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29話 転落の軌跡③

 少年院を出た後、藤田は職を転々とし続けた。

 身寄りもなく、金もない状況であり、のん気に学業にかまけている余裕などなかった。生きるためにすぐに働く必要があった。

 選ばなければ意外と仕事はあった。いずれも低賃金で待遇の悪い仕事ばかりではあったが。いろいろな仕事に就いた。清掃員に始まり、土木作業員、派遣の工員、トラックの運転手、解体工、飲食店店員、パチンコ店店員等々…。持ち前の器用さのおかげで新しい仕事でも覚えるのは早かった。若くて体力もあり多少きつい仕事でもこなす事ができた。人が嫌がる汚い作業でも進んで行った。


 しかし、どの仕事も長くは続かなかった。職場での人間関係が主な原因だった。

 彼は普段から職場に溶け込もうという努力をしなかった。それどころか、自分から壁を作っていた。休憩時間はいつも一人で携帯をいじって過ごし、飲み会や合コンの誘いはすべて断った。

 もっとも致命的だったのが、藤田の粗暴な性格だった。些細なことで頭に血が昇りやすく、すぐに手が出た。相手に非があると思った場合は、たとえ先輩だろうが上司だろうが見境なく殴った。そんな彼に対して、職場の人間の視線が冷たいものになるのは無理もない事であった。



 ある時、藤田は繁華街で大学生の一団とすれ違った。藤田と同じくらいの歳だった。男女混合グループの彼らは、夏休みの海外旅行の計画について、楽しげに話し合っていた。その表情はみんな、満たされた現在と希望に満ちた将来に光り輝くようだった。すぐそばをすれ違った薄汚れた藤田のことなど眼中にも入っていないに違いない。

 なぜだ。どうして自分はあちら側にいない。どうしてこうなってしまった。藤田は思った。家族も、親しい人間もなく、将来の目標もなく、日々の楽しみもない。いったい何のために、誰のために生きているというのか。朝起きて、きつい労働に汗を流し、自分一人が生活していくのがやっとのはした金を受け取り、夜疲れ果てて眠る。この際限ない繰り返しに何の意味があるのか。

 藤田は自暴自棄になっていった。


 やがて、彼は犯罪に手を染めてしまう。

 はじめは空き巣だった。おもに一人暮らしの老人宅を狙って留守中に侵入し、タンスから現金を盗んだ。やってみれば拍子抜けするほど簡単だった。施錠さえしていない家が多かった。盗んだ金はパチンコや風俗に使った。


 ある日、藤田は一軒の古い民家に侵入した。老婆が一人暮らしをしている家だということは事前にリサーチ済みだった。老婆は朝、デイサービスの車に乗せられて施設へ行った。夕方まで戻ることはない。次から次に部屋を漁り、目ぼしい物を盗んでいった。

 その部屋は散らかり放題で、昼間だというのにカーテンが閉め切られて薄暗かった。部屋に侵入してしばらく経ってから、藤田はこの部屋が無人でないことに気付いた。ベッドの上に毛布に包まった人物がいた。藤田は毛布をはぎ取った。まだ十代の少女だった。少女は驚愕に目を見開き、じっと息を殺していた。薄汚れた灰色のスウェットと、ぼさぼさに乱れた髪から判断して、どうやら引きこもりのようだった。締め切った部屋には少女の甘ったるい体臭が充満していた。不意に欲情した藤田はその場で少女を強姦した。この件に味を占めた藤田は婦女暴行にも手を染めていく。


 その後も住居侵入と窃盗、婦女暴行、傷害事件などを繰り返した。何度か逮捕もされた。しかし失う物が何もない彼は再び犯行を重ねた。

 そんな荒んだ生活が十年近くも続いた。




 平成二十六年。彼の人生に転機が訪れた。

 藤田は二十九歳になっていた。当時、彼は東大阪市に住んでいた。町工場が点在する雑然とした町だった。殺風景な安アパートの一室には家具はほとんどなく、窓からは隣りの廃業した工場の外壁しか見えなかった。その町に暮らしながら、食品工場の派遣工員として食いつないでいた。

 当時の藤田は、あまり犯罪を起こさないようになっていた。反省したのではない。犯罪行為がすっかり惰性と化し、はじめの頃のようなスリルや興奮を得られなくなってしまったからだ。


 そんな生活を送っていたある日、藤田は夢を見た。

 夢の中で藤田は、大勢の人間を殺していた。まさに大量虐殺だった。

 何千、いや何万という群衆がどこともしれない場所を逃げまどっていた。夢の内容は鮮明で、個々人が顔に浮かべる恐怖と絶望の表情まで見分けることができた。人々は押し合いながら、古い街の通りのような場所を必死の形相で走っていた。

 そこに、上空から彼が舞い降りた。夢の中で彼の肉体は異形と化していた。何本もある腕には鉤爪が生え、鋭い牙が並んだ口が体中にいくつも開いているようだった。群衆の上に彼の巨大な影が落ちた。人々は悲鳴をあげた。彼は無数の腕を伸ばして襲いかかった。次々に切り刻み、押し潰し、食いちぎり、破裂させていく。やがて数万の群衆は、原型を留めない人体の破片が漂う血の海へと姿を変えていった……


