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 長い一日が終わり、翌日には僕と牧瀬奈々子の関係は周知のものとなっていた。関係、と言っても、もちろん「僕が告白をし、牧瀬奈々子がオッケーをした」というもののみで、兄のこと、つまり彼女の真意までは触れられていない。また、強情ポニーテールはあくまでも「恋人」というキーワードを自身では使わないようにしているらしい。

 好奇心を爛々と光らせたクラスメイトたちの目は、酷く下卑たものに見える。

 もとより、僕のほうが考えすぎなのだろうと思わないでもないが、今まで一切の興味を払わなかった僕に対しここまで露骨な好奇心を窺わせるほど、彼らにしてみれば人間関係というものは至極簡単なものらしい。得や損などを埒外に置いた、単なる暇つぶしが、彼らのそれに当たるのだろう。教室で一人で居たくない、食事中に話したい、帰りをともにしたい、休みを家で過ごしたくない。そんなちょっとした願望を全て叶えてくれるのが「友人」で、その疎外感をよりよい「友人」で満たせるのなら、前者は必要なくなる。移り変わりの激しいインスタントなものだ。とはいえここにある全てがそうである、などと単一的なことは言うまいが。

 群がるクラスメイトたちからの質問を、うまく中心に据えてあるものに触れずにかわしていく。僕と彼女が好き合っていないことや、僕が彼女に告白をした理由、そしてそれに答えた訳をまるっきり正直に話すことが出来ず、つまり四肢を縛られたような状態で解答を繰り出すのは、至難の業と言っていいだろう。そうして考えながら、言いよどみながら答えているうちに、予鈴が鳴って、分散していく。ひとまず、逃れた。

 と思っていたが、ひとつ前の席に座る野球部らしい坊主頭がくるりと振り返り、

「牧瀬さんかー、いいなー」

 とひとつ呟いて僕を見据える。確か、田中なんとかという名前の男で、理由は知らないが「田中氏」と呼ばれているクラスメイトだ。

 田中氏は担任が入ってくるのも気にせずこちらを向いたまま、僕の顔を仔細に眺めている。

「いやー、古屋敷より俺のほうがイケメンだと思うわー」

 苦笑いを返す。その通りだと思うが、牧瀬奈々子にとって、僕よりも田中氏よりも、兄が「イケメン」に映ってしまったのだから、僕にとやかく言われてもどうしようもない。その上田中氏には利用価値がないのだから、これはもう仕方ない。

「牧瀬さんかー」

 もう一度そう言って、田中氏はようやく前に向き直った。

 ゆかりんも言っていたが、牧瀬奈々子をよしとする男性は多いようだ。個人的には、目の威圧感と、そのものずばりの強情さで、全く魅力を感じない。

 相手を知るより先に告白などをしてしまったのがよくなかった。もう少し「強情ポニーテールは僕の告白を断るかどうか」に関して、調査を行っておけば、こんな七面倒なことには巻き込まれずに済んだだろう。心中にぽっと出た思い付きに、愚直に従う必要はなかったのだ。

 ひとまずはそこに価値を見出せはしたが、それも果たしてうまく行くのかどうか判然としないもので、また、その手段自体も今は手探りのものだった。

 謳歌すべき青春時代そのものに後悔が多く生まれる場合はどうしたらいいのだろう。

 

 さて、するりするりと質問攻めをかわし続け、放課後を迎える。もとより興味のない人間相手にちょっとした炎上が起きたところで、そのほどは高が知れる。

 ゆかりんからメールで呼び出しを受ける。

 昨日と同じ場に三人で集まった。

「なにか」

「なにかってシメジン」あだ名亜種。「デートするんだろ? え? 奈々ちゃんとデートするんだろ?」

 ゆかりんは一見真面目な風を装っている、かどうかはともかくとして、そのように見える外見をしている。ボブカットの前髪を片側に流し、ピンで留めている。赤い縁の眼鏡は、昨日は掛けていなかったから恐らく伊達かと思われる。制服を着崩すわけでもなく、髪を染めるわけでもなく、ピアスも開けていない。

 ただどうしてか、このような酔っ払い風の言動が、彼女のイメージと不一致で気持ちが悪い。

「まあ、そういう話になったね」

「まあってオイ! オイオイオイ!」今日は昨日より一層元気なようだった。「この奈々ちゃんを隣に置いてなにするかって相談だろうよ!」

 一方の強情ポニーテールは辟易とした顔でメロンソーダの気泡を眺めていた。多分、僕より過酷な質問攻めにあったと見え、疲労が蓄積したのだろう。彼女は案外友達が多いほうらしいので、苦労もひとしおのことだったと想像するに難くない。

