30話 都市
……近代魔術の進歩に多大なる功績を残した偉人な学者たち。彼らの活躍なくしては今日の社会の発展はありえなかったであろう。
フリム・フォン・ベインはカイラ大学の民俗学者だった。彼は十五年かけて北コルム群島各地の集落を訪ね歩き、村または一族という狭い範囲で先祖代々継承されてきた魔術の数々を収集した。その成果は「北コルム地方の魔術とその分類」という記念碑的大著の形で発表された。彼は収集した魔術に古典ゼーゼ語で学名を与え、呪文の言語、属性、効果等をもとに体系的に分類した。彼の死後も、弟子の民俗学者たちは世界各地に散って魔術を収集し、世界に存在する魔術の目録作りに精力的に取り組んだ。今日でも民俗学者たちにより、その仕事は継続中である。現在のところ、全世界で429,700種の魔術が発見されている。学者たちは未発見のものを含め約百万種の魔術が存在すると推定している。
フォン・ベインと彼の使徒たちが世界中から収集した膨大な魔術の数々。それらを相互に比較し相違点を研究する分野が比較魔術学である。その学問の創始者はグドレグ・ズビーだ。ロスホー王立科学院の院長を務めた彼は、呪文を言語学的に解析し、魔術ごとに共通したスペルがあることを認めた。そして魔法効果が同じでいっけん類似した魔術でも、まったく異なる由来を持つ場合がある事も発見した。たとえば「発火の呪法」でも、オイケ・マゼタティオはイオル系に属し、一方、テリナトス・オイトロは古エルフ系に属するといった具合で、両者はまったく異質な魔術である。
彼の弟子であるオルトー・ペスカはズビーの理論を拡張した。彼は類似したスペルを持つ魔術は、共通の祖先魔術から長年をかけて変化して生まれたとする変化論を発表し、大いに論争を呼んだ。魔術は伝承される際に、まれに伝え間違い、記憶違い等によりわずかに呪文が変化することがある。変化した呪文は大半が何の効果も発揮しないためそのまま消えていく。しかし、ごくまれに新しい効果を追加したり、まったく別の効果を持った魔術に変化することがある。そのようにして、今日世界中に存在する膨大な魔法の数々が生まれたとオルトーは考えた。
オルトーは、洗練された高位魔術も、今でも一部のオークが使っている原始的な獣魔術のようなものが長い年月を経て自然に変化して生じたと唱えた。これが魔道士たちの反感を買った。ある日オルトーは伝統的魔道士一派の青年に呪殺され非業の死を遂げた。しかし今日では彼の説の正しさは立証され、魔道士たちも自らの非を認めている。
オルトーの変化論をさらに推し進めた野心的な人々がいた。魔術工学者たちである。魔術工学者は、自分たちで呪文を変化させて、魔術の効果を向上させ、または新たな魔術を作り出そうとした。そのうち、特に重要な二人を紹介する。
ガイル・イ・セリッパーはロンドグンダ奥地の少数民族に伝えられてきた「金棒踊りの呪法」をもとに呪文を組み換え、無駄なスペルをそぎ落とすことで「回転体の呪法」を作り出した。「回転体の呪法」は金属物体を永続的に回転させ続ける魔術である。この呪法は機械の駆動力として大いに活用される事となる。
ロゼイア・ダーシャントはトラー王国の「空に浮かぶ偉大なるシャーマンの呪法」などをもとにして「浮揚の呪法」を作り出した。この魔術は物の重さを一時的に消し去ることで、建築や輸送に文字通りの革命をもたらした。
この二つの魔術を両輪として産業革命が起き、その結果として今日の社会があると言えるであろう……
……
男は、読んでいた書物から顔を上げた。
切れ長な眼が、窓から差し込む光を反射してきらめいた。
近代魔術の基礎 第二巻。なかなか興味深い内容だ。
この世界の人間たちの国ではまさに産業革命が起きていた。工業化が進み、人々は豊かになり、都市は拡大を続けていた。それを根底で支えているのは魔術であった。
男がもといた世界の作家、アーサー・C・クラークは「高度に発展した科学は魔法と見分けがつかない」という言葉を残したが、この世界ではまさにその逆の事が起きていた。高度に発展した魔法は科学と見分けがつかない。
男は椅子から立ち上がると窓辺に歩み寄り、外の景色を眺めた。
そこには、壮大な巨大都市の景観が広がっていた。
無数の摩天楼の群れが、まるで光を求めて成長する植物のごとく、上へ上へと伸びていた。まるで重力に逆らうかのようなその姿は、まぎれもなく魔術の効果によるものだろう。
密集した高層建築の足元を縫うように走る街路を、無数の人々と乗り物が埋め尽くしていた。しかし男の部屋がある階からでは、豆粒のように小さくしか見えない。
ビルとビルの間をまるで鳥のように飛び交うものがあった。人を乗せた空飛ぶ乗り物たちだった。小は一人乗りの空飛ぶ自転車のようなものから、大は貨物列車くらいありそうなものまで、さまざまな種類の空飛ぶ乗り物がにぎやかに、だが整然と空中を行き交っていた。まさにこれこそ「浮揚の呪法」の成果だろう。
その時、男の立つ窓辺に影が差した。見上げると、巨大な飛行体が空を覆っていた。おそらく遠くの大陸から大量の鉱石などを運んできた輸送船だろう。輸送船は鯨のような巨体を悠然と浮かべ、やがて上空から去って行った。向かう先は郊外に広がる工業地帯だろう。再び男の上に陽光が降り注いだ。
男がこの世界に転生し、エルフ族やサハギンたちとの邂逅を経て力を手に入れてから一年が経っていた。放浪の末に辿り着いたこの大都市、王都デリオンで、男はさらなる悪事を目論んでいた。