必死に耐えようとした。しかし、視野はどんどん狭くなり、意識が朦朧としてくる。
グレンの異常に気付いたフーシェが寄り添ってきた。
「だめだ……、フーシェ……」
その時、解放戦線の男がフーシェの後頭部に鉄パイプを振り下ろした。フーシェは地面に崩れ落ちた。やわらかなオレンジの髪にっべったりと血が付いている。
「フー…シェ……」
今やトンネルのように狭くなった視野を通してグレンが最後に見た光景は、暴徒と化した避難民たちの群れがフーシェに襲いかかり、ずたずたに引き裂く瞬間だった。