14話 捜索網
男の行方は杳として知れなかった。
エルフ族の上級戦士、イスコスとセギラの二人が、男の捜索を開始してから一週間が過ぎた。
二人は男が転落した崖下を流れる急流に沿って、少しずつ捜索範囲を広げていった。しかし男の死骸その他の痕跡はいっさい見つからなかった。一度、川の下流域で死肉食らいの動物たちがざわめくのが感じられた。男の死体かと思い現地に急行したが、それはシカの腐乱死体だった。
精霊の声に耳を澄ませ、森の中に異質な存在が隠れていないかを探り続けた。森は静かで、何も異常は感じられなかった。おそらく男は死んだに違いない。ゴウゴウと水しぶきを立てて流れる激流にもみくちゃにされ、岩に激突を繰りかえす内に、原型を留めないほどバラバラになってしまっただろう。しかし証拠である遺体の断片なりとも持ち帰らない限り、導師は絶対に納得しない。しかし何の手がかりも得られないまま、二人はひたすら河の下流へと進んでいった。
「…まずいわね」中年の女戦士、イスコスがつぶやいた。
「ああ。森が尽きた」長髪の男、セギラが応じた。
立ちすくむ二人の前方で、森は終わっていた。
その先には降り注ぐ陽光のもと、地平線まで平原が広がっていた。
ここまではエルフ族の聖地の森から原生林が途切れることなく続いていた。森の中にはあらゆる場所に生命が遍在する。だから無数の虫や小動物たちの感覚を頼りに目標を探すことが出来た。だが、この先の平原は森に比べ生命が希薄で、聖霊の声はかすかにしか聞こえなかった。そこはもはやエルフ族の世界ではなかった。
長髪の男、セギラは路傍の草の上に寝そべって天を仰いだ。微風が灰色の長髪をそよがせている。痩せた中年女のイスコスは大岩にもたれかかって目を閉じた。疲労のためか目じりに皺が多い。
「やれやれ、こんな事になるとはなぁ」
「まったく。あの時きっちりと仕留めておけば…」
「この先どうする?」
「わたしたちだけでは難しいわね。戻って増援を呼ぶしかないわ」
「う~ん…いや、奴らを使おう」
「奴ら?まさか、ゴブリンども?」
イスコスが嫌悪感を露わにし、吐き捨てるように言った。
「差別的表現はダメだなぁ。オークと呼ばないと」
「気が乗らないわね。あんな不潔で臭くて醜い連中、ぞっとする!」
「…だが奴らはこの辺の地理に詳しい。それに男についての情報を何か持っているかもしれない。
オークは獲物になりそうな行き倒れや見慣れない他所者をいつも鵜の目鷹の目で探してるからな」
「たしかに、この仕事の役には立ちそうね。
背に腹は変えられない。…ここいら一帯は確かザイイラール一家の縄張りだったわね?」
「ああ、そうだ。西の方角に見えるあの丘の麓をアジトにしていた」
二人は重い腰を上げると、再び歩き出した。
それはかつて地方領主の邸宅だった。しかし往時は美しかっただろう邸宅や聖堂は見る影もなかった。寄せ集めの廃材で防壁が築かれ、周囲の十数軒の小作人の住居や物置、家畜小屋をも取り込んで、ひとかたまりの不格好な城塞と化していた。
今やその住人は人間ではなかった。
イスコスとセギラは城塞の防壁に設けられた門扉の前に立った。
ひどい悪臭だった。投げ捨てられたゴミの臭い。垂れ流しの糞尿の臭い。そして腐敗した死体の臭い。防壁の上には鉄杭に串刺しにされた腐乱死体の列が並んでいた。すべてオークだった。おそらく敵対する氏族に対する見せしめなのだろう。
悪臭に耐えながら、セギラは声を張り上げた。
「オーク族の始祖たる偉大なるフクラ・グスに連なる系譜であるイギオグフ氏族の第三八分家、ザイイラール一家の家長、ザイイラ・ゴルトバヴ・イよ。族間盟約に基づき、ハイチャフ・ギルフの森の使徒が命じる。ただちに出頭せよ」
壁ののぞき穴から、ジロッと小狡そうな眼が覗いた。
ほどなく、閂が外される音がして、厳重な門扉が軋みながら開いた。
中から現れたのは背の低い、醜いオークだった。元々背が低いのに加え、猫背な姿勢のせいで余計に小さく見えた。土気色の歪んだ顔はひどい渋面のせいで余計に醜悪だ。ボロ同然の衣服を身にまとっているが、頭に被った兜だけが妙に金ぴかで、それが滑稽な印象を与えた。しかし四肢には逞しい筋肉が盛り上がり、両手には鋭い鉤爪が並んでいる。滑稽な印象に騙されて舐めてかかった相手は痛い目に遭うに違いない。
オークはよろめくような足取りで二人のもとに歩み寄ると、地面に這いつくばって平伏した。
「ハハ~。これはこれは畏れ多くも高貴なる森の使徒の御方よ。本日は一体全体いかなるご用件で参られたので御座いましたのでしょうか?」
「お前がザイイラール一家の当主か?」
「ハイ、わたくしめが勿体なくも当主を務めさせて頂いております、ザイイラ・ゴルトバヴ・イに御座います」
「ザイイラよ。よく聞け。今回、我々はお前たちに仕事を命じるために来た」
「仕事、と申しますと?」
「人探しだ。我々は数日前よりある人物を探している。種族は人間。この近くを流れるチサ川の上流に転落し行方不明になった。
ここ数日で、川で水死体が上がった、あるいはこの近くで見慣れない人物を見かけたといったことはなかったか?」
「…ふぅむ、存じませんな。一家にそのような者を見た者がいないか確認してみますが…」
「一族全員を動員し、お前たちの縄張りの隅々まで探すのだ。
川底に沈んでいたり、予想より下流、海近くまで流されている事も視野に入れて捜索しろ」
「ハハ~。仰せの通りに」
「我らも独自に捜索を続ける。
これを渡しておこう。男を見つけたり、手掛かりをつかんだ場合は連絡するのだ」
セギラは小袋から何かを取り出し、ザイイラに手渡した。指輪だった。
「これは……?」
「念話のリングだ。二つ一組になっている。これがあれば指輪を着けた者同士、離れていても意志を伝えることができる。ひとつは私が着ける。もう一つはお前だ。強く念じれば私に伝わる。これで連絡しろ」
「なんとまあ」
ザイイラは目を細め、指にはめた銀色の指輪をためつすがめつしている。
「必ず見つけ出すのだ。男の生死は問わぬ…」
「ハハ~」
再びザイイラは平伏した。