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32話 労働者

 ベルトコンベアに乗った部品が、目の前に流れてくる。部品に手のひらをかざして魔力を込める。「浮揚の呪法」だ。部品は重量を失い、コンベアから浮き上がる。それを持ち上げて頭の高さにあるフックに固定する。部品を固定されたフックは頭上のレールに沿って動き、製造ラインの下流に消える。視線を落とすと、ベルトコンベアの上を新たな部品が運ばれてくる。それに再び「浮揚の呪法」をかける。フックに固定。「浮揚の呪法」……

 延々と同じことの繰り返し。作業シフト開始から三時間。一連の動作はもはや無意識のレベルで行われていた。作業者の心は今現在から離れ、あらぬ方向へとさまよっていく。

 いったいなぜ、俺はこんな事をしている?

 エルフ族の少年、グレンは自問した。



 グレンはアルテンナ出身の町エルフだった。

 町エルフとは人間と共に町や村に住むエルフ族の俗称だ。エルフ族の伝統的なライフスタイルは、人里離れた深い森に生き、自給自足を旨とし、森の神羅万象と精神を感応させる事に至上の価値を見出すというものだ。しかし、人間による森林伐採が進み、深い森はいまや数少なくなっていた。多くのエルフは森を出て、新たな生き方を模索せざるをえなかった。一部のエルフは各地を放浪する身となり、残りの一部は人間と共生することを選んだ。それが町エルフだった。町エルフたちが住むエルフ街は世界各地の都市の一角にあった。


 アルテンナの居住区もその一つだった。そこでグレンはおおむね恵まれた少年時代を送った。彫刻師の父親と薬師の母親から十分に愛情と教育を受けて、何不自由なく育ったグレンは、長じるにつれて魔術の才能を顕わした。得意としたのはエルフ族の伝統的な魔術だった。人間たちの近代魔術が急速に浸透するにつれて、旧来のエルフ魔術が忘れられていくことを危惧していた居住区の古老たちはグレンの才能を大いに喜んだ。昼間は人間の子供たちと共に学校で学び、夜は古老たちから魔術の鍛練を受ける日々が続いた。


 そして、十六歳のある日、グレンは古老たちの推薦を受け、エルフ族の聖地の森、ハイチャフ・ギルフでの修練に送り出された。

 聖地の森では三年に一度、世界中から優秀な町エルフの子供たちを集め、森に暮らす伝統的なエルフになれるように修行していた。それが修練者の制度だった。伝統的エルフは減少する一方であり、エルフ族特有の文化はいまや存続が危ぶまれていた。伝統の担い手として、修練者たちはエルフ族の期待を一身に集める存在だった。しかし、人里とは異なる厳しい環境と、過酷な修行に音を上げ、毎回多くのエルフの若者たちが挫折し森を去って行った。最終的に物になるのは、近年では一割がいいところだった。

 そんな厳しい修行生活にもグレンは順応した。森の精霊の声を聞くすべを学び、険しい山道も難なく踏破できるようになっていった。グレンはその年の修練者でも最有望株の一人だった。



 しかし、約一年前、修行の日々は突然終わりを告げる。

 突然の、修練者資格のはく奪だった。

 まもなく聖地の森の深奥部に到着し、これから本格的な修行が始まるという、その矢先の出来事だった。エルフ族の上級戦士である森の番人の女から一方的に通告を受け、その翌日から強制的に下山させられた。

 山を下りながらもグレンはまだ自分の身に起きた事が信じられなかった。下山に同行した森の番人が語った説明は次のようなものだった。


 修練者たちの一行が森を歩いている時、誤って有毒な火山ガスが溜まっている窪地に踏み込んでしまった。教導者一名を含む修練者数十名が即死。何とか命を取り留めたのはグレンただ一人だった。しかし、その時の後遺症により記憶と人格に変調をきたしてしまい、残念ながらこれ以上修練を続けることはできなくなってしまった。事故前後の記憶が欠落しているのがその証拠だ。

 その説明には釈然としないものを感じたが、グレンは従うより他なかった。


 人里に下りたグレンだったが、故郷のアルテンナには戻らなかった。否、戻れなかった。

 居住区の一族の期待を一身に背負って出てきて、多額の資金援助までしてもらっておきながら、一人前の伝統的エルフになることができなかったのだ。理由がどうあれ、皆に合わせる顔がなかった。

 それから半年ほど、グレンは各地の都市を転々とした。そして辿り着いたのが、この王都デリオンだった。



 ビーッ!ビーッ!ビーッ!

