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55話 白い墓標

 その日の夕方、王都デリオンのすべての住人が、天空にそそり立つ巨大な光の柱を目にした。



 エルフ族のグレンは、媚獣(びじゅう)のフーシェとともに自宅ベランダからその光を目撃した。

 王都の西にそびえ立つ光の柱は、近衛軍本部ザイザス城だけでなく丘陵地帯までも覆い隠すほど巨大だった。光柱は暮れなずむ夕空を真っ二つに断ち切り、はるか天頂まで伸びている。

 その光が意味する事は明白だった。デリオン近衛軍がマイロン街の殺戮者に敗北したのだ。

「そんな、馬鹿な……」グレンは絶句した。

「たかが一人の人間だぞ……それがこんな……ありえないって」

(…グレン、怖い…)フーシェの耳の先が細かく震えている。グレンは震えるフーシェを黙って抱き寄せた。


 グレンの目を通して、はるか彼方のエルフ族の聖地の森で、導師レオドもこの光景を見ていた。

「ついに魂食獣(ソウルイーター)が覚醒したか……まさかこれ程までに早いとはのぅ。

 ……しかし、まだ打つ手はある。この都市は滅ぶが世界は救える……」

 大樹の梢にある自室で、導師は直立不動の姿勢のままで沈思黙考に耽り始めた。窓の外にはまどろむような午後の陽ざしの下、果てしなく続く緑の樹海が広がっていた。




 都市の最下層、地上に広がるスラム街。そこでも無数の下層民や人外の民たちが高層建築物の隙間ごしに天空の白い輝きを見上げていた。


 解放された媚獣の集団、獣人族たちは狂喜していた。

「皆の者よ!見よ!抑圧者どもに正義の鉄槌が下った!まもなく人間どもに滅びの時が訪れる!ついに我らの救い主が降臨なされたのだ!あの御方こそ我ら人外の民を導く王、『偉大なる暗黒の獣』に間違いあるまい!」

 劇場の廃墟に集結した獣人たちを前に、巨躯を誇る獣人族の長、獣王ヴァルゴが叫んだ。激しい身振りとともに演台に汗が飛び散る。

「ウォオオオオオ!」それに応え、獣人たちは声を限りに咆哮した。

「備えよ、皆の者!爪を研ぎ、牙を磨け!間もなく戦いが始まる!復讐の戦いだ!我らが味わってきた怒りと苦しみ、人間どもに存分に思い知らせてやるのだ!」

「ウォオオオオオオオオオ!!!!!ヴァルゴ!ヴァルゴ!ヴァルゴ!……」

 場内は興奮のるつぼと化した。群衆のどよめきはいつまでも劇場内に反響し、朽ちた壁材をパラパラと剥落させた。



 スラムの雑居ビルの一室。ゴミが散らかり異臭の立ち込めるその部屋にも白い光は射しこんできた。

 部屋にいるのはオークの男たち十数名だ。彼らは部屋の真ん中に置かれたテーブルの周りに集まっている。

「おいおい、奴が勝っちまったんじゃないのか?」オークのバルモ・ウルトングが言った。

「賭けは俺の勝ちだな。さあ負けた奴はさっさと払えよ」同じくオークのザイイラ・コルドバヴ・イが言った。

 オークたちは男と近衛軍との戦いの勝敗を賭け事の対象にしていた。当然、大半の者が近衛軍に賭けていた。そんな中、ザイイラだけが男の勝ちに賭けたのだ。結果としてザイイラはまんまと大金をせしめた。


「しかしよぅ、何で奴が勝つと思ったんだ?」バルモが訊いた。

「いや、別に理由はない。ただ何となく、そんな気がしただけさ……」


 その時ザイイラの脳裏に浮かんでいたもの。それはサハギンの沼地で出会ったあの男の怖ろしい姿だった。地下墓所から現れたあの不気味な男は、瞬く間に彼の姉と従兄弟を葬り去り、エルフの戦士二人をも返り討ちにした。蜥蜴人(リザードマン)のカシェラに助けられなければ、間違いなく自分も殺されていただろう。中でも記憶に焼き付いているのは、何を考えているか全く読めない、あの虚ろで暗い瞳……。

 あれ以来、男とは再びどこかで出会うことになるという因縁めいたものを感じていた。だから、デリオンに移住して後、マイロン街事件の容疑者として男が手配されているのを見ても、ザイイラは少しも意外に思わなかった。


「クソッ、まったく勘が鋭い野郎だぜ。しかしよ、妙な事になっちまったな。せっかく故郷を捨ててはるばるやって来て、この街で一旗揚げてやろうとしてたのによぅ、この街自体がなくなっちまったら元も子もないぜ」

