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61話 日常の終焉

 グレン/レオドのひょろひょろした後姿が、エルフ居住区の曲がりくねった通りの向こうへ消えた。

 コジルは窓からその光景を見つめていた。

 今回もグレン/レオドは徒歩で居住区を出た後、市内の公共浮揚バスを乗り継ぎ、あの部屋に帰るのだろう。

 媚獣(びじゅう)の娘が待つあの愛の巣へ……。



 はじめは単純な好奇心からだった。

 我々の前に姿を現す時以外、グレン/レオドは何をしているのだろう。依代となった青年は何者なのだろう。コジルは尾行、追跡が得意だった。その才能を買われたからこそ、男を監視する任務を与えられたのだ。

 コジルは自らグレン/レオドを尾行するだけでなく、監視用の昆虫やクモなども活用し、ついに導師レオドの依代、グレンの住所を突き止めた。そして、グレンの生活をひそかに観察した。


 その結果、明らかになった事実は、コジルに導師レオドへの疑念を抱かせた。

 グレンは導師に憑依されていることに気付いていなかった。彼は混乱していた。どう見ても、合意の下で依代になったとは思えなかった。それに、導師はグレンを人格を持った一人の人間としてではなく、まるで操り人形のように扱っていた。


 ある日、グレンは媚獣の娘フーシェとデートをしていた。一軒のレストランで食事中、グレンは急に席を立ち、無言で店を去った。テーブルには哀れにも、途方に暮れた猫娘がひとりで残された。また別の日には、グレンは夜中に黙って家を出てそのまま数日間戻らなかった。生活力のない猫娘は部屋に放置され、腹を空かせたままグレンの帰りを待ち続けた。

 ある時は、グレンは勤務先の工場で持ち場を放棄してどこかへ去った。その事がきっかけでグレンは工場を解雇された。グレンの日常生活は、導師レオドの一方的な都合でめちゃくちゃにされていた。


 導師には非情なところがある。あの御方は人をまるで道具のように扱う。

 それはグレンに対してだけでない。俺たち町エルフへの言動の端々にもそれはうかがえた。ハイチャフ・ギルフの聖なる森におわす偉大なる御方から見れば、修練者くずれのグレンや人間に寄生して生きているような町エルフなど取るに足らぬ存在なのだろう。

 俺は導師レオドが嫌いだ。

 しかし、あの御方の力が無ければ、魂食獣(ソウルイーター)を倒すことができないのもまた事実だ。今は導師に従い、全力で自らの務めを果たすより他ない。愛すべきこの街、王都デリオンを守るために。




 グレンは気が付くと、自宅の玄関に立っていた。

 これまで自分がどこにいて、何をしていたのか全く思い出せなかった。

 グレンの額に脂汗がにじんだ。まただ、いつもの意識障害だ。ここ最近は特に酷い。いったい自分はどうしてしまったんだろう。数時間、ひどい時には数日間の記憶がごっそりと失われていた。必死に最後の記憶を手繰りよせながら、グレンは部屋の中へ呼びかけた。

「ただいま、フーシェ。……おーい、いるのか?」


 フーシェも最近では、グレンの異常な様子に怯えはじめていた。少し前までは仕事から帰ってくると、玄関まで飛んできてグレンに抱き付いてくれたのに、今では奥の部屋に閉じこもったままグレンを出迎えることもない。そもそも、仕事もこの意識障害のせいで首になってしまったが。


「フーシェ~、ただいま~」

 フーシェは古びたソファの上で体を縮こまらせていた。非難がましい上目づかいの視線で、部屋に入ってきたグレンを見上げる。口で話すのが苦手なフーシェは、思念でグレンに話しかけてきた。


(…どこ行ってたの…寂しかったよ…)

「……ごめん。一人にして悪かった」

(…グレン、何でいつもどこかへ行っちゃうの?…私の事が嫌いになったの?…ねぇグレン、どうして…)

「違う!そんなんじゃないっ!」

 グレンの口から思わず大きな声が出た。言った瞬間、グレンは後悔した。フーシェは大きな目に涙を浮かべていた。

(…グレン、怖い。やめて…大きな声で怒鳴らないで…)


 グレンは深呼吸して何とか気持ちを落ち着けると、念話で話しかけることにした。口で話すと、思いもしないひどい事を口走ってしまいそうだった。

(…悪かったよフーシェ。本当にごめん…君のことは何よりも大事に思っている。そのことは前と変わらないよ…。…ただ、最近、僕は調子がおかしいんだ…頭の病気かもしれない…)