「とはいえ、僕も恋人なんて作ったことないんだ。普通の、一般的な高校生のカップルが何をしているのか、知らないんだよね」

「それでよくもまあこんな作戦を持ち出せたなオーイ!」元気も、行き過ぎると鬱陶しい。「そんなもん決まってるでしょうよ!」

 机を三回叩いてそのまま右手を振り上げる。挙手した形だ。

 話が続かないので、

「はい、ゆかりん。どうぞ」

 言ってやる。これで参謀とは、先行き不安。

「まずは! ずばり! 映画鑑賞かと思います!」

「はいどうも」

「だって君たちカラオケなんて行かないでしょ? 奈々ちゃんは超美声だけど、シメジンが歌うところとか全く想像できないよ。かえるの歌でも歌うの? それで百点とってうふふとか笑ってそう」ぶふー、と口に出しておどける。「ザ、童謡シリーズ!」

 つぼの浅い女はさておき、

「確かに映画は良いかもね。半券という証拠も残るし、映画の感想という共通の思い出も出来るし、何より二時間程度何も話さなくて済む」

「そう考えれば良いかもね」牧瀬奈々子は乾いた笑いを浮かべながら呟く。「私は疲れた」

「早いな。君の目的遂行のための関係だろ?」

「まあ、そうなんだけど。そこを曲げるつもりはないけど。お兄さんまでが遠すぎて挫折しそうだぜ……」

「僕を利用しようって明言してたのは君だ。だから僕は弟としてアドヴァイスをした。それに乗ったのも君だ」

「うるさいなー、わかっていますわよ」

「えー、もう痴話げんか? 若いってすげー」ゆかりんはようやく笑みを抑えて、少し距離を置いたような言い方をする。「奈々ちゃんもさ、シメジンも、もっとラフに考えたらいいと思うのよね、私」

「ラフ?」牧瀬奈々子が隣を見る。「ラフって、どこをどう?」

「とりあえずお互いがお互いを練習台と思えばいいんだよ。これは予行練習。だから一般的な恋人が行うような一般的なデートコースを巡ってみる。シメジンが言ったように恋人のフリなんて一朝一夕で形になるものじゃないから、そうやって確実に積み重ねてみたら良いんだよ。で、完成したらついに敵城へ乗り込み、念願の宝を手に入れる、と」

 少々、ゆかりんの言い回しに違和感があった。だがそれが何に起因するのかが掴めないまま、

「まあそうかー」

 強情ポニーテールが、親友に対してだけ発現させる顔で、頷いた。

 それで、今浮かんだ違和感は見えなくなっていた。

「ということで、ザ、映画!」

 ゆかりんの号令に、ぼんやりとしたまま二人は頷いた。


 翌土曜日。

 僕と牧瀬奈々子は初めて私服姿で相見える。

 いつもどおりのポニーテールに、膝丈の白いワンピース。ネイビーのカーディガンを羽織っている。靴は黒のパンプスで、七センチほどのヒールがあった。一見すると清楚というか、可愛らしい、女子高生らしい様相だが、中身は武士の如く譲らぬ性癖なのだから、人間見た目では判断できない。

 牧瀬奈々子は僕を見ると少し顔をしかめ、

「次はぜひともショッピングにしよう」

 と言った。ネルシャツにジーンズは、よくないらしい。

 目的の映画館はショッピングモール内にあったが、今日は手持ちの金が多くない。それも見越しての発言だったとするならば、本当に彼女はお互いただ映画を観て帰るというだけのために来ていると理解していることになる。これはいい姿勢だった。

 歩き始めながら、何を話したら良いのか考えていた。こうして女の子を隣にして、それも目的を持って会うことなど人生で初めてのことだったから、変な緊張があった。心の伴わない形骸化した「恋人」だとしても、十七歳は例外なく思春期真っ盛りである。よからぬことは考えていないが、それでも、構える部分はある。

「あ、あそこのカフェ、パンケーキが美味しいらしいよ」

 牧瀬奈々子はわが道を行く。

「そうなんだ」とりあえず、つまらなそうではない。「女子ってパンケーキの何が好きなの?」

「さあ。私は別に好きじゃないからわかんない。好子ちゃん、あっと、クラスメイトのイケイケ女子高生なんだけど、その子曰く、パンケーキ食べてる女の子可愛いじゃん! だって。いや、もっとこう、可愛いじゃあ~ん? みたいな感じだったかな」そう言ってくすくす笑う。「なんだよそれって思った」

「最近のパンケーキなんてクリームタワーの土台じゃない」

「パンケーキというか、もはや何でも良いよね、あれ。バナナとかうまく組み立てたらお洒落なんじゃない」パンケーキが美味しいらしい店を通り過ぎる。「なんというかみんな必死だよなあ」

