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56話 征服

 男は勝利した。

 男の前に立ちふさがった最強の敵、デリオン近衛軍は本拠地もろともこの地上から完全に消滅した。

 しかし勝利の美酒に酔うのはまだ早い。デリオンへの勝利を完璧なものとするために、男は王都中央に広がる王宮へと向かった。



 王宮の広大な芝生で男を出迎えたのは、王宮護衛部隊による決死の抵抗だった。しかし近衛軍遊撃部隊に匹敵する精鋭たちの総攻撃も、近衛軍全軍の魂を吸収した今の男にとってはまるで微風のようなものでしかない。小さな甲虫でも踏みつぶすように護衛部隊を鎧袖一触で蹂躙し、男は宮殿へと踏み込んだ。



 宮殿は混乱の極みにあった。

 中にはまだ大勢の使用人や下級役人、王族の取り巻きたちが残っていて、慌ててかき集めた身の回りの品を抱えて必死の形相で走り回っていた。大理石の大広間には無数の書類がまき散らされて風に舞い、廊下のじゅうたんは踏み荒らされ、床の上には衣服、食器や食べ物などが散乱している。どさくさに紛れて宮殿の財産を盗み出そうと考えた輩もいたのか、額に入った絵画や彫刻、宝飾品なども無造作に転がっていた。


 やがて彼らは、自分たちが逃げ遅れた事に気付いた。

 男の姿を目にして、ある者は恐怖のあまり気を失ってその場に倒れた。失禁して豪華な敷物を汚しながら命乞いをする者もいた。絶望し、持っていた短刀で自ら命を絶とうとした者もいた。王族の取り巻きだったらしい派手な服に身を包んだある中年男は、一世一代のおべんちゃらを並べ立て、男に取り入ろうとしさえした。

 男はその全員を殺害した。


 男は王宮の廊下を進みながら、逃げ遅れた者を見かけるたび、瞬時に命を奪っていった。

 そして大階段を登り切った先で、男はついに玉座の間に辿り着いた。


 部屋はもぬけの殻だった。入り口の黄金の観音開きの大扉は開いたまま、衛兵さえもいない。ただ天井に灯されたシャンデリアだけが静かに輝きを放っている。正面の壁に掲揚された高さ五メートルのデリオン国旗の前に、背もたれの高い黄金の玉座が設えられていた。

 男は部屋に入った。玉座へと続く赤いじゅうたんを踏みしめる。部屋の中央あたりまで来た時、男はあることに気付いた。床の一部から、かすかに湯気が立っている。調べてみると、半径五メートルほどの円を描き、床の一部が熱を帯びていた。

 魔法円の痕跡だった。つい先ほど、何者かがここに魔法円を描き、何らかの魔術を行使したのだ。男は床に指を走らせて術の残滓を読み取る。使われたのは「空間転位の秘法」だ。約十五人ほどがこの場からどこかへ転位している。転位先の情報はご丁寧にも抹消してあった。その中には、間違いなくデリオン国王もいた事だろう。

「チッ、逃げられたか……」



 男は玉座に腰を下ろした。

 意外と硬く、座り心地は悪かった。男の目の前には無人の広間ががらんと広がっている。

「…………」

 勝利の喜びを分かち合う相手は誰もいなかった。この日を迎えるため共に戦ってきた仲間などいない。新たな支配者を緊張の面持ちで迎える役人や貴族さえいない。一人だけの戴冠式。

 これまでの男の人生と同じ、孤独でわびしい光景だった。


「ふふ…‥くくくっ……ふふふっ…」

 男の口から忍び笑いが漏れ始めた。しだいに笑い声は大きくなり、ついには大笑いになった。

「あーっハッハッハッハッ!ハーッハッハハハ!……」

 広大な玉座の間に、男の笑い声は空虚に響いた。




 次の日から、男は王宮の広大な敷地を当てもなく歩き回った。

 あちらこちらの部屋に、まだ隠れ潜んでいる者たちが見つかった。男はまるで部屋に入り込んだ蝿を叩き潰すように、潜伏者を見つけ次第殺していった。

 実のところ、男はあまりにも多くの人間を殺し過ぎたせいで、近頃は殺人という行為に食傷気味になっていた。それは食事や排泄と同じような日常の一部と化し、以前のような喜びや興奮が伴わなくなってきていた。

 マイロン街事件の頃が、いやもっと昔、梅田無差別殺傷事件の頃が懐かしかった。あの時はまだ、人の命を奪うというのは特別な行為だった。

 しかし、男は殺人を止めなかった。いや、止めることができなかった。

 殺人行為には飽きても、魂への飢えは満たされなかったからだ。いくら殺して食っても魂の結晶への飢餓感は癒されなかった。むしろ食えば食うほど飢えが激しくなっているような気さえした。魂の結晶には麻薬のような依存性があるに違いない。

 それに、殺人を止めたら、かわりに何をすればいいというのだ。



 その日、男は久しぶりに生きた人間を見つけた。

 王宮の庭園に建つガラス張りの大温室「水晶宮」を歩いている時だった。生い茂った熱帯植物の影にちらりと白いドレスの裾が見えた。

 男は後を追った。ほどなく大きな木の根本に、木の洞に隠れようと必死にもがいている太った女が見つかった。男からは女の尻しか見えない。薄手のドレスは汗に濡れ、大きな尻にぴたりと張り付いている。

 条件反射的に、男はこの女も殺そうとした。しかし、その眺めが男の手を止めさせた。

 男は突然、抑えがたい欲情を覚えた。

 太った女を樹の洞から引きずり出すと、仰向けにして地面の上に押し倒した。

 女は若かった。ふくよかな顔は血色がよく、顔つきにはまだ幼さが残っている。太ってはいるが美しい娘だった。

 しかしその時、女の口から異様な叫び声がほとばしった。

「うぎぎぎぎぎぃ!!ぎゃああああ!ぶぎぃ!ぎぃぎぃぎぃ!!」

「なんだ?気が狂っているのか……」

 男は若干、興をそがれた思いで女を眺めていた。

「うぎゃッ!」突然、女が奇声を発し男の頬を引っ掻いた。伸びた爪は男の顔の皮膚を深々とえぐり、三本の傷口からは血が溢れ出した。

「痛つつ……何しやがるっ!」

 思わぬ反撃を受け、男の頭にカッと血が昇った。しかし魔術を発動しかけた時、頭の中をある思考がよぎった。

(近衛軍が束になってかかっても傷一つつけられなかったこの俺に、たった一人のキチガイ女が傷を負わせた……)

「ふっ……ふふふふ……ははははっ」

 男は急に可笑しくなって笑い出した。女は男に押し倒されたまま、きょとんとした様子でそれを見上げている。

「ははは……おまえ、気に入ったぞ」男は女に言った。

 男は女の着衣を引き裂き、その場で犯した。


 事が終わると、男は途中で気を失った女をその場に放置して立ち去った。次の日その場を訪れると、女の姿はなくなっていた。

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