54話 近衛軍の最期
上空から帰還した男を待ち受けていたのは、近衛軍地上部隊だった。
男が巨大浮揚艇と交戦している間、彼らは都市全体に展開していた。そして、男が市街地まで降りてきた時、総攻撃の火ぶたが切られた。
周囲一帯の高層建築から、おびただしい攻撃魔術や銃弾が降り注ぐ。建物の間に浮かぶコンドル級武装浮揚艇がミサイルを放つ。数万発の銃弾と魔術がほぼ同時に着弾した。ビルの間を閃光が走り爆炎が立ち上った。しかしまだ攻撃は終わらない。炎と黒煙に包まれた男を標的に、飽和攻撃は続いた。
「……まったく、しつこい奴らだ」
男は巨大な杖を一振りし、「氷結の呪法」を放った。都市の一区画ぶんの高層建築が一瞬にして氷漬けにされた。建物の中にいた近衛軍兵士たち百数十名は何が起きたのか理解する間もなく凍死した。
それでも攻撃の勢いは衰えなかった。
男は天をふり仰いで詠唱した。空一面が青紫色に妖しく光り、水晶の欠片が雨のように降り注いできた。水晶雨の呪法。美しく輝く水晶片は浮揚艇の隔壁を貫き、高層建築の屋根や床を貫通し、その下にいた兵士たちの肉体を穿った。魔法防御さえそれを防ぐことはできなかった。それはまるで天からの機銃掃射だった。この攻撃で数百名の兵士が蜂の巣にされて倒れた。
火力はいくぶん弱まったが、それでもまだ地上部隊の攻撃は止まなかった。
近衛軍の兵士たちは大量の犠牲者を出しながらも、決して撤退しなかった。彼らは理解していた。この戦いに勝利しないと、デリオンに明日はないということを。
近衛軍本部ザイザス城。地下五百メートル。
三人のローブ姿の男女が、決然とした足取りで地下通路を進んでいく。トンネルのような通路には足音だけがこだまする。彼らが向かう場所は、地上施設から呪文開閉式の扉をいくつも通り抜け、大深度地下施設へのエレベーターを何本も乗り継いだ先にあった。
禁術保管庫。
あまりに危険なため全世界で使用が禁止された魔術、すなわち禁術が封印されている部屋。不活性ガスで充填された室内に、コーナード条約により制定された禁術、全七十九種の呪文が記載された魔道書がずらりと書架に並んでいる。そこには第一種特別禁術の「滅核の呪法」、「混沌回帰の呪法」も含まれている。
従軍神官一名と上級魔道士官二名からなる三名の集団は、男を倒すため、禁術の封印を解こうとしていた。
近衛軍大型飛行空母「マルディータの翼」の撃墜直後から近衛軍は動いていた。
軍は緊急で会議を開き、その場で第一種特別禁術の解除申請が決定された。もはや「王都の敵」に対しいっさいの妥協は許されない状況だった。この国の持てる力をすべて出し切る必要がある。
王宮に提出された申請は国王により即座に承認された。無理もない、王宮の天窓をぶち破って降ってきたドロウズ近衛軍大将の焼死体を目の当りにしたのだから。その時以降、国王は自室に閉じこもりきりだと言う。
人気のない通路を延々と歩いた後、ようやく三人は目的地に到着した。三人の目の前には巨大な鋼鉄の扉がそびえている。部屋の内容を示す表示は何もない。
三人は扉に向かい、同時に解除の呪文を唱えた。扉内部でカコンと音がして錠が外れ、開放機構が作動しはじめる。両開きの分厚い扉が重々しく、だが滑らかに開いていく。三人は禁術保管庫へと入室した。
前室で宇宙服のような全身密閉式の防護服を着用すると、三人はエアロックを経由して不活性ガスで満たされた室内に入っていった。
室内に立ち並ぶ書架には、古代から伝わる禁断の魔道書の数々が眠っていた。
オルバオド写本、コルギン文書、ほとんど塵に帰る寸前といった感じのカシューラ語版ビジラ経典……。いずれも表紙から禍々しい気が立ち上っているかのようだ。室内の不活性ガスは殺気がみなぎっている。気密式の防護服の生地を通してさえ、それが感じられた。
