57話 秘史①
近衛軍消滅と王宮陥落から一週間。
王都は奇妙な平穏に包まれていた。
デリオンの国家権力を滅亡させた後、男は不気味な沈黙を保っていた。勝利宣言をはじめ、内外への何らかの声明発表は一切なし。それに近衛軍との最終戦のあの日以来、破壊や殺戮も絶えていた。
最初の数日間こそ、人々は家に閉じこもり息をひそめていたが、殺戮者が何の動きも見せなかったため、しだいに今までと変わらぬ日常生活を再開しはじめた。空には再び大勢の人や物を乗せて浮揚艇や飛行車が行きかい、工場地帯の煙突からは煙が立ち上り始めた。
しかし市民たちの態度には、得体の知れない新たな支配者への恐怖が色濃く影を落としていた。通りを行き交う人々の顔色は優れず、人々は普段通りの生活を営みつつも、このかりそめの平和が破られる瞬間がいつ訪れるのかと、内心ではびくびく怯えていた。
王都の、旧市街に近い少し寂れた地域。
中心街と違い、そこは高層建築もまばらで、迷路のように入り組んだ狭い通りの両側に、地上三階建てほどの建物が密集して建っている。
その一角にエルフ族居住区があった。
そこは街中でありながら、緑にあふれた区域だった。家々の外壁にはツタが這い、生い茂った葉に隙間なく覆われている。ベランダに置かれた植木鉢には可憐な黄色い花が咲いているが、これはエルフの森にしか生えていない希少種だ。石畳の道はつねに清掃が行き届いていて、塵一つ落ちていない。
緑豊かで美しい街並み。ここには王都の喧騒や猥雑も侵入していなかった。
しかし、それだけにどこか排他的な雰囲気も色濃く漂っている。
長老の館の三階に、エルフたちは集められていた。
会議を招集したのは、もちろんグレンに憑依した導師レオドだった。
コジルもそこに参加していた。
王都育ちの町エルフの彼は、しばらくの間マイロン街事件の男の住居を監視する任務を負っていた。しかしその任務も、男と王都警備隊の戦闘の日で終わりを告げた。それ以来、彼は居住区での日常の仕事に戻っていた。グレン/レオドに会うのも久しぶりだった。
会議に集まったのは、ほとんどが導師の任務を受けて何らかの作戦行動に従事していた者たちだった。みんなこの居住区に暮らす顔なじみだ。しかし、その中に三名、見知らぬ男女が混ざっていた。彼らはグレン/レオドのそばに無言で立っている。
グレン/レオドが口を開いた。
「皆の者、よく集まってくれた。今回は他でもない、かの忌わしき者、魂食獣について話し合うためだ。
椅子に腰かけたエルフ族の青年は、老人の口調で話を続けた。
皆もよく知っているように、奴はここ数週間で急速に力をつけ、ついに先日、近衛軍を滅ぼすまでに至った。もはや一刻の猶予もない。今こそ我らの力を結集し、奴を葬り去らねばらぬ」
「……お言葉ですが導師、もはや手遅れでは?たった一人で近衛軍を滅ぼした敵を相手に、我らに一体何ができると?」町エルフの一人が言った。
「……打つ手はある。それに、奴が強大化した今こそがまさに攻撃の機会なのだ」
それに対し、デリオンの町エルフたちは口々に反論した。
「本当なのですか?それは一体どのような手段で?」
「導師、いくら何でも無謀です」
「我らの総力を結集したとて、近衛軍をしのぐ力があるとは思えません」
ここデリオンの町エルフたちはエルフにしては珍しく反骨精神にあふれている。たぶん人間との付き合いが長すぎたのだろう。エルフ族の間で絶対的な権力を持つ導師レオドを相手にしてさえ発言を遠慮することがない。そんなデリオンのエルフたちに対して、グレン/レオドは鷹揚に答えた。
「まぁそう急くでない。順に説明していく……皆の者、落ち着いて聞くのだ」
「わしもただ手をこまねいて奴の成長を見守っておったわけではない。お主らの知らぬところで、八方に手を回し準備を続けていたのじゃ。お主らが集めてくれた情報も大いに役立った。
その結果、判明した事実がひとつ。奴は魂食獣でありながら、心を持った人間だった」
「まず、魂食獣とは何なのか。
皆も知っての通り、我らエルフ族の古代の伝承に残る、世界に災厄をもたらした魔獣だ。生きとし生ける物の魂を捕食し、大地を不毛に変え、自らが作り出した邪悪な眷属を世界中にばら撒いて、世界に暗黒時代を到来させた恐るべき敵だ。やがてエルフ族の英雄ハザーとイロイがこの邪悪な敵を倒し、世界は平和を取り戻した。しかし、いつの日か邪悪な獣は再び戻って来て、地上に災いをまき散らすだろう。
ここまではエルフ族なら誰でも知っておる。
だが、そもそも魂食獣とは何なのか。単なる魔獣の一種なのか?だとしたらその生態は?わしはそこに疑問を感じた。我らの敵に対し、もっと詳しく知らねばならぬ。
今日、我々に伝わっている魂食獣の伝承はほんの概略でしかない。詳細は時に彼方に失われてしまっていた。この一年、わしは世界中に散ったエルフ族の同志に連絡を取り、各地に残る太古の伝承の断片を集めた。また、古代聖地イケライや、西雲霧山脈で発掘作業も行わせた。それらの情報を突き合わせた結果、伝承の空白部分が明らかになった……。
今から十三万八千年前――
地上はエルフの支配下にあった。古代のエルフ族は大陸のあちこちに巨大都市を築き、そこに何百万人もが集まって住んでおった。まるでこの王都デリオンのように。驕り高ぶった彼らは強力な魔術を操り、この世界を自分たちに都合のいいものに自在に作り変えた。気候を操作し、海流を変え、新たな島を作りだし、巨大な陸地を空に浮かばせていたという。とてつもない話じゃな。一方、人間はその頃まだ辺境地帯の狩猟採取民に過ぎなかった。
そんな世界にある日、一種の魔獣が現れた。
それは小さなイタチのような動物だった。北方洋の孤島だけに棲息する昆虫食の小動物だったようだ。共食いの習性があり、食べた仲間の持っていた経験や知識を吸収する能力を持っていた。本来は親が自分の肉体を子供に食わせることで、厳しい自然を生き延びる知恵を代々伝えるのが目的の能力だったようだ。
しかし、古代エルフが彼らを変えた。
本来の生息域であった孤島が魔術で移動させられて大陸の一部となった時から、この魔獣は外来種としてまたたく間に世界中に広まった。侵入した先で彼らは在来種の経験を吸収し、たやすくその場の環境に適応できたからだ。彼らは夥しい数に増殖し、在来種の小動物を食い尽した。世界中の生態系が危機に瀕した。
当然、古代エルフたちは駆除に乗り出した。
しかし、彼らの旺盛な繁殖力の前に駆除ははかどらなかった。
そして駆除の過程で、驚くべき事実が明らかになった。魔獣は進化していた。捕食した相手の知識や経験だけでなく、肉体的特性までも同化吸収できるようになっていたのだ。体は大型化し、元は持っていなかった毒針や固い鎧、中には反響定位や滑空能力まで取り込んだものも発見された。
この新事実はエルフたちを戦慄させた。この魔獣は死肉も食らう。もしドラゴンなどのより大型で危険な魔獣の死骸を食べれば、いったいどんな恐ろしい事になるだろう。それにもし、自分たちエルフの死肉を食べたなら……
彼らの危惧は、ほどなく現実となった。