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27話 転落の軌跡①

 俺はどうすればよかったのだろう。

 何て言えばよかったんだろう。

 土曜日に公園に行っていなければ、展望台の下になんて目をやらなければ、俺が見た事を柳田に言わなければ、もっと言葉を選んでいれば……どれか一つでも違っていれば、柳田は死なずに済んだ。

 俺のせいだ。俺のせいで柳田は死んだ。

 俺が殺したのだ。

 俺が殺した…


 柳田健太が自ら命を絶ったあの日以来、藤田の頭の中では同じ思考が堂々巡りを繰り返し続けた。昼もなく夜もなく自分を責め続けた。眠れない夜が続き、次第に彼は憔悴していった。

 それでも一応、学校には通い続けた。しかし授業はまったくと言っていいほど手に付かなった。常に頭の中はモヤがかかったような状態で、授業内容はほとんど頭に入らなかった。当然の帰結として、藤田の成績は急激に悪化した。もとはクラスでも上位に入る成績だったのが、この時を境に定期テストで赤点を頻発するようになる。


 柳田の死により、市内で頻発していた小動物連続不審死事件には幕が引かれた。これ以上猫が殺されなくなった事で、猫殺しの犯人と疑われた事に端を発した藤田へのイジメはやがて終息していった。しかし、藤田と同級生たちとの間に生じた深い溝は消え去ることはなかった。ふさぎ込んだ藤田を哀れに思い、同級生の中には藤田に声をかけて関係修復を試みようとする者も少しはいた。しかし藤田の取り付く島もない態度の前に、まもなく彼らも去って行った。

 藤田は、教室内で完全に孤立した。



 当然、藤田の異変には教師たちも気付いた。担任の森本先生は心から藤田を心配し、救いの手を差し伸べようとあれこれ手を尽した。自ら相談に乗るだけでなく、児童心理の専門家を招いてカウンセリングを受けさせたりもした。しかし、藤田は大人たちにかたくなに心を閉ざし続けた。


 同級生や教師たちとは対照的に、藤田の異変への両親の反応はあまりに冷酷なものだった。本来なら子供の心の傷を癒すべき彼らは、逆に傷口に塩を塗り込むがごとき態度で応じた。

 母親は藤田の成績だけしか見ていなかった。

 ある日、息子の留守中、掃除のためカーテンが引かれたままの息子の自室内に踏み込んんだ彼女は、机の上に散乱した欠点の定期テストの数々を目にし激昂した。帰宅した藤田を母親は、丸めた化粧品の通販カタログで何度も何度も顔面を強打した。息子を殴りながら、母親は金切り声でヒステリックにわめき続けた。さらに、その日の夜から藤田の食事は半分に量が減らされた。

 父親は息子の異変にも、妻の狂乱にも我関せずの態度を取り続けた。家族に無関心な彼は、息子を罵る妻の声でテレビの野球中継が聞き取れなくなった時にだけ、発作的に怒りを爆発させた。



 自室にこもった藤田は、深夜までゲームに続け、それに飽きると殺人や強姦などの不健全な空想に耽った。

 人間の心は、他者と交流して常に風通しをよくしておかないと、たやすく腐る。

 密閉された藤田の心の中で、友の死への罪悪感、同級生への怒り、両親に愛されない悲しみと憎悪、そして何より自分自身への無力感、劣等感、自己嫌悪……それらの鬱屈した膨大な負の感情は腐敗し変質していった。そして、どろどろとしたそれらの腐敗物を餌にして、毒虫のごとく凶暴で危険な想念が成長を始めた。




 高校受験ではなんとか地域で最底辺の学校に合格することができた。一年前の彼からは想像もつかない、低レベルな偏差値の高校だった。

 学校は想像以上にひどい場所だった。生徒は絵に描いたようなヤンキーか、または当時の藤田に似た無気力なタイプのどちらかで、普通の高校生などどこにもいなかった。校内は落書きだらけであらゆる器物は損壊していた。定期的に卒業生がバイクで校庭に乗り入れて暴走した。生徒たちは授業中でも平気で携帯でしゃべり続け、教室を歩き回った。トイレの個室からは常にタバコの煙が漂っていた。


 

(世界には四種類の人間がいる。

 まず、不可欠な人間。人の命を助けたり、優れた仕事を成し遂げたり、この世の中にプラスをもたらす人間。医者や科学者、有能な起業家や政治家、人道支援活動家などだ。

 次に、いてもいなくてもいい人間。これといって偉業は成し遂げないが、かといって害にもならない存在。これが一番多い。つまらない一般大衆だ。

 三つ目が、いない方がいい人間。他人の足を引っ張り、どちらかと言えば世の中にマイナスをもたらす人間。無職、老人、病人など他人のお情けで生きているような連中だ。

 最後が、今すぐ死ぬべき人間だ。社会に対し害にしかならない人間。犯罪者や狂人がこれに該当する。

 この学校には、三つ目と四つ目の種類の人間しかいない)


 藤田はぼんやりと物思いにふけっていた。

 高校一年の二月。三限目の化学の授業中だった。黒板の前では、教師が有機化合物の性質について説明していた。しかし、聞いているものは誰もいなかった。もし仮に耳を傾けている生徒がいたとしても、このクラスの哀れな知的レベルでは理解できなかっただろうが。


 藤田のすぐ前の座席では、大野が机に突っ伏して爆睡していた。頭を染めてから時間が経って髪が伸びたせいで、プリンのようになっている。右隣りの席ではたしか松井とかいう名前の女がメールを打ち続けている。豚のような、太った醜い女だった。左隣は久保だった。こいつはオタクだった。どこで買ってきたのか知らないが、アニメの美少女キャラがでかでかと描かれたカバンが机の横に下がっている。本人は携帯ゲームに熱中していた。

 この教室全体のテーマは、卑しさだ。

 不良かどうかには関係なく、生徒たちはみんな一様に醜く、薄汚かった。たとえ成績が悪くても、顔がよかったり身ぎれいな人間は多いはずだ。しかし、この教室の面々は揃いも揃って不細工で、身なりが不潔だった。大野の髪は脂ぎっていて、数日風呂に入ってないのが明らかだった。オタクの久保はニキビだらけの顔に無精ひげが目立った。日常的に洗顔も髭剃りもしていないのだろう。

 藤田は内心、彼らを豚と呼んだ。

 太っているか痩せているかに関係なく、その不潔さと卑しさはまさに豚そのものに思えた。

 この場の一員として豚どもと一緒にここにいること。それは藤田にとって耐えがたい屈辱以外の何物でもなかった。だから学校に来るのは週に三日がいいところだった。それ以外の日はゲームセンターや古本屋などで適当に時間を潰して過ごした。


 やがてチャイムが鳴った。化学の教師がすごすごと教室から去って行った。

 トイレに行くため、藤田は立ち上がった。

 その時だった。声をかけられた。

「なぁ、藤田、ちょっと頼みがあるねんけど、ええか?」

 居眠りから目覚めた大野だった。下ぶくれで出っ歯のその顔は、何度見ても不細工だった。

「……」藤田はけげんそうに大野を見た。

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