19話 再誕
オークとサハギンたちが死闘を繰り広げていた頃―――
男の姿は依然、地下空間にあった。
周囲を取り巻くのは、幾重にも層をなして刻まれた怪物たちの浮彫だ。サハギン、巨人、竜…その他名も知れぬ異形の者どもが殺戮に興じている。
そのはるか上方、ドームの天井に描かれたひときわ巨大な存在。それは何とも形容しがたい異様な姿をしていた。ねじれた角、サメのような歯、力強い腕、鋭い棘…部分部分を描写することは可能だが、全体的なイメージを把握することは困難だった。それはまさに混沌だった。男は沈黙したまま、地下空間の頂点に君臨する混沌の姿を見つめ続けていた。
(…外の仲間たちが…ここを守っていた者たちが…倒れました…)
(…なんという事だ…)
地下空間に男と共にあるサハギンたちは、地上の仲間たちからの思念が途絶えた事で、彼らが全滅したことを知った。サハギンたちの間に悲痛な空気が広がった。
(…我らが主よ…)老母后が呼びかけた。
(…もはや、残された時は多くありません…)
(……)
(…主よ……)
(……)男は黙して答えない。
(…主よ…お目覚めください……貴方の真の姿に…)
男は浮彫からサハギンたちに振り返った。
(…もう目覚めている)
男の目は、以前とは違う輝きを帯びていた。その瞳はこれまでよりさらに暗く、青黒い陰惨な光に満ちていた。
(…主よ……)
男はサハギンたちに向かって歩み出した。男の足の下で何かがパキパキと音を立てて砕けていく。サハギンの骨だ。この地下空間はサハギンの遺骨が先祖代々葬られてきた墓所だった。骨に混じり、副葬品の首飾りや冠、宝剣などが散乱している。かつてサハギンが今より力強く、豊かだった時代の名残り。
男はそこから一振りの剣を拾い上げた。
(…お前たちの望みはわかっている…)
(…安心しろ。今すぐ殺してやる…そして魂を食ってやる…)
(…そして、俺の糧となるのだ…)
(…おお…主よ…)老母后の思念は歓喜に打ち震えていた。
(…何という幸運…御自らの手にかけて頂けるとは…何という…)
(…主よ…ささやかながら我らの魂を捧げます…)
(…我らを喰らってください…そして見せてください…)
(…この世の地獄を…暗黒時代の再来を…)
(…人間たちの絶望を……)
(…主よ……主よ…)
男の足元に次々にサハギンたちが集まり、ひざまずいた。
男は手にした剣を振り上げた。
サハギンたちの魂の結晶は独特の美しさを備えていた。
深い濃紺をベースとして、そこにターコイズブルーやエメラルドグリーン、あるいはオレンジなどの斑紋が混じった小さな楕円体。その紋様や色調は個々人で微妙に異なっていた。そんな中、老母后の魂は異彩を放っていた。幾重にも襞をなした漆黒の塊。しかしそれは他のどのサハギンの魂よりも美しいと男は思った。
男はそれらを一まとめに口に含むと、無慈悲にも固い奥歯で噛み砕いた。
パキリ!ボリボリボリ…
静まり返った室内に、サハギンたちの魂が咀嚼される音が響いた。
いまや自分ただ一人となった地下空間を、男は見渡した。
壁には無数の怪物たちの彫刻が踊る。怪物たちの眼には青緑の宝石がはめ込まれており、それが放つ燐光がこの部屋の唯一の光源だった。
男にはわかっていた。それがただの宝石ではないということが。
それらも魂の結晶だった。
この彫刻に描かれた怪物たちが遺した魂なのか、それとも別の者の魂なのか。それはわからない。しかし壁の宝石が放つ光には、明らかに命が宿っていた。
いいだろう、これも全部俺が喰らってやる。
男は両腕を大きく広げ、胸を反らし、空間の天井を仰いだ。そして大きく息を吸い込んだ。
壁にはめ込まれた無数の結晶の光が揺らいだ。そしてわずかに瞬くと形状を失い、ほのかに光る蒸気の靄と化した。それは部屋の中心に仁王立ちする男に向かって一斉に吸い寄せられていった。男の姿は部屋中から殺到する光る蒸気の渦に包み込まれた。数百、いや数千の魂の蒸気。男の中に莫大な生命力、そして新たな知識と技術、能力が流れ込んでくる。男は急激に満たされていった。
男はこの地の底の子宮で、これまでとは全く別次元の存在に生まれ変わろうとしていた。そして再び隧道という産道を通り、新たに地上に生まれ出るのだ。