20話 オークの味
辛くもサハギンの襲撃を生き延びたザイイラール一家の四人は、怪しい石組みの塚へと近づいていった。辺りには動くものもなく、ただ傾き始めた午後の陽ざしが降り注いでいる。
「なんだこれは」
「これはサハギンたちの墓だ。高位のサハギンは死ぬとここに葬られるらしい」
カシェラが説明した。先ほどの戦闘で一時脱ぎ捨てた、だんだら模様の派手な布を再び身にまとっている。
「ひょっとしたら、この下に何か宝が隠されてるかもしれねぇな」
隻腕の斧使い、ガゼイルが言った。そして塚の周囲をぐるりと回った時だった。
「おい、ここ。入り口が開いてねぇか?」
「…本当だ。ここの円い石、ついさっき動かされたような感じだな。まだ地面が湿ってるぞ」
一家の当主、ザイイラが言った。ガゼイルに支えられながら、塚の入り口付近を調べている。
「ふぅむ…この下にまだ奴らの仲間が潜んでいるかもしれん」
「どうするお頭?」ガゼイルが聞いた。
「そうだな…ここに踏み込むのは危険だが…」
「オォォォオォォォ……」
その時だった。四人の耳が異様な声を捉えたのは。
それは咆哮だった。はるか地の底から響いてくるような低い不気味な声。それは文字通り、四人の前に口を開いた隧道の奥、地の底から届いたものだった。
「何だよ!おい!」
四人はばっと隧道の入口から飛び退いた。ガゼイル、バゾイル、カシェラの三人は各々の武器を取り出して身構えた。当主のザイイラはサハギンの毒矢を受けて戦える状態ではなかったので、急いで這ってその場から離れた。
「…来るぞ…」
穴の奥で何者かが這いずる気配がした。その音はどんどん近づいてくる。やがて闇に包まれた穴の中から何者かが姿を現した。
それは、人間の男だった。乱れた黒髪の長身の男。ほとんど裸で、体中が数多の傷跡で覆いつくされていた。そして片手には血に染まった一振りの剣を持っていた。男は顔を上げ、ザイイラール一家の方を見た。異様な目だった。まるで今しがたこの男が現れた穴の奥のような真っ暗な目。こんな目をした人間など、これまで一家の誰も見たことがなかった。それは温もりや親しみなどを微塵も感じさせない陰惨な目だった。
男と三人は無言で対峙した。
沼地は静寂に支配された。鳥は鳴かず、葦が風にそよぐ音さえ絶えていた。四人は彫像と化したかのように身動き一つしないでにらみ合う。
ガゼイルの額を、汗が流れ落ちる。一目見た瞬間、ガゼイルは理解していた。この男こそエルフ族が探していた人間だという事を。そして、この男が極めて危険な相手だという事も。バゾイルやカシェラも同様だった。斧を構えたガゼイルの異常発達した上腕筋が盛り上がる。いつでも必殺の足蹴りを繰り出せるよう、カシェラの大腿筋が膨らむ。刃渡り一メートル近くにも及ぶ大鎌の狙いを定めたバゾイルの顔には凄絶な笑みが浮かぶ。彼女は久々に現れた強敵との、緊張感に満ちたこの瞬間を愉しんでいた。
ざぁぁぁぁ…。湿原に風が吹いた。
穴の入り口に立っていた男が、一歩を踏み出した。
次の瞬間、バゾイルの大鎌が地を這うように低い軌道を走り男の足に迫った。男は跳躍して鎌を避けた。空中にいる男めがけ、カシェラが後ろ回し蹴りを放った。男はわずかに後方に身を反らし、かろうじて必殺の一撃を避けた。着地した男を狙い、カシェラは続けざまに蹴りを連発した。男はこれもかわし続けたが、ついに体勢が崩れた。その一瞬をガゼイルは逃さなかった。
「るぁああッ!!!」
渾身の力を込め男めがけ斧を振り下ろした。ズンと地響きを立てて巨大な斧は地面にめり込んだ。しかし男の姿はすでにそこにはなかった。
(…今度はこちらからいくぞ…)
ガゼイルが振り返ると、男はすぐ後ろにいた。ヒュンと剣先が空を切る音を聞いたのと、その剣がガゼイルの首筋に食い込んだのは同時だった。男の剣はガゼイルの強靭な頸椎と頸筋をものともせずに切断した。鬼面のごとき表情を浮かべたガゼイルの首が、沼地の泥の上にごろりと転がった。
「……!!!!」
バゾイルは無音の咆哮を上げながら竜巻のごとく大鎌を高速旋回させて男に迫った。大鎌の円周内に入った物体は粉々に切り刻まれる。男は剣で受けようとしたが、その剣でさえも寸断されて飛び散った。男は後ろに跳んで死の円から逃れた。そこにカシェラが殺到しようとした時だった。
男の手から、炎が吹き上がった。危険を感じたカシェラがかろうじて踏みとどまった瞬間、男の手から放たれた火柱が空を横切り、バゾイルに襲いかかった。彼女は瞬く間に全身を猛火に覆われた。その手から大鎌が落ちた。彼女は泥の上で転がって火を消そうとするが炎は勢いを増すばかりだった。間もなくバゾイルは動かなくなり、後には炭化した残骸だけが残った。
二人が安々と倒されるのを見て、カシェラは撤退を決意した。これは自分たちの手におえる相手ではない。しかしその時、彼のすぐ横に不意に男が出現した。カシェラは男の顔面めがけ蹴りを放った。足の鉤爪が男の額を切り裂いた。しかし逆に尻尾を捕まれてしまった。男の手は万力のような力でカシェラの尾を握りしめると、ぐいぐいと引っ張った。バチンと音を立てて尾が切れた。自切したのだ。カシェラは男の手に尾を残したまま、一目散に逃げ去った。自切した尾は男の手の中でひときわ激しく暴れると急激に膨張し、炸裂した。骨片や硬質の鱗が周囲に散弾となって飛散した。尾の自爆で飛び散った血煙が晴れた時、もうすでにカシェラの姿はなかった。
カシェラは退避していた当主ザイイラを抱きかかえると、脱兎のごとく沼地から逃げ出した。
男は額を一文字に切り裂かれた上、尾の自爆を至近距離でまともに受けて負傷していた。全身十数か所に骨片がめり込み、尾を掴んでいた手の指が三本飛んでいた。男はサハギンたちから取り込んだ高い再生能力で傷を癒した。たちどころに額の傷は塞がり、めり込んだ骨片が体外に排除された。手の切断面からは新たな指が生えてきた。この調子だと完治まで一分とかからないだろう。男は新たに手に入れたこの力に満足した。
男の手の中には、二つの結晶があった。血のように赤いルビーと、深い紫色のアメジスト。ガゼイルとバゾイルの魂の結晶だった。男は結晶を口に含むと、口内で弄んだ。エルフ族ともサハギンとも違う、チリチリするような刺激的な感触。これがオーク族の魂か。奥歯で噛み砕くと、口中に独特の苦味とえぐみが広がった。飲み込むとまるでアルコールのようにカーッと熱が込み上げてきた。男はこの味が気に入った。
その時だった。
男の心臓を一本の矢が貫いた。続いて飛来したもう一本の矢が頭部を貫通した。
「やれやれ、やっと見つけたぞ」
「今度こそ、奴を消滅させる!」
サハギンの集落のはずれに、エルフの上級戦士、イスコスとセギラの姿があった。