 藤田は全身にびっしょり汗をかいて目を覚ました。目覚めてからも、その夢のリアルな印象は焼き付いたまま消えなかった。


 

 まさにそれは天啓だった。

 これだ。藤田は思った。大量殺戮、これこそが俺が本当に望んでいたことなのだ。

 中学生時代、いじめと友人の死により周囲に心を閉ざして以来、藤田の心の内に鬱積してきた無力感、孤独感、劣等感、自己嫌悪…。それらを餌に成長を続けてきた毒虫のごとき感情があった。周囲の人間への憎悪。それは高校での傷害事件と少年院送致、両親の死、不遇な人生を経て、ますます禍々しく膨れ上がっていった。そしてそれは今や藤田の内面をなみなみと満たすまでに膨張し、全人格の大部分を構成するにまで至っていた。

 もはやそれは周囲の人間への憎悪という範疇を超えていた。

 社会、否、世界そのものへの憎悪。

 それがあの夢を経て、ついに一つに焦点を結びはっきりとした像を成した。

 世間を驚愕させるほど大勢の人間を殺害し、この空虚で無意味な人生に終止符を打つ。

 藤田辰夫の人生に、はじめて目標が生まれた。



 その日から、準備が始まった。

 まずは体を鍛えはじめた。若い頃から肉体労働をしてきたため、元から筋肉質な体ではあったが、それをさらに強化することにした。自身の肉体を殺戮の凶器へと変えるために。ダンベルなどのトレーニング器具を買い込み、毎日欠かさず筋力トレーニングを行った。さらに毎朝出勤前には約十キロのランニングも始めた。時々、アパートの隣室に住む老人と顔を合わせた。まさか走りながら通行人に斬りつけても息切れしないように体を鍛えているとは思いもよらなかっただろう。


 次に、道具の選定を行った。銃器は入手が困難だった。なんとか入手できそうな拳銃程度では大量殺戮は不可能だった。やはり軍用ナイフを使用することにしよう。マニア向けのナイフ専門店やネットの通販サイトなどを見てまわった結果、ククリナイフが最適だった。くの字型に曲折した刃が特徴的で、刃先に重心があるため切断力が強い。試しに一本購入して、扱い方を学んだ。


 犯行計画も形を成し始めた。ダンプカーで人混みに突入し、混乱に陥った群衆にナイフで斬りつける。場所は東京や大阪などの大都市中心部がいいだろう。しかし東京の地理には疎かったので、大阪の梅田に決めた。ダンプカーであるが、解体工時代に大型免許を取っていたので運転は問題ないだろう。あとはどこでダンプカーを確保するかだが‥彼には腹案があった。


 藤田の解体工時代の先輩に倉本という男がいた。藤田は倉本の運転するダンプに同乗し、現場に向かうことが多かった。作業現場からの帰り、倉本はいつもタバコや缶コーヒーを買うため会社の事務所近くのコンビニに寄った。その時、彼はいつもエンジンを切らずキーを差したまま車を降りて買い物をしていた。もし今でも倉本が転職していなかったら、今も同じ習慣を続けている可能性が高かった。


 確認のため、藤田は兵庫県高砂市内にあるそのコンビニにおもむいた。帽子を目深にかぶりサングラスをかけて、雑誌コーナーで立ち読みをするふりをして待った。夕方五時ごろ、一台のダンプカーがコンビニの駐車場に止まった。運転席から降りた男は倉本だった。店内に入ってきた倉本とすれ違うように店を出た藤田は、駐車場に向かった。ダンプカーのエンジンはかかったままだった。同乗者はいない。藤田が解体工をやめてから数年が経過していたが、何も変わっていなかった。これでダンプカーを確保する目途は立った。


 そして、時が満ちるのを待った。

 約一年後の平成二十七年、五月十六日。犯行前日の午後。

 ついに藤田は動いた。ダンプカーを無事奪取することに成功した。


 平成二十七年、五月十七日。犯行当日。

 右手にヨドバシカメラ梅田店の灰色の壁面を見ながら、藤田は10トンダンプのハンドルを握っていた。まもなくだ。まもなくショーの幕が上がる。

 事が計画通りに成就すれば、俺は間違いなく死刑になる。しかし奇妙な事に、藤田にはこれが単なる始まりにすぎないという予感があった。将来、これをはるかに上回る規模の破壊と殺戮が自分を待っている。なぜか説明はできなかったが、確信に近いものを感じていた。しかし一体、いつどこで待っているのだろう。来世だろうか。

 しかし、その件は置いておこう。今は間近に控えたショーに専念すべきだ。ついに舞台に到着した。この人生の総決算となる最期の打ち上げ花火だ。見ているがいい。


「…イッツ ショータイム!」

 藤田は力いっぱいアクセルを踏み込んだ。

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