(…病気?…)

(…そうなんだ。自分がそれまで何をしていたか、全然思い出せなくなったりする…それにどうやら、記憶を失っている間に、自分の意志とは無関係に動き回っているらしい…そのことで君にはとても迷惑をかけてしまっている…本当にすまない…それに、自分でも怖くて仕方がないんだ…)

 グレンは震えていた。

(…グレン…かわいそう…)

 フーシェはグレンに身を寄せ、その体に腕を回した。

(…ありがとうフーシェ。ありがとう…)

 その身体の温もりが、今のグレンにとって何よりもありがたかった。

(…わたしが、グレンのこと守ってあげるから…安心して…)




 エルフ族の会議の次の日、ついにデリオンを覆う偽りの平穏は破られた。

 しかし、それを打ち破ったのはあの男ではなかった。

 獣人族。人間たちへの復讐の念に燃える、廃却された媚獣(びじゅう)の成れの果て。彼らがついに行動を起こしたのだ。彼らは地上のスラムと都市上層部を隔てるバリケードを破壊し、きらびやかな高層建築群への侵攻を開始した。


 その姿にはかつて人々を魅惑した愛らしさなど微塵もなかった。なめらかな肌はいまや剛毛に被われ、繊細だった指は節くれだち、指先には鋭い鉤爪が光っている。中でもおぞましい変貌を遂げていたのが顔だった。骨格自体が変形し、人とも獣ともつかない醜悪な面構えとなっている。牙をむき出しにしたその顔は人間への憎悪そのものだった。

 彼らは戦うために、自ら進んで狂暴な獣に変わった。肉体を変容させ獣化させる合成ホルモン剤。スラムの不法魔道士に調合させたその薬物を、彼ら全員が服用した。


 獣人どもを率いるのは、ひときわ大柄な体格の人物だった。 

 重厚な甲冑をまとい、大マントをなびかせて威風堂々と進むこの王者然とした巨漢は、獣王ヴァルゴ。ドラゴンを模した兜の下のその顔は、獣と人間とがモザイク状に入り混じる奇怪なものだった。かつて地下闘技場の悪役だったこの男は、いまや怒りに燃える獣人たちを束ねるリーダー、否、族長(おさ)だ。


 ヴァルゴが部下たちを率いて進むのは、デリオン最大の規模を誇る巨大複合商業施設、デリオンメガモノリス。白金色に輝く巨大な直方体の建造物の中に数百の店舗とホテルと住居が収まった、デリオンの物質的豊かさの極致。マイロン街のような歴史ある繁華街に代わって、いまではここがデリオン市民の消費活動の真の中心地だった。


 兜の下で鋭い眼光を放つヴァルゴの目は、豊富な品物が所狭しと並ぶ商店街と、怯えて立ちつくす人間の群れに向けられていた。この場所もまた、人間の底知れぬ欲望を象徴している。

 ヴァルゴは侮蔑していた。あさましい欲望に取りつかれた人間という種族を。限りない物欲、食欲は世界中から富を収奪し、このような巨大商業施設を誕生させ、限りない肉欲は、生命を操作し、自分たちのような獣人を創り上げた。欲望の悪魔どもめ。

 今この時、もう一つの欲望、肉欲の象徴を殲滅するべく、別働隊が娼館通りに向かっていた。


「貴様ら!何してる!止まれ!」

 ヴァルゴの前に、十人の男が立ちふさがった。王都警備隊だ。

 王都警備隊は男の攻撃で本部を破壊されたが、組織はまだ機能していた。王府と近衛軍亡き後、彼らが王都の秩序維持の最後の砦となっていた。

 獣人たちは構わず進軍を続ける。警備隊員たちはいっせいに両刃剣(グラディウス)を抜き放った。


「……ふん、愚かな」

 ヴァルゴは鼻で笑うと、大マントの影から人の身の丈を超す巨大な蛮刀を取り出した。蛮刀は照明を反射してギラリと輝いた。

 次の瞬間、四人の警備隊員の上半身が宙を舞った。血飛沫が辺り一帯に飛び散る。唸りをあげる蛮刀は残る六名もたちどころに一刀両断した。

 こうして、デリオンの終焉が始まった。

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