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16話 サハギンの願い

 その日、男は檻から解放された。

 

 体内に残っていた矢じりを苦痛に耐えながら穿り出した後、消耗しきった男はそのまま気絶するように眠った。丸一日眠った後で目が覚めると、男の怪我はほとんど治癒していた。体力もほとんど回復していた。

 男はついに脱走を決意した。

 男が囚われている檻は、枝を粗雑に組み合わせ縄で縛って固定しただけの代物で、少し力を込めれば容易く破壊できそうだった。あの河童のような化物が何のために自分を助けたのかは知らないが、これ以上ここで監禁されているつもりはなかった。そう思った矢先の解放だった。



 朝、檻の前に現れたのは十五匹の化物だった。一度にこれだけの数が集まっているのを見るのはこれが初めてだった。うち三匹が檻の一部の縄をほどき、男が通れるだけの出口を開いた。

 化物たちの視線を一身に浴びながら、男は身をかがめて檻の出口から這い出した。ぐぅっと背筋を伸ばし、こわばった体をほぐす。首、肩、背骨、ひじ、膝。体中の関節がぼきぼきと音を立てた。

「……」

「……」

 化物たちは泥の上に突っ立ってじっとしている。縦長の瞳孔を細め無言で男を凝視し続けている。

 今は干潮時らしく、沼の水がすっかり引いて干潟と化していた。化物たちの足元の泥の上を小さなカニの群れが歩いている。ぬるい風が吹きわたり、周囲に生い茂る(あし)がざぁああ…と音を立てた。

 男はいぶかしんだ。化物どもは何かを望んでいるようだった。奴らの間にはある種の緊迫感が漂っていたが、敵意は感じられず、むしろ期待感に近いものに思えた。

 男は高床の縁に歩み寄ると腰を下ろし、ゆっくりと干潟の泥の上に降り立った。

 男の一挙手一投足を化物たちは見つめている。

 足元がわずかに泥中に沈み込んだが、歩けない程ではなかった。だが、周囲には人の背丈より高く伸びた葦が茂って視界を閉ざしているため、どっちに進めばこの湿地帯から抜け出せるのか皆目見当もつかない。


 男は目を閉じ、精霊の声に耳を澄ませた。エルフ族の魂から吸収した技術だった。

 精霊の声とは、すなわち周囲を取り巻く自然の神羅万象、無数の名もなき小さな生き物たちの意識のハーモニー。海藻にたかるハエ、泥上を走るカニ、泥中でうごめくゴカイ、葦原で鳴く鳥、餌をついばむシラサギ……いっせいに空に舞い上がるチドリの群れ……に意識を重ね合わせ、チドリの視点で上空から沼地を見下ろした…。

 広大な葦原には迷路のように入り組んだ水路が走っていた。沼地のあちこちには草ぶきの小屋が散在していた。男と化物たちの姿も見えた。湿地帯の北には白い砂浜が横たわり、その先には海が広がっていた。視線を反対側に転じると険しい山々が連なり、その先は雲の彼方に霞んで消えていた……。


 男は目を開いた。今ので自分の居場所、そして湿地帯からの脱出経路をつかむことができた。

 男は化物たちに背を向け、この場から立ち去ろうとした。しかしその時、化物たちも動いた。化物は男の行く先に回り込み、やんわりと男の逃走を阻止する気配を見せた。

 邪魔するなら殺すか。愛用のナイフは失くしたが、この程度のひ弱そうな相手なら素手で軽く始末できる自信があった。


 しかし、男には気になっている事があった。

 なぜ化物たちは自分を助けたのだ?何か目的あっての事に違いない。現に今も男に何かを期待している。殺すのならそれを聞いた後でもいいだろう。

 男は念話を試してみることにした。化物どもの知能の程度は不明だったが、単純な意志疎通くらいなら可能に思えた。

 十五匹の異形の瞳に視線を据え、男は思念を送り込んだ。


(何が目的だ?俺に何を望む?)

 化物たちは、弾かれたように身を震わせ、大きな眼を何度もぱちくりさせた。そして、喉の奥から絞り出すかのように口々に鳴声を上げ始めた。

「ウクク…」

「グェワワァ…」

「ゲェギギ…」

 沈黙に包まれていた場は一転して鳴き交わす声で騒然となった。

 念話は失敗だったか。男が諦めたその時、脳内に自分のものではない複数の思念が流れ込んでくるのが感じられた。意外な事に、それらは歓喜に満ちていた。


(……主だ…やはり主だ…)

(…よかった…うれしい…)

(…我らの主がきた……間に合った…)


(我らの主だと…?)

 化物たちに念話で伝わってしまわないよう、男は思考を遮蔽しながら考えた。

 疑問は解かれた。化物たちは男を何者かと勘違いしていたのだ。「我らの主」という言葉とそれに伴うイメージから判断して、おそらく奴らの信仰する神だろう。未開人が他所から来た人間を神と勘違いする。よくある話だ。陳腐でさえあった。

 そして、展開の常として、正体が判明すると一転して憎悪の対象となる……。

(まあいい。神扱いされるのも悪くない。もう少し遊んでやるか)

 

(いかにも、俺はお前たちの主だ。重ねて問う、何が望みだ)


 今度返ってきた思念は先ほどとは一転して、沈痛なものだった。

(…行かないで…)

(…我らを捨てないで…)

(…主よ…)

(…我らをお救いください…偉大なる御方よ…)

(…お救いください…滅びゆく…我らが種族を…)


(滅びゆくだと?いったい何があった。詳しく申せ)。男は興味を引かれた。


(…我らは……まもなく滅びます…)

(…なぜなら……生まれなくなったのです…)

(…新たな世代が…子供が…)

(…卵がかえらなくなったのです…)。化物たちは一様に悄然としてうなだれている。


(…この五十年余、一人も孵化しておりません……)

(…このままでは我らサハギンは終わりです…)

(…このあたりでは、我らが最後の生き残り…)

(…ずいぶん減った…みんな死んだ…)

(…我らも老いました……)

(…もう卵を産める者さえおりません…)

(…悲しい…)

(…主よ…お救いください…)


 必死の思いで(すが)り付くサハギンたちに対し、しかし男は冷然とした思念で応えた。

(残念だったな。俺にはどうしようもない。諦めろ)

(お前たちの一族に滅びの時が来た。ただそれだけの事)

(いかなるものにも終わりはある)


(…そんな…)

(…我らはずっと忠実でした……)

(…他の種族が主のことを忘れても、我らは決して忘れなかった…)

(…悪鬼族(ゴブリン)も…蜥蜴人族も…巨人族も…忘れた…)

(…我らだけが主の帰還を…再臨を…ずっと待っていた…)

(…それなのに…)

(…悲しい…)


 その時だった。

(…この愚か者どもが!!)

 悲しみに打ちひしがれるサハギンたちの思念を圧して、ひときわ強い思念の声が響き渡った。

 男と十五匹のサハギンが視線を転じると、葦原をかき分け、何者かがその場に姿を現そうとしていた。

 それは、全部で六匹のサハギンだった。二匹が先導して道を開いた後に、粗雑な輿(こし)のような物を担いだ四匹のサハギンが続く。輿の上には茶色い塊のような物体が載せられて運ばれていた。


(…我らの主がいかなる御方か忘れたか!たわけが!)

 その塊、原型を留めぬぶよぶよとした組織は強い思念を放った。

(…老母后(ろうぼごう)…)

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