「……だな。こっから先どう転ぶか、よーく見極めないとな」

 賭けで勝ち取った銀貨をためつすがめつしながら、ザイイラがつぶやいた。



 オークたちの溜まり場から数百メートル離れた廃ビルの屋上。傾斜のきつい屋根の上に、全身をマントですっぽりと覆った人物がいた。わずかにマントの隙間から、大きな金色の瞳だけが覗いている。

 蜥蜴人(リザードマン)のカシェラだった。

 見つめる先は白く明滅する巨大な光の柱だ。

 まるで墓標だな。カシェラは思った。まさしく、それは王都の権力の墓標だった。王都の国家権力が正面から敵に挑み、完全に敗北したのだ。


 死んだ同胞たちが果たせなかった願いが、このような形で成就するとは皮肉なものだ。

 カシェラの同族たちはかつてデリオンの国家権力に挑戦し続け、そして死んでいった。彼らはデリオン王国各地で凄絶なテロを繰り返した。やがて蜥蜴人(リザードマン)という種族そのものがテロ支援種族の指定を受け、人間による激しい弾圧、いや駆除が始まった。彼らは正体を隠すため、全身に布をまとった……遠い昔の話だ。

 無論、カシェラは王都の滅亡など望んでいない。

 暴力の応酬の先には滅亡しか残されていない。カシェラはそれを身をもって味わった。望むことはただ一つ。少数派(マイノリティ)として駆逐されつつある人外の民を結集し、戦いではなく対話を通して人間と同等の生きる権利を勝ち取ること。滅び去った蜥蜴人(リザードマン)の最後の生き残りとして、それがカシェラに課された務めだった。




 闇に閉ざされた独房にも、光は射しこんできた。

 壁の高所に設けられた小さな明り取りの窓からの光が、床に蓮華座を組んで座る一人の男の姿を浮かび上がらせた。袖なしの囚人服から伸びる両腕には鋼の筋肉が盛り上がり、短く刈り込んだ髪は光を浴びて銀色に輝く。男の姿は研ぎ澄まされた鋼鉄の刃を連想させた。その男は目だけ動かして光を見上げた。

 独房に収監された彼こそ、かつての近衛軍遊撃部隊隊長クード・ダルカンバ、男を敗北寸前にまで追い込んだ戦士だった。


 バーガム監獄。王都の南の端に建造されたデリオン最大の巨大監獄。クードがここに収監されて、二日が経とうとしていた。早くも伸びた無精ひげが顎全体を濃く覆いはじめている。両手首には、ごつい魔力封印錠がはめられたままだ。


 デリオン小児専門治療院での戦闘後、クードたち遊撃部隊は近衛軍本隊に身柄を拘束された。浮揚艇での護送中、クードは作戦中止の真相をドロウズ近衛軍大将から聞かされた。ドロウズ大将は声を潜めてささやいた。

「愚か者め。お前はなぁ、陛下の逆鱗に触れてしまったんだ。あの病院には陛下ご寵愛の……プリムラ王女様がご入院なされておったのだぞ」


 国王陛下の姪にあたるプリムラ王女は、呪詛により生れつき精神に重い障害を負っていた。おそらく王族たちの複雑怪奇な権力闘争に巻き込まれたのだろう。彼らは政敵の力をそぐためなら黒魔術の使用すらいとわない。重度の狂気に侵されたプリムラは王族の誰からも疎まれて育った。しかしそんな彼女のことを、ただ一人気にかけていた人物がいた。

 他ならぬ国王陛下その人だった。王宮で暮らせない姪のために、国王は何不自由なく過ごせるよう援助をしてきた。

 哀れなプリムラが静かに暮らす場所が戦場になったと知って、国王は激怒した。ドロウズ大将を召喚し作戦の即時中止を命じた……。

 不幸中の幸いだが、王女は傷一つ負うことはなかった。しかしクードは小児治療院で大量の犠牲者を出した責任を問われた。遊撃部隊隊長を解任され、そしてここ、バーガム監獄に収監された。遊撃部隊の部下たちはその日のうちに釈放され職務に戻った。クードの後任としてビグマールが隊長に任命された。


 情けなかった。

 男と戦うために仲間たちが一人でも多くの力を必要としている時に、自分だけここでじっと座っていることしかできない。耐え難かった。


 クードは白い光を凝視した。光は明滅を繰り返しながら次第に明るさを失い、そして消えた。

 独房内は再び闇に包まれた。

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