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13話 沼地

 ザァァァァ…

 (あし)の生い茂った湿原に、風が吹き渡る。

 背の高い葦に隠れるようにして、粗末な小屋が建っていた。流木を粗雑に組み合わせ、葦で屋根を葺いただけの簡素な作りの小屋は、一見すると枝に引っかかった枯草の塊にしか見えない。そんなボロ小屋が数軒寄せ集まり、集落のようになっていた。


 男は、そんなボロ小屋の一軒にいた。



 男は苦痛に呻きながら、意識を取り戻した。満身創痍だった。

 エルフ族との戦いで受けた無数の矢傷と、崖から転落し、激流を流れ下るうちに受けた無数の擦り傷と打撲と骨折と内臓破裂…。悪い事にすべての傷が化膿していた。ジクジクと滲み出す膿には無数の蠅がたかり、傷口には蛆が湧いていた。男は自分の悲惨な状況を認識し絶望すると、再び意識を失った。


 男はその後も生死の境をさまよい続けた。

 高熱にうなされ、現実と妄想が混ざり合った。断続的に意識を取り戻したが、ある時は明るく、ある時は暗かった。何度か昼夜を繰り返した後でようやく高熱が引き、初めてはっきりと周囲を認識できるようになった。

 

 男は粗末な小屋に寝かされていた。いや、監禁されていた。そこは小屋というより檻だった。十センチほどの間隔で並んだ棒杭がぐるりと周囲を取り巻き、出入口はなかった。屋根は乾燥した葦で葺かれている。檻の隙間から外をうかがう。周囲には背の高い葦が密生していた。床板の隙間からは下に水面が見えた。この檻は湿地に建てられた高床式の建物のようだった。

 いったい誰が、何のために自分をここに閉じ込めたのか。

 

 男は床に横たわったまま、待った。

 転落前に着ていた衣服はボロ切れと化していた。ナイフも当然失くしていた。高熱は引いたとはいえ、まだ全身の傷は膿を流し、痛みに疼いた。体を動かす体力もない。頭だけを動かすのがやっとだ。何よりも喉の渇きががひどかった。

 湿原のどこかで、ゲトゲトゲトと得体の知れない鳥の鳴く声が聞こえた。

 やがて日が傾く頃、檻の隙間から冷たい湿った風が吹き込み始めた。風に吹かれて葦がざぁざぁと鳴った。同時に床下の水位が上がってきた。潮が満ち始めたのだ。


 日が沈んで辺りが薄暗くなる頃、それは突然現れた。

 ちゃぽん。すぐ近くで水音が聞こえた。音の方を見ると、浅い水の中に何かが立っていた。子供ほどの背丈の人影だった。暗くて細部はよく見えないが、裸のようだ。そしてガリガリに痩せている。それはパチャパチャと水を蹴立てながら、男のいる檻の方に近寄って来た。

 近づくにつれ、それの異様な姿が男の目に留まった。

 それは人間ではなかった。


 河童!?

 男が受けた第一印象はそれだった。ぎょろりとした大きな眼。とがった顔。耳元まで裂けた大きな口。カエルのようなぬめぬめした皮膚。しかし頭には皿がなくただのっぺりしている。半魚人と言った方が近いだろうか。大きな水かきと鋭い鉤爪を備えた手で、何かを運んでいた。

 男は興味を引かれた。恐怖は感じなかった。

 河童/半魚人は檻のすぐ外で立ち止まった。それは床板に手をかけると、一気に体を引き上げて檻の外の床に立った。それは檻を覗きこんできた。男と視線があった。それの眼の、猫の目のような縦長の瞳孔が狭まる。なんて醜い化け物なんだ、男は思った。

「クルル…」

 それが頭を傾け、ひと声鳴いた。

 すると、持っていた物を檻の隙間から押し込んむと、水に飛び込んで消えた。

 

 怪物が残していった物はヒョウタンだった。

 音から判断して中には液体が入っているようだ。

 あんな不気味な怪物から手渡された物だ。一体どんな液体かわかったものではない。毒か、それとも想像もつかない、何かおぞましく不潔な液汁に違いない…。

 だが、男の喉の渇きは抑えがたかった。

 男は栓を引き抜くと、ぐびぐびと喉を鳴らして一気に中身を飲み乾した。

 それは澄んだ真水だった。冷たい真水は喉を流れ下り、男の全身に染みわたっていった。


 翌日も怪物は現れた。今度は二匹同時に。

 そのうち一匹は体の模様から判断して前日と同じ個体だった。持ってきたのはやはりヒョウタンの容器だった。もう一匹はやや体が大きく、小魚を入れた籠を抱えていた。籠から取り出した小魚とヒョウタンを檻の中へ放り込むと、怪物たちは前日と同じように、そそくさと去って行った。

 男は床の上に転がる小魚を生のまま咀嚼し、水と共に飲み下した。

 

 同じような日々が数日続いた。

 一匹または二匹でやってきた怪物は男に魚と水を与えると、逃げるように去っていった。

 食べ物と水のおかげで、男の体力は徐々に回復しつつあった。それと共に思考力も戻って来た。


 男はこれまでの経緯を思い出して物思いにふけった。

 それにしても、今回は下手を打ったものだ。危うく死ぬところだった。エルフ族の上級戦士相手に無謀な戦いなどするべきではなかったのだ。あの時の、いつもの男らしからぬ衝動は血気盛んな若者たちの魂を取り込んだせいだろう。魂を食うと技能や生命力を得られるが、人格まで影響を受けてしまうのか。あまり魂を食いすぎると「本当の自分」が失われてしまうな。

 だが、常に他者からの影響を受けて変化し、周囲に適応し続けるのが人間だ。むしろ「本当の自分」に固執し変化を拒絶する姿勢こそ病的である。魂を食うことで変化するのも適応のひとつであり何も問題はない。だが冷静さだけは失わないようにしなければ…



 男は起き上がれるまでに回復した。体中の切り傷や打撲傷は大方塞がりつつあった。だが体内にはまだ矢じりが埋まったまま残り、動くたびズキズキと痛んだ。男は自分一人で外科手術を断行することにした。魂を食ったエルフの誰かが持っていた知識なのだろう、おあつらえ向きの呪法があった。

 男の指先から湯気が立ち上り始めた。その指で患部、左肩の矢傷に触れた。ジクジクに膿んだ傷口と指先が接した箇所が白熱してシュウシュウと音を立てた。熱によって傷口を殺菌し焼灼する。肉の焦げる悪臭が漂った。男は苦痛に失神しそうになった。

「ぐううぅ…」

 歯を食いしばって耐える。膿まみれの矢傷に指をずぶずぶと潜りこませていく。…あった。指先が肉の奥深くに埋もれていた金属製の矢じりに触れた。男は白熱する指で矢じりをつまみ出した。傷口は溶接されたかのように肉が塞がり瘢痕となった。ようやくこれでひとつめ。残りあと十数か所。男は次に左太ももの傷口に指先を伸ばした…

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