36話 激突
男は大虐殺の場を後にし、街を歩いていた。
男の体内には吸収したばかりの数百名分にもおよぶ魂のエネルギーが満ち溢れていた。全身からにじみ出るオーラが陽炎のように男の周辺の空気を歪ませている。一歩一歩歩くごとに、取り込んだ魂の力が身体になじみ、我が物となっていくのが感じられた。
十分ほど歩いた後だろうか、男は自分を尾行してくる者の存在に気が付いた。
男は入り組んだ道を急な方向転換や、逆戻りを繰り返しながら歩いていたが、マイロン街の方向から、それと全く同じ経路をたどって追跡してくる者がいる。人数は一人。その距離は徐々に縮まりつつあった。
やれやれ、食いついて来たな。
男は角を曲がり、そこで追跡者を迎え撃つことにした。追跡者が男に気付かれたことに気付いたのが感じられた。しかし追跡者はスピードを緩めず歩いてくる。その歩みぶりは自信と貫録に満ちていた。姿を目にする前から相手がかなりの手練れであることが感じ取れた。
曲がり角の向こうにやってきた。もうすぐ姿を現す。男は霊剣テスタニアを抜き放ち、身構えた。
現れたのは、エルフ族の若者だった。
またエルフなのか。男は苦笑した。いつもエルフは俺の邪魔ばかりしやがる。
男が対峙したエルフは背が高くガリガリに痩せていて、陰気な顔付の青年だった。しかし、それは見せかけに過ぎなかった。男はその裏側に秘められた圧倒的な魔力を即座に感じ取った。かつて戦った相手とは次元の違う強敵だ。だが、と男は思った。俺も以前とは比べものにならない程の力を手に入れた。
腕慣らしには調度いい。
「お初にお目にかかる、魂食獣よ」エルフが口を開いた。
「貴様の噂にたがわぬ邪悪さ、しかとこの目で見届けた」
「……」
「己が目的のために大勢の無辜の民を無惨な死に追いやる、その鬼畜の所業、捨て置くわけにはいかぬ。覚悟せい」
「フ……」男は鼻で笑った。そしてエルフの青年の目をまっすぐに見つめて言い放った。
「できるもんならやってみろ」
しかし、それに対するエルフの返答は意外な物だった。
「……なんという弱い目じゃ。心の弱さが透けて見えるようじゃ」エルフは憐れむように言った。
男は霊剣テスタニアで高加速状態に突入した。数十名分もの生命力を代償にして得られた凄まじいばかりの速度でエルフに飛びかかり斬撃を放った。あまりの速さに周囲の人間には視認することも叶わぬだろう。
信じがたい事にエルフは男の速度に対応した。いつの間にかその手に出現した剣で霊剣の必殺の一撃をかろうじて受け止めた。肉体強化の呪法という言葉が男の脳裏に浮かんだ。この一瞬で武器を召喚し、筋力と反射神経を魔術で強化してのけるとは、やはりかなりの強敵だ。
しかし、膂力は男の方が勝っていた。エルフは後方に弾き飛ばされ、背中から建物のレンガ壁に激突した。男は跳躍し追撃を食らわせようとしたが、すでにその場にエルフの姿はなかった。
エルフは上空にいた。両腕を大きく広げ宙を舞っている。と、その両手が鋭い光を放った。
緑色の光柱が天から降り注ぎ、男を押し潰した。光圧のあまりの強さに頭を上げることさえできない。光から逃れようとするが、全身を押す圧倒的な重圧に足が上げれられず前に進めない。やがて立っていることさえ出来なくなり、男は地面に両手をついた。
「が…ぐ……ぐ……」
まるで巨大なハンマーの連打を浴びているかのように、男の体は地面にめり込み始めた。舗装が砕け、亀裂が入り、陥没していく。男の体は街路の破片に埋没していった。
「とどめじゃ」
緑色の光輝が一段と激しさを増し、まるで固体の柱のようになった。光柱の根本の地面は広範囲にわたって粉砕され、破片が飛び散った。男の姿は地中深くにめり込み、もはや見えない。
上空に浮遊するグレン/レオドはそれでも光を注ぎ続けた。
「裁きの光柱」。光の圧力によりあらゆる物質を粉砕、消滅する魔術だった。魂食獣はその細胞の一片たりとも残してはおけぬ。分子レベルにまで完全分解し、死滅させなければならない。
二人が戦っている場所はマイロン街から離れたとはいえ、王都デリオンの中心部にほど近い地区だった。周囲には高層建築が建ち並び、その間を空飛ぶ乗り物が飛び交っている。グレンの上空を照明を点灯した飛行車や浮揚艇が次々に通り過ぎていく。
その時、グレンの頭上にさしかかった一台の大型浮揚艇が真っ逆さまに墜落してきた。グレンはすぐさま飛び退いて衝突を避けた。しかし落ちてきたのは一台だけではなかった。グレンの上空の飛行レーンから、次から次に貨物飛行車が、浮揚艇が、浮揚バスが、雨のように降り注いできた。グレンはたまらず、「裁きの光柱」を中断し、傍らの高層建築の壁面に退避した。墜落した乗り物たちは地面に激突し大破した。
まさか「裁きの光柱」で押し潰されながらも魔術で反撃してくるとは。グレン/レオドは驚嘆した。しかしのん気に驚いている暇などなかった。
地面に叩きつけられ、ぐしゃぐしゃに壊れた乗り物の残骸が、再び空中を浮上し始めたのだ。まるで元の飛行レーンに戻ろうとするかのように。グレンは危険を感じ、ビルの壁面を走り、反対側に逃げ込もうとした。しかし遅かった。空中に浮遊する残骸が、グレンめがけて一気に殺到した。瞬時に魔法の防壁を展開し圧死は防いだが、ひしゃげた鋼鉄の塊にすっかり包み込まれ、身動きが取れなくなった。
グレンを押し包む鉄塊は、まるで巨人の手で握り潰されているかのように、どんどん圧縮されていった。ギギギ……という金属の悲鳴に混じり、時折バキンッとガラスや樹脂製の素材が砕ける音が響く。
はじめは原型を留めていた飛行車たちは折り畳まれ、変形し、押し固められ、スクラップの塊と化していった。十台ほどの大型飛行車からなる鉄塊は圧縮されるにつれ、どんどんその半径を縮めていった。十メートル、五メートル、三メートル……二メートル……もはやその内部にはいかなる空間も残されていないだろう。
地上では、男が深い亀裂の底から這い上がっていた。額が切れ、血が流れている。
男が使ったのは「浮揚解除の呪法」に「浮揚の呪法」それに「圧縮の呪法」だった。いずれもつい先ほど、マイロン街の殺戮で奪った魂から手に入れた魔術だった。三つとも魔術工業でよく使用される産業魔法だ。男が殺した人間の中に魔術エンジニアでもいたのだろう。
男は上空に浮かぶ、小さくなった鉄塊を見上げた。