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22話 飛翔

 その瞬間、まぶたを透過する強烈な白光があたりを満たした。

 男が立っていた地点を中心に、半径三十メートルの範囲の沼地の水は瞬時に蒸発。沼底の砂地は溶融してガラスと化した。続けて発生した衝撃波が、オークたちの死骸も、サハギンの集落も、生い茂る葦も、すべてを吹き飛ばした。


 イスコスは灰に埋もれていた。

 灰色の煙に閉ざされた空から、焼け焦げた葦が灰となって降り注ぐ。抜群の防御能力をもつエルフの外套に覆われた彼女の上に、灰は静かに降り積もっていた。

 やがて、周囲の熱が収まった頃、彼女は体を起こした。積もった灰が流れ落ちた。外套を開き顔を外に出し、大きく息をついた。そして、自らが発動した雷吼の呪法の絶大なる効果を満足げに眺めた。


 これであの邪悪な男を完全に抹消することができたはずだ。術発動のタイミング、そしてこの威力。回避も防御も絶対にありえない。

 これもセギラがギリギリまで男を引きつけておいてくれたおかげだ。セギラの事を思うと胸が痛んだ。戦いの中での死は戦士としては最高の栄誉だ。しかし、これまで森の番人の一員として共に過ごしてきた仲間を失ったのは悲しかった。いつも軽い調子なのが少し気に障ることもあったが、かけがえのない友だった。

 いつも鋭い表情を崩さないイスコスの目に涙がにじんだ。


 しかし悲しんでばかりもいられない。男の死亡を確認する必要がある。しかしイスコスは心配になった。あれだけの電撃を受けて、男の死亡を証明する遺体の一部なりとも残っているのだろうか。せめて歯程度でも。しかしあの威力だ。男は塵と化し跡形もなく消し飛んでしまったに違いない。

 爆心地はまだ蒸気のとばりに包まれ、何も見えない。


 イスコスは背中から貫かれた。

 彼女の胸からは血塗れの剣先が飛び出していた。その刀身は青白い光を放っていた。信じられないという表情を浮かべて、イスコスは背後を振り返った。

 そこにはあの邪悪な男がいた。

 男はほぼ無傷だった。少なくとも雷撃のダメージを受けた様子はなかった。剣を持たない方の手には切断されたセギラの首を提げていた。


「ば、馬鹿な…そんな…ありえない…」


「…まったく、危ないところだったぜ…

 いくらサハギン譲りの生命力があっても、あれをまともに食らったら確実に死んでたぜ…」


「貴様、霊剣テスタニアを…」


「…ああ、こいつのおかげで助かった。

 しかし雷より早く走るのは流石に疲れたぜ。あれで軽く十人分の生命力は使い果たした…」


 霊剣テスタニアは使用者の生命力を消費し、代わりに高速移動能力を付与する効果を持った魔法の剣。原理的には消費する生命力が多いほどより高速で動くことができる。しかし、何人分もの生命力を一度に投入することで、雷撃を回避するほどの尋常ならざる加速まで得られるとは。

 しかし、セギラの必殺の剣がこの男を救う事になるとは。何という皮肉。

「……無念」

 ごぷっ。イスコスは口から血の塊を吐き出し、息絶えた。ヒステリックな女教師を思わせる、その神経質な顔の眉間には深い縦皺が刻まれたままだった。



「さてと。魂をいただくか」

 切り落としたセギラの首とイスコスの亡骸に触れ、男は結晶化の呪法を発動した。掌の上に二人のエルフ族の魂が凝結した。その時、沼地を覆っていた煙と蒸気のとばりの向こうから、真っ赤な夕日が差し込んだ。オレンジ色の夕日は結晶の内部で複雑に反射を繰り返し、まるで内部から光を放っているかのごとく結晶を光り輝かせた。


 

 いまや男は絶大なる力を手に入れていた。

 エルフ、サハギン、オーク、その他名も知れぬ古の魔物たち…彼らから取り込んだ魂のエネルギーと知識と技が体の隅々まで横溢している。この力をもってすれば不可能なことなど何もない。全ては男の望むがままだ。

 そして、男の望みはただ一つ。

 殺戮。さらなる殺戮。

 この新たなる力の前では、かつて殺しの道具として使ったダンプカーも軍用ナイフも子供の玩具に等しかった。男はこれから繰り広げる惨劇に思いをはせた。

 生きたまま切り刻み、溶解し、えぐり取り、引きずり出し、叩き潰し、焼き尽くし、バラバラに引き千切ってやる。十人、百人、千人…いや、もっとだ。

「ククク……」

 もはや男以外に誰もいなくなった沼地に、暗い笑い声が低く響いた。

「これから楽しくなるぞ」

 この世界にも人間がたくさんいることを男は漠然と感じ取っていた。そして今までに訪れたのは人口が少ない辺境地帯にすぎないということも。

 街へ行こう。人間がたくさん住んでいる街へ。

 男の体がふわりと空中に浮かび上がった。飛翔の呪法。この術はエルフのものでも、サハギンのものでもなかった。おそらくサハギンの地下墓所で宝石として眠っていた未知の古代種族のものなのだろう。

 男は高度を増していった。十メートル、二十メートル……、やがて、いまだ蒸気を噴き上げる沼地と、燃え広がる葦原を一望のもとに見下ろすほどの高度に達した。西の方角では今まさに湿原の向こうの海に沈もうとする夕日が空一面を真っ赤に染め上げていた。東の方角にはすでに青い夕闇が迫っていた。あの向こうに、大勢の人間がいる。大勢の餌食が。

 男は夕日を背に、輝き始めた星の下、東に向けて飛び去った。

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