「では、はじめよう……」
呼吸装置ごしのくぐもった声で、従軍神官が言った。
うやうやしい手つきで、神官は一冊の魔道書を書架から取り出して書見台の上に広げた。コルギン文書のガーナ―語訳初版本だ。神官が慎重にページをめくるたび、古代の羊皮紙から埃が舞い上がる。細かい象形文字がページ全体にわたりみっしりと書き込まれている様は、まるで小さな害虫がおびただしく群がっているようで、見る者の生理的嫌悪感を掻きたてる。
該当箇所が見つかり、ページをめくる手が止まった。「滅核の呪法」第一部分が記載された箇所だ。
上級魔道士官二人が魔道書に歩み寄った。従軍神官が宣言した。
「これより、契約の儀式を執り行う」
近衛軍地上部隊は壊滅した。
数限りない魔術も兵器も、もはや男に傷一つつけることはできなかった。勇敢な兵士たちの魂は結晶化され、残らず男に吸収された。後には破壊し尽され瓦礫と化した都市の残骸と死体の山だけが残された。
男は西の方角を向いた。
そこには荒れ果てた丘陵地帯と、その上にそびえるザイザス城があった。
男の上空に、ニ十九本の巨大な柱が浮遊していた。それは浮揚艇「マルディータの翼」から奪い取った杖だった。男が命じると、空中に立ち並ぶ黒い柱は、かなたの丘陵地帯へ唸りを発して飛び去った。やがてそれらは丘陵地帯の各所に、ザイザス城を中心とした幾何学的に正確な配置で地面深く突き刺さった。
男は長い詠唱を開始した……。
契約の儀式が半ばまで進んだ時、ザイザス城全体に警報が鳴り響いた。
「なんだ?何が起きた」
「魔力警報レベル9!最高度非常事態警報だと!?」
「そんな馬鹿な。ありえない。……きっと誤報だろう」
魔力警報レベル9。それは近衛軍本部に対し魔法攻撃が行われ、すでに施設に重大な被害が生じていることを示していた。
ザイザス城に対し魔術攻撃が行われた場合、まず攻撃を検知した段階で魔力の程度により魔力警報レベル1から5が発報される。それらを飛ばしていきなりレベル9が発報されるのはありえなかった。城は「不可侵の呪法」をはじめとした魔力の多重バリアで守られており、どんな強い攻撃でも実際の被害が出るまで時間的猶予があるはずだった。
気を取り直し、契約の儀式を続けようとしたときに神官は気付いた。
先程までと比べ、室内が明るい。
どこからか、白く透き通った光が射しこんでいる。だがここは分厚い花崗岩の岩盤の下、地下五百メートルの地の底。いったいどこから光が射しこむというのだ。しかし気のせいで片づける事はできなかった。異変に気付いたのか、魔道士官たちもあたりを見回している。そのうち、室内の不活性ガス中に踊る白い光の粒子がはっきり目に見えるようになってきた。
「何だこれは……」神官はつぶやいた。
「まさか……まさかこれは……あぁ」魔道士官がうめいた。
もう一人が絶望的な表情を浮かべて言った。
「…聖光……消滅の聖光だ…」
次の瞬間、禁術保管庫の全てが白く染まった。従軍神官と上級魔道士官の肉体は聖なる光により微粒子と化して飛散した。禁術を収めた古代の魔道書の数々もすべて塵と化して消滅した。
男が発動した「消滅の聖光」で破壊されたのは禁術保管庫だけではなかった。その上に存在していた分厚い岩盤および広大なザイザス城の全施設そしてそこにいた人間たちも、すべてが光と化して消え去ったのだ。ザイザス城と丘陵の岩盤を構成していた数万トンに及ぶ膨大な質量は、微粒子となって宇宙空間まで吹き飛ばされた。
後に残ったのは、地の底まで続くかのような、直径六キロメートルの不気味な底なし穴だけだった。
こうして、デリオン建国以来、千数百年の歴史を誇る近衛軍の歴史に終止符が打たれた。