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53話 内なる捕食者

「氷塊の質量、90%消失。さらに減少中」

「まもなく目標に到達します」

 各部署で戦況をモニターしている魔道士隊が逐次、状況を報告する。

 司令室のスクリーンには、強烈な光を照射され蒸発していく氷塊が映し出されていた。はじめは直径三十メートルあった氷塊もどんどん小さくなり、今では残り数メートルに過ぎない。

 スクリーンの映像を見ていたドロウズ大将の顔には、満足げな表情が浮かんでいた。

 男を発見して以来、作戦は完璧に計画通りに進んでいた。氷結の呪法により瞬時に目標の動きを封じ、消滅の聖光で氷ごと原子レベルまで分解し消滅させる。 

「邪悪な男よ、この消滅の聖光は不可侵の呪法でも防げぬぞ。このまま光に浄化され無に帰すがよい」

 



 氷塊の中心で、男は身動きを封じられていた。

 不可侵の防壁で凍結は防いだ。しかし、衝撃や温度変化、物質の流入は完璧に遮断する不可侵の防壁も、光の力の前には無力だった。氷を破壊して脱出しようにも、外に出た瞬間に聖なる光に消滅させられてしまうだろう。氷壁が薄くなるにつれ、透過して射しこむ光はどんどん強烈になっていく。

 男は目を閉ざした。


 男の意識の奥底。

 一筋の光も光が射さぬ暗いその場所に、「それ」がいた。「それ」は人食い虎のように獰猛で、鮫のように貪欲で、毒虫のように醜悪な存在だった。


 男が「それ」の事をはっきりと認識したのは、つい最近に過ぎない。だが、「それ」はずっと昔からそこにいたように思えた。妙になじみ深い感触があったからだ。最初はちっぽけな寄生虫のようだった「それ」は、男が無数の魂を喰らったことで著しく成長を遂げていた。


 男は「それ」の巨体を見下ろした。唸り声を通して「それ」の欲求がはっきりと伝わってくる。「それ」は飢えていた。ただ、すべてを蹂躙し、貪ることだけを欲していた。

 いいだろう、外に出て存分に暴れるがいい。

 男は「それ」のごつごつした奇怪な頭部に優しく触れた。男を通してその存在が外部へ流れ出ていく。「それ」は男の肉体を借りて、物質界へ出現しようとしていた……。




「氷塊、完全に消失しました。……な、何だ、あれは」

 司令室にどよめきが起こった。

 氷塊が消え去った後、内部から姿を現したのは奇妙な物体だった。

 直径二メートルほどの、表面がでこぼこした黒緑色の球体。どこか禍々しいその物体は、異形の生物の卵を思わせた。


「あれは一体なんだ?防御魔術の一種か?」ドロウズ大将が魔道士長に聞いた。

「……私も見た事がありません。未知の魔術でしょうか」魔道士長も映像を見て困惑している。

「ええい構わん!最大出力で照射せよ!このまま一気に消し去ってしまえ!」大将が命じた。

「了解」

 魔道士たちは(ワンド)にありったけの魔力を注ぎ込んだ。聖なる光の輝きがひときわ強くなり、周囲の全てを白く染め上げた。強烈な光輝に、物体を映し出していたスクリーンがホワイトアウトした。ドロウズ大将はじめ司令室にいた者全員がまばゆさに目を閉じた。


 

 やがて白光が消え、スクリーンに再び映像が戻った。

 画面中央には、まるで何事もなかったかのように異形の球体が浮かんでいた。

「……目標、健在です」

「そんな馬鹿な!消滅の聖光でも破壊できない物体などありえぬ!」ドロウズ大将が叫んだ。

 

 その時、一人の魔道士が言った。

「魔道士長……物体のサイズですが、以前より大きくなっているような気が……」

「……たしかに以前より少し、いや、かなり大きくなっているぞ。倍以上か?」

「それに、今もどんどん大きく膨らんでいますよ、これ」

「うん……本当だ。一体何なのだこれは」

 魔道士長は神経質な仕種で自分のあごに触れながら、スクリーンの映像に見入っていた。今や、大きく膨張した謎の物体がスクリーンの視野全体を埋め尽くしていた。表面には山脈のような隆起が幾重にも走り、あちこちに散在する突起からは火山のように蒸気が噴き出している。それらの隙間を縫うように、深々とした亀裂が刻まれている。亀裂の奥では、まるで血のように赤い光が脈動していた。

「……生きている」魔道士長がつぶやいた。



 スクリーンに映る物体が急激に膨張した。亀裂の幅が一段と広がり、赤い光がさらに強まる。

 それまで茫然としていたドロウズ大将が急に正気を取り戻し、操縦士たちに命じた。

「な、何をしている!退避しろ!緊急回避行動!急げ!」

 大型浮揚艇は急加速で上昇しようとした。

 しかし遅かった。

 浮揚艇の直下で物体が炸裂し、無数の破片が飛散した。大型浮揚艇は破片の散弾の直撃を受けた。防御魔術を突破した破片が船体下部の隔壁を貫き、魔法増幅装置、(ワンド)が五本折損した。

「被害状況確認!」

「第ニ隔壁破損!増幅装置五本がダウン!」

「負傷者が多数発生しています!」

「おのれぇ……」ドロウズ大将が唸るように言った。

「た、大将、あれを!」魔道士長がスクリーンを指さした。そこにはあり得ざる光景が映し出されていた。




 近衛軍アルゲンタビス級大型浮揚艇「マルディータの翼」の前方百メートルほどの空中に、それは悠然と浮かんでいた。

 それは巨大な怪物だった。長く伸びた尾部まで含めると、その全長は三百メートルに達するだろう。全体の印象は、昆虫とドラゴンの混成態(キメラ)。外骨格に覆われたずんぐりした胴体、鋭い鉤爪を備えた八本の肢、六枚の透明な翅。銀色に輝く四つの複眼。そして、巨大な口。


