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2話 梅田無差別殺傷事件②

 「…被告人は、犯行1か月前からインターネット通販で大型軍用ナイフを購入しており、明確な計画性が認められる。また…」

 裁判長が判決を読み上げる声が続く。被告席では犯人の男が自らに下された裁きに耳を傾けていた。しかしその姿は犯行時から大きく様変わりしていた。屈強だったその体は痩せ細り、車椅子に固定され、歩くどころか立つことさえできなくなっていた。しかし全身から放たれる獣のような異様な気配だけは事件当時とまるで変わらない。その脳裏にはあの日の光景が甦っていた…



 男は乗り捨てたダンプカーを後にし、人々の群れに向かって歩き出した。黒いミリタリーブーツが床に当たって音を立てる。何人かが男が手にしたククリナイフに目を留め、ギョッとした表情を浮かべ慌てて走り去って行った。

 ダンプカーでは大勢殺した。中々の出来だった。しかし、男はこれで終りにするつもりなど毛頭なかった。

 そろそろ始めるか。

 男はククリナイフをかざすと、一気に駆け出した。

 目の前に若いスーツ姿の男をすれ違いざまに斬りつける。その後ろの肥満体の男の腹を下から上に切り上げる。通路の反対側にいた中年の女の側頭部に刃先を叩きこむ。そしてナイフを大きく振りかぶり、壁際で悲鳴を上げようとした若い女の首を一撃で切断する。4つの身体と1つの首が床に落下する音を背後にしてさらに走り続けた。

 次に男の前に現れたのは男子高校生の集団だった。5人。部活の帰りか大きなスポーツバッグを持っている。全員体格はかなり良い。しかし彼らは抵抗どころか逃げる事さえしなかった。羊のように怯えて床にへたり込んむ5人の頭上から、男は何度も何度もナイフを振り下ろして切り刻んだ。

 次に目に留まったのは髭面の男、スーツの男二人、眼鏡の老人、外国人夫婦、中年女、…視認する端からすべて斬りつけ突き刺し刃を叩きこむ。重い刃が空を切るたびに悲鳴と鮮血がほとばしる。さすがに呼吸が荒れ、脇腹が痛んできた。しかしまだ止まるわけにはいかない。足りない。もっとだ。男は渇望するままに殺して殺して殺し続けた…。


 赤く霞んだ視界の向こうに幅の広い階段とその横に大型スクリーンが目に留まった。阪急梅田駅の中央改札への階段だ。さすがにこの頃になると、おおかたの歩行者は逃げ去るか付近の店舗内に避難し、あたりは無人となっていた。次の獲物を求め、男は全身から返り血を滴らせながら、阪急梅田駅への大階段へと踏み出した。


「動くな!ナイフを捨てろ!」

「動くな!」

 声の直後、一発の銃声が響き渡った。男はゆっくりと振り返る。警察官だ。3名。うち1名が天井を狙った威嚇射撃を行ったようだ。他の2名も拳銃を抜いている。その背後からはさらなる増援が駆けつけてくる。

「チッ…」

男は軽く舌打ちしながら警官を見据えた。一番近くにいるのは30代半ばの警官。威嚇射撃をしたのはこの男だ。眼光鋭く、いかにもベテランといった感じだ。銃口はピタリとこちらを狙っている。しかしあと二人の警官、20代前半くらいの眼鏡と初老の小太りの男はどうだ。銃を持つ手が震え、傍目にも動揺しているのがありありしていた。特に眼鏡のほうは見ていて哀れになるほどの怯えようだ。増援が到着する前のあの時、実質的にベテラン警官一人だけが脅威に思えた。これが切り抜ける最大のチャンスだった。

 男は弾けるように身を躍らせると、一番近くにいたベテラン警官に斬りかかった。その瞬間、銃口が火を噴いた。銃弾は男の右脇腹を貫通した。しかし男は止まらなかった。腕を振り下ろし警官の胸のど真ん中に刃を深々と突き立てた。ベテラン警官は心臓を真っ二つに割られ、その場で立ったまま絶命した。

「ひぃいいいいい!」

 ベテラン警官の胸からナイフを引き抜き、耳障りな悲鳴をあげる小太りの警官をさっさと始末する。振り向いてもう一人の頼りない眼鏡の警官も片付けようとした時だった。

 男の腹部で乾いた銃声が炸裂した。身体の中を灼熱が一直線に貫き、内臓を吹き飛ばし背骨を粉砕した。さらに続けてもう一発。発砲したのは眼鏡の警官だった。油断していた。至近距離から腹部に2発の銃弾を受けて致命傷を負った男は、どこか悔しそうな、名残惜しそうな表情を浮かべながら床に崩れた。

 即座に警官隊が周囲から殺到し、男を取り押さえる。午後2時57分、男は身柄を確保された。



「…犯行はあまりにも非人間的で残虐であり、犯行に至った経緯には情状酌量の余地など一片もない。大勢の無辜の命を奪った罪はあまりにも重く、被告には極刑をもって臨むしかない…」

「主文、被告人、藤田辰也を死刑に処す」


 裁判長が重々しく判決を言い渡した。満員の傍聴席からは深いため息が漏れた。

 終始落ち着いた態度で裁判を受けていた男だったが、判決を聞かされても動揺することはなかった。しかし、ほんの一瞬、わずかだが何かの感情が顔をよぎった。かすかな笑み。期待感、満足感とも取れる表情。

あの日、警官の発砲で脊髄を損傷し、立つことさえできなくなった男は、刑務官に車椅子を押されて静かに退廷した。



 判決から約4年後のある朝、大阪拘置所で男の死刑が執行された。

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