47話 追撃戦
男が逃げ込んだ建物の上空には遊撃部隊の戦士たちが集結していた。
しかし、戦士たちの表情は一様に険しい。
「……厄介な場所に逃げ込まれたな」。開口一番、クード隊長はそう口にした。
戦士たちが見下ろす白いタイル張りの建物。
これは病院だった。デリオン小児専門治療院。ここには難病を抱えた子供たちが大勢入院していた。
いつしか頭上には分厚く雲が垂れ込めて夜空を閉ざしていた。雷鳴がとどろき始めると共に、空中で待機する戦士たちの赤い装甲の上に、ぽつり、ぽつり、と大粒の雨の滴が落ちてきた。降り始めた雨は急激に勢いを強め、戦士たちの全身を濡らしていく。
「どうしましょう隊長」
「……止むを得ん。すみやかに内部に突入し、武器による近接戦闘で目標を制圧する。可能な限り民間人への被害は避けろ。病院側へは私が今から連絡する」
「了解!」隊員たちは短く答えた。
「突入!」
外壁に開けた大穴以外にも、数か所の窓をこじ開け、戦士たちは続々と病院内へと突入していった。
同時に何名かの戦士は外部に残り、相互連動して「不可侵の呪法」を発動させた。ハニカム状の光の網目が建物全体を包み込み、絶対不可侵な魔力な壁を形成した。これで男が外部へ逃走するのは不可能になった。
男はもはや袋の鼠だ。問題はいかに病院への被害を最小限に留めるかだ。
建物内部に侵入した戦士たちは廊下の床に残る血痕を発見した。
「目標は負傷している模様。追跡する」
彼らは血痕を辿りながら、一列になって廊下を進んでいった。分厚い装甲をまとった巨体は狭い廊下をほとんど塞ぐような状態だ。幸い、このフロアは病室ではなく物置などとして使われているらしく、人の姿は見当たらない。天井の照明はまばらで廊下は薄暗かった。やがて廊下を進んだ先の柱の影で、床の血痕はぱったりと途切れていた。戦士たちは顔を上げて周囲を見回した。
その時だった。突入部隊のしんがりを務める戦士が声を上げた。
「後方で魔術反応!総員防御態勢!」
薄暗い廊下が突然、赤い光で満たされた。廊下の幅いっぱいに燃え盛る巨大な火球が戦士たちめがけて直進してきたのだ。廊下の両側に脇道や部屋の入り口はない。回避するのは不可能だった。明らかに、男は戦士たちを一網打尽にするためにこの場所を選び、まんまと戦士たちを誘い込んだのだ。灼熱の火球は廊下を溶融させながら戦士たちに迫った。
猛然と迫る火球が戦士たちを飲み込むかと思われたその時、火球はぴたりと空中で動きを止めた。それはしばしの間、まるで小さな太陽のように周囲に強烈な光と熱を振りまいていたが、その光熱は急激に強度を失い、小さくしぼんで最後は赤い火の粉のようになって消えた。
しんがりを務めていた戦士、ビグマール曹長が火球の呪法を相殺したのだ。
彼は被害状況を確認した。死者、負傷者なし。建物に燃え移った火は「冷気の呪法」で瞬時に鎮火した。
「見え透いた罠だったな。火球の弾道から推測して目標は後方四十メートル以内。追うぞ!」
隊員たちは方向を転じ、男の追跡を開始した。
「いたぞ!」
先頭を進むウォルバ一等兵が男の姿を捉えた。男は三十メートルほど先の廊下を飛んで逃げていた。
ウォルバは装備する槌鉾を構え、魔力をチャージした。そもそも最初に男を発見して狙撃したのはウォルバだった。しかしあの時は距離があったせいで仕留め損なった。しかし今度はこの近距離だ。確実に殺れる。俺がマイロン街事件の犯人を倒し、英雄になるのだ。
「バカ野郎!隊長の指示を聞いてなかったのか!」
ウォルバは後ろから襟首を捕まれて引きずり倒された。ビグマール曹長だった。その頭上を後続の戦士たちが追い抜き、男を追撃していく。
「こんな所で遠隔魔術攻撃をしてみろ!確実に民間人にも巻き添えが出るぞ!」
「しかし曹長……。いえ、申し訳ございません」
「行くぞ」
ウォルバは一瞬、不服そうな表情を浮かべたが、曹長の後ろから大人しく従った。
「目標はエレベーターシャフトに侵入!」
先行する戦士たちが報告した。まずい事態だった。エレベーターシャフトを通じて患者たちがいるフロアに侵入されたら、人質を取って籠城される恐れもある。その前に何としても男を仕留める必要がある。
「総員!最大加速モード」
遊撃部隊の装甲は外見通り圧倒的な防御力を誇るが、むしろその真価は攻撃力増強にある。装甲には常時、複数の魔術効果が働き、着用者の戦闘能力を大幅に強化している。加速モードもその一つだ。神経伝達速度を飛躍的に高めることで得られる加速効果は「肉体強化の呪法」の比ではない。
隊員たちは残像が残るような猛スピードでこじ開けられたエレベーターシャフトに突入していった。
縦穴の闇の中、上方に目標の男が浮かんでいた。男の全身は青白く輝いていた。その右手には細身の剣が握られている。男はシャフトの壁を蹴り、剣を突き出して隊員たちに向かって急降下してきた。最大加速モードにある隊員たちの動きに反応している事から、男も何らかの魔術的手段で加速しているのは確実だった。
もっとも先行していたリーグ一等兵が槌鉾を振りかざし、男を迎撃しようとしたその時だった。
エレベーターシャフト全体をまばゆい光輝が満たした。
「目くらましの呪法」だった。
装甲のヴァイザーの視覚調整機能はどんな急激な光度の変化に対してもほんの一瞬で順応することができる。しかし、この高速戦闘時には、その「ほんの一瞬」が命取りになる。リーグは男を見失った。と、次の瞬間、死角に回り込んでいた男に、リーグは脇の下にある装甲のわずかな隙間を剣で貫かれた。剣先は心臓に達して彼を一撃で絶命させた。
男は下に続く隊員たちに向かってリーグの死体を投げ落とした。隊員たちは落下してきた仲間の亡骸を思わず受け止めた。そのため、両手が塞がってしまった。隊員たちが自らの判断ミスに気付いた時には遅かった。頭上から凄まじい圧力が降り注いできて、隊員たちはまるで巨人の手のひらで叩き落とされたかのようにをはるか下まで落下していった。「圧縮の呪法」だった。圧力を加える方向を一方向に限定することで、殺傷力は落ちるが効果発動までの時間を大幅に短縮することができるのだ。
隊員たちは一塊になって墜落し、途中でエレベーターのケージと衝突してこれを粉砕し、最後にシャフトの底に叩きつけられてようやく止まった。
「ぐ……クソったれが」
「うぅ……痛つつ」
「全員、無事か?」
「クソッ!リーグがやられた!」
全員、装甲の防御力のおかげで命に別条はなかった。しかし、男を取り逃がしてしまった。