46話 近衛軍
デリオン西部の丘陵地帯。
街を見下ろすその高台には巨大な要塞がどっしりと鎮座していた。
その名はザイザス城。石造りのその城は、千数百年前にこの地に都が築かれた時以来、王都の守りの要を勤めてきた。それは今でも変わらない。
歳月を経た重厚な石壁の内側では、鍛え抜かれた精鋭と最新鋭の機器が、都市の平安を乱す者に目を光らせ続けている。
分厚い城壁で囲まれた中庭に、真紅の装甲をまとった数十名の男たちが集結していた。
いずれも屈強な体躯の持ち主だ。その全身を覆う装甲の重量は五十キロを下回るまい。各々、斧槍や槌矛を掲げ、背には純白のマントが翻っている。
整然と並んだ男たちの前で、隊長が出撃前の最後の状況説明を行っていた。
「目標は突入部隊約七十名全員を殺害した。その上、警備隊本部に浮揚艇を突入させ約六十名を殺害。さらに現在、こうやって話している間も、デリオン市街地で通り魔的に破壊を繰り返しながら北上中だ。市街地での死傷者数は現在調査中であるが、甚大な被害が出ている模様だ。
目下の状況より判断し、我々は敵の攻撃性および想定戦力を大幅に上方修正する必要がある。敵がどんな攻撃を繰り出してきてもおかしくないと思え。説明は以上だ」
隊長は続けた。
「これは王都に対する明確なテロ攻撃である。我らに対する敵の挑戦をこれ以上看過する事は断じて、断じて許されぬ。我々デリオン近衛軍、首都防衛師団遊撃部隊は、己が命と誇りを賭し、邪悪なる敵を追撃し、殲滅する!我らが栄えあるエウレヴィア17世陛下と臣民のために!」
「陛下と臣民のために!」隊員たちが唱和する。
「いざ、出撃!!」
遊撃部隊隊員たちは「浮揚の呪法」を発動した。重装甲をまとう戦士たちの体が風船のように空中に浮かび上がった。彼らはザイザス城上空で編隊を組むと、男の進路に向かって猛烈な加速で飛び去った。衝撃波が発生し、王都上空に雷鳴のように轟いた。
男は遊び半分に暴力をまき散らしながら、北へと向かっていた。
愉快だった。これまでの人生でなかったほど、男は幸福感と全能感に満たされていた。
「ふふふふ……」男の口元には笑みが浮かんでいた。
不意に、男は混雑する飛行レーンの真ん中にふらりと舞い降りた。整然と列をなして飛行していた浮揚艇や飛行車たちは泡を食って急ハンドルを切り、または急ブレーキをかけたために周囲は大混乱に陥った、何台かは空中で衝突事故を起こした。
「何やってんだてめぇ!死にてぇのかボケェ!!」急停止した運搬用飛行車の運転手が窓を開けて怒鳴った。
「……」男はぼんやりと運転手を見た。髪の薄い初老の男性だった。男は空中を漂って飛行車に近づき、間近から運転手を見下ろした。
「…な、何だよ!なにガン飛ばしてんだよ、おい……何とか言えよ!」
「……」男は底なしの瞳で運転手を見つめ続けた。
「……チッ、いかれてやがる」
急に気味が悪くなった運転手が急いで飛行車を発進させようとした、その時だった。
男はおもむろに手を伸ばして運転手の口元をつかむと、素手で下顎をむしり取った。運転手の喉から大量の血とともに声にならない呻きが漏れた。男は顔の下半分を失った男性を車外に引っ張り出した。哀れな男性は目を白黒させながら口元を押さえている。その指の間からは絶え間なく血が流れ出していく。
男は空中に浮かんだまま、運転手の身体を解体しはじめた。霊剣テスタニアで、あるいは素手で、運転手の肉体を少しずつそぎ落とし、もぎ取っていく。一つ、また一つと、切り落とした肉片が地上へと落ちていく。運転手の身体は少しずつ小さくなっていった。そしてある時点で、ついに彼は絶命した。急に興味をなくした男は残った部位をまるでゴミのように投げ捨てた。
男の行為には何の意味もなかった。殺意さえなかった。ただ、拾った小枝を少しずつ手で折っていくのと同じレベルの、何気ない行為でしかなかった。その無為の行為が、五十年余を生きてきた一人の男性の命を永遠に奪った。
男は運転手が乗っていた運搬用飛行車に近寄ると手を触れた。圧縮の呪法。全長十五メートルほどの車体がベコベコと音を立てて捻り潰されていく。男はそれを直径一メートル程度にまで圧縮した。
男は百メートル離れた隣の飛行レーンを眺めた。まさにその時、長く連なった光の列がこちらに向かってくるところだった。それは連接式飛行バスだった。その姿はまさに空飛ぶ電車といったところか。八両連結式の飛行バスの車内には煌々と照明が灯り、大勢の乗客が乗っている。
おあつらえ向きの的だな。男は思った。
男は圧縮した鉄球を魔力で撃ち出した。鉄球はカーブを描きながら凄まじいスピードで空飛ぶ電車の先頭部分へと向かっていく。さあもうすぐ直撃だ。あのまま先頭車両から最後尾まで貫通させてやろう。さて、何人死ぬか。
その時だった。
鉄球の軌道がそれ、列車の車体をかすめて飛び去った。列車は何事もなかったかのように空中を通り過ぎていった。鉄球は何もない空中でぐるぐると螺旋軌道を描き続けて速度を失っていき、最後には静止した。
男は眉をひそめた。いったい何が起きたんだ。
その時、記憶の奥底からある可能性が浮かび上がってきた。男が殺して奪った魂の記憶だ。
「……ああ、やつらが来たのか」
近衛軍か。
王都警備隊があくまで治安維持と警察活動を任務としているのに対し、首都防衛を担っているのが近衛軍だ。その戦力は王都警備隊とは比較にならない。感覚としては警察と米軍海兵隊の差に近いものがある。男の顔に浮かんでいた笑みが凍り付いた。
男は慌てて魔力で索敵を開始したが、すでに遅かった。
上空の夜空にひるがえる三つの白いマントが見えた。そして彼らの全身を覆う真紅の甲冑が。この姿、間違いない。あの名高き首都防衛師団の遊撃部隊、通称「赤き騎士団」か。
姿を現した赤き騎士は手にした武器を構え、まっすぐ男に向けて狙いを定めて撃った。高密度に圧縮された数千発の魔力エネルギーの弾頭が襲いかかる。男は手近な高層建築の窓を破り、かろうじて中に逃げ込んだ。だが無数の魔力弾頭は男が逃げ込んだ建物の窓辺ごとごっそりと削り取った。
男の逃げ込んだ部屋の窓と窓からニメートルの範囲が無数の破片と化して消失した。男は廊下に逃げ込み、かろうじて回避した。危うく巻き込まれるところだった。だが、ふと左足にヒリヒリした感触を覚えて目をやると、男の左足はくるぶしから下がなくなっていた。
男は浮揚の呪法で体を浮かべたまま、建物内を移動していった。そして窓から十分離れたと思える位置でうずくまり、足の治療を開始した。
さて、どうしたものか。相手はまさに一騎当千の強者。一筋縄ではいかないぞ。だが治療を行う男の顔には再び笑みが浮かんでいた。