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10話 復讐者

 森は騒然としていた。

 数十体のエルフ族の死体は濃厚な臭気を放ち、森に生息する無数の動物たちを引き寄せていた。暗いうちから夜行性の腐肉喰らいの獣や甲虫たちが反応し、夜が明けてからはそこにカラスや蠅が加わり始めた。今も頭上の空をカラスが二羽、三羽と連れ立って殺害の現場へと向かっていく。森の精霊の声に心を重ね合わせると、眼球をついばむハシボソカラスの満足、親が巣に持ち帰った腕にかじりつくキツネの子供たちの旺盛な食欲、血だまりに群がるキンバエの興奮などが渦巻き、突如ふってわいた饗宴にまるでお祭り騒ぎだった。


 死肉喰らいどもの貪欲な歓喜の渦の中を、氷の針のような冷たく硬いオーラを放ち高速で接近する点があった。一つ、二つ、…全部で五つ。すべてが氷の炎のような冷たい怒りに満たされている。

 間違いない。エルフ族だ。木の上を枝から枝へまるで飛ぶように疾駆してくる。速い。まっすぐこちらに接近してくる。仲間たちを殺された事への復讐か、それとも聖地の森を血で汚した事への断罪か。おそらく両方だ。そして確実に全員がかなりの手練れだった。

 

 自分は戦士ではなく殺人者だ。一方的な殺戮は好きだが自分が負けるかもしれない強敵との戦いはごめんだ。男はその場から急いで立ち去ろうとした。

 これまでの男ならそうしたであろう。しかし、その時は違った。男の心の中に新たな衝動が芽生えていた。自分以上の相手に挑戦したい。修練者数十名と教導者から奪い、今まさに我が物としつつある力を存分に振るって戦いたい。この気持ちは何だ。取り込んだエルフの若者たちの魂の影響なのか?

 しかしまだ新しい力を使いこなせない状況で、実力が未知数の敵と闘うのはあまりにも危険である。男はしばし判断に迷った。

 しかし結局、男は自らの衝動に身を委ねることにした。ここで強敵を倒してさらに魂を喰らうことができればさらに強くなれる。それに男は魂の結晶の美しさに魅了されてもいた。エルフ族の若者数十名が一人ひとり違う輝きを放っていた魂の結晶。新たな相手はどんな美を見せてくれるのだろう…。


 

 男は敵の到来を待つつもりはなかった。こちらから打って出ることにした。

 目に映るのは静まり返った緑の森。敵の姿は見えず足音も聞こえない。ときおり静寂を破るのはカラスの鳴き声と虫の羽音のみ。精霊の声に耳を澄ませ、緑の向こうに潜む敵の様子に探りを入れる。並走していた五人はお互い距離を取って散開し始めていた。男を包囲するつもりのようだ。移動の速度があまりに速いため詳しい様子を中々捉えにくい。風にひるがえる薄緑や褐色のマント、枝と枝の間を一度に数メートルも跳躍する影などの不鮮明なイメージしか伝わってこない。

 包囲されると厄介だ。男は一番近くにいる相手に向かった。エルフ族のように樹上を高速疾走し木々の間を跳躍して進もうとしたが、体重90キロ超の男の体格に耐え切れずに枝が折れ、なかなか思うほど速度が出せない。あきらめて地上を走ることにした。疾走の勢いで低木や藪をそのまま突き破って猛然と進む。


 彼我の距離が約100メートルに接近した時、標的のエルフが背中から何かを取り出した。武装は…弓だ!