「必死?」

「好かれようとさ」

「君も必死じゃないか」

「それとは違う向きじゃん。可愛いものを身に着けて、可愛いものを食べて、可愛いそぶりとか声音とか、そういうのを取り繕う。それって、自分じゃなくない? ただの可愛い人じゃん。これ、なんて言ったらより的を射る?」

「個々人の個性からの普遍化?」

 言ってみると、牧瀬奈々子はこちらを向いて、

「はあ?」露骨に怪訝そうな顔を見せる。「なんだそれは、むつかしいこと言いやがって」

「つまり、えーっと、要するに牧瀬さんが言いたいのは、本来持ってる各々の個性を置き去りにして、可愛いっていうイメージに到達しようとしている世間の向きを批判していることになると思うわけ」

「はああ?」

「おっかしいなー、言っていることは同じなのに」

「どこがだよこのインテリ気取り生意気クソシメジ!」

 ぼふんとわき腹を叩かれる。思った以上の腕力であった。

 身体を折り曲げて痛がる振りをしていると、牧瀬奈々子が笑った。

 それは、嘲笑ではないらしかった。

 顔を見ると、楽しそうに、している。

 僕はそれに対し、違和感を覚える。居心地の悪さと言ってもいい。

 そして脳裡にちらりと顔を出すのは、兄だった。

「なに?」牧瀬奈々子が僕のその僅かな変調に気が付いたものかはわからないが、彼女は復帰しない僕の背中に触れる。「痛かった?」

「いや、大丈夫」ようやく、姿勢を戻す。「インテリ気取りに傷ついただけだよ」

「えー」多分、あえて気にしないようにしたのだろう。「その通りじゃん。論破だーとか言って喜んでるタイプでしょ? その片鱗がちらちら見えているよ今までの会話で」

「そんなことないよ、ないない」

「嘘吐くなよー」

 そうしている間に、ショッピングモールに到達する。

 予定通り寄り道もなく映画館の前まで向かい、ゆかりんが予め買っておいてくれたチケットを手に、ロビーまで進む。休日の昼下がりで、人はそこそこ居たが、混みあっていると言うほどの程度ではなかった。家族連れの中に、ちらほらとカップルの姿もあった。

「ポップコーン買う?」

 聞いてみると、

「要らない。だってあれ、うるさいじゃん。カサカサモリモリ音鳴らすなよ! って他人に思うから、私はいい」

 売り場前で言うことかどうかはさておき、おおむね同意。

 同じ理由で、飲み物も買わなかった。最後の「ズゾゾゾゾ」という音に悪寒がするとさえ彼女は言った。

 上映時間まではまだしばらくあった。レストスペースのソファに腰を落ち着ける。

「ところで僕たち、どんな映画を見るんだ?」

 ゆかりんから貰った映画のチケットは「幸いにして不幸」というタイトルのフランス映画のものらしかったが、全国規模での上映ではなく、日本においては七館しか扱っていないと言う。それも日に一度程度の上映しかなく、期間も二週間限定だそうだ。動員の見込めないマイナーな作品なのだろう。

 事前に観賞を済ませたゆかりんの一押しで、まさしく押し付けてきたのがこれだった。

「さあ。調べてないからわからないや。すごい! やばい! おもしろーい! しか、ゆかりんの口からは聞いてないし……」

「なんていうか彼女」の後は続けない。「とりあえずチラシ見てみよう」

 レストスペースの壁際に公開中作品のチラシが並んで置いてあった。ソファを立ち、一枚を抜いて牧瀬奈々子の隣に戻る。

 首を伸ばし、二人で覗き込むと、

「『またしても夕闇』の監督最新作。ヴァイオレンスかつエロティック、魅惑の美少女が謎へ誘う」

 という文言が書かれている。

 ざっくりしたあらすじを読み終え、

「なんか取り散らかった話だね」

 代表して言った。

「まあ、ゆかりんの好意だから……」

「そうだね」そもそも、と続ける。「僕たちにしてみれば映画の内容は重要じゃないしね」

 彼女が顔を離した。

「そうだね」


「幸いにして不幸」は、チラシどおりの内容だった。

 金髪の白人美少女、というには少々年齢の行った、やたらスレンダーな女性が、老齢の小説家を騙し、ちょっとした詐欺から始まり血みどろを迎える事件に巻き込み、時折彼女や別の女優の裸体が映り、それっぽい間が存在し、ストーリーはうやむやのままエンドロールへ繋がる。

 面白いかどうかという話はひとまず他所へ置き、とりあえず言えることは、高校生の男女が見るものではないな、ということであった。

 帰りは夕方で、まだ時間はあったが、そもそもの目的も終えてしまったので、ファミリーレストランなどで小休憩を挟むでもなく、無言のまま、僕たちは駅へ向かった。

 改札を抜け、別のホームへ向かう前、

「また」

「うん」

 別れの挨拶は、それだけだった。

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