 それは虹色に輝く六枚の翅を緩やかに羽ばたかせ、浮揚艇へと接近してきた。

 浮揚艇全体が恐慌に陥った。船に搭載された全武装、(ワンド)、火砲、機銃がいっせいに火を噴いた。しかし、死にもの狂い銃弾と魔術の一斉射撃は、超硬質の甲皮に弾かれ、空しく火花を散らしただけだった。


 怪物の巨体が浮揚艇に激突した。怪物は浮揚艇にのしかかり、八本の肢でしがみ付いた。あまりの重量に船体は歪み、軋り、悲鳴をあげた。鋼鉄をしのぐ鉤爪は深々と外部隔壁を貫き、引き裂いた。

 怪物は口を開いた。何列もの鋭利な歯列に覆われた四つの顎が、ゆっくりと上下左右に開いていく。一本一本が数メートルにおよぶ無数の濡れた歯が、日射しを浴びて光る。


 怪物は浮揚艇を喰らい始めた。

 まさしく、それは捕食だった。浮揚艇は哀れな餌食に過ぎなかった。そこに展開されたのは、生態系で上位に位置する捕食者が獲物を襲う光景そのものだった。浮揚艇の船首が、主翼が、上部隔壁が、見る見る消えていく。機関部や魔力炉などの内部構造がむき出しになる。それらも片端から食われていく。怪物は金属と人体とをいちいち区別しなかった。船内にいた何百という兵士たちは船体もろともむさぼり食われていった。

 やがて浮揚艇で残っているのは、まだ何とか浮揚力を保っている骸骨のような船体骨格と、奇跡的に残った司令室の一部だけとなった。



 ドロウズ近衛軍大将はまだ生存していた。

 司令室の大半は失われていた。床一面に広がる都市の立体地図ももうない。魔法増幅装置を制御していた魔道士隊たちも、もういない。ただ、わずかばかりの床の残骸と、司令座だけがぽつんと残されているのみだった。吹きさらしの司令座に就いた大将の眼下で、巨獣はなおも「マルディータの翼」の残骸を漁っていた。

「……おのれ……おのれ……おのれ……」

 ドロウズ大将はつぶやき続けていた。その眼にはもはや何も映っていなかった。



 突然、怪物の動きがぴたりと止まった。そして、その身体がまるでガラスと化したかのように透き通ると静かに崩壊しはじめた。巨大な怪物は無数の透明な破片となって、高空を吹き渡る風に散らされて跡形もなく消えた。

 後には無惨に食い散らかされた浮揚艇「マルディータの翼」の残骸と、男だけが残った。


 男は司令室の残骸に降り立った。

 男を目にして、司令座のドロウズ大将の意識は久方ぶりに焦点を結んだ。大将は唾を飛ばし目を血走らせながら絶叫した。

「貴様ぁッ!こんな暴挙が許さると思っているのかぁッ!貴様は近衛軍、いやデリオン全軍の総力をもって今度こそ完全に叩き潰し……」


 男の手には、身の丈を超す巨大な棒状の物体が握られていた。浮揚艇の魔法増幅装置、(ワンド)の残骸だった。残骸といえども、魔法増幅機能はまだ有している。男は火球を召喚した。杖の力を借りているので、それはひときわ高温に、青く燃え盛っていた。

 男は浮揚艇の残骸に火球を叩きつけた。




 デリオン王宮。

 国王エウレヴィア十七世陛下の演説は終盤に差し掛かっていた。

「……私は国民の皆に誓う。このような悲劇はもう二度と繰り返させない!もう二度と。絶対にだ!そして犯人には国王の誇りにかけて正義の裁きを下すことをっ!」

 国王は握りこぶしを振り上げた。あたかも犯人に鉄拳制裁を食わさせようとするかのように。

 なかなか上手くいったな。国王は今回の演説の出来に満足していた。自己採点で八十点はつけたい。これで国民の不安は払拭され、犯人に立ち向かう勇気が湧いてきたのではないだろうか。


 まもなく演説を終了しようとした、その時だった。 

 宮殿の天窓が粉々に砕け散り、ガラスの雨が床に降り注いだ。

 国王は驚愕のあまり、思わず後ろに転倒しそうになった。


 何かが落下してきたのだ。

 演説放送のために王宮を包む魔法防御壁の強度を一時的に落としてはいたが、それにしてもありえない失態だった。さっきまでの演説が台無しではないか。今の様子も全世界に放送されてしまっただろう。

 今日の王宮護衛の総責任者は誰だ。この失態の責任は絶対に取らせてやる。

 それにしても、何が落下してきたのだろう。

 国王は改めて落下物を見た。それは一メートル半ほどの黒い塊だった。幸い天窓の下には誰もいなかったので怪我人は出なかったが、あんな大きさの物がぶつかっていたら怪我では済まなかっただろう。そこは不幸中の幸いではあるが……。だが次の瞬間、国王は落下物の正体に気付いてしまった。


 それは椅子に縛り付けられた、黒焦げの焼死体だった。

 その全身は今もくすぶり続け、煙が立ちのぼっている。焼け焦げた頭部は男女の区別さえ定かではなく、歯をむき出しにして凄まじい断末魔の表情を浮かべている。しかし焼け残った近衛軍幹部の軍服と、それを彩る数多くの勲章は見誤りようがなかった。

「へ?……ド…ドロウズ? うわぁあああああああ!!!!!」


 国王の絶叫はまるまる三十秒間続いた。ムラベル広報官があわてて放送を打ち切るまで、それはデリオン全国に、そして全世界に中継され続けた。

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