 男が気付いた時のと同時に矢が放たれた。他の四人もほぼ同時に続けざまに射撃した。精霊の声に感応し矢の飛跡を捉える。

 奇妙なことに、矢は直線的に飛んでいなかった。巡航ミサイルのように木の幹を迂回し起伏する地形に合わせて地表を舐めるように低く飛んでくる。おそらく矢に魔力が込められているに違いない。男は回避するため樹上に飛び上った。その時うなりをあげて矢が飛来した。一本が男の顔のすぐ横の木の幹に突き立った。続けて三本が足元の大枝に刺さり、一本が男の大腿部をかすって皮膚を切り裂いた。

「くそっ」


 素早く移動しながら次々に飛来する矢を回避し続ける。敵たちは姿を隠したまま間断なく矢を射続けていた。死角から飛来した矢を危ういところでククリナイフで払い落とす。男は矢をかわしながら標的を追う。あと20メートル。逃がすものか。

 すかさず逃げる相手を援護して別の二人が矢を射かけてくる。意に介さず逃げる標的を追って男は跳躍した。背中に一本の矢が刺さった。男は標的のすぐ前の着地した。そしてはじめて肉眼で敵を認識した。


 口髭をたくわえたエルフ族。褐色の瞳は怒りに燃えていた。至近距離で放たれた矢を叩き落とし、男はククリナイフの一撃で弓を断ち切った。髭のエルフは即座に弓を捨て、足首のケースから抜き取ったダガーで突きを入れてきた。だが腹を狙った渾身の一撃はフェイントで、いつの間にかもう一方の手に握っていたナイフで頬をざっくり斬られた。血が放物線を描いて飛び散った。

 男は斬りつけられながらもククリナイフを下から振り上げて髭のエルフ族の腹をかっさばいた。血と内臓がドバドバと落葉の上にこぼれ落ちた。


 影に気付いて頭上を仰ぐと、別のエルフ族がまさに飛びかかってくるところだった。細い枝のような物を男に向けている。あれは…「束縛の呪法」に使う「戒めの杖」だ!

 はじめて男がこの世界で戦った相手、教導者ロレムが男を拘束するために放った呪法だ。この場で手足の自由を奪われるのはまずい。男は後ろに跳んで回避した。だが遅かった。直撃は免れたが、杖から放たれた見えない魔力は男の左足首から下を麻痺させてしまった。これでは歩くことはできるが跳躍したり疾走したりするのは無理だ。


 ロレムを倒した時に、術者を殺せば呪法は失効することはわかっていた。術者のエルフ族は長い髪を頭の後ろで縛った痩せた中年の女。まずはこの女を殺さなくては。しかしエルフの女は男の状態を正確に見抜いていた。そして男がもっともとって欲しくない行動に出た。男の手が届かない樹上高くまで飛び上がったのだ。男を見下ろして冷笑を浮かべながら、枝の上で矢をつがえる。他の三人も動きを止め、木の上で矢の狙いを定めた。

 男は倒木の影に身を投げた。しかし四つの弓から放たれた追尾能力のある魔法の矢はオオスズメバチのように唸りをあげて飛来し、四本ともが深々と男の体に突き立った。男は激痛に襲われた。目の前が暗くなったが、かろうじて意識は失わなかった。男は生い茂るシダの葉の下に潜りこみ、這ってその場から逃れようとした。だがエルフ族たちは容赦しなかった。次の矢を装填し、放った。再び全てが男の背に命中した。だが男は止まらなかった。泥まみれになりながら蛆虫のように必死に這った。そこに次の矢が降り注ぐ。そしてまた次の矢が…。

 全身からハリネズミのように矢を突き出して、男は這い続けた。人間離れした異常な生命力である。おそらく数十名の魂を取り込んでいなければとっくに絶命していただろう。エルフ族たちも男の異常なしぶとさを気味悪がってか近づいてこない。ただ矢だけが降ってくる。何本かは頭にまで刺さっている。自分でも生きているのが信じられないくらいだ。だがさすがに首を落とされでもしたら死ぬに違いない。エルフ族の奴らがまだ怯えている今、逃げ切ることができなければ終わりだろう。


 その時、男の手が空をつかんだ。地面はそこで終わっていた。その先は深い崖となって奈落の底へ落ち込んでいた。はるか下方の谷底を流れる激流の音も、この高さではほとんど聞こえない。男に選択の余地はなかった。接近して刃物でけりをつけることを決意したのか、ついにエルフたちが地面に下りたのがわかったのだ。今はこの生命力に賭けるしかない。

 男は崖から自分の体を押し出し、深淵に向けて落下していった。

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