 けたたましいブザー音がグレンの回想を打ち切った。

 気が付くと、フックにきちんと固定されていなかった部品が脱落し、それが後続の部品と衝突して製造ラインが滞っていた。

「やべぇ……」

 つい手元がおろそかになってしまった。このままじゃ監督に大目玉を食らうぞ。グレンは急いで漂う部品を拾い上げると、フックにしっかりと固定した。一時的に渋滞した部品たちは再び順序良く流れ始めた。

「やれやれ」

 グレンはほっと胸をなでおろした。大事に至らなくて助かった。幸運にも部品には損傷はなく、製造ラインが緊急停止することもなかった。


 しかし、ブザーの音は作業監督の耳にしっかり届いていた。

 作業シフト3回目の休憩時間になるやいなや、作業監督がグレンの元にすっ飛んできた。監督は顔色が悪く固太りした体型の中年男だ。種族は人間だった。

「おいてめぇ!何ボケっと仕事してやがる!このクソったれが!危うく緊急停止かかるところだったぞ!わかってんのか耳長野郎!」

「……はい、も、申し訳ございません」

「これで四度目だぞ……わかってんのか?

 緊急停止がかかれば製造途中の部品は破棄、最悪の場合だとラインの機械全体がぶっ壊れる可能性だってあるんだぞ。そうなりゃウン百万の損失だ。お前責任取れんのかよ!あぁ!?ったく、いい加減にしやがれ!

 次にまたしでかしてみろ。今度こそクビだぞ!」

「はい、今後、気をつけます……」

「次はないからな。肝に銘じておくんだな!」

 監督は憤然としながら、何度も振り返ってグレンをにらみつけながら持ち場へと戻って行った。



 長い作業シフト時間がようやく終わり、グレンは製造ラインから解放された。

 作業着をロッカーに片付け、私服に着替えて工場を後にした。グレンが働いているのはレイントロン浮揚機社の工場だった。主力製品は魔力浮揚式の足こぎ式軽飛行車。グレンの担当は飛行車のフレームに「浮揚の呪法」をかけて重量を打ち消す事だった。

 シフトが終わって工場から吐き出された作業者たちの群れに混ざって、グレンはとぼとぼ歩いた。

 立ち並ぶ高層建築の間に見える空は日没の時を迎えてオレンジ色に燃え立っていた。グレンの後ろに長い影が伸びる。

 仕方がないんだ。

 近代魔法についてはほとんど未経験だったグレンが就ける仕事と言えば、この工場の仕事のように薄給で過酷な単純作業だけだった。これまでの人生でグレンが古老たちから教わり、修練者としての修行で身に着けてきたエルフ魔法など、人間の都市での仕事には糞の役にも立たなかった。まったく無駄な努力だった。

「クソっ!」グレンは毒づいた。


 しかし、これが本当に魔法なのだろうかとグレンは思った。

 人間の近代魔術はどれも即物的で、実用一点張りで、まるで機械のようだった。

「違う……こんなの魔法じゃねぇよ……」

 グレンは幼き日のある出来事を思い出していた。


 グレンがまだ七つくらいの頃、アルテンナのエルフ居住区に放浪エルフの一団が来訪した。

 放浪エルフは町エルフと違い、一か所に定住せず町から町へと荒野を流浪して生活しているエルフだった。アルテンナの町エルフたちは彼らを丁重にもてなした。放浪エルフたちはお返しとして楽器を奏で、そして魔法を使った。

 美しかった。色とりどりの無数の光が空中で弾け、音楽に合わせて舞い踊った。それを見ていたグレンたち町エルフの子供の体がふわりと宙に浮かび上がった。そして魔法の光と一緒になって空を飛びまわった。美しい色彩に照らされて浮遊しながら、幼いグレンは歓声を上げた。あんなに素晴らしい経験は後にも先にも二度となかった。

 魔術とは本来、夢であり、ファンタジーであり、奇跡のはずだ。

 人間たちは魔法を切り取り、そぎ落とし、繋ぎ合わせ、自分たちの好き勝手に魔法を作り変えている。そんな事が許されるわけがなかった。魔法は生きているのだ。

 いつか必ず報いがある。人間どもは魔法に手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

 グレンの顔に、暗い笑みが浮かんだ。

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